廃校かくれんぼ
季節は夏。
セミがうるさく鳴く七月の終わり頃、都内に勤めている大竹悟は同僚二人と近くの蕎麦屋に昼食を食べに来ていた。
クールビズという事もあり三人は汗だくになりながらノーネクタイのワイシャツ姿をしている。
お昼時という事もあり店内は結構混んでいた。
「いらっしゃいませ。三名ですか?」
店に入ると女性店員が接客をしに来た。
結構若い女性店員だ。
「三人です」
「それではこちらにどうぞ」
眼鏡をかけた細身の長谷川俊太が答えると女性店員は三人をテーブル席へと案内した。
三人は席に着くとメニューを開いた。
値段は八百円や九百円、千円を超えるものまである。
手打ち蕎麦屋という事もありなかなか良い値段だ。
「それじゃ俺は天ざるにするわ」
初めにメニューを決めたのは悟だった。
千二百円とそれなりの値段がするが、それでも日々奴隷のように働いているのだからこれぐらいのご褒美があっても良いだろと天ざるを決めたのだった。
「それじゃ俺も天ざるにしようかな」
悟と同じメニューにしたのは俊太だった。
二人はあっさりとメニューが決まったが森山浩平はメニューを見て悩んでいた。
「どれにしようかなぁ」
食べたいものを選べば良いのだが、どれも良い値段がするので迷っていた。
そもそも三人は普段は安いお店で食事をしている。
今日は給料日だったので奮発しようという話しになり普段は来れないこの高い蕎麦屋に来たのだ。
だから迷う浩平の気持ちが二人には分かっていた。
「ごめんな。すぐ決めるから」
「別にいいよ。ゆっくり決めろよ」
「そうそう。蕎麦茶でも飲んで待ってるから気にすんな。それよりもこの蕎麦茶美味いな」
焦ってメニューを決めようとする浩平に二人は落ち着いて決めるように言った。
せっかく普段来れないような店に来てるのだからゆっくり決めても欲しかったのだ。
それに俊太はさっきから蕎麦茶に夢中だ。
テーブルの上に置かれた銀色のポットに入っている蕎麦茶を飲み干す勢いで飲んでいる。
確かに美味しいけれどそこまではまるものなのかと、美味しそうに飲んでいる俊太の姿を見ながら悟はそう思っていた。
「それじゃ俺は鴨せいろにするわ」
俊太が四杯目の蕎麦茶を飲み干す頃に浩平のメニューが決まった。
四杯目と言っても時間的には五分程度。
その時間で四杯も蕎麦茶を飲んでいたのだ。
メニューに夢中になっていた浩平はそのことには気づいていない。
このことを知っているのは悟だけだった。
「すみません」
蕎麦茶を飲んでいた俊太が店員を呼んだ。
店員が注文を聞きに来ると各々がメニューを注文した。
「それでは少々お持ちください」
そう言って店員が立ち去ろうとしたとき――。
「あ、すみません。蕎麦茶のおかわりをお願いします」
俊太が店員を呼び止めると蕎麦茶の入ったポットを差し出した。
どうやら中身をすべて飲みつくしてしまったらしい。
何も知らない浩平は平常だったが一部始終見ていた悟は唖然としていた。
店員はポットを受け取ると店の奥の方へと歩いて行った。
「そういえば浩平って最近動画配信始めたんだよな」
「え、そうなの?」
「あれ、悟は知らなかったのか」
メニューを片付けると唐突に俊太は浩平が動画配信をしていることを告げた。
浩平が動画の配信をしていることを悟は知らされていなかったのだ。
「なんだよ。言ってくれれば良かったのに」
「だってまだ始めたばかりだしな。それに配信と言ってもライブとかじゃなく撮影した動画を流してるだけだからな」
浩平は恥ずかしそうに頭を掻いた。
撮影した動画でも知り合いが配信している動画はやはり気になるもの。
悟が何の動画を配信しているのか聞こうとしたとき――。
「失礼します。こちら蕎麦茶になります」
さっき俊太がおかわりした蕎麦茶が届けられた。
「きたきた」
俊太は嬉しそうにポットを受け取りコップに蕎麦茶を入れるとそれを一気に飲み干した。
「今のを動画に撮ればよかったなぁ」
豪快に蕎麦茶を飲み干す俊太の姿を見て浩平は呟いた。
「そんな動画撮っても面白くないだろ」
「ハハハハハ……。はぁ」
浩平はから笑いをすると大きなため息をついた。
「ため息なんてついてどうしたんだよ」
「いやぁ。それが配信した動画の再生数がどれも思うように伸びなくてなぁ」
浩平は自分の動画が人気ないことを告白した。
そんな二人のやり取りを聞いていた悟は何の動画を配信しているのかが聞きづらくなりそのまま思いとどまった。
「それじゃとっておきの心霊スポットがあるんだがそこに撮影しに行かないか?」
動画の再生数が伸び悩んでいる浩平の様子見て俊太が提案した。
俊太は心霊などホラー系が好きなのでそういうオカルト話に詳しかったりしたのだ。
「今はちょうどそういう時期だしきっと再生数も伸びると思うぞ」
「心霊スポットか。確かにそういう動画も結構あるし良いかもしれないな」
浩平はその提案に乗る気満々でいた。
「ただ、そこは三人で行かないと意味がないんだよね」
「どういうこと?」
「そこでかくれんぼをしないと心霊現象が起きないってことさ」
「かくれんぼ?」
浩平は俊太の言っていることが理解できていなかった。
それは二人の話を聞いていた悟も同じだった。
心霊スポットと言えばその場所に行くだけで何かしらの心霊現象が起きるというのが定番。
それがかくれんぼをしないと心霊現象が起きないというのだから二人が理解できないのも無理はなかった。
そんな理解ができていない二人に俊太は説明をした。
心霊スポットがあるのはここから車で一時間ほど走らせた場所にある小さな山の中。
そこに今でも取り残されている廃校があり、深夜の零時から一時の間にそこでかくれんぼをすると心霊現象が起きるというのだ。
心霊現象の内容も同じ深夜の零時から一時の間に少女から電話がかかってくるので、電話が鳴ったら十コール以内に出て『もういいかい』と尋ねられたら『まぁだだよ』と答えないといけないというものだった。
電話に出なかったりちゃんと答えられなかった場合はどうなるのかまでは俊太も知らなかった。
ただそういう話しを小耳にはさんだという事だった。
「それ面白そうじゃん。ちょうど三人いるし、それに廃校というだけでも雰囲気はありそうだから再生数も上がりそうだ」
話は勝手に悟を巻き込む形で進んでいった。
こういうのは作り話というのがお決まり。
なので当然悟も浩平もこの話を信じてはいなかった。
しかし、再生数を増やしたかった浩平はこの心霊スポットの撮影をやる気満々でいた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
二人の話を聞いていた悟が物申した。
「なんだよ。もしかして怖くなったのか?」
俊太はニヤニヤしながら言った。
だが決して怖いとかそういうことで物申したわけではなかった。
「いや、協力するのは良いんだけれどさ、動画を撮影するカメラは持ってきてるのか?」
「それならいつも持ち運びしてるから大丈夫だ」
浩平はいつでも面白い動画が撮れるようにと毎日愛用のビデオカメラを持ち歩いていた。
しかし、さすがに社内に持ち込むことはできないのでカメラはいつも車の中に置いているのだ。
その為だけに毎日車通勤をしたいたのだった。
「それなら良いんだけれど、いつ撮影するんだ?」
「そうだなぁ――。それじゃ今夜なんてどうだ? 明日土曜で仕事も休みだし、どうせ今日は残業で遅くなるだろ」
今日は週末の金曜日。
明日は土曜で休みだから夜遅くても問題ないと俊太は考えた。
それに今日はいつも以上の仕事量が舞い込んできている。
本日の残業は必須事項となっていたのだ。
「俺は別に構わないけれど浩平はどうなんだ?」
「俺も問題ない!」
聞くまでもなく浩平のやる気は満々だった。
「それじゃ決まりだな。結構は今夜だ」
こうして悟たち三人は今夜心霊スポットの撮影をすることに決めたのだった。
三人は昼食を食べ終えると職場に戻り山積みになった仕事を片付け始めた。
定時を過ぎても仕事は終わらず、案の定残業となった。
「はぁ。やっと終わった」
仕事が終わった悟は缶コーヒーを一気に飲み干すと肩を回した。
時間を見ると二十一時を五分ほど過ぎていた。
パソコンの電源を落とすと二人の様子を伺うと楽しそうに会話をしている。
「お、仕事終わったか。お疲れさん」
悟が自分たちの方を見ていることに俊太が気付き声をかけた。
二人は既に仕事が終わっていて悟の仕事が終わるのを待っていたのだ。
「それじゃ行こうか。お先に失礼します」
「お先に失礼します」
俊太が挨拶すると二人も少し遅れて挨拶をして職場を後にした。
心霊スポットまでは浩平の車で行くことになっていた。
悟と俊太は電車通勤だったが、俊太が浩平の車を運転して行く事になったのだった。
三人を乗せた車は国道を走っていた。
助手席には浩平。そして後部座席には悟が乗っている。
時間はまだ二十二時前。
今から言っても早く着いてしまうという事もあり、ファミレスに立ち寄って時間つぶしを兼ねて夕食を取ることにした。
立ち寄ったのは国道沿いにあるファミレスだった。
「結構いい値段するなぁ」
メニューを見て悟が呟いた。
昼の蕎麦屋ほどではないが、それでもどれも千円近い値段だ。
その中からハンバーグとライスを頼んだ。
二人もこんな値段したっけという顔をしながらメニューを決めている。
ファミレスはあまり来ないので三人とも感覚がずれていたのだ。
二人のメニューが決まると、ここでも俊太が店員を呼んで注文をした。
もちろん時間潰しに欠かせないドリンクバーも。
「そろそろ時間か」
俊太がスマホで時間を確認して言った。
いい大人が三人たわいもない会話とドリンクバーで一時間半ほど時間を潰すと会計を済ませ車に戻った。
国道を走らせていた車は途中路地のような暗い細道に曲がり入っていく。
細道には電灯などはなく明かりは車のヘッドライトだけだった。
そのまま走らせていくと前方に山のような影がうっすらと見えてきた。
「見えてきたぞ」
俊太がそういうと悟はあの陰になった山が目的地だという事を確信する。
だがその山は悟が想像していた以上に小さい山だった。
「着いたぞ」
山のふもとにある広場みたいなところに着くと俊太は車を広場の端の方に止めた。
時間は二十三時四十五分。
三人は車から降りた。
もちろん浩平の右手には愛用のビデオカメラがしっかりと握られていた。
車のライトが消えると辺りは真っ暗で何も見えない。
「こっちだ」
俊太はスマホの光をライト代わりに山に入っていった。
悟と浩平も自分のスマホの光をライト代わりに俊太の後を追う。
五分ほど登ると開けた場所に着いた。
そこには窓は割れボロボロに朽ちた建物らしき残骸が残っていた。
いかにも何かが出てきそうな雰囲気の場所だった。
「ここだ」
俊太は二人に振り向きながら言った。
幽霊は信じてはいない悟だったがこれはさすがに恐怖を感じていた。
一方そんな悟とは正反対に浩平は何かを期待するような表情をしていた。
それから三人は再度電話が鳴った時の対処法を確認した。
信じてはいなかったが一応念のためだ。
そして深夜零時。
廃校かくれんぼが始まった。
初めの鬼は悟だった。
悟は木造で出来た廃校になった校舎らしき建物を正面に十数えだした。
「もういいかい」
「まぁだだよ」
悟はもう一度十数えなおした。
「もういいかい」
「もういいよ」
二人が隠れ切ったことを確認して探しに行こうとした瞬間。
右肩に何か冷たいものが乗ったのである。
まるで氷のような冷たさだ。
そしてなぜか金縛りにあったかのように体が動かない。
次第に全身に酷い寒気が走る。
まるで高熱を発症した時のようなひどい寒気だ。
次第に冷や汗も出てくると誰かが耳元で囁いた。
「もういいよ。アハハハハ」
聞き覚えのない少女のような声が不気味な笑い声と一緒に聞こえたのである。
次第にその笑い声が消えていくと悟の体は動くようになった。
勢いをつけて後ろを振り向くがそこには誰もいなかった。
悟は恐怖を感じ始めた。
「おーい! 二人とも出てきてくれ!」
悟は二人を呼んだ。
だが二人は出てこない。
かくれんぼ中なのだから当然だ。
「頼むから出てきてくれよ! 本当にここヤバいんだって!」
何度も必死に叫ぶ悟。
そんな姿に見かけた二人は悟の前に出てきた。
「いきなりどうしたんだよ」
俊太と浩平は呆れた顔をしている。
だが悟の様子がおかしいことに俊太が気付いた。
「お、おい。大丈夫か――冷たっ!」
ガタガタ震える悟の手を掴んだ瞬間あまりの冷たさに驚きすぐに手を離した。
まるで真冬の大雪の中から帰ってきたばかりのような冷たい手をしていた。
「撮影は中止だ! 今すぐここを離れるぞ!」
「わ、分かった」
嫌な予感がした俊太が早口口調で言った。
俊太の尋常ではない様子に浩平もすぐに従った。
三人は急いで山を下りるとすぐに車に乗り国道に向かった。
悟の様子を見るため浩平も一緒に後部座席へと乗り込んでいた。
国道を走らせあの山から離れると悟の症状も次第に良くなっていった。
「あ、ありがとう。もう大丈夫だ」
「いったい何があったんだよ」
車を運転しながら俊太が質問した。
悟は金縛りにあったことや少女の声がしたことなどあったことをそのまま説明した。
「マジかよ……。あの話本当だったのかよ……」
心霊などホラーの話しが好きな俊太もさすがに言葉を詰まらせた。
そのまま言葉を発することなく三人は無言のまま車を走らせた。
さすがに終電ももうない時間帯だったので車で直接家まで送ってくれることとなった。
「あ、うちここだから」
初めに向かったのは悟の家だった。
悟の家は二階建ての小さなアパートだった。
そのアパートの2階に住んでいる。
時刻は既に一時を過ぎていた。
「送ってくれてありがとう。二人とも気を付けて帰ってな」
そう言って車から降りようとしたとき――。
「あ、もしかしたら電話がかかってくるかもしれないから気を付けてな」
俊太は念のために忠告をした。
「分かってる。それじゃまた月曜な」
悟は二人に挨拶すると車を降りた。
アパートの階段を上がり自室に入ると急いで家中の電気をつけた。
あんなことがあったばかりなのだから無理もない。
寝服に着替えるとそのまま電気を消さずに布団の中に入り込んで目を強く瞑って寝ようとした。
だが、なかなか寝付くことができない。
何度も目が開いてしまうのだ。
「あぁ! 眠れない!」
布団から起き上がるとスマホをいじり動画サイトの動画を再生する。
動画を見て気分転換をしようとしたのだ。
だが余計に目が冴えてしまい気づけば窓からは日の光が舞い込んでいた。
結局この日は一睡もできなかった。
せっかくの休日である土曜日だったが、この日は外出する気も起きず一日動画サイトを見て過ごした。
食事は朝昼夜の三食ともカップラーメンで済ませたのだった。
しかし、夜の二十二時四十五分。
一睡もしていなかったから突然激しい睡魔に襲われた。
――マズい。今寝たら絶対に起きれない!
もうすぐで深夜の零時。
何が何でも起きなければと閉じそうな目蓋を必死に抑える。
だが睡魔には勝てずそのまま床に横になり深い眠りに入った。
しばらくすると聞き覚えのある音で悟は目を覚ました。
それは悟のスマホの着信音だった。
ハッとし急いで電話に出ようとしたが出る前に着信は切れてしまった。
時刻は零時四十三分。
着信履歴を見ても相手の電話番号は何も表示がされていなかった。
普通着信履歴には相手の電話番号や非通知などが残るはずなのだが何も表示がされていない空白だったのだ。
「な、なんだよこれ」
悟は急に恐ろしくなり俊太に電話をしようとした。
だがスマホを持っている手が動かない。
また金縛りにあったのだ。
そして今度は声までもが出なくなっていた。
耳元には何かひんやりとしたものを感じる。
だが体が動ないので確認ができない。
そして耳元であの聞き覚えのある少女の声が小さく囁かれた。
「見ぃつけた」
この日を境に大竹悟という一人の男性の姿が消えた。
しかし、捜索願が出されることや事件性になることはなかった。
なぜなら、彼の存在そのものが人々の記憶から抹消され存在しなかったことになったからである。
俊太と浩平も廃校かくれんぼをしていこと自体の記憶が消えていて、その日何をしていたかは思い出せないでいた。
だが二人はただ思い出せないだけだと気にすることはなかった。
そして、職場の悟の席になぜパソコンなどが用意されているのかと誰もが不思議に思いながらも全て片付けられることとなった。