幻の記事
神社正面の白い砂利敷の参道を北上して、普通に参拝をしてから北口の鳥居へ向かう。
神社へ一礼をしてから振り返り、敷居の縁石を越えると石張りの床に変わった。
噴水のある広場から尖った青い屋根に白亜の礼拝堂が見える。ここからはミッション系大学ならではの景色が広がっていた。
教会を通り抜け学生ラウンジへ向かう。
学部により夏休みが始まっているのか昼時の割には席が幾つも空いていた。
ハンバーガーのセットを受け取り窓際の席へ向かう。
「それで今日は何をどう聞くか考えているのかよ?昨日からの話、あまり突っ込まずに聞いていたけど、俺に言わないようにしている事かなりあるだろ。終いにはオカルトっぽい精霊とか陰陽師に山の神の話になっているし。山登る事と昨日聞いた民話に何の繋がりがあるんだよ?」
聡史にしてみれば昨日から次元の違う訳が分からない話が続いていた。
「悪い。きちんと話していなかったよな。俺も先週から突然、なんていうか人生観みたいなものが変わってきて、のほほんと楽しく生きて来たのとは全く別の世界で、自分の為にいろいろな人達が動いて守られていたって知ったんだ。父親が事故で死んだって言っただろ。その事故現場が槍穂岳なんだ。その時俺も一緒にいたんだけどその時の記憶が一切無い。すっぽりその間の記憶だけ抜け落ちているんだ。退行催眠みたいな治療法も試してみたらしいけど何の効果もなかった。俺は父親よりも二日前に山で発見されて昏睡状態が続いていたらしい。それを治療っていうのかな、意識を戻してくれた先生が、これから会いに行く秋月楓先生で、その人の指示で俺が山に入る事を禁止されてきた。今回どういう訳か全て・・・なのかは分からないけど過去の経緯を話してくれて、先生から入山前のチェックをして貰うまでの運びになったっていう事さ。その先生の話の中で、昨日寛美さんに教えてもらった槍穂神社の古文書の話がびっくりするくらいリンクしたんだ。あの話覚えているか?光雲という人が精霊に名を付けたって話。俺の一族、神崎の家とその光雲、精霊がどうも何かしらの因縁で繋がっているって秋月先生は語っている。中々、フォークロアな話だろ?でも、静岡の史隆叔父さんや本家のいとこ達、それにねーちゃんは霊感みたいなのを持っているってずうっと思ってきたから何かしっくりくるところはあるんだよ。」
聡史には全て話しても良いと思った。隠したかった訳ではないが、友達に話すほどの事でもないと考えていた。そんな事であっても聡史であれば受け入れてくれると翔は信じている。
「それじゃあ、俺もぶちまけるけど、怒るなよ。翔の親父さんの事故は、本当に偶然だったんだけどググった時に出てきて知っていたんだ。その記事に翔の事らしき内容も書いてあって、今までお前が山に入れなかった理由が何となくだったんだけど見えてきた。それで、どうせキャンプするなら槍穂岳に誘おうと思ったって訳よ。勿論、キャンプしたいなっていうのは先だった。翔本人が山を拒否してるなら別を当たろうと考えてたけど、お前も興味を持ってくれたから今では本気で取り組みたいと思っている。」
聡史の話を聞いて、翔が鞄からタブレットを取り出す。
「キーワード、なんて入れて検索したの?」
聡史の話を聞いて父親の記事を見たいと思った。
「んとな、最初はキャンプ初心者で、神奈川県。そこで海やらキャンプ場が沢山出てきたから、山って入れたんだ。そこに槍穂岳が出て、改めて槍穂岳、登山、キャンプって打ち直すと登山ルートが幾つも紹介されて、愛好家の人達の体験談や画像が見えて、興味が沸いたんだ。そのずうっと下の方に、登山道整備事業の紹介記事に整備前の事故についての記事が出てきたんだ。」
聞きながら翔が入力する。槍穂岳の登山についてのウェブサイトが沢山出てきた。
聡史の言う通り『登山道整備事業』について、神奈川県のページがあった。
しかしどこにも事故についての記事はない。聡史も隣に来て見ている。
「そうなんだよ。俺も何度も検索し直したんだけれど見付からないんだ。内容分かっていたからダイレクトに『槍穂岳事故』とか、『山岳事故』とか入れてみたんだけど、普通に遭難件数や傾向、滑落危険地域は出るんだけど翔の事故についてはあの時に見たのが最後だった。不思議なんだよ。」
その後も検索したが結局見つからずに終わった。
過去にも伯父や俊之と当時の記事を探した事があったが、神奈川地方紙に『槍穂岳。軽装で入山の親子、熊に襲われ父親死亡』の見出しで薄い記事があるだけだった。
オカルト系雑誌に『山にまつわる不思議な出来事』のコーナーで槍穂岳と神社での不思議体験の記事があり、隆一の名前は出ていなかったが『異次元に飛ばされて息子だけ生還』といった茶化し記事が載せられ、憤慨した記憶がある。
都市伝説界隈では、丹沢山地にある不思議な話の中に、槍穂岳周辺の神隠しなどの伝承も数多くあり、題材には事欠かない。
「無いか。当時の記事を探しているんだけど見付からないんだよ。山で見つけられて意識不明で入院した後、意識戻ってから沢山の大人が病室に押し寄せて大変だった覚えがあるんだけど大した記事にならなかったみたいで、警察からの公式記録しか見た事がないんだ。」
検索していたタブレットを鞄に戻そうとしたところで聡史が登山ルートを考えようと提案して来た。
ウェブサイトに戻り登山マップを見る。
登山口のバス停には車返しの広いバスロータリーがあり、公衆トイレが完備され小さな売店の中に、入山者用の登録タッチパネルが整備されていて、ここで入山者の個人情報と予定を登録する。
登録なく入山する人も多いが、テント泊や縦走するベテランの登山者は代表者が同行人数を入力し、安全に下山した時は入力時に取り決めた暗証番号でスマホから登録解除が出来る仕組みが構築されている。
サイトは神奈川県が管理していて、予定の日程を過ぎて解除されない者には県から安全確認の連絡が入る事になっていた。
バスロータリーの登山口から少し離れたところに県が運営している砂利敷の無料駐車場があり、普通車のみ15台の駐車スペースがある。
人気のある神社参道は売店横にある朱色の鳥居をくぐり、整備されているコンクリートで舗装された緩い坂道と階段を登り、等間隔で照明と防犯カメラがある。
沿道には季節によってさまざまな花が咲き、夏の季節には平地では既に終わっている紫陽花が見頃のようで写真が幾つも上がっていた。
他のルートを見始めると、時計が14時を告げたためトレイを戻し大学病院へ向かう。