表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/77

秋月の庵

腕時計は16時22分を示していた。

「あの、予定だと今頃は簑沢峠ロッジに入る筈だったんですけど、ここからロッジに行く道教えてもらえますか?」

聡史が外の様子を見て脊山に聞く。

「簑沢峠ロッジか。ここからだと俺でも3時間は掛かるぞ。そもそもどうやってあの峠からここまでこれたんだ。さっきも言ったけど玄倉川源流の沢があって大崩で出来た断層があっただろ。あの崖は君達の装備じゃ降りられないし登れない。君等じゃ辿り着けないよ。今日はここに泊まっていいから明日の朝一で行った方が良いな。俺が連れてってやるよ。二人共体力は問題なさそうだから、普通の人には知らされていない秘密の古道ってヤツでな。」

脊山の言葉に二人は笑顔を合わせる。

「お願いします。」

聡史が言い、スマホを取り出し通話が可能なのを確認してからロッジへ電話をかけ当日キャンセルを申し込んだ。

ロッジの人も突然の嵐で緊急避難して来たハイカーが押し寄せていてキャンセルはむしろ歓迎された。


陽はまだ高いが森の中は暗く湿った空気が覆っている。

脊山に建物の内外を説明されトイレを借りに二人で外へ出る。

嵐が去った森からはヒグラシの鳴き声が始まりシジュウカラの囀りが聞こえて来た。

西の空から差し込む夕日が木々を抜けて薄霧がゆらめく光のカーテンのような風景を見せていた。

青い波板で囲われているだけのは、土を深く掘っただけのものだった。

用を済まし小屋の周りを二人で散策すると枝が異常に揺れている木がある事に気付く。

眼で追うと猿のような動物が見えたと思ったがあっという間に姿が消えてしまった。

小屋の壁から突き出したブリキの煙突から煙が出ているのが見え玄関に戻って行く。

脊山が竈で汁物を造り、七輪で魚の干物を焼いていた。

もう一つの竈に鍋がかけてあり玄米を焚いている。

「いい匂いですね。ここって冷蔵庫ないのに食材保存出来るんですか?」

聡史が聞くと、脊山は二階に上がるための床を指差して言う。

「あそこの床下に氷室があるんだ。当然この季節、生ものは無理があるけど野菜や干物はある程度保存出来る。昔はって言っても戦後くらいまでの事だけどあれが標準だったらしいぜ。まあ味は期待するなよ。」


炊きあがった玄米と焼き魚、山菜の味噌汁が出来上がる。

石油ストーブ横の椅子をアルミの丸テーブルに移し、竹を割っただけの食器に盛り付けて運んだ。

「うっほー山奥でこんなご馳走頂けるなんてすごく贅沢だな。ロッジの晩飯も期待したんだけど、この竹の食器といい玄米や山菜、俺この魚初めて見ます。脊山さんありがとうございます。」

聡史がテンション高く言い、翔も礼を述べた。

手を合わせ二人で「いただきます」と言いやはり竹を割った箸を手にして魚に手を伸ばす。聡史が不思議そうに見ていると「岩魚(いわな)だよ。」と脊山に言われる。

「ここから東に500メートルくらい歩くと沢があって、そこで釣れるんだ。本来君達が越えなければならなかった筈の渓谷がね。そこは漁協も把握していないから完全に天然物だよ。ここは大昔から(いおり)があって人が住んできたらしいんだ。俺等は今ではこの小屋になった庵を維持する為に修繕したり、共同で必要最低限の採取をしているんだ。生活に必要な事は自宅のある街で農業や工事とかの職業を持っているんだがね。うちも子供達は不自由な山の暮らしはしたくないって一緒には来なくなっちゃたから、俺らの代でここも廃墟になっちゃうかもな。」

「ここには庵があったんですか?」

翔は寛美の話しに出て来た『光雲は巳葺山(みぶきやま)(ふもと)にある山の民の小屋を直した庵に住んでいた』という事を思い出して言った。

「俺も良くは分からないけど、爺さんから聞いた話じゃこの小屋は大昔から『秋月庵(あきつきあん)』って呼ばれていたらしい。俺等もここの事はそう呼んでいる。」

脊山は普通に答えるが、二人は反応した。聡史が聞く。

「秋月庵っていうんですか?名前の由来は?」

「いや~俺の爺さん達の頃、明治の頃に今の小屋を建て直したらしいが、その前には山住達の寄合い場所みたいな感じだったって聞いている。多分、柱と屋根だけの東屋(あずまや)みたいな感じだったんじゃないかな。サンカは定住しない山の民だからね。時代を経て何度も建て直しているんじゃないかな・・・」

脊山は何かを隠していると思って翔が更に聞く。

「神社の大神祭の由来について聞いた時に、巳葺山の麓にある庵に光雲と言う高官が流れて来て住んだというのがあって、神社に現れた山狗を助けて巳葺山に戻って、その庵で生まれた精霊に名前を付けた。という事が神社の古文書やサンカの口伝にあると・・・」

聡史も聞きながら頷く。

脊山は目を閉じて考えてから話し始めた。

「そうか、そこまで知っているんなら口伝についてだけ話そう。これは今となっては話せる人間も限られているんだが、ここは君の言う通り槍穂神社の大神祭の由来に係わる庵の跡地に建てられた小屋で、都から流れて来た官僚が当時の山の民を助けた事で仲間になりここにもともとあった庵を直して定住するようになったらしい。この人は不思議な術を使いこの山の精霊や神と会話が出来て山住が恐れていた物怪(もののけ)が人を襲わないよう従わせたりしていたという。当時の山の民達はその人を尊敬したんだろうな。事ある毎に世話をした。その代わりにその人から怪我や病気の治療や生活の知恵を与えられる。中には文字を習った人もいたっていうんだ。サンカと呼ばれる山の民は文字を持たないと言われているけど、職種によっては半定住する者もいて、古道の辻なんかに祠や小さな社を作り村の人達との物々交換をする場所としていたんだ。村人との取り決めや伝言にはどうしても文字が必要だろ。この槍穂岳周辺の村はその官僚の影響もあって識字率は非常に高かったんだ。ただ当時から山の民達は、お互いに取り決める事や必要最低限の内容は書き記すけど、文化っていうかな伝承や民話の様なものは誰かに見られない様にする為もあって口伝にしか残さないって爺さんに聞いた事あったなあ・・・脱線したけど、大神祭の出来事があった後、どれくらい日が経ってからかは聞いていないけど、ある日朝廷からの軍隊が神社周辺の村を襲いその人を差し出すよう命令する。やり取りの内容は忘れたけど、その人は村を守るために自ら投降して都で処刑されたらしい。残された山の民は闇に潜りその人の家族を逃がして姿を消した。大まかに言うとそんな内容が語られている。昔はここで暖を取りながら夜に大人達から子供に聞かせる昔話みたいなもんだったけど、今じゃ聞く側の子供がいなくなったからもうすぐ語り部もいなくなる。たしか爺さんの代にどこかの大学教授と仲良くなって口伝集ってのを作る協力をしたらしい。爺さん達も口伝が消えるのを心配したんだろうな。」

二人は黙って聞き入っていた。寛美の話が全て重なる。そして口伝集を纏めた大学教授という人物も推理の範疇にあった。

翔が聞く。

「脊山さん。その官僚の名前は光雲でしょうか?」

「・・・ああ。確か光雲。秋月光雲(あきつきのこううん)って言うんだ。だからここは秋月庵と呼ばれている。」

「秋月って苗字なんですか?」

聡史が聞いた。

「なんでも、中国でいろいろな術を学んで都に帰って来てからは、貴族に仕える高官になって重用されて、天皇の前でも術のお披露目をしたらしい。多分秋だったんだろうな。その褒美に、夜に輝く満月に光る雲を見てその貴族から秋月光雲の名を(さず)かったって伝わっている。本当かどうかは学者じゃないから知らないがな。」


翔は黙って聞いていた。

秋月・・・深山が翔に言った言葉を反芻(はんすう)している。

『君が生まれる前から神崎家の人々は先生と必ず接点を持っていた』

実際に会った秋月楓はあまりにも自然で不可思議な印象が無かったため、時系列による年齢の変化に疑いが及ばなかった。

深山の言う『先生』は面会した『秋月楓』一人だけを指すのか。それとも楓の役職は代々誰かに受け継がれているのか。異界の存在を肯定出来るようになったと思っていたが、また大きな壁を感じる。

自分は『光雲』の子孫と伝えられた。光雲の本名は秋月光雲・・・秋月の名は偶然なのか。

神崎の家と楓との繋がりを知りたくなった。

そして、あの寛美が光雲の苗字を見落とす事があるのだろうか。

見せられた資料に目を通しておくんだったと今更ながら後悔していた。

「・・・おい。おい・・・翔。大丈夫か?」

聡史が声を掛けていた。

二人は食事を終えているのを見て慌てて残りを食べ終える。

「ああ、すまん。ちょっとこの間の話を整理していた。帰ったらもう一度まとめ直したいんだ。脊山さん、御馳走様でした。美味しかったです。それで、ここ。秋月庵の名称は一般人も知っているんですか?」

自然に口から出ていた。

「ああ、いけねえ。仲間内にしか言っちゃいけなかった。一般的には巳葺小屋って言われているよ。役所からは目の敵にされて修繕するのも内緒でやっているんだ。」

翔は留飲が下がるのを感じた。同時に大きな疑問が浮かび上がる。

「ある人に自分の家系はその光雲の子孫だって言われたんです。光雲の家族を逃がした。と仰っていましたが、その行方が分かりますか?」

脊山の表情が曇った。

「本当の事かい・・・言い伝えだと、確か伊豆の方へ行ったとかだな。ここの山住達は箱根から伊豆半島にかけての仲間と富士山を中心にして奥多摩や秩父へ抜ける仲間に分けられていたらしいんだ。今じゃ、それぞれの地域でしか集まらないし、既に消滅しているコミュニティもある。しかし、本当にいた人間とは思わなかったな。伝承じゃ映画の陰陽師や超能力者みたいな事をやってのけた人物なんだよ。その子孫がいたって・・・」

「へぇー。」と言って脊山は翔を暫く見詰めて今まで通りの笑顔を見せた。

『伊豆へ行った・・・』

寛美の話しと一致する。口伝の出処は同じらしい。翔は聡史を見る。

聡史は黙って腕を組み・・・居眠りをしていた。

溜息をついて時計を見ると19時21分だった。西側に山を背負っているため小屋の周りは既に帳が下り夜の静寂(しじま)が覆っている。

「土間は床冷えするから上行こう。シュラフあるかい?」

脊山が声を掛けた。「はい。」と応えて聡史を揺する。左目だけ開けて「うん?」とだけ言ってまた寝そうになるのを、腕を掴んで立たせる。

「んあ。寝てたか・・・んで?」

寝入りばなを起こされて虚ろな表情で言っている。

「脊山さんが上で休んで良いって。シュラフ出して上行こう。」

言われて聡史もリュックを探る。

あれだけの嵐にも内部には浸水していない事に二人は感謝した。

脊山が二階で寝床を作ってくれている。シュラフを片手に持ち、靴を脱いで梯子を登る。二階は思っていたよりも広く平らな床だった。

「夏とはいえここは標高が高いから夜から明け方は冷え込むよ。壁際は寒くなるから真ん中に寄って寝よう。日が登ったら出発するから。若いからってきちんと寝ないと明日思いやられるぜ。」

脊山が言うのを「もう思いやられてます。」と聡史がこぼした。

ぶら下がっている電球のつまみを調整すると光が弱まり薄明りの部屋になった。

「真っ暗にすると梯子から落ちるからこれくらいでいいよな。」

脊山が言い「はい。」と答えて二人はシュラフに潜り込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ