第十章:追憶と未来への決心
-1-
弟の明人が死んだ。
永年12歳。
まだまだやりたい事はたくさんあったはずなのに…。
それなのに…。
だが…もしかしたらいつかは、と覚悟していた部分もある…。
それは明人と僕がもっと幼かったころの話。
蝉時雨が季節を包んでいたあの頃。
「タケー!!虫取り行こうぜ!!」
「うん!!」
玄関に置いてあった虫かごと網を手にすると射川竹人は扉を勢いよく開けた。
「まちなさい!」
お母さんだ。
「ほら、お帽子ちゃんとかぶって行かなくちゃダメでしょ?
熱射病になるわよ?」
そういっていつもかぶっている野球帽を差し出したので乱暴に受け取ると
行ってきますと言ってポーチに飛び出していった。
「僕もいくぅ~!!」
慌てて射川明人は玄関に座ると靴を履こうとした。
しかしすぐに止められる。
「アキは駄目よ。喘息出てるでしょ?お家でゆっくりお母さんと一緒に遊びましょ?」
「嫌だ!嫌だ!!僕も虫取りやりたい!!
お兄ちゃんと遊ぶー!!」
「あらあら困ったわね?
喘息またヒューヒュー言って苦しくなってこの前みたいにアキが倒れたらお兄ちゃん
すっごく悲しむと思うわよ?
お兄ちゃんが悲しんだ顔、見たい?」
すると少し考えるそぶりを見せて明人は首を横にふるふると振って見せた。
「ね?
今日はゆっくりしていましょう。帰ってきたらお兄ちゃんに遊んでもらえばいいでしょ?」
「…う…ん。」
明人は諦めると母の後を追ってリビングへと向かった。
リビングでは先ほどまで見ていたアニメのDVDの続きが何事もなかったかのように流れていた。
「じゃあお母さんちょっと洗濯物取り込んでくるからアキはここでいい子に“くまさんの冒険”見ててね?」
「うん!」
パタパタとスリッパを鳴らしながら母はリビングから出て行った。
足音は階段を上って二階へと消えていく。
それを耳で確認すると明人は軽い気管支音を気にしつつも立ち上がるとそっとリビングを出た。
玄関にでるときちんとそろえてある自分の靴を見つけると
それを履いて
玄関から外へと、そっと音をたてないように慎重にドアを開けて出た。
青々しい枝葉がまっすぐな日光を受け止め白い水玉模様の光をアスファルトに落としている。
それがさらさらと揺れてとても綺麗に見えた。
明人は早足で兄が出かけたであろう神社の方へと歩を進めてゆく。
すると曲がり角の向こうからチリンチリン!と自転車のベルの音が聞こえて
子どもたちが飛び出してきた。
その中には虫取りアミを持った兄の姿も。
「おにーちゃん!!」
思わず叫ぶ。
すると竹人はまさかここに弟がいるとは思っていなかったとばかりに
目をガラス玉のようにまん丸くして驚いた表情を作って見せる。
「アキ!なんでこんなところに!!
お母さんは!?」
「え?お母さんはお家で洗濯物してるよ!
お兄ちゃん!!僕も虫取りしたい!!連れてって!」
「駄目!」
兄は即答して首を振った。
「邪魔!アキは足手まといなの!!ついてくるなよ!?」
「そんなぁ~!!
おにーちゃん!!」
「おい、行こうぜ?」
友達の一人がそういって自転車を走らせたので
竹人も他の友人たちとその後を追いかけて行った。
「わーん!!待ってよぉ~!!!」
泣きながら明人も兄を追いかけようとしたが
5歳児の足が自転車の速さに追いつけるわけもなく…。
べシャリと転んで暑いアスファルトに全身を打つ。
「おにーちゃぁ~ん!!」
しかし兄たちの姿はとうに見えなくなっていて
明人はその場に一人置いてきぼりを食らってしまったのだ。
と、呼吸がまた苦しさを増してゆく。
息が…出来ない…
出来ないよぉ!!
たすけて!!
たすけ…て…!!
おにぃちゃん…
おにい…ちゃ……
-2-
明人が路上で倒れて通行人に発見され救急搬送されてから
丸三日たつが明人の意識は以前戻らないままだった。
毎日病院に母と一緒に通ったが明人は眠ったまま目を開かない。
まるでお人形さんのようだった。
お見舞いの帰り、母のワインレッドのセダンの助手席にいつものように
乗り込んだが母は車を発車させようとしなかった。
エンジンすら掛けない。
ただただ黙って正面を見つめていたがその目はすっかり疲れ切っていて虚ろであった。
「…おかあさん?」
「竹人…大事な話をするわよ。よく聞きなさい。」
そういいながらも母は前を向いたまま僕の方を向こうとはしない。
「…う…ん…。なぁに?」
「アキね?超未熟児で生まれたの。
普通の赤ちゃんよりすっごく小さく生まれてきたのよ。
ずっと赤ちゃんの入る集中治療室で治療を受けていたの。
竹人もまだ小さかったから覚えてないと思うだろうけれど…
明人が生まれたとき色々と大変だったのよ。
それで…
お医者様から言われたの。
明人は長くないだろう、って」
「え?」
「明人ね、短命宣言受けてたの。
分かる?」
「…う…ん…」
なんだろ…思い切り後頭部をなにか硬いもので殴られたような鈍い痛みを感じた。
「だから…明人の事、もっと優しくしてあげて?
お願い…ね?」
母はそういいながら大粒の涙をぽろぽろとこぼして泣いていた。
ハンドルに顔を突っ伏して肩を震わせた。
「…お母さん…泣かないで?
明人の事、これから大切するって約束するから…
だから…泣かないで?ね?」
そっと震える母の肩に手をやった。
―3-
ふと気が付くと知らない天井がそこにはあった。
「アキ!!気がついたのね?!」
母の顔がひょい!と現れる。
「……おかぁ…さん…?」
瞳に十分すぎるぐらいの潤いを持ちながら母は
優しく僕のおでこをなでてくれた。
「大丈夫?どこか痛いところはない?」
「…うん…おにいちゃんは?」
「いるわよ。竹人!」
すると
遠慮気味に病室の入口の方から返事をしながら兄、竹人が現れた。
「アキ…大丈夫?」
ゆっくりとこちらへやってくるとベッドの横に立った。
しかし…いつものような明るい笑顔はない。
陰った表情で悲しそうに僕を見つめている。
「どうしたの?どうしてそんなに悲しい顔してるの?」
そっと手を差し伸べる。
するとそれを兄はぎゅっと握って見せて言った。
「ごめん…!!本当にごめん!!」
頭を下げて謝る兄。
さらさらの前髪が兄の表情を隠す。
「…なんで泣いてるの?お兄ちゃん?」
頭を振りながら兄はただただ震えながら泣いているだけで
何も言わない。
「またお風呂であわあわごっこしようよ、ね?お兄ちゃん?」
するとようやく顔を上げた兄の顔は涙でぐしょぐしょに濡れていた。
「…うん…。」
-4-
僕は明人を二度、殺したんだ…。
この手で…。
そう…この手で…。
射川竹人は自室のベッドに体育座りの格好をしてうずくまっていた。
もうとうに日が昇ったというのにパジャマのままだ。
と、ドアが優しくノックされて母が入ってきた。
「…竹人…お昼ご飯できたわよ?下に降りてらっしゃい?」
「…いらない」
「…でも…もうあれから全然食事してないじゃない。
栄養付けなくちゃ…ね?」
「いらないってば!」
思わず怒鳴る。
しかし母は諦めない。
「竹人!しっかりなさい!こんな竹人を見たら明人が悲しむわよ?!
今はつらいでしょうけれどそれは私もみんなも同じ…
辛い時こそ顔を上げなさい!わかった?」
「…もう…いいんだ。
アキがいないなんて僕は信じられない…
信じられない…
お願いだから少しそっとしておいて。
放っておいて…
お願い…」
最後の方は涙声だ。
すると突如インターホンが鳴らされる音が自宅内に響いた。
「あら?誰かしら?」
そういって母はパタパタとスリッパを鳴らしながら部屋を出て行った。
髪をクシャっとなでて僕は顔をやっとの事で上げる。
カーテンは閉じられ薄暗い室内。
天井を仰ぐ。
なんで…なんで大切な人がみんな死んでいくんだ?
夢の中の話とは言え
アキレス、リィーン…
そして現実世界では
大切な…、明人。
明人は…
この手自ら…
明人は…
この僕が…
僕が…!!
ボスッ!
枕を思い切り殴った。
なんてことをしてくれたんだ…僕は…
トントン。
再びドアがノックされる音。
また来たのか。
「ご飯いらない!」
そう叫んだが次の瞬間ゆっくりとドアが開く。
そこで僕は驚いて目を見開いて見せた。
なぜってドアの向こうに立っていたのは
天妙寺秋桜だったからだ。
な…なんで秋桜ちゃんが?!
秋桜ちゃんは制服姿のまま僕にかるく一瞥してみせた。
「じゃあごゆっくり」
そういって部屋へと案内した母は秋桜ちゃんが部屋に入ったのを見届けて
ドアを閉め下に降りて行った。
「…どう…して?…」
「竹人君…。」
桜色の唇が開いて秋桜ちゃんが言葉を発する。
鞄からなにかコブクロを取り出すとそれをもってベッドの脇に立った。
「これ…竹人君がなにも食べてないってせんせ…お母様から聞いて。」
「え?」
「紅茶のパウンドケーキ焼いてきたの。竹人君洋菓子好きって聞いたから。
お口に合えばいいのだけれど…」
そういってカワイイラッピングに包まれたコブクロを僕に差し出した。
それをそっと受け取る。
「カーテン、開けるわね?」
そういって秋桜ちゃんは窓辺に立つとシャッ!と音を立てて勢いよくカーテンを開けた。
次の瞬間僕は思わず目を細めた。
眩しい!!
冬の太陽はただただ白く光り輝きまっすぐにこちらへと届く。
秋桜ちゃんをその光が一気に包み込み
神々しく光って見せた。
その秋桜ちゃんがふたたびベッドの横に来ると膝を折って僕と目線を合わせて見せた。
そしてじっと僕を見つめる茶色い瞳は美しかった。
「…竹人君…私にできる事何かある?」
秋桜ちゃんの口調は滑らかだった。
そう…あの時山崎司と一緒に会話していた時と同じように。
何故?
「…傍にいて…」
ふわっと秋桜ちゃんを抱いて見せた。
「もう…誰もいなくならないでほしい…!
誰も、だ!
どうして僕の大切な人が、一人、また一人消えていくんだ…!?
もう…嫌だ…
秋桜ちゃん…君はいなくならないで?
傍にいて…お願いだから…
もう…
これ以上大切な人を失いたくない…」
「…私は竹人君にとって“大切”なの?」
「何言ってるんだよ!当り前じゃないか…
思わず抱きしめる腕に力が入る。
「…秋桜ちゃん…
君が好きだ!
好きなんだ!!
だから…だから…
僕の大切な人…
傍にいて…お願いだ…
でないと守り切れないよ…」
「……竹人君…」
そっと顔を離すと秋桜ちゃんの顔が目の前にある。
キラキラと十分すぎるくらい潤いをもった茶色い瞳の中に揺れる僕の姿。
真っ白い肌、
そして、
透明度の高い桜色の唇…。
どちらからと言う訳でもない。
気が付くと僕らはその唇を重ね合わせていた。
温かい…。
秋桜ちゃんの体温が僕の唇を通して流れてくる…。
温かい…
本当に…。
ああ…また泣きそうだ…。
ゆっくりと顔を離す。
そして秋桜ちゃんの両肩に手を置くと僕は決心したように言った。
「秋桜ちゃんは僕が守る!」
【続く】
2020/04/07




