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第002話 雑魚戦闘員<前編>

 闖入者の要求“監視カメラの増設”を前向きに検討すると告げた途端、サイコブラックはあっさりと店主を解放。そのまま去って行った。

 悠々自適と、あのままの格好で。

 性質の悪い夢だったのだろうか。“こはく”の店主も店員二人も、そう思わずにはいられなかった。現実感が乏しく、命が助かったと言う安堵さえどこか希薄だ。

 さて、どうしたものか。彩夏(さいか)は、立てた人差し指を頬に添えて一考する。


 ネコカフェ“こはく”は、県指定暴力団・南郷(なんごう)組による数々の嫌がらせを乗り越えてきた。その為か、店主も店員も、ある程度肝が据わってはいた。

 だから、自称・正義のヒーローの事も通報しなかった。

 この区域の所轄に属する警察は、件の南郷組と癒着し切っている。被害を訴えたとしても、法を盾にした屁理屈でかわされ、何もしてくれない。

 そうした経緯から、“こはく”は、南郷組の行為を理由に店を休業する事は無い。

 脅しに屈した所で彩夏と従業員の安全が確保されるわけでは無いし、弱気を見せれば、かえって嫌がらせがエスカレートすると判断した。

「本当に、御免なさい。危ない事に巻き込んで」

 彩夏が、従業員の二人に言った。

「それは言わない約束ですよ。あたし達みんな、彩夏さんには返しきれない恩があるんですから」

「そうですよ。“こはく”が単なる勤め先なだけだったら、とっくに逃げてます」

 掃除の手を止め、咎めるように食い下がってきた二人に、彩夏店主は、困ったような笑みを返した。

 そう、こんなヤクザ者どもに狙われた店に、それでも居続けてくれるのは、彼女達自身の意思だった。

「例のヒーロー、後でまた来るって言ってましたね」

 まだ、目元を赤らめた那美が、声を沈めて言う。そこに含まれた意図を、彩夏は正確に読み取っている。

「何もせずに素直に帰って行ったのは、(かえ)って怪しいけれど……もしかしたら、南郷さん達を、本当にどうにかしてくれるのかも。少しくらい、希望は持ちたいね」

 彩夏が代弁してくれた事に勇気付けられ、那美は大きく頷いた。

 元より、一方的にやられ続けていた。そして、どんな刺客が来ても耐えてきた。

 今のところ、従業員の命もネコの命も、全て守り抜いて来ている。

 今さら、敵にオペコットスーツの男一人が現れた所で、負けるつもりも、狼狽(うろた)えるつもりもなかった。

「さ、那美ちゃん。入り口を開けて来て。開店しましょ」




 入り口の鍵を開けるや、一人の男が足早に入店してきた。

 ――客では無い。

 彩夏は、即座に直感した。

 刺客かどうかを一目で気付けなければ、従業員とネコ達を守れない。

 蓮池彩夏の感性は、今や、多くの“出入り”を経験した暴力団員やベテラン傭兵にすら匹敵する鋭利さと豪胆さを得ていた。

 元々、修羅場を渡り歩く才能があったのかもしれない。……もっとも、腕力の面では、か細いインドア派の女でしかないのだが。

 ともあれ、入店してきた男を観察しなければならない。

 男は若い。なおかつ、受付へと歩いてゆく振る舞いには社会馴れした気配を纏っている。二十代半ば~後半と言った所か。

 弱い癖のついた髪を、暗い茶色に染めている。

 服装も、特筆すべき所は無い。チェック柄のシャツとチノパンと言う出で立ちで、アクセサリーなどは着けていない。

 だが、表情はやや暗い。

 そう思わせる理由は、痩せぎみの頬と虚ろな目つきのせいだろうか。

 近年の暴力団員は、地味な外見の者が多い事を彩夏は思い知らされていた。

 一応、男一人の来客もそう珍しくは無い。

 確かに来客数の割合としては、女性客・カップル・親子連れが圧倒的だ。

 しかし、男性客の常連はコアなネコ好きが多い。

 ライトな客もコアな客も。彩夏店主は、この三年の経営で数多くのネコ好きを見てきた。

 だから、その客がネコとの触れ合いに癒しを求めているか否かは、彩夏には一目でわかる。

 ――この男は、きっと違う。

 受付の那美が、男に対応する。

 彼女も店主と同じ予感を抱いたのか、普段客に向けているそれよりも、表情がかたい。

「まず、貴重品をロッカーに入れてください。次に、専用のスリッパに履きかえてください。その後、あちらの洗面台で手を消毒して、ネコちゃんルームにお入りください。

 一〇時二五分の入室となりますので、一一時二五分までご利用できます。一時間の延長ごとに五〇〇円の追加料金がありますので、ご了承ください」

 男は、ボソボソとした声で応じると、一応は那美の言う通りに動く。

「あっ。貴重品を入れたら、そちらの係りの者に施錠を確認してください」

 那美が、あたかも今思い出したかのように付け足した。以前、ロッカーの鍵が壊れていて、貴重品が紛失したというクレームがあった為だ。

 その時の“客”は「裁判だ、裁判だ」と聞こえよがしに喚き立てていた。予防線は入念に張っておかねばならない。

 男は素直に応じると、何の感情も浮かべずにネコ部屋へ入る。ネコカフェよりも、病院の待合室が相応しい面差しだった。

 控え室からネコ部屋へとネコ達を誘導し終えた彩夏は、来客に対して涼やかに挨拶をしてから、窓越しに受付のスタッフへ目配せをした。

 本日の人員は、彩夏を含めて三人。ネコ部屋から片時も見張りを欠かさないようにスケジュールを運ばなければ。

 ネコ部屋に放たれた八匹のネコ達は、思い思いの場所で思い思いの動きを見せていた。

 民家のダイニングを思わせる広間。中央にはキャットタワーが聳えている。大きなガラス張りの窓があり、そこから受付や外の様子を窺える。

 北側の大窓からは朝の街並みを一望できる。

 濃淡様々な水色の雑ざり合う快晴の空。

 整然と並んだ木々の新緑。

 舗装されて日の浅い、アスファルトのダークグレー。

 陽光を反射して、乳白色に輝く家々。

 朝が持つ、光と色の微妙な調和は、どこまでも目に優しい。

 勿論、この場所は夜景も好評だ。

 丘の上の閑静な住宅街という立地だからこその景観と言える。

 男は、ソファに座ったきり、ネコに構う様子がない。外の景色に頓着しているわけでも無いようだ。俯き加減に座しており、長めの前髪を垂らしている。

 そして。

 彩夏の顔に、思わず緊張が走った。

 黒猫が一匹、男の足元に擦り寄ってきたからだ。

 一口に黒猫と言っても、黒一色の被毛を持つものは、意外と少ない。遠目では黒一色に見えても、薄らシマ模様の入った黒トラや、光の加減によって赤みがかった毛並みのものも居る。

 だが、今、男に寄ってきたのは、頭から爪先まで黒単色のネコだった。

 彩夏は彼女に“ひすい”と名付けていた。目が、翡翠のようにくっきりとした緑色だからだ。

 “こはく”では唯一血統書を持たない雑種(ミックス)。典型的な和猫の、丸い顔立ちをしている。

 絹のように艶やかな細毛。

 覚めるような新緑の目が、闇色の毛並みによく映える。

 そして何より、初めての客であっても分け隔てなくなついてくれるので、自然と情が移る。

 それ故に。

 ――お願い、ひすい。その男から離れて。

 “こはく”の女達は、内心で念じる。

 誰にでも懐くひすいは、当然、南郷組の刺客に対しても例外ではない。

 ――その男から逃げて。

 だが、人間の思考が、ネコに届くはずも無く。いや、人間の心を読んだ上で(あま)邪鬼(じゃく)に振る舞っているかのように。ひすいは、すっかり男の脛に執心している。頬を擦り付け、強固に所有権を主張している。

 それでも男は、ひすいを一顧だにしない。

 ネコカフェに来ておきながら、ネコの存在を無視する。かと言ってドリンクに手を付けるわけでもない。

 この店のフードは、彩夏の手料理であり、下手な飲食店よりも味に定評がある。ネコそっちのけで食べにくる客も、居るには居る。

 だが、この男と言えば、食べ物を注文をする気配も無かった。もはや客では無い事は火を見るより明らかだった。

 そして、男が動いた。

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