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逢魔が時

 巳葺小屋 19時21分


岩屋の前で通話が終わった楓は小屋の先にある森を見詰めている。

既に日没は過ぎ、森は太陽の残光に揺らめく影を落とし間も無くやって来る逢魔が時を待ち構えている様であった。

直立して両手を腰に当て、暫く動かない。

顔に当たる風を感じると眼を閉じてゆっくりと深く息をした。

「やり過ぎじゃないの?昔の馴染みだと思って大目に見てあげれば・・・人を喰らった段階で手遅れだったのね。可哀想に・・・お互いに永く生き過ぎたみたいね。でもね、私は今を生きていくの。あなたは辛いのね・・・もう、終わりにさせてあげる。」

誰にでもない。虚空に向けて呟いた。



「あ、いたいた。楓さ~ん。」

北西の藪を抜けて巳葺小屋が見える森に入ると琴乃は岩屋の前に立っている楓を見付けて手を振る。

「あれ、楓さん・・・怒ってるの?」

琴乃の声を聞いて楓も手を振り返すのが見えたが、様子を見に速足で近付く。

表情が見える所まで来ると、いつもの楓がいた。

「琴乃ちゃんおっひさ~一番乗りね~」

琴乃の後を追い高坂玄司を筆頭に、龍崎の一門総勢二十一名が藪を割って出てくると、全員が楓の前に出て(ひざまず)く。

玄司が代表して口を開いた。

「楓様。龍崎琴乃と、龍崎家配下二十一名。参上致しました。」

「玄ちゃんも久し振りね。實明(さねあき)君は元気にしてる?實吉(さねきち)君の葬儀依頼会ってないけど、しっかり統領してるみたいね。」

「はい。くれぐれもよろしくお伝えするよう申し付かっています。」

高坂玄司が応えた。

楓が琴乃を見て声を掛ける。

「あら、いっちゃんに会って来たの。元気だった?」

言うと琴乃の肩に着いた長い毛を摘まみ上げ、顔の前で振る。

「いっちゃん?・・・異獣の事ですか?」

「そう。異獣のいっちゃん。会ったんでしょ?」

琴乃は肩を落とし、顔を下げてから改めて楓を見詰めて言う。

「何ですかそのネーミングセンス。今度何かに名前つける時は相談してください。まあ、会いましたよ。狒狒を倒して欲しいって。楓さんに会いたいとも言ってましたよ。本当にどんな交友関係してるんですか・・・なんか、もう緊張感ないなぁ。」

聞いていた楓は「そうか。これ終わったら会いに行くかな。」と言い、(かしず)いている従者にリラックスするように言って、琴乃と玄司を連れて小屋へ向かう。


歩きながら二人に、現在起こっている状況を伝え、相手の狡猾さを説明した。

戸を押して入ると二体の遺体収容バックが安置されている。

発電機は動いていなかった。

明かりの無い暗がりの中、小さな窓から夕陽の名残だけが視界を助けていた。

楓が屋根裏を指差し「あそこから入って来て稔君を・・・翔君を狙ったのね。」と言う。

「え?狒狒は最初から翔君を狙っていたんですか?私は彼と会った事無いんですけど物怪に狙われる理由は?・・・物怪に動機を訊ねるのも変な話しだけど、確かに、執拗(しつよう)に狙っている事は分かります。彼と狒狒に何かあるんですか?」

楓は戸を閉めて二人に背を向けたまま語り出した。


「狒狒の(かしら)は『猿哮(えんこう)』。かつてここに在った(いおり)の主の従者だった大猿よ。主の名は秋月光雲(あきつきのこううん)。都から落ち延びて山住達と交流を持ち、当時の丹沢山地の物怪や神達と人間との間を取り持っていた原初の陰陽師。猿哮は賢い猿で光雲の手伝いをして普通の人間よりも知識を持つほどになった。庵に出入りしていた槍穂の民、村長の娘と光雲の間に子供が出来ると可愛がって世話をしていたの。でも幸せな日々は長くは続かなかった。光雲は都から付け狙われていたから。子供が生まれた頃、都で政権を奪った豪族の軍隊が槍穂の村を取り囲んで光雲の差し出しを要求をした。でも、光雲に恩のある槍穂の人達は決して光雲を差し出さず、光雲にも知らせなかった。業を煮やした軍隊が村を襲い始める頃になって、山の民達が光雲に事態を告げ、逃げるよう手配するけど光雲は皆を助けるために投降して都へ連行され処刑されてしまった。投降する時、猿哮に子供とその母親を頼んで行く。光雲の子と知られれば殺されるからね。残された母子は猿哮と山の民達に守られていたんだけど、横やりが入るの。『(むくろ)』と呼ばれる大陸から流れて来た『鬼』の一族の一匹から、『光雲が殺されたのはその子と母親がいたからだ』ってそそのかされたのね。心根は優しく、光雲を慕っていた猿哮は信じてしまい、その子と母親を憎んでしまった。猿哮が同族の仲間と共に殺そうとするのを山の民達が母子を逃がして行方をくらました。憎む相手を見失って、行き場のない怒りは猿哮とその仲間達を永い年月を経て狒狒にしてしまった。かつての賢く優しい大猿はなくなってしまい。人間に対しての憎悪だけが生きる理由になった物怪にね・・・今、その子の子孫がこの山に現れた。」

楓は哀し気に話し振り返って琴乃を見る。

「楓さん。それを知っていて翔君に入山させたの?」

琴乃が楓に強い口調で言った。

「うん。でもね・・・登山道を歩けば大丈夫な筈なのよ。琴乃ちゃんも分かったでしょ。この周辺の山には陰の気配はないの。多くの山の神々から加護を受けて、十年前の隆一君の事件以来、登山道の整備には結界と守護を施しているから。・・・ん?・・・ところが何故か嵐に遭ってここに連れて来られてしまった・・・山の神達は憂いをもって翔君に山の秩序を取り戻すように誘導したとしか・・・思えない・・・」

楓は肩を落とし、終始下を向きながら左右に目を配らせ、自信なさげに呟いている様に見える。

目の前にいる楓がこのように振る舞う姿は琴乃には記憶がない。

最初に狒狒と対峙した時に浮かんだ疑問が確信に変わる。

『この人の力は衰えている・・・』

琴乃は一つの決意を持って(うつむ)いたままの楓の肩を(さす)りながら応える。

「楓さん。それで私達を呼んだんですね。分かりました。これからは私達の世代がしっかりと秩序を、人間社会を守ります。今までお疲れさまでした。後はお任せください。」

言われた楓は琴乃を見上げる。

真っ直ぐに楓を見詰め、眼には力が籠っている。その迫力に楓が応えた。

「・・・ん?ん~うん。頼むね。琴乃ちゃん。」

小屋を包む空に帳が降りて来た。

「逢魔が時」を迎え、龍崎一門は火を焚き、小屋から出て来た玄司の指示で陣営を整えて行った。



山の神の喜び 巳葺小屋北東藪前


一志は、森を急ぎながら避難隊が捜索本部に帰り、藤次が県立松田総合病院へ救急搬送された報告を受けていた。

同時に仲村聡史を追って佐々木監理官が山住衆と入っている事の対処に新たな『式』を放って追跡するが、まるで聡史自身が気配を消しているかのように反応がなく佐々木と脊山に辿り着いてしまう。

史隆からも檜洞丸を守っていた神奈川の神崎縁者達が本部護衛を受け持ち総本家は真っ直ぐ巳葺山へ向かっていると言われ、自分達ももう少しで到着する事と、幽世を生み出せる個体は現時点で二頭、もしかしたらもっといるかも知れないと忠告した。

「あと、1キロメートル程度、15分で楓様と合流出来ます。」

横を走る希代司から言われ、「分かった。」と呟いた。


大藪が見えたところで一志は足を止め、希代司に合図した。

希代司も気付き、振り返って従者にも『止まれ』と両手で合図した。

一志が藪の左の木陰を見て聞く。

「何かご用ですか?今は君達を相手にする必要は感じていませんよ。」

木陰から三頭の大きな猿が現れた。

『狒狒を倒すのか。倒せるのか。山の神、悲しんでる。人よ、山の神喜ばせるか?』

大猿の一頭が流暢(りゅうちょう)に話す。

猩猩(しょうじょう)がわざわざ山の神の言伝(ことづて)を人間にしてくれるんですか。物怪も神格の一種と学びましたけど、神が人に依頼する事があるんですか?」

一志が猩猩へ静かに問う。

『神は願わない。憂いているだけ・・・我々山に棲む者達は安穏(あんのん)と暮らせるよう、人間が山奥まで足を踏み荒らさないよう静かに暮らしたいと思うだけ。神は人好き。人が悲しむの望まない。我々のせいで人が悲しむの望まない。これ、狒狒とお前達人間の問題。人、悲しまないよう狒狒倒せるか。山の神喜ばせるか?山の神喜ぶと山豊かになる。』

猩猩は言うと陰に戻り気配が消えてしまった。

「一方通行かよ。言うだけ言って・・・勿論そのつもりですよ。ここは本来、九鬼家のシマなんだから。両家に引けを取っていられないんだよ。藤次の分も挽回しないと。」

希代司に「大丈夫。」と言いそのまま藪に入り話しの内容を伝える。

進んで行く藪の先に炎が上がっているのを目にして一気に抜け出た。

「一君!早かったね!」

琴乃がいつも以上にハイテンションで声を張り、手を振って来た。

手を振り返すと、岩屋に楓の姿を見付けて走り寄る。従者達十一人も続いた。

「楓さん。申し訳ありません。自分に責任があります。必ず連れ去られた人達は僕が見つけます。」

言って楓を見る。

ライトグリーンのフリースジャケトを着てカーキ色のカーゴパンツスタイルの楓は以前見た時よりも幼く見えた。希代司の言う通りその美しさは変わりなく、松明の火に照らされた姿は神々しさを伴っていた。

「うん。お願いね~琴乃ちゃんもやる気満々みたいだからテンションで負けないでね。」

事態の深刻さが楓からは一切伝わって来ない。屈託のない無垢の笑顔で一志を見詰めた。

楓の微笑みに耐えきれず、一志は目線を胸元に移すとどこで捕まえて来たのかヤマネを手に乗せて遊んでいる。

岩屋に戻って来た琴乃が一志に声を掛ける。

「一君。楓さんには親の代もお世話になって来たけど、今日からは私達世代がしっかり跡を継いでやっていくわよ。しっかりね。」

琴乃が一志を正面から見て強い表情で言う姿を見て、一志は琴乃が何を言わんとしているか察した。

『やはり・・・』琴乃に頷いて楓を見る。

「そうですね。僕達の成長と実力を良く見ていてください。これからは三家の次期統領が楓さんに代わって皆を守ります。」

力強く言うと一志と琴乃は陣営と情報の確認をしに歩いて行ってしまった。

「・・・はぁ・・・はい~はい?」

相手の迫力に押され、首を傾げて呆然と二人を見送る。


高坂玄司と打ち合わせを終えた宮宅希代司が挨拶にやって来た。

「楓様。御無沙汰しております。思いのほか厄介な相手ですな。藤次さんはご無事のようですが、藤次さんを動けなくする程とは・・・玄司さんの話だと狒狒の頭と楓様とは因縁があるそうですが・・・」

希代司が言うのを、ヤマネを胸のポケットに収め、炎を見詰めながら応える。

「希代さん。その歳で若い子達と駆けっこして来たの?大丈夫?藤次君が怪我で済んだのは不幸中の幸いね。狒狒の中で特に強いのは三頭。一君達にも荷が重い相手よ。あとは、狒狒以外の物怪が出て来るかどうかね。猩猩はなんだって?」

希代司は驚いたが、頷いて答える。

「猩猩は狒狒を倒す事はこの山に棲む物怪の願い。人が悲しまないようにする事が神々の喜びと言っていたようです・・・若いお二人は何か勘違いをしているようですな。楓様は私が子供の頃、初めてお屋敷で見た時から変わらずお美しい・・・分かりました。三頭と対峙させないよう、楓様の前に誘導します。」

希代司が言うのを「お世辞はいいよ。希代さん、無理しちゃだめよ。」と言い、暗くなった空を見て「私よりも強い子が彼等を倒すわ。」と呟いた。


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