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狂い出す歯車

 巳葺山東麓 古道


深い藪を抜け、人が一人やっと歩ける道を中腰で歩く。

所々に分かれ道があるが忍は正確に元来た道を進んで行く。

空はまだ明るく時折吹く風が笹の香を運んだ。

避難路とはいえ悲壮感はなく、充分休んでからの出立であり、荷物も避難に必要な物以外は小屋に置き、軽量化したため体力的にも余裕があった。

「この先で少し道が広がります。もう少し頑張ってください。」

忍が言い。肩に掛けた弓をさらに下げ姿勢を沈めた。

笹のトンネルを潜り抜けると4メートル四方の広場のある四つ辻に出た。

忍は躊躇なく右へ折れる道を行く。

忍の言葉通り、立って歩ける道に変わり疲労の溜まった腰を伸ばしながら進んで行く。

「涼子さん。そろそろ合流出来る位置まで来たと思うんですけど。私達より早く歩ける人達ですから、連絡入れてみて貰えますか。」

忍が涼子に言い、道幅が広くなった白樫の大木の下で歩みを止めた。

涼子はスマホでの通話を試みる。

藪の中では鳥の囀りが響き、白樫の樹形が藪に影を落としていた。

耳鳴りを覚え翔が左の米噛を押さえ振り返って宗麟を見た。

宗麟は前に出て木の陰に入ろうとしていた涼子の腕を掴み明るい所へ引きずり出す。

突然鳥が藪から飛び出して行った。

陰から涼子を掴み損ねた毛だらけの腕が宙を切り、狒狒が三頭出て来る。

最初の狒狒を忍の弓が薙ぐと奇声を発して煙になった。

二頭目を須藤が切りつけ宗麟が打ち付ける。

三頭目が涼子を襲おうと両腕を広げたところを最後尾にいた風丘のライフルが額を打ち抜いた。

戦い方が分かり少数であれば対応出来る手応えを感じた。

また、微かな音がして、忍が翔と聡史を、宗麟が涼子達を背にして身構える。


四つ辻の方から複数の人の駆け寄る音が近付いて来た。

「大丈夫ですか?」

翔よりも少し背の低い線の細い美青年が声を掛ける。

後ろに五人の男女が一列で隊列を組んでいた。

互いの表情が読み取れるほどの距離まで来たところで気配が変わる。


雷鳴のような音と共に地面が揺れ、薄黒い霧が藪一帯に立ち込めて明るかった空が薄暗い雲に覆われてしまう。

藪の中、霧に包まれた空間から黒い影が次々に沸き出て翔達と援護に来た九鬼の一門を加えた十五人を取り囲んで行った。

「やるよ。」

先頭の青年。九鬼藤次が従者達に静かに言うと従者は翔達を囲み藤次をフリーにする。

藤次は右手で刀印を結ぶと藪を踏みしめながら陣を回り『破邪の法』を唱える。

青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(ていたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)

唱えながら空に井桁を切って行く。

唱えた先の狒狒たちは藪と共に細切れになり(ことごと)く煙となり果てて行った。

藤次の術を潜り抜けた狒狒は従者達に切り裂かれて行く。

『優勢に立った。』誰もが心に抱いた刹那。

大きな咆哮と共に小山のような黒い影が現れ、藤次の前に狒狒達を投げ入れる。

『破邪の法』で狒狒達は四散消滅したが、目の前に現れた大きな影が藤次を右腕で薙ぎ払った。

藤次は藪の中へ叩き飛ばされ音を立てなくなる。

従者の内、二人の女性が藤次を守りに藪に入って行き陣が乱れる。

その大きな影は突進して残りの従者と宗麟、風丘や所轄二人を跳ね飛ばし、翔の首を掴んで顔を近付ける。小屋の襲撃で号令を掛けていた親玉の大狒狒だった。

翔と目が合った大狒狒の瞳からは殺意は感じられず、静かに翔の顔を覗き込み何かを確かめるようだった。

翔を掴んだまま動きが止まった大狒狒の腕に忍と涼子が切りつけ須藤のナイフが足に突き刺さる。

親玉は小さく悲鳴を上げたが空いた腕で涼子を跳ね飛ばし、忍を掴むと咆哮を上げ、差したナイフを抉る須藤を蹴り飛ばすと藪を越えて森に向かって走り出した。

走る先に暗黒の霧が生まれ、二人を掴んだままその中に入る。

残った狒狒達も次々と入り、最後の一頭が消えると同時に霧は消滅した。



巳葺山 東麓原生林


森からの情報を受けながら九鬼本隊は巳葺小屋を目指して行く。

最初は巳葺山へ向いていた幽世の跡は、北へ向かって簑沢峠へ伸びて行った。

「・・・これは、僕達が罠に(はま)ったのかな。わざと遠くに行かされているな。」

一志は胸のポケットから人型の紙を三枚出すとそれぞれに呪文を唱え、息を吹きかけて『式』を三方へ放った。

放たれた『式』が木々の間を飛び回り森の奥へ消えて行く。それを見送り直ぐ後ろを歩く年配の従者に声を掛けた。

希代司(きよじ)さん。楓さんの事なんだけど、あれだけの人でも衰える事はあるのかな?」

森に入る時に浮かんだ疑問を口にした。

聞かれた宮宅希代司(みやけきよじ)は、急ぎ足で一志の横まで来て小声で話した。

「一志さん。言葉に気を付けてください。他の者に聞かれると動揺されます。楓様はこういった時、精神的支柱なんですから。何を根拠にそんな事を。」

一志は歩きながら、これまでの経緯を整理して行く。


『最初の殺人、巳葺小屋が襲撃され山住の脊山稔が神崎翔を庇って狒狒に惨殺された。』

『警察や行政の救援要請を受けて秋月楓が呼ばれる。』

『楓の指示で、要救助者である神崎翔の身内、神崎総本家が動く。』

『神崎総本家からの要請を受け、遠縁の龍崎家と地元陰陽師の九鬼家が支援する事になる。』


「ここまでは、今までだって互いに協力をして三家で問題解決をした事はあった。一つだけ異なるのは、三家からの要請で楓さんが動いていたのが、今回に関してのみ逆になっている。これは、特事対の佐々木さんか市役所の深山さんが楓さんに先に要請したからとしても、直に楓さんが要請に応えた場合、狒狒程度なら楓さん一人で全滅出来る筈。しかも、現地に一番乗りしているにも(かかわ)らず殲滅(せんめつ)し損ねている。その結果、本部を襲われ、雫さんを連れ去られた。僕はそれ程楓さんと事件が被った事ないけど、あの人が動く割には鮮やかさに陰りがある気がしてならない。だから三家に協力を求めてきたんじゃないのかな・・・」

聞いていた希代司は暫く考えて応える。

「あのお方は、私が九鬼の御家にお仕えした頃からお姿も変わらず、お美しいままです。そのお力も変わらないと思います。御隠居様も幼少のころから楓様にはお世話になっていたと仰っておられました。歳を取らないのと、どんなに修練を積んでも得られない力をどうやって手に入れたのかは誰もが不思議に思いながら口にする者はおりません。ただ・・・物部の末裔に関係しているとか・・・」

一志は聞きながら楓を初めて見た時の事を思い浮かべていた。



十年前の夏。

神崎総本家の長男、隆一が殺害された事件は三家にとって重大な問題だった。


更に六年前、神崎総本家の先代統領夫妻が事故により他界した時、日本国内は言うまでも無く協力関係にある諸外国の術者の中にも次期統領として隆一を押す声は大きく、誰もが隆一を認めていた。

しかし、その隆一が統領の座を辞退し弟の史隆が襲名する事になる。

その後も、統領にならずとも隆一の実力は誰もが認めるものであり、難しい事件には国の内外を問わず頼られる存在であった。

その隆一が物怪との争いで命を落としたという。


事態は相打ちであったとの報告が回り、その検証を行ったのが秋月楓であったため誰も疑わず沈静化したのだった。

その報告に先立って、詳細を聞く為に楓を招き九鬼本家に龍崎の幹部達も集まって会合を開いた。

当時、一志は中学一年、十三歳だった。

将来の統領候補として会合に呼ばれ、時間まで二つ上の龍崎琴乃と中庭で雑談をしていたところ、縁側を希代司に先導されて大広間に歩いて行く人に気付いた。

一志は話を止め、一人の美少女の姿に見とれていた。

「誰だろう?」

琴乃が言ったところを父の(なお)()に呼ばれ大広間に入って行った。

上座中央に先程歩いていた美少女が座っている。

九鬼先代統領の祖父九鬼直保(くきなおやす)と、同じく先代で一昨年亡くなられた龍崎家統領の龍崎實吉(りゅうざきさねきち)が左右に座り、「本日は両家重鎮に、楓様から先の事件についてのご説明をお伺いするためお集まり頂きました。」と直保が言い全員が上座の美少女へ頭を下げたのだった。

最後尾にいた一志と琴乃は大人達に合わせて礼をした。

その美少女は(かしこ)まる重鎮達に物怖じせず冗談を交えながら現世(うつしよ)の者とは思えぬ美しさで受け答えをしている。

一志は話の内容はほとんど耳に入らず、ただただ楓の姿を眺めていた・・・



「うん。気のせいかな。だとしたら考えられるのは・・・」

一志のスマホが震える。藤次に着けた従者の一人だった。

「どうした?」

スマホを耳に当てる。

『襲撃されました。藤次様が重症です。翔君を連れ去られました・・・』

まだ話しを続けるスマホを耳から外し、『式』の気配に集中する。

「やられた・・・幽世を生み出せるのは一頭だけじゃない・・・甘かった・・・」

通話中の従者にこれからの行動を指示し、横の希代司に巳葺山へ向かう班と藤次の救助班を分けさせ自らは巳葺山へ行くと言った。



喪失の古道


「須藤君・・・須藤・・・」

全身の痛みを覚えながら狒狒に蹴られた部下のもとに這って来た涼子はその姿を見て泣き崩れた。

顔面が陥没して眼球が跳び出している。即死だった。

風丘と所轄二人が足を引きずりながら近付き黙礼をする。

聡史が宗麟の肩を抱き加わる。

九鬼の従者が藪から藤次を抱いて近付いて来た。

藤次は意識を取り戻し、吐血しながら苦しそうに口を開いた。

「僕達が来たのに・・・申し訳ありません・・・相手の戦力を見誤っていました。」

後から来た従者の男が一志との通話を終えて内容を説明する。

「一志さんからの指示です。我々はこのまま本部へ向かいます。歩けない者はいますか?お亡くなりの方は私が担いでお連れ致します。応援の者三名がこちらに向かって来ますが、一刻も早く本部に向かった方が安全でしょう。通常ならあと30分あれば着きます。逢魔が時までには間に合います。本部の牟田さん達兄弟も来てくれますから急ぎましょう。」

従者達は藤次を担ぎ、須藤の顔を白い布で巻いて担ぎ始め、涼子達も立てるか聞く。

幸いなことに残った者は軽傷で済んでいる。

「先に進んでください。私は責任者としてあの子達を追います。申し訳ありませんが、お一人だけ道案内として貸して頂けませんか?」

涼子が言い、風丘と宗麟も同行すると言った。

従者は自分にはその判断を下す権限がないと言う。

「楓様に伺って頂けませんか?」

そっと耳打ちした。

涼子は「はっ」とする。直ぐに報告しなかった自分に驚いた。

すぐさまスマホを取り出し楓に連絡を入れる。

『はいは~い。もう着いたの?』

明るい楓の声が胸に深く突き刺さる。

「・・・楓さん・・・やられました。小屋に現れた一番大きな狒狒です。応戦したのですが翔君と忍さんが連れ去られてしまいました。死者一名・・・須藤が殉職です。助けに入ってくれた九鬼藤次君も全身を強く打って重体です。その他は重度に差はありますが自分の力で歩けます。一志君の指示で本部に進むよう言われているそうですが、私は翔君達を追います。」

話しながら感情の高ぶりが消えて行く。

監理官としての思考が蘇ってきている事を自覚した。

『そう・・・裏目裏目に動くわね。須藤君はお気の毒だわ。いい子だったのに。涼子ちゃん大丈夫?私のせいよ。ごめんなさい。甘く考えていたわ。』

楓の神妙な発言は聞いたことが無かった。

「楓さんのせいではありません。一志君の話しでは、私達を襲撃して来た狒狒は、捜索本部を襲った者とは違う個体だそうです。私は翔君と忍さんを追います。どうすれば可能か教えてください。」

『涼子ちゃん。気持ちは分かるけど、一君が言う様に、今残っている人達の怪我の手当と、須藤君を弔ってあげて。私が動くわ。一君でも追い込めない相手よ。どこに現れるか分からない。史君も本部に辿り着く頃だから本部は安全になるよ。』

楓の言う通りではある。

狒狒相手に自分一人向かっても勝ち目がない事は充分に身に染みていた。

「分かりました・・・皆と本部に向かいます。」

力なく言って通話を終えた。


宗麟に内容を伝え、従者達にも話して本部に向かい始めた。

それぞれが立ち上がり出立しようとしたところで涼子が気付く。


「・・・聡史君は?」


迂闊(うかつ)だった。

聡史は翔達が消えた森に向って(しばら)く眺めている姿を覚えているが、楓との通話中誰も見ていなかった。

従者の一人、山住衆が「自分が探すから先に行ってくれ。」と言い、動き出そうとしたのを見て涼子は宗麟に「皆を頼みます。私も行きます。」と言い、風丘には自分の代わりに本部への報告をして村井と連携を取る様に言った。

宗麟も仕方なく同意し、風丘は何も言わず敬礼すると山住達から須藤を受け取り背負う。

従者達に担がれた藤次が自分も行くと言ったが立ち上がれず断念した。

避難隊を見送った後で案内の山住衆は「脊山と申します。」と言い涼子と歩き出す。

名を聞いた涼子が驚き、訊ねる。

「脊山って・・・巳葺小屋で亡くなられた方と繋がりが?」

「父でした。もう山住なんて時代じゃないって馬鹿にしていたんですけど・・・鍛えられてはいますから信じてもらって大丈夫ですよ。」

二人は、霧が消えた付近に来ると聡史の足跡を見つける。

脊山はその先を見て口を開いた。

「驚いたな。巳葺山、小屋の方向へ進んでいる。彼は山に詳しいんですか?」

涼子に聞くが、涼子は「今回が初めての登山と聞いているわ。」と言った。

足跡を追いながら巳葺山へ向かい、深い森に入って行った。


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