山の神
バスを覆う背の高い竹林が朝陽を遮り車内に影を落とした。
片側一車線ずつの道路は狭い路側帯があるだけで左に崖を背負い、右は深い谷を形成していた。
隣の聡史はブルズのキャップを被ったまま、まだ眠っている。
進路方向右側の谷はガードレール越しに背の高い竹藪が覆い景色を隠してカーブの切れ目に藪が途切れるとその深さを露呈していた。
翔の座る窓の外は山の斜面になっていてこちらは低い笹藪の中に所々、白いヤマユリが群生している。
何度か短く曲がりながら坂を登り目の前の景色が抜けると大きく左にカーブする。
短い直線に入ると道幅が広くなり竹林を抜け植生が変わり、杉の並木道になる。
その先に崖を抉った退避場があり最後のバス停が見えて来た。
白く大きなクロッシェタイプの帽子を深く被り、肩を露出させた白いワンピースとハイヒールの若い女性が立っている。
バスは速度を落とすことなく通過した。
『あっ』と思い、目の前を通過してから後ろを見る。
女性は姿勢を崩さずバス停の後ろに立っていた。
一瞬眼が合い、白く美しい顔に仄かに赤い唇が上がり微笑んでいる様に翔は感じた。
前に座っていた男の子も後ろを見てから隣の母親に向いて口を開く。
「運転手さん止まらなかったね。おねーさん大丈夫かな?」
母親は既に見えなくなっている後方を一度見てから応える。
「誰もいなかったと思うけど・・・もう、そういうのヤメテって言ってるでしょ。もう少しだから静か・・・ごめんね。今度はどんな人が見えたの?」
母親は少年の帽子を直して笑顔になって聞いた。
「白い服と大きな白い帽子を被った綺麗なおねーさんだったよ。」
母親は子供が言うのを優しく聞いて「そうか。怖い人じゃなかったのね。それなら大丈夫よ。」と返して微笑んでいる。
翔は座り直して前の二人の会話を聞き、キャップを深く被り直す。背もたれに身体を預けて口角を上げた。
道はまた狭くなり、身体を預けていた背もたれに体重がかかる。
左側の崖崩れ防止の緑色をしたネットが斜面を覆う直線に入ると、右側の杉並木は徐々に白樫の自然林に代わって行った。
また大きなカーブに入ると左側の崖は緩やかな傾斜になり窓から視界が広がる。
笹薮だった斜面には一面緑の下草が生え所々に白い岩が点在している。その小さな草原にはピンク色のフジカンゾウの花や黄色いミヤコグサも見え彩を華やかに演出していた。
太陽は更に高くなり、霧は晴れ、風光るような空が見える。
崖の上に何気なく目線を移すと、崖から突き出す白い大きな岩に腰掛け、素足に白いサンダルを履いている女性が見えた。白いクロッシェ帽に白いワンピース・・・バスに向って微笑みながら手を振っている・・・翔は目線を前に戻して薄暗い車内から見える陽の当たる坂道を見詰める。前に座り不思議そうに外を見ていた男の子と目が合って左手の人差し指を自分の唇に当てて微笑んだ。
強い日差しを受けた道路は少しだけ広くなり遠くに二股に分岐する地点が見える。
青い道路標識があり、直進は槍穂神社、バスの向かう先槍穂岳登山口は左となっていた。
いよいよ終点の槍穂岳登山口。
登山ルートのシミュレーションは何度もやり、同級生の登山経験者からの助言を受け、半ば強引に必要な道具の買い出しにも付き合わせた。
天気予報では一週間は晴れが続くらしい。
見たいポイントも頭に入っている。
予定通りに進めば三泊程度で道志川へ抜け、またバスに乗って山中湖へ行く。
二人とも体力には自信がある。怪我にだけ注意すれば楽しい旅になる筈だ。