彩られた夏の日<後編>
場所は、“こはく”から更に坂を上って、丘の折り返し地点にある公園だった。
立ち並ぶ葉桜が、傘となって、陰を作ってくれている。
それでいて、柔らかな日光が充分に行き渡り、陰気な暗さは無い。
風通しもよく、この場所だけが五月に戻ったかのような心地よさだ。
彩夏は、白を基調とした夏用ワンピース姿だった。
黒いリボンのついた麦わら帽子をかぶっているのは、UV対策だろうか。
トレードマークのメガネは外して、コンタクトレンズを付けているようだ。
「うーん。彩夏さんがワンピース、と言うと、この前のサイコオニキ」
「止めなさいそれ以上は」
「ごめんなさい」
一瞬、(白井の)肝を冷やすやり取りから始まったものの、ピクニックは和やかにスタートした。
至って普通の光景だ。
ベーコンとキノコや、タコス風のラップサンド。(パン屋でよくある、外国の新聞紙のような包装紙で巻いてある)
自作で腸詰・燻製したソーセージ。(プレーン、バジル、白など、バリエーションあり)
ケーキのような形に焼いた、卵焼き。(プレーン、ハムサンド、チーズサンドなど、バリエーションあり)
透明な瓶に、色とりどりの野菜やドレッシングを層分けしてパフェのようにした、ジャーサラダ。
甘辛く仕上げた薄切り肉でご飯を巻いた、肉巻きおにぎり。
フリルレタス・アスパラ・輪切りにしたミニトマト・ベーコン・モッツァレラチーズを、一本のバゲットに挟んだ、ダイナミックなサンドイッチ。
などなど。
白井が言った通り、ピクニックならではの多種多様なメニューが、シートの上に展開された。
スタッフ達も白井も、あらかじめ餓えた状態で、このピクニックに臨んでいた。
空腹こそが、最高のスパイスであると言ったのは誰だったか。
缶ビール、あるいは缶チューハイを片手に、六人は思い思いのメニューに手をつけている。
彩夏としては余裕を持った量を作ったつもりだったが、どうやらあと数分後には何も残らないようだった。
ある程度腹が満たされてくると、他愛も無い会話が交わされるのみ。
至って普通の、光景だ。
これまでも、彩夏は普通に生きてきた。
そのつもりだ。
――気持ち悪い。
彩夏が中学の頃、そう言ってきたのは実の父だった。
――人の心を覗き見しているみたいで、お前は気持ち悪いんだ。
……父の幸福度を著しく下げてしまった。次からは反省しなければ。
――お父さん今、仕事で気が立っているから。気にしないで、ね?
母は、いつだって彩夏をかばってくれた。
だが、その顔は、終わりの見えない不幸に疲れ切っている。
……母の平均幸福度が危険水準だ。
何とかしなければ。
大学進学を機に、彩夏は二度と親元には戻らなかった。
……何もかも“余所の子と違う”娘を持ってしまったのが原因だ。私が居る限り、家族は修復不可能になる。
両親とは、今も会っていない。
学費を全額返した、金のやり取りを最後にして。
さかのぼると、中学の頃になる。
――学年トップの余裕ってやつ? 皆に教えてやるのはそりゃ良い事なんだろうけどさ、センコー気取りかよ。
……皆の成績が上がれば、皆が幸福になると思って、アドバイスをしてきたけど。
……結果的に失敗した。その行動自体が、皆の幸福度を下げては意味がない。
――彩夏ってさ、何か重いんだよね。ウチらの為にしてくれてるのはわかる分、肩張っちゃうんだよ。
そう言って、ごく親しい友人たちは、いつしか離れて行った。
……私は、彼女達の不安や悩みさえ無ければ、彼女達が幸せに専念できると思った。
……それを出来る立場にある人間が行動して、マイナス要素を取り除く事が、人間として当たり前の事だと。
……しかし加減を間違えたようだ。今後は、問題の属性にも注意を払って、介入しない選択肢も入れよう。
いくつもの喪失を経て、彩夏は成長していった。
ただの幸福測定マシーンでは無く、関わった者を的確に幸福の状態へ調整できる、調律機能を備えて。真の幸福実現マシーンへと。
……。
かつて住んでいた蓮池家は、飼いネコを絶やさない家だった。
彩夏にとってネコは、接していて最も幸福な相手だった。
ネコは、俗に言われている通り気まぐれだ。
そして、俗に言われているような、薄情な生き物でも無い。
ネコは、いつも自分の幸福に素直だ。
嫌な事はしたがらないし、欲しい物は全力で受け取ってくれる。
彩夏の幸福度が低い時は、不思議と寄り添って、値を上げようとしてくれる。
真っ白なラグドールを膝上に乗せて、ただただぼんやりと、無為に時間を費やす。
それだけが、彼女に許された、自分の為の時間。
家のネコと過ごす時間だけが、彩夏にとっての幸福となっていた。
だから、ネコカフェを自分で開いた。
ネコが好きだから、仕事にした。
それはごく平凡な動機。
普通の人にありがちな、少しだけ甘い願望を、それでもやってみた結果。
ごく普通に生きて、ごく普通に働いて納税して。
そのうち、自他の幸福度を高く保つための、的確なコツもつかめてきた。
こうして、ごく普通に気心の知れた仲間とピクニックを楽しんでいる。
……私は、普通に生きてきた。
けれど。
その事で今、スタッフ達を大きな危険に巻き込もうとしている。
どこかでまた、計算を間違ったのだろうか。 ……私が生きて居る事自体が――
子供の頃から学生時代までと同じように、失敗しているのだろうか。 ……罪だとするなら――
今度も、改善すれば乗り切れるのだろうか。 ……どれだけ直そうとしても――
「南郷の嫌がらせがなくなってから気付いたんですけど、白井さんってほんとに空気読めない人ですよね」
先週の誕生日でめでたく酒を解禁された明日実が、切れ味鋭く白井を糾弾している。
満たされた笑顔で。
「僕は、その手の同調圧力が嫌いなんでね。
むしろ、あえて空気を読まない事もするよ」
少しも悪びれない彼の切り返しに、直子も那美も、友香も笑っている。
少なくとも。
今日この時、この場所。
緑に彩られた初夏のここは、とても幸せな空間に違いない。
身近な人たちが幸せなら、彼女も幸せだった。
けれど。
それを守る為には、
「ねえ、真吾さん」
白井が、缶ビールをすする口を一瞬止めた。
「……? どうした、彩夏さん」
彩夏は、次の言葉を口に出来ずに黙った。
……私は、貴方を。
「いえ、済みません。私も明日実ちゃんに続いて真吾さんをからかおうと思ったのですが、良い言葉が浮かびませんでした」
「なーんだ、告る気かと期待したのにぃ」
すっかり泥酔して、呂律の怪しい友香がはやしたてた。
告る、か。
言いたい事がそれなら、どんなに良かった事か。
……真吾さん、私は、貴方を。
「慣れない事はしないものですね」
平然と、いつもの平坦な調子で彩夏が言うと、場の話題はまた、取り留めのないものに戻った。
「ねえ、何かミニゲームやりません? 負けた人が、店に来た南郷さんにキモいって罵る、罰ゲームつきぃ」
「那美さん、あなたすでに、それやっちゃってるじゃない。
自分だけペナルティの無いゲームを仕込むのってどーよ?」
喋りはへべれけだが、友香は、仕組まれた陰謀を目ざとく看破した。
そんなスタッフ達の姿を見て、彩夏は慈母のように微笑むだけ。
……白井真吾さん。
……私は、貴方を。
……完全な味方だとは思って居ません。
……状況を鑑みて、彼女達を護る事と秤に掛けた結果です。
……ここから先の戦いに、万が一は許されないのです。
……散々、無償で助けて頂いたのに、
……命まで賭けて下さったのに、
……貴方からは、沢山の幸せを貰ったのに、
……それでも。
多分、人から向けられた善意を疑うほど、人として最低な行為は無い。
……私は最低な人間です。
……本当に、御免なさい。
……ごめんなさい。
【次回予告】
ついに結社から、ヒーローの刺客が放たれる。
だがそれは、これから起こる過酷な戦いの前哨戦に過ぎなかった。
自らもヒーローに属するサイコブラックに、“こはく”を護る義務はもう無い。
果たして、彼は本当に彩夏の味方なのか?
次回・第009話「サイコブラックの弟子」
……皆が何をそんなに一生懸命なのか。僕には、まるでわからない。




