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物怪の誕生と最強の守護精霊

日本人の心の根底にあるものの一つに神道(しんとう)がある。普段、個人としては気にしていないだけで人生儀礼の伝統行事、例えば子供が生まれた時の(おび)(いわ)いやお七夜(しちや)、元旦の初詣や七五三、家を建てる時の地鎮祭(じちんさい)など、行う行事の頻度は人によって違いがあるものの神道の宗教的儀礼とは深く考えずに日常生活に溶け込んで受け入れている。

原初の日本という土地の根源的な『神』はとても寛容(かんよう)であり、海外から日本に渡来してきた民族の信仰を受けた精霊や異なる神々達に共存の場を与え平和に過ごし、いつしか『八百万(やおよろずの)(かみ)』として同列に加えていった。日本列島の先住民達も渡来してきた民達もこの『日本』という国土に根差したときから互いに他を認め、お互いの神に対する信仰を尊重して一体化し、現代に至るまで日本人の心に基盤を築いている。歴史の中でも文字による記録が残っている『仏教』の伝来や、『キリスト教』に代表される西洋の宗教が渡って来てからも、この国の中に定着し特に敬虔(けいけん)な信者でなくとも多くの国民は自然に受け入れている。人が亡くなれば僧侶にお経をあげてもらい、クリスマスやハロウィーンを楽しみ、正月を祝い初詣をするなどである。一見『無宗教』ともとれるが、それぞれの宗教の『いいとこどり』をしてその場その場で心の位置を臨機応変に動かし、内なる葛藤や希望の光の導きを無意識ではあるが『神』に頼るものである。『神道』に話を戻すと、人間の生涯についての考え方には、この国で生まれた『日本人』は神の世界から生れ、その人生を終えるとまた神の世界に帰ると考えられている。

そして、原始の神道が『八百万神』を形成する中で、中国大陸から道教や儒教のように洗練された宗教的な文化が持ち込まれ、地霊としての『神』に対し『天空の神』という新たな神が誕生した。この当初の『天空の神』は大陸民族の暴力的風土をまとい荒々しい性質を持っていた。そこでこの国の人々は先住の神を『国津(くにつ)(かみ)』と呼び、新たな思想の神を『天津(あまつ)(かみ)』として互いに(まつ)った。もとの国土の地霊である『神』は新たな神をも寛容に受け入れ、大陸的な荒々しい性格を捨てさせて、『(もり)(やしろ)』に土着の神々と共に住まわせてその性質を和らげ、鎮めた。

そうして『新たな神』は『従来の神』と共に人々の信仰の対象となったのである。

そして、形作られたパンテオン、神殿は山の上、人の手の届かない天空に置かれ、国の地霊は『山の神』にその役目を受け継がせている。

関東や東海地方に位置する丹沢山系や箱根、伊豆の山々には今でも『山の神』を祀る神社は多くあり、人々の信仰を多く集めている。


ここまで話し、史隆は弥生と水江を見る。

「なんとなく分かりますか?」と言われ二人とも「はぁ・・・」とだけ答えた。

「ここで、今まで話した『神』の部分を『心』とか『精神』に置き換えると少し取りつきやすくなるかもしれませんが・・・現代の日本人に失われつつある、原初の日本人本来の心に『神』は宿っていた。それは、万物への感謝であったり、畏怖(いふ)による不安や恐怖心かもしれない。でも、その中には悪魔とか鬼、妖怪という概念は元々はなかった。弥生さんは新井さんから山中での映像を見せられていますよね。自分も深山君に送ってもらった動画を見たのですが、状況は戦争でも起きない限りありえない惨状になっている。あれを見て神か悪魔に等しい人智を超える力によるものと思ったのかもしれませんが、自分も兄も、新井さん達に協力をする中で現実的ではない、あの映像のような現場に立ち会うことが度々あったのです。詳しくは話せませんがこの世の中には自分たちが常識と思っている現象を遥かに超えてしまう事は多くあるのです。」

「映画とかにある神の奇跡とか、超能力や呪いみたいなものがあるという事でしょうか?」水江が聞く。

「たった今、その奇跡を見ましたよね。水江先生は二度目ですかね。」

史隆の言葉に楓に注目が集まる。楓は新井を見て話し始める。

「新井君。ある程度は話すわよ。そのつもりで私を残したんでしょう?」

新井は何も言わず、深山の肩を軽く叩いて立ち上がり微笑んでから翔が寝ているベッドへ向かう。布団を直し、頭を撫でてから窓際へ行き、腕を組んで窓の外を眺めた。

病院の影が海へ伸び左手には横浜港を行き交う船に夕陽が反射していた。本牧の街並みに灯が燈り始め遠くにベイブリッジも見える。正面の対岸には東京湾を挟み房総半島の山々が見え、右手の横浜ベイサイド沿岸では帆を張ったヨットが回遊していた。



窓辺の新井を見てから楓はゆっくり話し出す。

「新井君達には立場があるから自分からは話しにくい事だけれど。私は治外法権だから当たり障りのない範囲で話すね。深山君は寝てなさい。」

言われた深山は本当に眠らされるのではないかと身構えた。

「何もしないわよ」と楓に言われ腕を組んで寝たふりをする。

「裕子さんは忍ちゃんの件でこの世には不思議な世界が混在している事は理解したでしょ。和尚さんも感覚としては気付いているよね。その中で人間に対して精神面で影響する存在を神や精霊として、物理的に影響を及ぼす者を物怪(もののけ)と定義すると分かり易いかな。本当はもっと複雑なんだけど、上位に神と精霊がいてその下位に魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)と呼ばれていた物怪や妖怪、鬼がいるという事を前提に話しを続けるね。史君が言っていた事は『神道』についての一つの解釈で、彼も言うに言えない事があるから仕方ないけど、大学の講義みたいになっちゃって分かりにくかったと思う。その中で核心になる部分は、元々太古の日本人の考え方には『悪魔』や『妖怪』なんかは存在しなかったという事。かつては、人の生活に不都合な事が起こった場合『神の祟り』と解釈して自分達の行いを律してきたの。だから荒ぶる神は存在しても鬼や妖怪、悪魔はいなかった。それが仏教の伝来によって鬼がやって来た。和尚さんがいるから反論されそうだけど今は分かりやすく鬼と呼ぶね。その前からいた在来の鬼とは別で大陸の風土を纏った残忍で狡猾な鬼。その鬼を運んできたのは遣隋使。当時の隋は日本よりも政治機構が発達していて統治がしやすいシステムが確立していたの。それまでの日本は大王(おおきみ)、天皇を中心に豪族達が話し合いで統治してきた。言ってしまえば時間のかかる政治。それを隋を見習って、当時最新の政治スタイルに移行してこのアジアでの地位を維持しようとした。先進国として他国からの支配を退いたのね。その代償として自然を(うやま)い、神を恐れる心を徐々に失って行ってしまった。つまり、心の中心に神がいた日本人が、人間中心の考えに移行していってしまった。それでも、この国の神、大地の主母神は民を温かく包み(はぐく)んでいた。史君が説明した八百万神と共にね。ところが、その遣隋使を使って自国での政争に負けた者達が悪意を持ってこの日本を手中に収めようと流れてきたの。鬼を引き連れてね。その者たちの策略によって多くの国を想う豪族や臣民が殺され、いつの間にか新たな豪族を名乗ったこの者により支配されてしまった。でもね、史君の言う通りで、この国の神は、この国に移り住み子孫を残した者はその子供達をもって、この国の民として守り育てた。見返りを求めずに。無知な人間達は神に守られていることも分からず自分本位の生活をして、ある日ミスを犯して神の(たた)りに触れてしまう。かつての日本人とは違い自分の行いを省みず、その祟りから身を守る(すべ)を探求して、遂に発見した。陰陽道(おんみょうどう)という形で。日本の陰陽道は中国の陰陽五行思想や道教を基本としたものが仏教や修験道、儒教と融合して独自の形を見付けていった。これも史君の説明にあるように共存する日本人の気質によるものかもしれない。その術を使って一部の権力者達の身を守る為に都を移転して、失敗を重ねながら平安の都を完成させた。」

一気に話して周りを見渡す。水江までも聞き入っていた。

「我慢強いね。」と言って続ける。

「都を築いた事で神からの干渉は薄まる。代わりに保護される力も弱まった。そこから(たた)るものは神から人に代わる。怨霊(おんりょう)という考えに移っていったの。それまでにも人が人を(ねた)んだり、(うら)む事があって思念を通じて危害を加えても、災いは神による制裁だと考えるものだったのが、主体が人に代わった事によって人間を(おとし)めたり、殺した罪の意識が怨霊や呪いを産み落とす事になる。その結果、都には魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)と言われる物怪(もののけ)跋扈(ばっこ)し始めたの。それを治めるために陰陽師(おんみょうじ)をはじめ様々な宗教で用いる術が皇族や公家(くげ)の間で持てはやされるようになった。あくまでも自分の保身の為にね。庶民は依然として神を(あが)めていたから。自然発生する魑魅(ちみ)は山の神、魍魎(もうりょう)は水の神を指す言葉だった。都に現れた魑魅魍魎は人の瘴気(しょうき)から生まれた物怪(もののけ)。云わば人の子。それ以来、人々は人間が生み出したもう一つの『人』を脅威(きょうい)の対象にして(いさか)いを始めたの。神は人同士の行いには干渉しない。それで、人々は怨霊を封じ、悪霊を退散させる術を陰陽師達に託す。これが時に神に(やいば)を向ける事になり『天罰』を受けるけど、もう当時の人達にはその区別が付けられなくなり怨霊を神と同格にして(あが)(たてまつ)ることによって荒ぶる神の怒りを鎮めた。それまでも天皇は神の血筋にあり、歴代の天皇を御神体として感謝し(あが)めた事はあったけど、怨霊となった人を神として祀る風習が始まったのね。恐怖の対象として。『御霊(ごりょう)信仰(しんこう)』と呼ばれるわね。(まつ)られた『人』は元々この国を想い、民を(いた)わる心の持主達だったから、恨みの対象には容赦なかったけれど、崇め救いを求める者に対しては寛容だった。これも主母神の影響かもしれない。そうして彼らも八百万神に加えられていった。残った魑魅魍魎は次第に肉体を持ち、超自然の脅威として『妖怪』や『鬼』と呼ばれるようになり、現代に至るまで人間の生活の裏や狭間に存在している。飛鳥の時代に生まれ、平安の時代に完成された陰陽師は武家の社会が終わりを告げる明治に至るまで存続し、人々をその脅威から守ってきた。近代化を旗頭にして人の生活から闇を薄めた事で、陰陽寮は政府により迷信として廃止されてしまった。『天社(てんしゃ)神道(しんとう)禁止令(きんしれい)』よ。でも、いくら陰陽師を廃止して魑魅魍魎の類を否定しても、発生源たる人の心を改めない限り魑魅魍魎はなくならない。流石に、現代の世界に対して霊的なものは公言出来ない国は中枢に極秘の対策本部を置く事になった。それが彼らに受け継がれているお仕事になっているっていう事よ。」

まだ窓の外を眺めている新井を見る。

「新井君達の仕事は今言った事だけではないけれど、公言したら馬鹿にされたり、果ては税金の無駄使いと言われたりするから、理解しようとしない人。まあ、普通の人達に配慮、というか面倒だから隠す必要がある訳よ。多分。私には関係ない事だけどね。」

楓の言葉に聞き入っていた宗麟が口を開く。

「新井さんの仕事は分かりました。正直、隠す必要はないと思いますが、確かにこの世の中、自分が想像出来ない世界を拒絶する人の方が声が大きい。面倒だから隠すは面白い表現ですな。それで、話を元に戻すと『山の神』を殺すという部分もこれから話してくださるのでしょうか?」

楓は出来の良い生徒を眺める教師のような眼差しで宗麟を見て、話を続ける。

「話を平安の時代に戻すね。今の説明で魑魅・・・物怪(もののけ)で統一するね。物怪には二種類、自然由来と人由来のものがあって、自然由来の物怪は八百万神に属する神またはその眷属。お狐様とかのこと。人由来は妖怪に代表される化物とかね。平安の都が四神相応の結界で守られたことで力の弱い神や物怪は都に侵入出来なくなった。それでも疫病をもたらす(あら)(みたま)のように力の大きい神は抑えられず、結界を作った事により別の神の加護を受ける事すらも出来なくなったから、陰陽師は結界にさらなる結界や儀式を行って対処し続ける。皆も知ってるでしょ、安倍晴明という天才。当時の陰陽寮で中心的な官僚であった彼がスケールの大きい大結界を完成させて完了するまではね。実際には彼だけが突出していた訳でも無いし、複数の術者による総合的な発案によるものだけど・・・兎に角、その結界は完成したの。そうして、都に入れなくなった物怪のうち鬼と呼ばれる力の強いものが付近の山に棲み一派を束ねるようになり、行き交う人を襲った。その山にも神はいたけど、前述の通り鬼も人による産物のため神は干渉しない。懇願(こんがん)でもされない限りね。そこで、鬼についてだけど、先に言ったように大陸から流れてきた鬼も、元々国内にいた自然由来の鬼と融合して一つの神に昇華していくものもあらわれる。人の感覚で定義していくとおかしな事ではあるけど、そうなっていくから仕方ないの。そうして、平安の世から移り、武家の時代が始まって鎌倉や室町、江戸と政権の位置、場所が変わっても権力の座に就いたものは都を造るときには結界を張り、新たな物怪を生み出していった。この神奈川県にも気付かないだけで神も物怪も至る処にいる。だから、不思議な事件や科学的に立証出来ない事故や事件に対する部署が必要となった。その協力者の一人が隆一君であり、神崎の家系に繋がる人は少なからず関係している。隆一君がどうして翔君を連れて槍穂岳に入ったのかは分からないけど、隆一君に触れた時、あの山の神様の一柱、もしくは眷属が人由来の物怪、おそらく大陸から流れてきた『鬼』の一種に殺害されたというイメージが飛び込んできた。事後のイメージだったから隆一君達は一歩遅かったと思う。その後、争いになって翔君を逃がして隆一君は負けた・・・もしくは相打ちとなったと考えるのが普通かもしれない。」

「隆一にはその物怪の鬼と戦う力があったという事ですか?」

宗麟が口を挟んだ。

楓は少し考え、弥生と宗麟に向いて答える。

「隆一君には、最強の守護精霊が宿っていた。遠い昔、神崎の名が生まれる遥か昔に、ある原初の陰陽師によって名付けられた三柱の精霊の一柱。それは彼の家系に繋がる宿縁。」

楓はここで話を止めた。


「ここから先は当たり障りがあるから内緒ね~」

首を傾け少女の顔に戻って冗談っぽく言う。

「はい、おしまい。」と言って深山の片を叩く。

深山は顔を上げ、驚いた表情で口を開けた。

「自分も知らない内容でしたよ。改めて危険手当上乗せしてもらう様にします。」

聞いてちゃダメでしょ。と楓に言われ苦笑いをしてから、改まって楓に問う。

「それで、今後、翔君はどうすれば良いのでしょうか?」

新井が何事もなかったかのように無言で戻り、深山の隣に座った。

窓の外は帳が下りていた。

「今話した通り、神様は人間同士の争い事には干渉しない。同時に神同志の(いさか)いにも他の神は手を出さない。神が行う事は全て正しいの。人間の勝手な感覚で善悪は語れない。でもこの鬼は神に昇華されず怨念の塊として自我を持って行動している。要するに『人』。この鬼が神か眷属を殺したという事は『神殺し』として天罰の対象になる。山の神の伝達機構、今風に言うとネットワークによって指名手配されるのが普通だけど、そこに翔君が巻き込まれている可能性は否定出来ない。生きて山で保護されたって事はセーフなのかもしれないけど、和尚さんが見た朧げな光が元の力を取り戻すまでの間は、取り敢えず『山』には入らない方が身のためね。翔君が回復して記憶があればそれでOKだけど、そうでなければまだ駄目ってサイン。」

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