真実の行方
県警からの事前の指示通り医療関係者専用の通用門に入る。
ゲートの警備員に要件を告げると駐車位置を指定された。車を降りると病院の女性職員が案内に来て職員用通用口から病院の南棟2階にある会議室に通される。
入室すると県警の監理官である新井、県庁の公園緑地管理課課長の藤盛と、横浜市役所の市民生活安全課の深山の三人が出迎えた。新井と深山は真っ白いワイシャツに濃紺のネクタイを締め、黒いスーツと革靴、藤盛は薄緑色の作業着でくたびれた茶色の革靴を履いていた。
新井と深山の二人は細身で二人とも宗麟と同じくらいの背格好をしていて、藤盛はずんぐりとしていて背も低かった。
案内の職員から窓側の席を指定され着席すると汗を掻いたお茶のペットボトルが配られる。
大きな会議テーブルを挟んで向かい合って座り、暫し沈黙が続く。
右端に座っていた県庁の藤盛が不意に立ち上がり、お悔やみを告げてから本題に入る。
事故現場が県庁の管理する管轄に当たる為、事後の手続きは県が担当し、公園緑地管理課が窓口の対応を行うと説明した。また入山登録もなく登山道からも大きく外れていた為、今回の事故については県の整備計画や運営方針に落ち度はない事。さらに発見された様子からあまりにも軽装備で無計画での入山と断言出来るので行政としての責任が負える状態ではないと言い、捜索に掛かった費用の負担があり、今後については部下の担当者から連絡すると早口で坦々と語り、遺族代表者の連絡先を聞いてきた。伝えられた連絡先と連絡可能な時間帯をやや興奮した様な大きな声で復唱すると座り直し、話を終え左手のタオルで額を拭いながらペットボトルのお茶をガブ飲みした。
隆一と翔は行方不明者として警察に『捜索願』が出されてからの捜索活動であり、発見場所が自然公園法による県の管轄対象地であった為、たまたま自分が事後対応をする事になり、県の整備と対応には落ち度が無い事を主張した。初見の時とは違い、あからさまに迷惑を掛けられた被害者の顔をしている。実にお役所仕事の典型であり、まるで裁判にでも備えるかのような態度であった。
次いで中央にいた県警監理官、新井が座ったまま静かに話し始める。
捜索活動について一通りの内容を説明してから、隆一の死亡原因は大型の獣、おそらく熊に襲われた為と思われると告げる。
現在、地元猟友会の協力のもと山狩りが行われているのだが、未だ獣の発見に至っていない事と、現場での状況調査と司法解剖の報告書は現在作成中の為、もう少し時間が欲しいと付け加えた。
最後に今後の対応を含め個別に話があるのでご遺体と対面した後、事情聴取の時間が欲しいと言って説明を終えた。
県庁の藤盛は自分にも報告書を提出するよう新井に告げ、弥生に同意を求めた。
市役所の深山は終始無言であったが、新井と同席するとだけ最後に発言し、目配せをすると新井が「それでは霊安室へご案内致します」と言い、席を立った。
会議室を出ると、県庁の藤盛は挨拶した途端に踵を返し、ファイルを右手に抱えて汗を拭きながら階段の方へ歩いて行ってしまった。
新井が先導しエレベーターホールに向かう。
霊安室は地下2階にあると伝えられた。
エレベーターを降りると、ホール横の受付にいた女性の看護師が案内して隆一の霊安室に向かう。
エレベーターホールを左に曲がり一番奥、右側の部屋だった。
部屋の奥に祭壇が築かれ、太く長い蝋燭が一本灯されている。線香の香がした。
看護師が遺族に対し黙礼し、合掌してから白い布をゆっくりめくるとエンバーミングが施された遺体が露わになる。
経帷子をまとい、目を閉じた表情は穏やかで、獣に襲われて殺害されたとは思えないほど綺麗な姿であった。
先代住職の宗蓮が経を唱え始め宗麟が続く。弥生は嗚咽を漏らしていた。
読経が終わると静かにドアが開き、新井と深山が入室して看護師が退出した。
二人とも黒いネクタイを締め直している。
線香を立て、静かに合掌をしてから向き直した。
「改めましてお悔やみを申し上げます。」
深山が深く頭を垂れ、話し出す。
「神崎様は生前、私どもの依頼にご協力頂いておりました。本業のお仕事の合間としてではありましたが、お勤めの会社からもご理解頂き緊急時には優先的に動いて頂いておりました。」
「はい・・・建築とかのお仕事の事でしょうか?」
隆一の職業はY.PACのゼネコン部門で建築のエンジニアとして働いていた。
弥生には仕事の内容は良く分らなかったがビルや家を建てていると説明は受けていた。
「いや、なんというか、危険な仕事などをお願いすることが多く・・・」
「深山君。」
新井が制し、詳細についての話は別室を用意していると告げた。
霊安室を出て廊下を戻り、エレベーターホールを越えて突き当りを左に曲がると下りの階段がある。その8段だけの階段を下りた踊り場にドアがあった。
新井がインターフォンを押して要件を告げると暫くして施錠が解け、ドアが開く。
白衣を着た長身の初老男性がいて新井から法医学者の佐渡博士であると紹介された。
扉が閉まるとオートロックになっていて作動音が小さく響いた。
ドアの内側は三帖ほどのオープンデッキになっており、広い室内を一望出来る。
右手に白い鉄骨階段があり、2階分の天井はとても高かった。
部屋の東側には連続した大きな窓があり、地下三階の筈なのに港が見え、窓の先には芝生敷きの庭まであり白い手摺で崖との境界を仕切られていた。
室内には佐渡博士の他に白衣を着た6人の職員がいてそれぞれの作業をしている。
階段を下り、窓と反対側にあるガラス張りの部屋に通された。
ガラスのドアを開けると壁に設置された大きなモニターとパソコンがあり、そのモニターを囲むように湾曲した白い大きなテーブルとパイプ椅子が6脚用意されていた。
「佐渡博士には神崎隆一様の司法解剖を執刀して頂きました。」
新井が話し始める。
「先ほど会議室でお話しした内容には事実と異なる部分がございました。それにつきまして博士を交え、詳しく説明させて頂こうと思いましてお時間を頂きました。」
「異なるとは?」
宗蓮住職が尋ねる。
「先ほどは県の職員がおりましたので今後の公式見解をお話し致しました。事実につきましては、新井監理官からお伝えして頂くのがよろしいかと・・・」
深山が応え、宗麟が続く。
「つまり、公には出来ない事があったという訳ですか。」
モニターの横に立ち、資料画面について新井が応える。
「先日までに奥様から聴取出来ました事項と我々が把握出来ていることを取り纏めました。ご質問の件も含め、順を追って御説明致します。」
新井が言うと照度が下がり、薄暗くなった部屋にモニターの画面が浮かび上がる。
画面には文字と写真、地形図が並び捜索の内容が映し出されている。
捜索開始当日からの内容が現れ、新井が説明を始めた。
六月二十二日火曜日。気温23℃湿度81%。早朝から小雨。
神崎隆一は朝6時12分に電話を受けていた。誰と話していたのかは不明。
その後、勤め先の課長と小学校の翔のクラス担任にそれぞれ休む旨をメールしていた。
7時40分頃、翔だけを連れ自宅を出て自家用車のトヨタヴァンガードで槍穂岳登山口に向かい、9時30分頃、登山口の無料駐車場に停車した後、入山したと思われる。
装備品の類は不明であるが、自宅を出るときは青いポロシャツにジーンズ。翔は白いTシャツに紺色の半ズボン、二人ともスニーカーであり本格的登山には不向きである。
同日20時、横浜市の綾南警察署に妻の神崎弥生による捜索願が届出され捜索が開始されるが、親子での外出でもあり当日の事故報告にも該当していない事から一晩様子を見ることになる。
六月二十三日水曜日。気温25℃湿度88%。未明から雨。
10時35分。登山口経由のバス運転手から無料駐車場に止まり続けている自動車が1台あると秦野警察署に通報があり車両番号から神崎隆一所有の車であることが判明。綾南署に連絡が入る。直ちに登山口の無料駐車場に捜索本部を設営し、地元ボランティアを含め山中の捜索を開始したのは14時の事であった。
警察犬を導入し登山道を追う、駐車場から北西ルートを1キロメートル程度入ったところまでは追跡出来た。しかし複数の犬が同じ場所で止まってしまい、雨も強まった為18時で捜索を断念。翌日以降に持ち越された。
登山口までの足取りは、Nシステムと、残されていたヴァンガードからカーナビの走行履歴、ETCの通過記録を照らし合わせ、東名海老名SAで休憩を入れていた以外は通常ルートで登山口まで運転されていた事が分った。
小学校に上がったばかりの翔を連れて槍穂岳に入るのであれば、観光ルートの槍穂神社へ向かう参道の石段か、直接神社前の有料駐車場へ入れての軽ハイキングが普通である。しかも当日は朝から小雨が降り霧も発生していた状況である。
登山道、参道にはカメラは設置されていないが、神社の周辺には迷子対策を含めた数か所のカメラが設置されていた。しかし神崎親子の姿は確認出来なかった。平日で小雨も降っていたため登山客はまばらであり警察犬の追跡のほかの情報は得られなかった。
六月二十四日木曜日。気温22℃湿度84%。雨。
早朝の捜索開始とともに警察犬、ボランティアでの捜索活動を行うが雨により足跡などの形跡が流されてしまい難航する。主だった手がかりは掴めなかった。
その後、二十五日、二十六日と天候は回復したが依然行方は掴めないままだった。
六月二十七日日曜日。気温25℃湿度74%。午前11時40分。晴れ。
槍穂岳山頂から西に約3キロメートル、高低差3メートルの崖下、玄倉川の上流に位置する川原で神崎翔がボランティアの捜索者チームにより発見された。
発見時の翔は意識不明の状態であった。
捜索本部に連絡があり救急救命士を含む消防隊員6名による救助隊が一番近くの登山口まで搬送し救急車で県立松田総合病院に送られた。
翔は昏睡状態で体温は37.1℃と微熱があったが、外傷はかすり傷が数か所確認出来た程度であり通常搬送は可能であった。四日間どのように彷徨っていたかは不明だが、栄養失調、脱水症状もない。ただし、両手足の指が軽度の凍傷になっていた。
隆一の携帯電話が、翔の見つかった崖上で発見されたが、通話記録は消されていて電話会社の通信記録を追ったが、当日の朝電話をしてきた者だけが割り出せなかった。メールの内容は履歴が残っていたため確認出来た。
それから二日後。
六月二十九日火曜日。気温24℃湿度70%曇り。
槍穂岳と巳葺山の中間点から南西に約1キロメートルの原生林で神崎隆一を発見。
発見者は大井町在住の農業事業者男性で、捜索本部への連絡は14時21分に入った。
連絡内容を基に近くの山道を捜索していた4名とボランティアの医師1名を含む計5名が現場に到着したのは15時45分頃の事だった。
医師の診断により発見現場で死亡を確認。
その後現場の刑事の指示により規制線が張られ搬送用のヘリによって横浜まで運ばれた。