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       雑魚戦闘員<後編>

「バカな! 僕はただ、ネコと遊びたくて来ただけだぞ! なのにどうして、こんな」

 そう言いかけて、男は出そうとした言葉を飲み込む。

 一度息を整え、最前言おうとした言葉のかわりに、

「そいつは犯罪者だ! 理由も無く刃物を持っている奴は、銃刀法でしょっ引かれる!」

 望田は、法に明るい業種の人間だ。かなり言葉は崩しているが、その指摘は微塵も誤っていない。

「ええ、それは当店としても存じております。

 しかし見た所、彼の持っているナイフ……刃渡りが六センチより短いようですね。銃刀法の第二十二条には抵触しないはずです」

 対する彩夏店主も、淡々と返すが、

「軽犯罪法第一条二号! 正当な理由なしに刃物、鉄棒、その他、とにかく凶器になりそうなモンを持ち歩く奴は、しょっ引かれる! そいつを家からこの店まで隠し持ってた時点で、この男の罪は明らかだ!」

 ナイフ男を逆上させてしまう気遣いは無いのだろうか。望田は、興奮もあらわに、しかしナイフ男を社会的に抹殺せんと弁舌を荒げた。

 が。

 銃刀法に触れずとも、軽犯罪法には触れる。

 ナイフ男が犯した、明らかなミス。

 そんな事、彩夏店主にはとっくにわかっている事だった。

「いいえ、彼がナイフを持つのは“業務”の範疇です」

 彩夏店主は、なおも切り返した。

「リンゴ……リンゴを、滅多刺しにする事がか!? そんな業務があるもんか!」

「いいえ、彼がリンゴを刺すのは業務なのです。

 私が――ネコカフェ“こはく”が、フルーツカットの実演を“希望”しておりまして。彼はその希望に沿って下さったのです」

 望田は、信じられない、と言った面持ちで足元をもつれさせた。

 仮にも一見では無い客の自分を差し置いて、子供の屁理屈のような物言いでナイフ男の方を弁護するなどと。

「彼のフルーツカット実演は当店の総意です。承服できないのであれば、ご退出を。

 望田様であれば、当然“契約自由の原則”はご存知ですよね?」

 客は店を選ぶ自由がある。

 店は客を選ぶ自由がある。

 望田は、今や額に脂汗が滲むほどに狼狽していた。

 どうする? ここで引き下がるのは、非常に嫌だ。

 だが。

 フルーツカットの実演、と店主のお墨付きを与えられたナイフ持ちが、自分を襲わない可能性は?

 ……ゼロでは無い。

 望田の命は、一つしかないのだ。

 例え〇・〇〇〇〇一パーセントの確率であろうと、この白い首筋に刃物を突き立てられる可能性があるのなら。望田のただ一つしかない人生は、そこで途切れてしまうのだ。

 得体の知れない人間が刃物を手にしていて、死の可能性を完全に否定できるほど、望田は他人を信じてはいない。

「……金は返してもらえるんだろうな?」

 望田は、自分の腸をねじ切らんばかりの憎悪を込めて吐き捨てた。

「はい。望田様は、当店に支払った二五〇〇円の対価を受け取っておりませんから」

 聖母のように柔和な笑みを浮かべ、彩夏店主はそう言った。

 かくして、刃物を持ちこんだ男がそこに残った。そして、善良な筈の客が、店主によって追い落とされた。




 ナイフ男は、先程とは打って変わり大人しくしていた。

 それどころか、再び足元にすり寄って来たひすいの顎を、丁寧に撫でさすっていた。

 他のネコ達――アメリカンショートヘアやソマリ、ペルシャ、メインクーン、マンチカン等々――は、遠巻きにその様子を観察しているか、そもそも寝ているかだ。

「まあ、あいつは、組の中では雑魚だと思うよ」

 側に立つ彩夏には目も向けず、ひすいとの逢瀬を堪能しながら陰気そう“だった”男は言った。

「多分、僕を用心棒的なアレだと思い込んで、南郷の事務所に駆け込んだと思うよ。

 今後は、もう少し賢かったりやばかったりするのを仕向けて来るかもね。ナイフをちらつかせただけじゃ、逃げないような奴らをね」

 最前までのチンピラじみた口調はどこへやら、柔らかな声音でそんな事を言った。

「本当にありがとうございました」

 そんなナイフ男に、彩夏は深々と頭を垂れた。長い黒髪が、持ち主の挙動につられて、さらりと流れる。

「僕は別に何もしてないよ? フルーツカットを実演していただけだからね」

 ナイフ男は、満足そうな微笑を返すだけだ。

「しかし、僕のあの態度を“フルーツカット”と言ってのける、あなたも凄いよ――っと、今のは失言かな?」

「いいえ、今のは良く聞こえませんでしたから」

 望田は、一見の客では無い。何度か“こはく”に訪れている。

 ちゃんと、一時間を滞在する為の代金・二五〇〇円は支払っていた。

 店の物を壊す事も無いし、従業員やネコに直接危害を加えたわけでも無い。声を荒げて恫喝するような事もしない。

 ただ。

 望田の近くに寄ったひすいが、一度、不調を起こして倒れた事があった。

 横倒しになって微動だにせず、嘔吐まで始めた黒猫の容体。

 彩夏は、従業員達に留守を託すと、一目散に動物病院へと駆け込んだ。

 診断の結果は、俗にいうタマネギ中毒。

 タマネギのみならず、長ネギやニンニクに含まれるアリルプロピルジスルファイドは、イヌやネコにとっては毒物だ。その成分が赤血球をダメにする事で、溶血性貧血を引き起こすためだ。

 最悪の場合、血中のカリウム濃度が必要以上に上がり、死に至る。

 当然、そんなネコにとって剣呑な物を“こはく”のネコちゃんルームに置くわけがない。

 となれば、外部から持ち出されたという事だ。

 が、玉ねぎの塊を堂々と持ちこむような客は、勿論有り得ない。

 ただ、こういう事実は存在する。

 望田は、身なりの清潔さに無頓着な男だった。

 口許は常に、直前の食事でついた食べカスがあったように――。

 零れ落ちた食べカスは、服にも付着していた。

 大袈裟な程に大きなハンバーグの“欠片”がこびりついていたとしても、不思議に思われる事は無い。

 彩夏はともかく、那美たちのように、警戒心が築かれている優秀なスタッフでも見逃しかねない程に。

 ……犬猫のタマネギ中毒に関しては、個体差による所が大きい為、致死量の定説は無い。だから、ハンバーグに含まれる刻みタマネギ程度の量で、致命的な症状を引き起こす個体も居るはずだ。

 まして、服の食べカスに頓着しない男が、ポケットに“たまたま迷い込んだカレーの具材”を省みるとも、考えにくいだろう。

 “真実”はこの際問題では無い。現実に残るのは、“事実”だけだ。

 善良な客が“たまたま”ネコに食べカスを食わせてしまった事も、善良な客とフルーツカットの男が“たまたま”同席してしまった事も。

 どちらも、事実なのだから。

「ま、あいつの仲間が来ようが来なかろうが、僕には関係ない事かな。何せ、一時間経ったからね。帰らなきゃ」

 そうだ。この男との契約は、一時間きり。

 彼が延長を希望しない限り、これでお別れとなる。

「ご利用、ありがとうございました」

 彩夏店主は、もう一度――今度はビジネスライクに――お辞儀をした。

「僕のせいで、奴ら、ますます私怨をつのらせるかもしれないよ?」

 “ナイフ男”にも、その自覚はあったらしい。

 これまで、反撃らしい反撃をしてこなかったネコカフェ“こはく”の一同であったが、彼の行動は店ぐるみのものと受け取られても無理はないだろう。

 そうすれば、南郷組の報復がますます苛烈を極める事は想像に難くないが。

「私には、心強い味方が居ますから」

 この店を見捨てず、共に働き、戦い続けてくれた従業員達。

 彼女らとの絆は、普通の雇用者・被雇用者では有り得ないほどの強さを持つ。

 それに。

 ヒーローは、変身前の正体を人に明かすわけにはいかない。

 少女の頃、そのルールを知った蓮池彩夏は、物言わず去りゆく男の背中を、ただの客として見送った。

【次回予告】

 真面目に経営しているだけのネコカフェを、狡猾な手口で追い詰めようとするヤクザ者ども。

 イエネコの愛らしい姿も、彼らの心には響かないのだろうか。


 “タマネギ使い”の敗走を知った悪の組織は、一考の末に次なる刺客を差し向ける。

 “こはく”を襲う新たな悪党に対し、サイコブラックは“改造人間”の行使を決心する――!


 次回・第003話「ネゴシエーター」


 ……悪党は(手を汚さずに)排除する。

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