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嵐の森

南東ルートは緩い下りで始まる。

今まで上を向いていた視線が変わり、裾野を左右に曲がりながら下り、林の間を真っ直ぐな一本の道が西へ抜けるのを見渡す事が出来た。

強い光に照らされた緑色の斜面が心を洗う。

「これよ。この風景が見たかったんだよ。やっと目的のハイキングになった。今までのは、どっちかっていうとクライミング的な感じだったもんな。アプリのお陰でここからの道は多少傾斜がある登りが何か所かあるだけで比較的平坦な道だって分かったし、ロッジまでは平均一時間半だって事はのんびり歩けるしよ、じっくり楽しもうぜ。」

聡史の声が弾んだ。

時間的な余裕はたっぷりある。天候も崩れる要素は見出せない。二人はゆっくりと散策しながら歩いて行く。

エゾハルゼミの声をBGMにしながらミズナラの林を右に左にと歩き、群生しているマルバタケブキの黄色い花や、倒木に巻き付くナツユキカズラの小さな白い花を見ながら進んで行くとコゲラが木を渡りながら幹を叩く音がして、姿は見えないが森の奥からはキビタキの囀りが聞こえて来た。

翔は気分が高揚して行くのを感じながら足取りも軽くなる。

道幅も広くなったので聡史も翔の横に並んで歩いていた。

坂を下り切ったところから林に向かって真っ直ぐに走る一本道を進む。この道を歩けば目的地に着くと分かっているので気も緩んできた。

「やっと初心者向けルートって感じだな。天気もいいしロッジでゆっくり休ませて貰おう。いろいろ写真や動画も撮れたし。ねーちゃん達に安全な報告入れといた方が良いしな。今日だけでもかなり報告する事ある。感動を忘れる前に記録したい。」

翔がテンション高くしゃべるのを満足そうに聞いていた聡史が立ち止まって口を開ける。

「えっ写真撮ってたの?いつだよ。」

一緒にいてカメラを構えている姿は見覚えがない。

翔が振り返ってショルダーストラップについているGoProを指差した。

「気付けよ。お前の痴態もきちんと記録してるからな。写真や動画。帰ったら編集して皆に報告するんだからさ。」

翔が笑いながら話す。

「お前ん家って裕福だったのか?なんか置いてけ堀な気分。」

聡史がこぼす。

「いや。これは旗柳先輩から借りたんだ。山登るって言ったらこれ持っていけよって。使い方や後で編集する時の為の扱い方も教えてくれた。因みにホルダーは森村先輩がくれた。」

翔は自然に言うが、聡史は再び足を止め、真面目な顔で翔に向かってきた。

「お前さぁ、普通に言っているけど、旗柳、森村って言ったらうちの学院グループのスーパースターだぞ。寛美さんや麗香さんの彼氏としてもあの二人だから誰も文句言えないんだからな。どこまで恵まれた環境で生活してんだよ。大学入学したら絶対合コンお願いしろよな。どこまでも付いて行くからよ。」

右手の親指を上げ、これ以上にないくらいの笑顔で翔に言う。

『あの人達って合コンする必要あるのかな?』聡史には言わずに苦笑いだけした。



道の右側からスッとした清涼な香りに気付き、二人は足を止めて林を見る。

「ヒバの香りだ。神社の参道よりも強い香りだな。自然林かな。こんなところに纏まって生えているって事は植林しているのかな。」

翔がヒバの林を見つけ指差して聡史に教える。

「ふ~ん。」とあまり関心ない答えが返って来た。

翔がさらに説明しようとした刹那。大気が震え、木が破裂するような爆音がした。

二人は身構えたが何が起きているのか分からない。

もう一度同じ爆音がした。

「落雷だ!」

翔が叫び、見ていたヒバの林を指差す。

30メートルくらい離れた大木が内側から割れてパリパリと乾いた音を立てている。

空を見る。変わらない晴天だった。

唖然として見上げたまま動かずにいると、左手を掴まれ力強く左の林へ引き込まれた。

「何してんだ。離れるぞ。」

聡史が左の林に入るのを翔も追って行った。

林の中に入ると同時に低く重そうな黒い雲が森林を覆い暗くなる。

目の前が白く輝くのと爆音が同時にして、空気が震え足元が揺れた。

背後で乾いた亀裂音がすると、地面が揺れ内臓に突き刺さるような衝撃がくる。

突風が森の中を吹き抜け気温が急激に下がり、大きな雨粒が落ちて来た。

瞬く間に雨は勢いを増し豪雨となっていく。

大きなミズナラの木の下に入るが雨脚が激しくなり雨宿りにもならない。

屋根替わりを探して枝振りの良い木に移るが、バタバタと大粒の雨が顔に突き刺さり二人はキャップを深く被り両手で顔を拭いながらどんどん森の奥に入り込んでしまった。

雨は容赦なく降り注ぎ深い森を薄暗くして視界を妨げていく。

雨具を出したくても嵐と化した天候は足を止める事を許さない。

尾根道から離れて坂を下り続け暗くなった森の中、距離感が掴めない暗黒の空間に浮かぶ仄かな人工の光が見えた。

聡史が叫ぶ。

「翔!建物だ。家がある!」

言って走り出した。

翔も同じ光を見て後を追う。

雨脚はさらに強くなり、木々に当たった雨粒が散乱し全方位から激しい水飛沫(みずしぶき)が二人を襲っていった。

見えている光はいくら走ってもその距離を縮められず同じ大きさのまま変わらない。

目標に向って走り続ける二人は足元に変化を感じて目線を下ろすと背後の尾根から水が流れて来ていた。吹き下ろす風に乗る様に濁流となって足元をすくって行く。

また世界が真っ白く染まり、右側から内臓にまで響くような空気の振動と木が破裂する爆音が同時にする。

また爆音がして空気が震える。今度は左側からだった。

足元の腐葉土が流れ出し滑る地面に聡史が足をすくわれ斜面を滑り降りてしまう。翔は慌てて救出に向かうが同じように滑ってしまった。

下りの途中、聡史はクヌギの大木に引っ掛かり制止する事が出来て上を見ると翔の上着を見て手を伸ばす。翔も手を伸ばすが届かず3メートル先のコナラの木に引っ掛かった。

二人はそれぞれの木に掴まりながら立ち上がり目を合わせてお互いの無事を合図する。

斜面の上にいた聡史が翔の所に歩いて来て肩を叩き目標としていた光を探す。

翔が右手を伸ばして指差す先に光があった。

お互いに無言で頷き、目標に向って歩き始めた。

雨は一向に止まず冷たい風が吹き降ろしたかと思うと世界が白く輝いて爆音が鳴り響き10メートル後方の細い木が砕けて二人がいるスダジイの太い枝に倒れて来た。降り注ぐ小枝と葉を浴びながら中腰で手を振りかざしたままの姿を鏡写しの様に見た二人は大雨の中、顔を合わせて笑い出してしまった。

また周囲が白く輝く、今度は少し離れた斜面の上から大きな振動が伝わって来た。

目標の光を確認し直して走り始める。

また白い世界が訪れ爆音が鳴る。

これの繰り返しに二人は更に走り続けると、今度は暖かい風が吹き込み、雨脚が弱まり白い霧が斜面を下って来た。小雨になるが今度は霧に囲まれ方向が分からなくなる。

「聡史少し待ってくれ。方向感覚が狂っていないか?この斜面どっちが下りだ・・・俺の三半規管がおかしいのかな。」

キャップを被り直し近くの白樫の樹に入りリュックを肩から下ろしてサイドポケットからレインジャケットを出す。

声を掛けられた聡史も枝の下に入り翔と同じようにレインジャケットを出して着込んだ。

「声かけて貰って良かった。俺も正直言ってどっち進んでいるか分からなくなりそうだなって思ったところなんだよ。何て言うのかな、重力の方向が一定じゃないって言うのかな・・・遊園地のアトラクションに乗った直後みたいな感覚があったんだよ・・・今もな。」

霧に囲まれ前後方向が判別出来なくなり船に乗っているように波長の長い揺れを感じている。スマホを取り出し地図アプリを開くが電波が入らずフリーズしてしまう。

「何でだろう。登山道からそんなに離れたのかな・・・離れない条件だったけど仕方なかったよな。光も見えなくなった・・・さっき歩いていたのがこの白樫の・・・どっちだ?」

翔が呟くのを聞きながら聡史も周囲を見回し、話し出した。

「なあ、この霧おかしくないか・・・この木を中心にぐるぐる回っている様に見えるけどさ、ここは無風ってどういう自然現象なんだよ。」

翔も感じていた。耳を出すためにジャケットのフードを下ろし風の音を感じてみる。

「ここにいると位置感覚が分からない。多分あっちから来た筈だから下りになる方向で光が見えていたのがこっちの方向だよな。聡史はここにいてくれ視界に入る範囲で動いてみる。」

翔が言い、歩き出した。あれ程激しかった雨が小雨に変わっている。雷も止まった様子だが視界が狭い。2メートルも進むと聡史の姿が霞み始める。

聡史が言ったように風が回っているのを感じ風の中に入ると風に逆らって木の周りを右に回ってみる。答えは直ぐに出て来た。

「聡史分かった。光が見える。こっちに来てみろよメカニズムは分からないけどこの白樫を中心に気圧が変わっているんだ。木には下降気流があって台風の目みたいな感じって言うと分かるかな。だから木には風が無いって思ったんだ。所謂旋風(つむじかぜ)だな。風の範囲は2メートル程度、ここは上昇気流が発生している。それを越すとただの濃い霧が充満している・・・いや、この先に超小型のスパイラルバンドがあるとすればこの先はまた豪雨が待っているのかな・・・いずれにしても滅茶苦茶な気象になっている。」

翔が言って聡史に手を伸ばす。聡史も手を伸ばして翔の手を取ると風の中に入った。

翔が言う様に台風の構造が分かった。

反時計回りの風が吹いている。より深い霧がアイウォールの様に上昇気流を巻き上げながら旋回していた。

「ああ、分かった分かった。理科の授業通りだな。それならあっちが東ってことだろ・・・俺達はあの光。南西に向かって行っていたって事か。ある程度方角は分かっても登山道、尾根道には戻れなさそうだから進むしかないよな。」

聡史が言い翔と歩調を合わせてアイウォールを越えた途端、大粒の雨が落ちるのと同時に強風が襲って来た。

暴風雨で霧が霞み始めると再び暗い森が現れる。雷鳴が遠くで聞こえた。

フードを被り直し暗闇に大きさも変えずに揺れている光を目指して歩き出す。

暫くすると森の中に建物の輪郭が浮かび上がってきた。

建物が見えたと思った瞬間だった。進行方向右側、西の樹が大きな音を立てて割れる。空気の振動が二人を襲い、雨が更に激しさを増した。

慌てて建物に向って走り、斜面を降りて行く。

近付いて建物を眺めると傾斜がきつく広い赤錆(あかさ)びた鉄板の切り妻屋根と木肌がむき出しになっている大きな家の窓には電球の明かりが揺らめいている。

建物の近くまで来た二人は玄関を探して家の周りを回り(ひさし)のある玄関に向かった。

尚も雨は激しさを増す。聡史が玄関の戸を叩いて叫ぶ。

「すいません!急な雨で困っています。良かったら中に入れて貰えませんか。」

何回目かのノックに内側から動く気配を感じた。

『大変だね。今開けるよ。』

声がすると戸が内側に開いた。二人を見て何も言わず手招きして中へ通す。

翔が最後に入り戸を閉めて振り返り感謝を告げる。

「ありがとうございます。助かりました。」

二人同時に言った。


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