1-22『二人目』
夜も大分更けた頃合いに買い物に出掛けさせられるというイベントも乗り越え、俺は無事に近所のコンビニから帰宅した。
女の子向け漫画雑誌を購入するという難題については、偶然にも都合良く夜間徘徊をエンジョイしていたニートの太郎さんに遭遇したので彼にレジへ向かう事を押し付けた。
報酬はパックのコーヒー牛乳ひとつ。流石パシりに定評のある太郎さんだ。助かりました、ありがとう。
という訳で俺はコンビニ店員のバイトJKに「うわキモっ」という心無い視線を浴びせられる事無く、課せられた試練を越える事が出来たのだった。
サンキュー太郎。フォーエバー太郎。巡回のおまわりさんには気を付けるんだぞ。
「ただいまーっと……」
「あ、お兄ちゃん」
「ん? 由芽か、どうしたんだよ」
雑誌が二冊入った袋をガサつかせつつ玄関を開くと、壁を背にして寄り掛かるようにしゃがんでいた由芽に声を掛けられる。
よく見るとフライパンを手にしていて、何かを警戒しているように見える。
「なんでフライパン?」
「ちょっとね、それで聞きたいんだけどさ、お兄ちゃん誰か家に呼んでた?」
「……は? 誰かって誰だよ」
由芽は眉をひそめて不安気にそんな事を聞いてくるが、俺にはまったく心覚えが無い。
「えっと、なんというか…………彼女?」
「ケンカ売ってんのかお前」
例えかわいい妹であろうと、言ってはいけない言葉がある。
お前のその言葉がどれだけ俺を傷付けているのか分かっているのか。
「違うよ! 実際誰か居るんだよ、顔は見てないけどお風呂場から女の子っぽい声の鼻歌が聞こえるんだもん!!」
「はあ? なんだそりゃ」
「不法侵入者かなとか思ったけどそれなら悠長にお風呂入ってるのもおかしいし」
「まあ、そうだな」
「それなら言われてないだけで、実はお兄ちゃんに彼女が出来て、連れ込んでる可能性の方がいくらか高いかなって……」
「……」
由芽の頭の中では、俺に彼女が出来る可能性というのは突然不法侵入者が、住民が居るのに堂々と風呂で入浴するより若干可能性が高い程度らしい。
しかも由芽の話が本当だとするとその低い可能性に負けたっていうね。
まあそれはともかく、家の中に不審者が居るという事らしい。
由芽は常識的な考えからまだあり得そうな事態を考察して、警戒しつつ俺が買い物から戻るのを待っていたそうだ。
買い物行くのは由芽には伝えていたし、そういう事なら妥当な判断だと思う。
「あれ、そういえば親父は?」
夕飯食った時は一緒の筈だったのだが、居ないのだろうか。
「お父さんなら居ないよ、お兄ちゃんがダンジョン潜ってすぐに出掛けちゃったから」
そうなのか、肝心な時に使えない親父だなおい。
とりあえず、不審者とはいえ女だという話だし、レベルアップによって常人よりも身体能力が何倍にも膨れ上がっている俺が居るのなら、暴れるような奴だとしても問題は無いはず。
こういった場面では本来制限が付く筈だった能力がそのままだというのは心強い。
本来の俺の身体能力だと、至って普通の高校生のスペックなので無茶は利かないのだし。
俺は靴を脱いで玄関を上がり、浴室へ繋がる階段脇の廊下を、由芽を背中で庇いつつ進む。
たった数メートル進んだだけではあるが、近付くと確かに若い女……それも子供に近いような雰囲気の鼻歌がシャワーの水音と共に聴こえてきた。
これは、確かに知らない奴が勝手に家の風呂を堂々と使ってやがる。
ふんふーんと調子外れな声は完全に油断しきったそれであり、まるで我が家の風呂を使っているかのような雰囲気である。
だが我が家で女の子は妹の由芽だけであり、その由芽は俺の背後でフライパンを両手で握り締めて強張った顔をしている。
なにやら時折独り言なのか、「良い湯なのじゃ」とか「そろそろ帰ってくるかのう?」とか聞こえてくるが、不法侵入の不審者にしてはリラックスし過ぎてやいないか?
「…………んん?」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや、ちょっとな?」
あれ、この高めの声の、のじゃのじゃしてる口調、ついさっき聞いた気がするんだが。
「…………うーん」
「お兄ちゃん、行かないの? 女の子だとは思うけど勝手にお風呂入ってる人に変な遠慮はいらないと思うけど」
「いや、そういう配慮の話じゃなくてな?」
なんとなく不審者の正体を察した俺は、浴室へと繋がる洗面所の扉を開かずにそこで待機する事にした。
ぶっちゃけ突入して色々拝んでやろうかというスケベ心が無い訳では無い。
後ろに居る由芽も今回は文句など言わない処か、裸の所へ突入すれば拘束が簡単ぐらいに考えてそうだし、デリカシー云々はこの場合問題にならんだろう。
ただ、それを理由に、あの正体と実力がはっきりしない娘らしき不審者のすっぽんぽんを拝むのは危険だ。
下手をすると命に関わる可能性がある。
ラッキーじゃないスケベは身を滅ぼす。
今回のこれは、完全に罠だ。男ならついつい誘惑に負けて色々狩られちまうヤバい仕組みの脅威だ。
誠に遺憾ながら、敢えて踏み込むという愚は犯せない。後ろに由芽が居なかったら行ってた気がするけどギリギリで踏みとどまる。
「……とりあえず、出てくるまで待機だ、慎重に対処するに越したことはない」
「ん……お兄ちゃんがそう言うなら」
俺の言葉に由芽が神妙に頷くのを確認した、俺達ふたりは浴室から侵入者が出てくるまで待つことにした。
ほどなくして、鼻歌とシャワー音が途切れて入浴を終える気配がする。
浴室の扉をカチャリと開く音の後、衣擦れのような、タオルで身体を拭く微かな音が聞こえてくる。
「…………………………」
俺は無言で廊下と洗面所を隔てるドアへ耳を寄せて神経を集中……しようとして由芽に手をつねられた。痛い。
いや、この無断で風呂入ってた奴が例ののじゃ娘なら見た目的にどうしても興味深くてつい。
そうこうしている内に身支度が終わったらしく、扉が開いて侵入者が俺達の前に姿を表した。
「お、帰ってきたようじゃの、すまぬがお湯を借りたのじゃ」
やはり、と言うかなんというか。風呂に入っていたのはダンジョン第五階層で出会ったリーザスローデだった。
「やっぱりか、なんでお前が家の風呂入ってんだよ……」
色素の薄い金髪は水気を帯びてしっとりとして、サイドで纏めていたのも今は後ろへ流したままにしている。
白に限りなく近い肌もほんのりと上気してみずみずしい。
漂うシャンプーの香りが鼻腔を刺激するのだが、同じ製品を使用した筈なのに何故、俺と漂う匂いがここまで違うのか。
まあ、由芽もそうなのだから男女で何かが違うのだろうとしか言えないが。
「お兄ちゃん、知ってる子なの?」
「まあ、一応」
知ってるは知ってるが、家に招くような間柄でもないし、更に出会った場所もダンジョンの中という特殊っぷりだ。
そもそもこの娘は半吸血鬼とかいう種族で純粋な人間でもないというね。
《鑑定》したおかげでスペックの異常さに気が付いた訳だが、それが無ければ俺にも青春ラブコメを出来る相手に出逢えたぜとか諸手を上げて喜んでいたかもしれないが、圧倒的強者だと知っていると以外と警戒心が湧くらしい。
ちょっと自分でも意外なのだが、微妙にリビドーを感じないのだ。かわいい事はかわいいのだが。
まあ、それは今はどうでも良いが。
「あのまま彼処で待っておってはの、ちと臭いが気になったのじゃ、誰かさんが燃える水なんぞ撒き散らしおるから油臭くて居られなかったというだけの話じゃの」
燃える水って、ペットボトルに容れてた灯油か。
確かにリーザスローデに被らせて引火させたが、燃えたじゃん。
「阿呆うっ!! 途中で鎮火させたのじゃからびっちり付着したままじゃったわい!! おかげで気分は最悪じゃったのじゃ!!」
「そ、そうか、でもそれでなんで家の風呂に来る!?」
「え、だって妾の住み家に戻るよりこっちの方が都合良かったんじゃもの、許可はちゃんと取ったのだがの」
「誰に?」
「母様なのじゃ」
「こっち側サイドの許可は出してねえよ!?」
キミんちは自分の親が許可出せば相手側の許可は要らないという超理論が罷り通っているのか。
「む? だから、許可はちゃんと貰っておるというに、兄さまともきちんと面通しさなくてはならぬし、姉上にも会っておきたかったからの」
「は?」
「え?」
俺と由芽、二人同時に意図しない声が出た。
なんか、聞き捨てならない台詞が聞こえたんだが。
「……兄様? それと姉上って?」
「……やっぱりなのじゃ、父様は必要以上に秘密主義だから可能性は高いと母様が言っておったが」
リーザスローデは呆れたように溜め息を吐いてそんな事を言ってくる。つまりどういう事だ。
「つまりじゃの」
リーザスローデの人差し指がぴっと俺に差し向けられ。
「シン兄様」
続けて、由芽に人差し指が向かう。
「ユメ姉様」
あまりの事に俺と由芽は唖然として、あんぐり口を開けて硬直した。
「改めて、妾の名前はリーザスローデ・F・フェリテシア。迷宮の覇者アラタ父様と、真祖たる吸血鬼、グリムガルデ母様との間に生を受けた半吸血王姫なのじゃ、リーザと呼んで欲しいのじゃ!」
と、そうリーザスローデ……リーザという妹だと自称する少女は薄い胸を張って堂々と言葉に放った。
え、なにしてんのあの親父。
後でリーザの画像を投稿します。