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狒狒の群れ 守護する者達

晴天の空に太陽が昇り木々の影を落としている。湿った地面から土の発酵する臭いが漂って来た。ヒグラシ以外の蝉の声も混じり森の喧騒が蘇る。

岩屋の周りにあるイチイの木に小鳥の群れが飛んで来て忙しなく動きながら囀っていた。

翔はイチイの木に向かって歩き鳥の群れを眺める。

(すずめ)なんて珍しくないだろ。」

聡史も近付いて翔に話す。

「雀じゃないよ。一回り大きいだろ。ホオジロの仲間でホオアカっていうんだよ。両方ともスズメ目ではあるけどさ。顔の頬が赤いから同属のホオジロと区別してホオアカ種とされているんだ。頭がグレイなのが雄で夏羽の特徴で、胸が白地にT字の黒い縦縞と茶褐色の首輪みたいな模様があるだろホオジロの胸は茶褐色で頬は白い。色がくすんでいるのが雌で頭が茶褐色。巣立ったばかりの幼鳥も交じっているな。割と単体で暮らすってあったけどこの位の小さな群れにはなるんだな。見て見ろよ、岩屋の窪みに溜まった水で行水している。」

翔は聡史に説明するが当の聡史は「ふうーん。」と興味のない返事をした。

暫くホオアカの群れを見ていたが不意に鳴き方が変わり一斉に羽搏いて西の空へ飛んで行ってしまった。ほぼ同時に森からも鳥が飛び立つ。

何時の間にか森は静寂を取り戻していた。虫の鳴き声までが止んでいる事に気付く。

翔は強い耳鳴りを覚えて宗麟を見ると険しい表情の伯父がいた。

「佐々木さん。」

宗麟が藤盛を引き戻すように言う。

須藤が駆け寄り呼び止めようとした刹那。小屋の左にある大木に吹き飛ばされた。

何処から湧き上がって来たのか薄黒い煙のような『霧』が立ち込めて来る。

「風丘君!」

佐々木が言い、須藤を回収しに動く。

二人が近付くと須藤は左手を振って「大丈夫です」と言った。

風丘が須藤の肩を抱き岩屋へ移動する。

所轄と翔達も向かい入れ須藤を横穴に(かくま)う。

佐々木は藤盛を呼ぶが「うるさい!」と言って藪へ消えてしまった。

止むを得ず佐々木も岩屋へ走るが、後ろから強い衝撃を受け岩屋の前へ飛ばされてしまった。

霧は一層濃くなり、森を黒く染め陽の光が届かなくなって来た。

突然藪の奥から悲鳴が上がり、大きな塊が宙を舞う。

塊は顔面から落下し赤い液体を撒き散らしながら(うめ)き声を漏らし、這いつくばりながら何処を目指しているのかぐるぐると両手で地面を掻く。立ち上がろうとしては前のめりに倒れ「助けてくれ。助けてくれ。」と叫ぶ。


霧の立ち込めた藪から黒い人影らしきものが次々と現れ次第に輪郭が鮮明になる。

やや中腰で二足歩行の生物は昨夜脊山を殺害した獣と同じ姿だった。

獣達は森の霧からも沸いて出て来る。その中に一際大きな個体が三頭見える。

全身を黒く太い毛が覆い、人の様に二足で立ち上がった巨大な猿という表現が近い。

顔面には毛が生えておらず薄い灰色の皮膚でニホンザルとは違い口腔が前へ付き出し牙が見える。マントヒヒに近いが明らかに大きさが違い手足も長く大きい。

大猿のうち一頭は右腕に(えぐ)られた傷跡があった。切り拓いていた傷は完全に塞がり全身を覆うような黒く太い毛は生え揃ってはいなかった。

『脊山さんを殺したヤツだ』翔が気付き聡史に目で合図する。

「でも大きさが全然違うぞ。倍以上の大きさだ。」

聡史が翔に近付いて呟く。

所轄の二人が佐々木の両肩を左右から抱え横穴へ連れて来た。意識を失っている。

傷のある個体が藤盛に近寄り左手で片足を持って持ち上げ、地面に叩きつける。

衝撃で掴まれていた左足の膝から骨が飛び出し、顎が砕け、血飛沫が舞った。

大猿は掴んでいた足を不思議そうに眺め膝から先を引き千切る。

絶叫がして、千切られた足が岩屋まで飛んで来た。

叩きつけられた衝撃で左肩が脱臼したらしく腕の向きがおかしな方向に向いている。

今度は残っている右足を掴まれた。

傷跡の残る右手で藤盛を軽く持ち上げると気味の悪い笑顔を見せ、そのまま振り被る。

藤盛は顎が砕けていて声にならない。

『ヒューヒュー』と呼吸音とも取れない悲鳴がして再び地面に叩きつけられる。

左腕から骨が飛び出し顔面は形を成していなかった。

左目は潰れ、右目は(まぶた)が削げ落ち眼球が剥き出しになる。

まだ動く右手が宙を掴もうとして泳ぐ。

その右腕を大猿が掴むと肩から引っこ抜き投げ捨てた。

血溜まりの中、口らしき穴をパクパクと開けていた藤盛の頭を掴み、肩を押さえると脊髄が付いたまま頭が体から抜け、藤盛は静かになった。

傷ものは藤盛の頭を投げ飛ばし雄叫びを上げた。

獣達は岩屋に近寄って来る。

宗麟は佐々木を揺すり、目を覚まさせる。

顔を(しか)めて息を吹き返すと周囲を見て叫んだ。

「風丘君!」言われた風丘が発砲を始めた。

獣達は一旦引き下がるが一番大きな獣が吼えると鍛えられた軍隊のように列を整えて岩屋へ向かって行く。

所轄も発砲するが数に任せた群れは引かず、銃による攻撃も効果が無い。

岩屋まであと10メートルまで進軍すると、大猿達はピタッと足を止める。

岩屋から結界のようなものがあるのか、前に進めなくなっていた。

佐々木は背後からの敵襲も考え岩屋から身を乗り出すが大猿達は背後の藪からは一体も出て来てはいなかった。

「だから、岩屋を背にして身を守れと言ったのか。」

宗麟が呟いた。



発砲音が聞こえた。

「あなたたちはここで帰りなさい。本部に戻って深山君と待機よ。呼んだら応援隊を導いて来て。ここまでありがとう。」

楓が老人達に告げ、老人は深く頭を下げてから古道を戻って行く。

「いい?いきなり実戦になるけど真正面の敵だけに集中していつも通りに射る。焦りは禁物よ。和尚さんもいるから上手く連携して、分かるね。皆を頼むね。」

弟子に告げ、二手に分かれる道を教える。

「分かりました。」と弟子は言い身構えた。

藪の中、出来るだけ音を殺し、外を見る。楓から聞いた『岩屋』の裏だと分かった。

歩きながら足裏に地面とは違う感触がある事に気付く。地面に透明な緑色の石が敷かれていた。良く見ると藪の中に幾重にも石が列を成している。

藪の中では弓の取り回しが悪い為一番大きな岩の後ろに出て弓を左手に持つ。

既に楓は別の道に行っている。自分の判断で前に出ろという事だと理解した。

弓を持ったまま大岩の右に陣取り肩の矢筒から一の矢を手にした。



岩屋では最前列にいた大猿が石を持って結界にぶつけるが見えない何かに弾かれる。

岩屋を囲み叫びながら見えない壁を叩いていると背後で別の獣の悲鳴が響く。

群れは向きを変え悲鳴の発生源を取り囲んだ。

取り囲んだ獣達は一瞬で最前列の獣が煙を上げて消滅する。

中央には髪の長い小柄な美少女が立っていた。


『カエデ・・・アキツキノモノ・・・アキツキノカエデ・・・アキツキノ・・・ムスメ』


一番大きな獣が言葉を発した。

「随分偉くなったのね。猿哮(えんこう)狒狒(ひひ)の群れを仕切っているの?引きこもりのコミュ障のくせに。」

楓の目が座っている。慈悲が消えたその顔は美の境地に達していた。

瑠弩(るど)。小物が。楽しそうに人を殺すなんて。」

傷ものは『ヒッ』と言って猿哮と呼ばれた狒狒の後ろに隠れてしまった。

「あなたもそっち側?嵯臥(さが)。まあいいわ。全員始末してあげる。」


『コロセ!カエデ!コロセー!』


猿哮が叫ぶと狒狒の群れは跳びかかった。その一陣で生き残った者は一頭もいない。

全ての狒狒が血飛沫を上げて地面に転がる。落ちた首や胴体、体の一部は黒い煙を上げ土塊に変わって行った。楓はジャケットのポケットに両手を入れたまま立っている。

「馬鹿なの?所詮はただの大きな猿ね。学習しなさい。」

(ひる)んで後退した二陣、三陣が共に土塊に変わり果てて行った。


嵯臥と呼ばれた狒狒が岩屋にやって来た。

小屋から(くわ)を持ってきて境界石を普通の狒狒に掘らせる。

石を掘り上げた狒狒が悲鳴を上げ土塊になるが、一つの石が取り外された。その石の分だけ『結界』が開く。その隙間から一頭、また一頭と入って来た。

所轄が銃で応戦するが効き目が無く所持していた銃弾は直ぐに無くなった。

風丘のライフルだけが効果を上げていたが結界は内側からの攻撃にも有効に働いてしまうので隙間から入って来る狒狒にだけ当たる。それでも狒狒の動きを止める程度の効き目であり致命傷には至っていない。

状況を見て宗麟がザックのサイドストラップに結んでいた革の袋から何かを取り出し、手に持って前に出た。

正面から襲い掛かって来た狒狒の額に打ち込む。

打たれた狒狒は悲鳴と煙を上げ土塊になった。

宗麟が手に持っていたのは黒光する先端が尖った三節棍だった。黒鉄(くろがね)に金文字で何かが書かれている。

身体を捻り遠心力を引き出したもう一方の先端で次の狒狒も倒す。

三頭目の脇腹に打ち込んで手を持ち替え額に浴びせた。

それでも開かれた結界から次々と入って来るので倒しきれない。

風丘の射撃で援護はするが狒狒は次々と入って来るので足止めの効果は低くなってきていた。

正面の狒狒に打ち込んだ後、右から回って来た狒狒に掴まれると思った瞬間だった。

『ギャー』と叫んで右の狒狒が煙を上げた。

続いて結界を抜けて来た二体の狒狒が煙になり、風丘に撃たれていた狒狒達も次々と煙を上げて消えて行く。

宗麟が身を引くと、横に走り込んできた一人の女性が弓を構えた。

岩屋で須藤と佐々木を介抱していた翔と聡史がその光景を見て叫ぶ。

「深山先輩!」

近距離に迫られる瞬間は宗麟の三節棍が打ち込み、矢を構えて結界の隙間を深山忍が遠目から射る。

初顔合わせとは思えない連携を見せていた。


圧倒的に優勢だった筈の狒狒は、見る間に数を減らして行く。

楓はポケットに手を入れたまま散歩でもするかのように岩屋へ向かって歩いて行く。

一歩進む度に十数頭の狒狒が消滅していった。岩屋の結界まで3メートルとなったところで猿哮が吼えた。楓の前の狒狒が避けて黒い霧の中へ消えて行く。

嵯臥が仁王立ちになり、立ちはだかったが猿哮がもう一度吼えると霧へ走って行った。


狒狒の姿が全て消えるのを見据えると、楓はにこやかに笑って岩屋を見つめて手を振る。「聡史く~ん」と呼んだ。

呼ばれた聡史は嬉しそうに走って楓に近付く。

「はい。これ、直しておいてね~」

石を指差し、鍬を渡して楓は微笑んだ。


佐藤と片岡、風丘が藤盛の残骸を集めバックに入れていく。小屋の脊山と並べて土間に寝かせた。宗麟が手を合わせて経を読み上げ簡易的ではあるが供養を施した。

岩屋では楓が須藤と佐々木の治療をする。

「この子は背中を強く打っているけど脊髄自体は大丈夫。ただ肋骨が2本折れているからもう少しの間は動かさないで。涼子ちゃんはもう大丈夫よ。酷い顔ね~」

楓が微笑んで佐々木涼子の髪を整える。携帯用往診鞄からアルコール綿を出して顔の傷の消毒をしてから左手でそっと撫でる。消しゴム粕のようなものが出て拭き取ると涼子の顔から傷が消えた。

「楓さ~ん。やっと会えました。もう、死ぬかと思いましたよ。」

半べそをかき、楓に抱き着いて言う。

横で聞いていた須藤が驚いて佐々木を見詰めた。直属になってから初めて見る上司の人間らしい感情に痛む胸の奥が熱くなる。

気配を感じ佐々木は毅然(きぜん)とした表情に変わる。

「楓さん。これで襲撃は終わりますか?これ以上の被害は出したくないので一般人だけでも退避させたいのです。それに所轄も。」

涼子は上官に懇願するように言うが、明らかに年下の、自分よりも小柄な少女に話す姿は(はた)から見ると滑稽に映る。

「あのね~私も一般人よ!そこんとこヨ・ロ・シ・ク。」

ふざけて言い、涼子の肩を叩く。

「あの猿ども、多分もう一回出て来るわ。帰らせてあげたいけど何処に隠れているか私にも分からない。山はあいつらの方が狡猾に企めるから今、分散させるのは良くないわ。観光客が歩く所は史君達の目があるから迂闊に出て来れないけど・・・ごめんね。この山だけは奴らが抜け出せないようにしちゃったから。少なくとも史君達の布陣が整うまではここで迎え撃つしかないの。いずれにしてもこの山で決着付けるよ。」

隣で聞いていた須藤が深呼吸した。

「ありがとうございます。須藤浩司と申します。秋月先生。痛みが消えました。」

言われて楓が須藤を診る。首回りに右手を入れ、左手で撫でて行く。

「うん。いい感じにはなっている。だけどまだ完治してはいないから動かなければ成らなくなる時まで横になっていなさい。あなたも重要な戦力になりそうね。」


岩屋の前では深山忍が射った矢を拾い集めて矢先を見ていた。

翔と聡史も小屋付近から何本か持って近寄って来る。

「ありがとう。二人とも大丈夫?」

二人を見上げる。清楚な微笑みが二人を落ち着かせた。

「先輩。何でここに?」

翔が矢を渡しながら聞いた。

「お父さんから聞いて付いて来たの。楓さんと一緒にね。」

『やっぱり美人だ!近距離で見たけど間違いない。こんな所で会えたのは強烈な運命だ。これはもう何かの縁だ。』完全に状況を無視して聡史は感動している。

呆けている聡史を横目で見ながら翔が話す。

「お父さん?深山先輩って・・・深山さんの娘さんなんですか・・・楓さんともお知り合い・・・あ、そうか深山さんの関係で・・・えっ・・・と・・・」

治療を済まし、涼子と一緒に近付いて来た楓が後ろから声を掛ける。

「あのさ~翔君って天然?素直っていうか、決して頭は悪くないのに。推理力の欠如?そもそも深山なんていう苗字そこら中にいないでしょ。気付きなさいよ。君の学校での出来事は忍ちゃんから全部駄々洩れなのよ~」

いつも以上に悪戯娘の顔をして笑っている。

あれだけの修羅場を圧倒的な力で抜けて来た同一の人物とは思えない。

『「スパイを潜ませているからね」・・・ああ、そういう事か』今更ながら深山の言葉を理解した。

「え?じゃあ、転校して来た時から面倒見てくれていたのも・・・」

「お父さんから神崎って子が入学してくるから上級生の雫さんと翔君の助けになる様にしてって頼まれたのよ。頼まれた時はまだお父さんじゃなかったけど・・・雫さんには直ぐお友達が守ってくれてたし、当時私は二年生だったからね四年生の雫さん達には近付き辛くって。それで翔君にだけシフトしてたって事・・・」

話しを聞いていた聡史が割り込む。

「残念だったなー翔!お前に対してのは『義務の親切』だ。しかーし、きちんと感謝しろよ。深山先輩のいや、忍さんの貴重な青春のひと時をお前に注いでくれていたという事実をな。」

「べ、別に義務な訳じゃないけど・・・」

忍がはにかむ。

楓と涼子は顔を見合わせて噴き出した。


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