1-25『豹変』
入浴後、さっぱりとした気分で自分の部屋へと戻ったのだが、まさかの状況が待ち受けていた。
「お邪魔してるのじゃ」
「……なんで居るんだ?」
部屋へ戻ると、俺の寝床たるベッドの上にリーザが陣取って寝そべって漫画を読んでいた。
お約束通りと言えばそうなのだが、この場合、どう判断すれば良いのか迷う。
「ユメ姉様はすぐに就寝すると言うし、横で漫画読んでいたら邪魔になると思ったんじゃもん」
「俺も寝るんだが」
確かに自室で自分が寝るって時に横で漫画読まれてたら気が散って寝れないかもしれない。
その配慮は正解なんだろうが移動先も同じ状況なのは分かってるよな?
「そんなことよりもじゃ!!」
「な、なんだよ」
本末転倒な配慮をそんな事と一蹴しつつ、ガバッと身体を起き上がらせてリーザは言う。
「妾、ここに住む!」
「…………」
なに言ってんのこの子。
「この家の子になりたいと?」
「違うのじゃ、この部屋に住むのじゃ!」
再びなに言ってんのこの子。
「知らなかったり欲しくても手に入らず諦めるしか無かった漫画と小説がたくさんあるのじゃ、こんなの住むしかないのじゃ」
「いやその理屈はおかしい」
だいたい予想はしていたが、このリーザという子は重度のオタクらしい。
だよね、そうでもなきゃカラコン仕込んでオッドアイとかしないよね。知ってた。
だがそれが理由で俺の部屋に住むとかのたまうのはおかしい。ラノベヒロインでももう少し脳ミソ使って発言するわ。
「あのなリーザ、別に好きな時にいつでもここにある漫画やラノベは読んでも良いけどな、そういう変な事を言うのは良くないぞ、俺が変な人だったら大変な事になるからな?」
俺がシスコンの鬼畜なお兄さんだったらどうするつもりなのか。朝チュンなんてレベルの事態じゃねえぞ。
「むぅ、変な事ってなんじゃろうか?」
「…………いや、その……」
そんなキョトンとした表情でさらっと詳細を求めるのはやめて欲しい。
察せよ。サブカル大好きならだいたい分かる筈だろうが。
「とりあえずだな、読みたい物は好きにして良いけど居座るのはNGだ。女の子は兄とはいえ男の部屋にみだりに侵入したらいけません」
「でも、年頃のおなごは兄含む男の部屋に居候してなんぼというのがお約束だと思うのじゃが」
「その歪みきった価値観はダンジョン住民の常識じゃあるまいな!? だとしたら親父は何をしてんだ!!」
本当に、本当にどうなってんの。是非とも体験したい価値観だと本音を言わざる負えないが、ここでそれを肯定するのは俺にとっては致命的な自爆になる。
プライベートルームをお手付き不可の女の子と共有する。
それは羨ま死ねと言われる状況だと断言するが、本人にとっては地獄でしかないのは明白なのだ。
だって、自己処理も処理委任も出来ねえんだぞ。俺はもっとフリーダムに生きていたい。
故に、いくら魅力的な事案であろうが、肯定したくて仕方がない価値観であろうが、否定しなくてはいけない。
俺にだって越えちゃいけないラインぐらいは分かるのだ。
これでリーザが血縁で無ければ本能に従っているがな!!
「そういう訳だから、俺はもう寝るし、読みたい物あれば好きに持って行って良いからアホな事言ってないでベッドから降りて部屋を退出するように」
「えー……」
「えーじゃなくて、由芽と同じで俺も寝るんだってば!」
「どうしてもダメかの? 静かにしてるのじゃ」
「ダメ、許可しかねる」
「むぅ」
そんな心の底から残念そうな顔してもダメです。
「別に帰れって言ってる訳じゃなくてな、まだ寝ないならリビングにでも行って読んでろって事なんだが」
「妾は基本的に夜行性での、朝までひとりなのはちと寂しいのじゃ……どうしてもダメかの?」
「……くっ!!」
これ以上俺を無意識に惑わすのは止めていただきたい。
仕方がない、ここはひとつ脅して距離感をキープするように促そう。それしか方法は無さそうだ。
俺は立ったままだった身体をベッドに腰掛け、ズイっと、リーザに顔を近付けながら言葉を放つ。
「リーザ、俺とお前は兄妹だって話だが、まだ初めて会ってから数時間しか経っていない、その意味が分かるか?」
「ふむ、どういう意味じゃろうかの?」
「家族ってのはな、血筋よりもそれまで過ごして来た時間、つまり互いを良く知っているという絆が物を言うと俺は思う」
「……うむ、それは確かにそうじゃが……」
徐々に顔を近付けながら言葉を投げる俺に、リーザは気圧されるように仰け反り始める。
「という事はだ、俺とリーザは、ただ血縁ですよって言う、いまいち実感の湧かない薄っぺらな関係でしかない訳だ」
「……そ、それは……えと……」
「そんな家族だって認識が希薄な男の部屋に無防備に入り込んで、よく知りもしない筈の良識を信頼してリーザはここに居る。そうだな?」
「……え、えと、兄様……?」
ほんの一瞬だが、リーザが怯えるような顔をして身体を強張らせたのに気付く。
ふふふ、怯えろ、竦め、兄の良心を信じたまま散ってイけ……じゃなくて、警戒心を持ってもう少し距離感を弁えるようになるのだリーザよ。
本当はこんな危ないお兄さん呼ばわりされかねない真似はしたくないのだが、こうも無防備無警戒な子ではたとえ妹でも俺の理性がヤバい。
「男が無防備な女の子をどんな風にしようとするか、リーザも経験してみるか? 案外悪くないかもしれないぞ、兄妹だとしてもな」
しかし、こうまでくっさいセリフをべらべら喋れるとは俺もびっくりだったりする。
やっぱりあれかね、世の中の女性はオラオラ系の野性的な奴を好みやすいという何処ぞからの情報によって、日々イメージトレーニングに励んでいたのが効をそうしたかもしれない。
これならいずれ来るであろう本番の時にトチる事も無いかも知れない。ふふふっ。
「……ええと、えいっ」
「へっ、ふぎょ!?」
思ったよりも上手く行きそうだと含み笑いをした瞬間、リーザが見えない速度で腕を動かす。
俺の腕と顎をガシッと掴んで、何をどうしているのかよく分からない動きと速度でリーザは動いて、俺の身体を難なく制圧してしまう。
結果、俺をベッドへ仰向けに押し付けて、リーザがその上に股がるというマウントポジションを取られてしまった。
ほんの一瞬、瞬く間に起きた行動だった。
「な、なんっ……!?」
「えと、兄様が言いたい事はだいたい分かるのじゃが、このように物理的に不可能だと思うのじゃ」
「…………え、ちょ……」
「兄様は恐らく万能型の戦士タイプじゃし、妾のような生粋の魔導師タイプでは基本的には妾に体術で勝てる要素は存在せんのじゃけれど、流石にレベル差が開き過ぎておるし、兄様が邪な考えを抱いた所で平気なのじゃ」
今のところはじゃがの。と笑いつつ、俺の身体をその小柄な身体でガッチリとホールドするリーザ。
両腕を膝で抑え、重さもさして感じない筈なのに、俺の腹部にのし掛かるリーザをまったく動かせない。
恐らくリーザの言う通り、実力に差がありすぎる為にこんな状況になっているのだろう。
つまり、端から俺がとち狂って危害を加えようとしてきてもまったく問題にならなかったと、そういう事である。
ちょっと考えればすぐに分かるという言葉。それが刺さったのは俺の方という事だ。なんというブーメラン。
「ちなみにじゃがの」
己の浅はかさに悶えたい気分な訳だが、そんな俺の事を捨て置いてリーザが微笑みつつ俺に語りかけてくる。
「妾は別に構わんのじゃ。兄様は父様に似ておるし、顔も嫌いじゃないのじゃ、でも……」
身体を屈めて、俺の耳元で囁くようにリーザはとんでもない事を言い出した。
いや、何言ってんのこの子は。
「他でもない父様がそういう事を許さんのじゃ。妾が欲しいなら、最低でも父様よりも強く、力尽くで妾を奪って、誰にも文句を言わせない程の力が必要かの、ふふっ」
「………………………」
……ヤバい、良かれと思ってした行動が、とんでもない勘違いをリーザにさせてしまったっぽい。
いや、リーザはかわいいよ? 妹じゃなければ土下座で交際を申し込むレベルだけどね?
でも妹じゃん。ダメじゃん。なんか本人は構わんとかのたまっているが俺が構うわ。
「お、おい、リーザ、すまん、さっきのはあれだ只の脅しのつもりでだな……」
「知らないのじゃ。そもそも、妾の《鑑定》では兄様の詳細な能力が分かっておるからの、取り繕う事はないと思うのじゃがの?」
「いや、どういう意味……」
「だって、兄様は《シスコン》じゃしの、スキルで派生する程という事は相当の業が無ければ派生などせんのじゃ」
「………………………」
もうヤダ、なにこの責め苦。
誤解なんですよ。そんなスキルを所持するような人間じゃ俺はないんだ、本当なんだよ。なんで分かってくれないんだ。
「そんな訳じゃし、妾としては兄様の奮起に期待しておくのじゃ」
「待て、そもそも前提がおかしい!! 初っぱなに火炎攻撃ぶっぱなした上にリーザは俺が兄貴だって事はわかってたんだろ、それで構わないとかどういう神経構造してんだよ!?」
よく考えずともリーザがこんな事を言い出すのはおかしい。好かれる要素は何処にある。
断言しよう、無い。
「お前、いいたか無いが、からかうつもりでそんな事言ってるならマジで怒るからな!? マジのガチでギャン泣きするぞオラァ!!」
冗談で告白系の嫌がらせはマジで死滅するべきなのだ。あれは、本当に死にたくなる。およそ人がして良い所業ではない。
「むっ、本心なんじゃがの」
「嘘つけ!」
あれ、でも嘘でも精神的に辛いし、本当でも倫理観的にヤバいんだが、どうすりゃ良いんだこれ。
「何から何まで説明しなくとも女心を察して欲しい所なんじゃがの、まあ、仕方がないのじゃ。ふぅー」
「Oh!?」
耳元にいきなり息を吹き掛けるリーザ。そんな未知の攻撃に晒された俺が、アメリカンな反応で悶えてしまうのは自然な事の筈だ。たぶん。
しかし、なんでこんなに態度を豹変出来るんだろうか、この子は。
先程までは純真無垢で天真爛漫って雰囲気だった筈なのに、マウント取った瞬間に妖艶さを醸し出す、ゾクリとくる気配を滲ませているのだ。
「気になるのかの? 混血とはいえ妾は吸血鬼の眷族なのじゃ、種族の固有スキルとして《魅了》ぐらいは有しておるのじゃ」
《魅了》。その名の通り、相手を誘惑して惑わす能力か。
その吸血鬼の能力らしい力を発揮すれば、雰囲気の違いぐらいは当然という事か。
「とはいえ、全力で魅了すると兄様のレベルでは耐性がまったく無いので獣と変わらん者になってしまうからの。ごく微弱に使って妾がほんのちょっと魅力的に見える程度で思考にまでは効果は及んでおらぬ筈なのじゃ」
成る程、だからリーザがやたらエロく見えるのに、それに耐えるような思考が出来てる訳ね。
何の為にそんな回りくどい事をしているのかは、この際考えないでおこう。
「さて、あまり焦らしても兄様に悪いからの、簡単に言うと、妾の方の気持ちは本当なのじゃ。
理由については説明したって納得される物じゃ無いと思うから言わんがの。
信じる信じないは兄様に任せるし、嫌ならそっぽ向けば良いだけじゃ。
でも、兄様の出逢ってからの素振りから察するに、妾に興味津々なのはバレバレだしの、今、嫌がっているふりをしているのも分かるのじゃ、だから……」
そこまで言って、クスリと笑うリーザ。
俺の来ていたシャツの襟口をずらして、首筋へその柔らかな唇を近付ける。
……まさか、吸血?
「お、おい待て、血を吸うつもりか? ちょっと待て、俺は吸血鬼になる予定は無いんだが!?」
「半吸血鬼の吸血行為は眷族作りの為の行為ではないので心配しなくても大丈夫なのじゃ。ちょっとした求愛行為じゃの、ふふふ」
「ひょ!?」
いかん、これはいけない。こうなれば、出来れば避けるべきと控えていた最終手段を用いるしかない!
「ゆぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!! 助けて由芽ぇぇぇぇぇぇ!!!! お兄ちゃんがちょっとアレな感じで大ピンチだから助けてぇぇぇぇぇぇ!!!! ゆぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!」
最終手段、恥も外聞もかなぐり捨てて妹、由芽に救助を求める。
正直こんな場面を由芽に見られるのは憚れるのだがそんな事は言ってられない。このままでは俺は、されるがままのプレイを愉しむシスコンになってしまう。
それだけは断じて避けるべきである。このまま流される訳にはいかないのだ。
「ユメ姉様は妾が《睡眠》の魔法で熟睡させておるので呼んでも来ないのじゃ、というより先程からドタバタしとるのに来ないのじゃし分かると思うのじゃがの」
「………………」
先手を打っているとは、恐ろしい子。
いや、ホントに怖いんだが。もっとホンワカした子だと思ったのに豹変し過ぎだし。
半吸血鬼という種族とはいえ、見た目的にも大して普通の人間と変わらんと思ったのに、思いっきり魔性じゃねーか。
なんというか、ものすごく騙された気分だ。
でも可愛く見えるのにはまったく変わらん、悔しい。
「く、くそう、リーザ、止めるんだ、こんな事はいけないこんな真似をしなくても俺達は仲良くなれるそれによく考えるんだ冷静になって客観的に──「かぷりっ」──んほおおおおおおぉぉぉおおおおぉぉぉおおおおッッ♥♥!?」
リーザのあーんと広げた口から覗く牙のような八重歯が肩口に食い込んだ瞬間、俺の口から絶叫が垂れ流された。
これは後で気付き、考えるに至った事だが、どうやらリーザ、つまり半吸血鬼含む吸血鬼という種族は、吸血行為の際に相手へ痛みではなく、快楽を与えるらしい。
その為、吸血される俺は、アヘ顔で快楽堕ちしたような無惨な状態になり、その後あえなく気絶したのであった。