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もう一人の姉

通常の下校であれば高校の正門から出て駅に向かう。

しかし、今日は翔の提案で大学との通用門になっている裏門に行き、大学の先輩に会いに行く予定だったが、急遽、渡り廊下を乗り越えて弓道場の正面玄関から構内に入って来てしまっていた。

弓道場の正面玄関自体が大学の構内にあるのでそのまま翔が目的とする校舎へ向かう。

目的地は大学の南西側エリアにある。


『考古学総合資料館』


弓道場のある武道館とは鎮守(ちんじゅ)(もり)の中心にある神社を挟んで向かいになる。

武道館の周囲東側には弓道場への海風(うみかぜ)を抑える目的で丘陵状になり、松を中心とした針葉樹の林が生い茂っている。

西向きの正面玄関から資料館までは、神社を中心に四方の入り口を鳥居で守られた鎮守の杜があり、広葉樹も混じった杜では秋になると紅葉も見られ、四季折々の風景を楽しむ事が出来た。

神社には(やしろ)があるだけだが、大学の敷地を拡張する時に既にあった神社と杜をそのまま残して現在に至り、御祭神には宗像三女神(むなかたさんじょしん)田心姫神(たぎりひめ)湍津姫神(たぎつひめ)市杵島姫神(いちきしまひめ)の三柱の神を祀った宗像(むなかた)神社(じんじゃ)がありこの三女神は『道主貴之神(みちぬしのむちのかみ)』とも呼ばれ港町横浜の航海のみではなく陸上や航空の安全を見守ってくれている。

(やしろ)には神輿蔵(みこしくら)があり神輿(みこし)も収納されていて毎年秋には学園祭と同時に地元商店街の氏子達とも協力してお祭りも開催される。明治以前、大学構内に取り込まれる前までは街を練り歩いた後、禊の為に海に入っていたが今では神社から商店街を通り、駅前の広場を経由して神社に帰って来る。この時ばかりはミッション系の大学構内にも神輿が練り歩き附属校の生徒や街の人達も交じって出店も許可され、大いに盛り上がり多くの人達が構内の催し物に興じる。

同時に大学正門から正面に見える教会では一般の人にも開放されるミサが執り行われ、司祭によるカトリックの教義に触れる事が出来る。

神社に常駐の神職はいないが中区にある宗像神社の神職の方々が毎日朝、祝詞(のりと)をあげに来て夕刻には社を締める為に再び祝詞があげられる。普段の管理は主に弓道部と剣道部の部員達が参道を含めた(もり)の清掃を行っていた。

四方の鳥居の中に入ると白い玉砂利で敷き詰められた参道があり、境内には樹齢の程は不明だが幹の太い御神木の楢の木があり、注連縄が巻かれ白木の柵で囲まれている。鳥居の前と境内には『(なら)の葉』の御神紋の入った灯籠が立っている。この杜からはミッション系の大学とは思えない『和』の景観を(かも)し出していて、生徒や講師たちは勿論、神社のすぐ北側に隣接する教会の司祭達も休憩に訪れる人気のスポットになっていた。

司祭達は神社に参拝こそしないが、鳥居をくぐる時に深く一礼をして杜に入る姿は宗教の垣根を超えた光景であり感動を覚える。


白い砂利敷きの参道を歩き神社の境内を横切る。

辻になった参道には百日紅(さるすべり)の淡いピンクや紫色の花が色鮮やかに咲いていて、潮風にも強いアラカシの木陰にあるベンチで読書や食事をしている学生が何人かいた。

杜を越えると深い緑色の木々を越えて(そび)え立つ白いタイル張りの建物が見える。

地上8階地下4階建ての鉄筋コンクリート造の校舎である「考古学総合資料館」には地下に世界的にも貴重な考古資料や様々な古文書が多数あり、温度湿度ともにそれぞれの特性に合わせて最適な状態で厳重に保管され、地上階は国内外の考古学資料が地域や年代別に保管されている。


背の高いドアを開け、風除室横にいる守衛に学生証を見せて自動ドアを開けてもらい、エントランスホールにあるスタッフルームの入館受付があるカウンターに向かう。

「高等部二年七組の神崎翔と申します。考古学部二年の水橋さんから、本日午後にはこちらに入館しているので着いたら受付にご挨拶するよう申し付かって来ました。お取次ぎをお願い致します。」

要件を伝えると受付にいた中年の女性はにこやかに「はい。言付かっていますよ。」と言って入館受付票に記名するよう促し、『入館許可証』を二枚渡してくれた。

相談相手は5階のオセアニア展示室の辺りにいると伝えられた。

聡史に顎で合図してエレベーターホールに向かう。部外者は避難時以外、階段の使用が禁止され、カメラのあるエレベーターを使用する決まりがあった。ドアが開き中に入る。翔が5Fのボタンを押し、ドアが閉まった。

「おいおいおい。会いたい人って。水橋寛美さんか?」

聡史が浮足立って聞いて来た。

「ああ。ちょっと歴史について聞きたいって連絡したら、今日はここにいるからおいでって言われた。聡史に黙ってると後でやかましそうだったから誘ったんだ。お前はオブザーバー参加だから傍聴者として節度保てよ。」

翔にとってはもう一人の姉に会いに来たという感覚であるが、聡史にとっては憧れのアイドルの一人に会いに行くようなものである。

「あ、先に言っとくけど。寛美さん彼氏いるからな。」

「ああ、知ってるよ・・・」

しょげた聡史には関心が無いようにエレベーターのドアが開いた。


エレベーターホールはダークブラウンのタイルカーペットが敷き詰められ、壁は細目ホワイトの珪藻土の漆喰で塗られていた。

天井は吸音板に電球色のLEDダウンライト照明があり、照明と換気口、空調機の通風孔が等間隔で並べられている。

真偽は定かではないが『資料館は人の命より大切な人類の宝が詰まっているからスプリンクラーは無く二酸化炭素式の消火システムになっていて万が一の時は覚悟を決める必要がある』と冗談とも取れない事を高等部に入学した時の校舎説明会で言われていた。

防犯用のカメラも目視出来る限りで3台あり、お互いの死角を補っている。

ホールの正面、窓際には応接用としてイエローオーカーの大きなソファーセットがあり、ガラステーブルに生けられた向日葵(ひまわり)の花瓶にブラインドの隙間からまだ高い西日が差し込んでいた。

窓の横にデジタルの温度と湿度が表示されている時計があり13時46分室温22℃湿度45%と表示されていた。

夏服の半袖ワイシャツだけだと少し肌寒い。

ホールの左右にある入口の上に金属の案内板があり左側には『北・南極』とあり右側には『オセアニア』と英語と日本語で表記されていた。

右の入り口に向かい、長身の二人でも横に寝られるくらい広い廊下を進む。

廊下の左側は大きな窓があり自然光だけで十分過ぎる明るさが確保されている。

日照はあるが防音だけでなく遮熱性能も高いガラスが使われていて外界とは完全に遮断されていた。

右側の部屋には入り口にそれぞれセキュリティの為に電子錠がありIDが無ければ開錠する事が出来ない。

二部屋通り過ぎると『展示室』と書かれた案内板があり開いているドアを通った。

室内はアイボリーのビニールクロスが貼られ昼白色のLEDライトで適度に照らされた展示品が並び、中央の丸いテーブルに資料と展示品が積まれていた。

入って左側を見渡すと『保管室』のプレートが付いたドアが開き、資料を抱えた女性が出て来た。

鞄を聡史にぶん投げ、速足で近付き手を出して資料を受け取る。

「ありがとう。ナイスタイミングね。」

黒いストレート、ミディアムロングの髪型にライトバイオレットのブラウス。ホワイトのパンツを履き長袖の白衣を着た美しい女性が微笑んでいた。

「すみません。少し遅れました。急な相談聞いて貰ってありがとうございます。」

伝説の三女神の一人。水橋寛美であった。

聡史は感動で二人分の鞄を胸に抱き、今にも泣き出しそうである。

「あ、慌てて素手で受け取っちゃいましたけどこれ、大丈夫ですか。」

寛美が白い手袋をしているのを見て伺った。

「うん。資料と言っても展示品は全部レプリカだから大丈夫よ。埃つくの嫌だから手袋してるの。」

両手を振って見せて翔を安心させる。

「レプリカなんですか?展示品。盗難防止とかですか?」

鞄を胸に抱いたまま聡史が割って入る。

「聡史君久しぶりね。重要なものはみんな地下の保管庫にあって、新しい技術で調査の許可が出た時以外は適温監理してるの。書物は大体諸先輩方の『写本』よ。まあ、うちの父や祖父のね。それを順番にコピーして更新しているところ。最近は3Dプリンターで貯蔵品のコピー撮ったりするときに『本物』を蔵出しするけどね。それに展示品と言っても基本は学生用だからレプリカで問題ないの。」

寛美が説明するのを聡史はいちいちオーバーアクションで頷きながら聞いていた。

「他の学生はいないんですか?」

室内を見回しながら翔が聞く。

「これ、本当は父・・・水橋教授の研究室でやる仕事の一環なんだけど今は院生や上級生は井上助教と学会の準備中。教授は生徒そっちのけでインディージョーンズしに行っているから私がコツコツやっている訳よ。」

手袋を脱ぎ白衣のポケットに仕舞いながら答えた。

「今度はどちらに?」

翔が聞く。インディージョーンズへの問いだった。

「スポンサーと一緒に中南米。メソやアンデスとは違う、もしかしたらバルディヴィア文化の影響を受けている何か変わった出土品、多分『新しいタイプの土偶』が見つかったとかで一昨日慌てて出て行っちゃた。メキシコのチームと合流してからエクアドルに向かうんじゃないかな。きっと夏休みの間は帰って来ないわ。井上先生泣いてた。」


青嵐学院大学が開校以来、水橋家の人間は代々考古学部の教授職に就いていた。

寛美の父親である水橋義(よし)(ひさ)教授は学会でも発言力が高く、基本的には全体的、定説支持派として知られているが、決して表に発表しない独自研究では『異端』に属する研究を行い、偽書や奇書の類、民族学、宗教学から表と裏の比較研究を行っている。

祖父の康士郎(こうしろう)博士も健在だが名誉教授職には就かず、大学を離れ自身の研究を行う為にY.PACに用意された研究室で他分野の科学者の協力のもと独自研究を行い、先週から中近東へ向かっていたので、現在の水橋家には寛美と母親、祖母の女性達しかいなかった。


手に持ったままで立っている翔に資料の行き先を微笑んで指差し、中央テーブルに運ぶよう促してから寛美が聞く。

「それで翔君。何を聞きたいの?まさか追試?」

「いえ。テストは全く問題ありません。古文の出来が今一。でしたけど。」

翔が答え、資料をテーブルに置いた。

「古文、家庭教師しようか・・・(シズ)に聞きたくないの?まあ、超理系だから必要ないかもしれないけど。」

「あ、自分、文系志望です。家庭教師よろしくお願いします。」

聡史が途轍もない笑顔で割り込む。

「ガッツくなよ。ごはん前の犬か。いや、すまん犬に失礼だった。寛美さん、古文は大丈夫です。他に比べての事ですから問題ありません。それで、今日の相談についてですが、実は今度聡史(こいつ)と槍穂岳に登る事になったんで、丹沢山系の歴史と平安京が出来る前の陰陽師とかについて聞ければと思いまして。」

寛美は『山に登る』事に反応した。

「お母さんや(シズ)は納得したの?今まで物凄い拒否反応だったじゃない。」

「はい、先週からそれでいろいろ大変でした。そのお陰で今まで多くの人達に守られて育ってきた事を再認識するいい機会にはなりました。寛美さんにも感謝してます。」

唐突に『感謝』と言われて寛美は驚いた。弟分の成長した姿に目頭が熱くなる。

「・・・それじゃ、2階の古代史資料室行こうか。」

「この資料整理してからでいいです。」

翔が言い、聡史と一緒に寛美の指示でテーブルの資料を仕分けていく。

聡史がコピーとかの雑用なら何時でも手伝いますと下僕アピールしていた。


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