襲撃の夜
微睡み始めると小屋の外から、一定の間隔で高音の鳴き声がする。
翔が頭を上げて窓の外を見るが月に照らされた木が見えるだけである。
「トラツグミだよ。鵺とも呼ばれている鳥さ。ヨタカも鳴いてるな。」
脊山が声を掛けた。
聞き耳を立てると虫やカエルの鳴き声も聞こえて来る。山の夜は想像していたよりも賑やかだと思い横になる。聞き心地の良いリズムに身を任せ深い眠りに誘導されて行った。
深夜になり寝返りを打つと、外の音は継続していた。
月が動いた為か窓から見えた木は黒い輪郭だけになっている。
何気なく窓を眺めている内に眼が慣れて星明りの森が見えて来ると、木の間を何かが飛び移る姿が見えた。
『猿かな』と思い顔を窓に近付けると、太い枝の上に立ち上がってこちらを見ているように見えたが直ぐに別の木へ移って行ったようだった。
目を瞑りまた寝入る。どれくらいの時間眠っていたのか分からないが耳鳴りがして目を覚ました。耳抜きをすると消えたが、外の音が全くしないのに気付いた。
小屋の中を見渡すと脊山が起きて何かを持っていた。電球の明かりにキラリと光るものが眼に入り刃物を持っていることに気付く。『えっ』と思った瞬間。
脊山が左手の掌を翔に向け『動くな』と目で合図する。
屋根裏で何かが動く気配を感じた。バタバタと音を立てて真っ直ぐに下りてくる。
「起きろ!下に行け!」
脊山が叫んだ。
翔はシェラフから飛び出し、聡史を起こして梯子へ走った。聡史は何が何だか分からないまま翔に付いて行き梯子を滑り降りた。
「脊山さん!」
翔が叫び上を見る。
電球が大きく揺れて脊山が黒い物体・・・生き物の腕を持っていた刃物で薙いだ。
『グギャー』と背筋に響く嫌な声がして生暖かい液体が降って来た。
『人間か?』悲鳴を上げた生き物は二足で立ち2メートルくらいの大きさに見えた。
また屋根裏から大きな音がして二体の生き物が下りて来た。
「逃げろ!」
脊山が叫んだが悲鳴に代わり、何か大きなものが降って来た。
翔達は身動きが出来ず呆然としていたが、土間に落ちて来た物体を凝視した。
顔と下半身が背中を向き血まみれの物体は・・・
「脊山さん!」
聡史が叫んだ。
また大きな物体が落ちて来た。
両足で踏ん張り肩を怒らせた真っ黒い毛むくじゃらの大きな猿のような動物が眼を光らせて二人を見た。
二人は腰が抜けてへたり込む。
その大猿は右の前腕部が抉られパックリ空いた切り口から血が滴っている。
無傷の左手で翔の頭を掴もうとした刹那。
翔は左肩が浮き上がりそのまま持ち上げられるような感覚がした。
『ヒッ』と声を出しその大猿は後ろへ跳ぶと、左右に身体を振りながら雄叫びを上げて小屋の柱を殴ると簡単に折れてしまう。
一頻り暴れた後、土間にあるロープを見付けて掴むと脊山の足に結ぶ。
翔達にニヤリと醜悪な笑顔を見せ、ロープの端を持って二階へ跳び上がる。
更に三階の梁に通すと脊山だった物は逆さ吊りで電球の明かりに照らされていた。
三頭の動物が翔達を見下ろす。
揺れる電球の明かりに照らし出された姿は、全身黒い毛で覆われた二足で直立する大きな猿の様な化け物だった。
脊山を殺し酷い姿にさらした一番小さい化け物がしゃがみ込んで見下ろす。
一番大きな個体が、立ったまま翔を見詰めていた。何か感情を持った目で見ている。
翔は呆然と眺めていたが目が合うと頭の中にノイズの入った画像が飛び込んで来るのを感じ取った。
・・・桜の花が散る山の中・・・同じ眼差し・・・
土間にへたり込んだままの翔達を見ていたもう一頭の大猿が降りて来た屋根裏を見上げ跳び上がり屋根裏へ消えて行った。脊山を殺した傷のある大猿も続いて行った。
一番大きな猿は暫く翔を見詰めていたが何もせず天井の闇に消えて行ってしまった。
二人は化け物が消えた屋根裏を見上げたまま、ガタガタ震えて身動きが取れなくなっていた。
どれくらいの時間が経ったのか分からず、二人はへたり込んだまま動けずにいる。
やがて陽が登り始めると視界に色が生まれて来た。
土間に広がる血だまりと散乱した農具。
淀んだ鉄の臭いが立ち込める。恐る恐る上を見る。脊髄が異常に伸び腕を垂らした『人』だった物がぶら下がっていた。
二人同時に表へ走り、胃の中の物を全てぶちまける。
暫くの間四つん這いで動けずにいたが、翔が聡史の所に歩いて行き肩を叩く。
「大丈夫か・・・大丈夫な訳ないよな。現実なのか?」
聡史も立ち上がり、翔の顔を見てまたへたり込んだ。地面に胡坐をかいて深呼吸する。
「何なんだ一体。何が起こったんだ。どうしてこうなった・・・」
聡史は自問するが一向に答えが出ない。
翔も同じだった。
もう一度翔が小屋に入る。すぐに出てきて聡史に声を掛けた。
「警察だ。警察に連絡しよう。ここの場所が分からない。スマホのGPS座標と確かオンラインの緊急連絡先あったよな。聡史。連絡入れてくれ。」
聡史は虚ろな顔で翔を見ていたが、服のポケットを探ってみる。スマホは無かった。
翔をじっと見る。
「嫌だよ。取って来いよ。」
翔に言われた聡史は「一緒に行こうよ。」と言うのが精一杯だった。
二階への梯子は壊されていなかった。
二人で登り、荷物を見たが、シュラフは血まみれになり破けていた。
スマホを壁の端に見付けてすぐに降りて行く。
外に出て、アプリを起動すると、緊急連絡先にコールする。
2回目のコールで相手は返答して来た。
『秦野警察署です。どうされましたか?』
声がした。生きている実感がして話し出す。
「すいません。仲村と申します。み、巳葺山にいるみたいなんですが場所がわか、分からなくなっています・・・巳葺小屋と言われているらしい所にいるんですが、ひ、人が殺されました。助けてください。」
呼吸が上手く出来ずに過呼吸気味に聡史は訴えた。
『もう一度聞きます。人が殺されたんですね。場所は巳葺小屋・・・分かりました。念のため、あなたのフルネームとご住所、所属を教えてください。今警官を向かわせます。あなた自身の危険はありませんか。安全なところを見つけて待機出来ますか。このアプリのGPSをオンのままにしてください。』
「青嵐学院高校二年の仲村聡史です。同行者に同じ学校の神崎翔がいます。安全かどうかは分かりません。大きな動物に襲われました。住所と連絡先は・・・・・・」
やり取りが終わり聡史はまたへたり込む。
翔が左の肩をポンポンと叩き労った。
「流石だな。何て言われた?」
翔は周りを見渡して危険が無いか確認する。
明るくなった森は虫やカエルが鳴き、鳥の囀りが聞こえて来た。
生命の宿る世界が蘇っていた。
「警官を派遣するからここを動くなって・・・動きようがないけど。あのアプリのお陰で助かった。あと、今更だけどこんな山奥でも電話通じるのな。Y.PACってすげえな。」
二人は小屋には入りたくなかったが荷物を取り小屋へに戻る。
リュックは閉じていたので中身は無事だった。
朝霧が立ち込めてきて冷気を帯びる。
リュックから昨晩寝る前に仕舞ったアウターのレインジャケットを着込み、落ち着かないので歩き回った。
歩き続けると翔のスマホが音を立てる。慌てて画面を見ると登録のない番号だった。
応答ボタンをスライドして電話に出る。
「はい。神崎です。」
言うと聞き覚えのない女性の声がした。
『神崎翔君ですか。無事なの?神奈川県警の佐々木と言います。現状を説明出来る?』
何故この番号をと思ったが、翔は昨日からの出来事を事細かく説明した。
『ありがとう。二人とも怪我無いのね。今、救助隊を向かわせているけど、私が到着するまで今の話しは誰にもしないで。何言われても監理官の佐々木に口止めされているって言えばいいから。それから、この番号を登録しておいて。何か起こったら直ぐに連絡するのよ。急いで向かうからもう少しの間頑張ってね。』
早口でまくし立てている声の後ろではヘリコプターの激しい羽音がしていた。
通話が終わり、翔がスマホの画面を見て言われた通り『新規連絡先』へ登録していると聡史が不思議そうに近寄って来る。
「どうした?」
聞かれて通話の内容を説明すると聡史が言う。
「県警の監理官が来るの・・・ああ、殺人事件だからか。ヘリで来てくれるんなら2時間くらいで誰か来てくれるのかな。武器持った大人の人・・・早く来てくれないかな。」
話しをしていると聡史のスマホが鳴る。翔も注目したが「親父だ」と言って電話に出る。
同じ事を話し「大丈夫。大丈夫。」と言って電話を切った。
腕時計を見ると6時18分だった。通話記録を見るとアプリを通して秦野警察署に連絡したのが4時26分。あれから2時間近く経っていた。
今度は翔に掛かって来た。画面を見た翔は聡史に渋い顔を見せる。
「ねーちゃんだ・・・」
少し間を空け通話ボタンを滑らせると何も言わないうちに大きな声が響いた。
『ちょっと!大丈夫なの?どうしたのよ・・・翔、怪我は無いの?聡史君も無事?』
雫がけたたましく話してから母親の弥生が電話を取ったらしく冷静に聞いて来た。
「あ、母さん。俺達は無事なんだけど、途中で嵐に遭って助けてくれた人が殺されたんだ。大きな猿みたいな三頭の動物が寝込みを襲ってきて、その人が俺達を守って・・・」
声が詰まる。話しながら脊山に対しての感謝と申し訳なさが心に津波のように押し寄せて来た。
『そう。その人には感謝しないとね。さっき深山さんから連絡が来た時はどうしたらいいのかって思ったけど、取り敢えず安心したわ。深山さんもそっちに向かってくれてるからもう少し我慢してね。私達も行くから。』
終わり際に雫が何か怒鳴っていたが弥生が制して電話を切った。
『深山さんが来てくれるのか・・・』何故か心が落ち着いた。