1-1『自宅居間でのプロローグ』
自宅のキッチンに備え付けられた床下収納からハゲが飛び出していた。
俺、藤村伸の実父。二週間前から音信不通だった筈の都内にある企業に勤めるサラリーマン、藤村新太である。
「おお、お帰り伸」
「お帰りじゃねえよ、こっちこそお帰りなさいだよ親父、二週間も何処に行ってやがった」
「ああうん、そうだなぁ、ただいま息子よ心配かけたな」
少しばつの悪そうに笑いながら、よいしょと床下収納からよじ登る親父。元から奇行によく走る人なので行動その物にツッコミは入れたりしない。
ただ、学校から帰宅した直後にボケをかますのは止めていただきたい。
冷蔵庫を漁りに来ただけなのに腹筋に不可をかけるのは卑怯だ。普通に音信不通だった理由を説明するのにリビングで鎮座していて欲しかった。
「いや、すまんな、たった今帰還したところでな」
「帰ってきた直後に床下収納の中でじゃがいもや玉ねぎと語らってたのか親父」
たしかそれなりにストックされていた筈……あとは、精米していない玄米があったか。
「いや、ここが出入り口だから仕方ないんだ、他に丁度良い所が無くてな……」
「……はい? 出入り口?」
「そう、迷宮の出入り口」
「は?」
「ちょっと攻略しててなぁ、守護者を討伐するのに時間掛かって」
「………………」
どうしよう変な事言い出したぞこのハゲ。一家の大黒柱の精神がヤバい。
今、目の前で床下収納が迷宮云々言ってるこの親父は、二週間前唐突に消息を断ち音信不通に陥った。
理由や事情は推測すら不能、ぶっちゃけ普段から有給を利用して数日帰って来ないのは普通だったので、今回二週間という長さで消息不明だった事についても特に心配などはしていなかった。
高々二週間程度なら、少額だが金銭も預かっているし、妹である由芽と家事を分担しながら生活するのは問題無かった。ちなみに母親は元から居ない、父親と子供二人の片親世帯である。
まあ、あと少し帰宅が遅ければ警察に連絡して捜索願いの手続きをしていた可能性は高いが。
しかしそれは今は良いとしよう、とりあえず帰って来たのだし。問題は普段以上に変な事を口走っている事だ。
四十代のおっさんがダンジョンアタックしていましたとか息子に語ってきているのだがどうすれば良い?
これが逆の立場なら……まあギリギリアウト程度で済むのでは無かろうか。
高校生がごっこ遊びしているのは相当に痛々しいがビジネススーツを着こなす壮年の企業戦士が言っているよりは幾らか……いや、やっぱりないわ。
そもそもダンジョン攻略ごっこをするのなら某地下貯水槽とか観光地になっている鉱山跡とかに行く。間違っても自宅の床下収納には潜らん。
ともかく、親父の言動が正気じゃない。やはりあれか、日々のストレスに耐え兼ねて参ってしまったのだろうか。母さん居なくなってから連絡取れないプチ失踪、増えてたしな。
「ん……どうした黙って?」
「……いや」
不穏な予想が止めどなく溢れてくるんだがどうしよう。俺、まだ高校二年生なんだが、高校辞めて就職か親父の介護に専念する事を考えなくていけないのだろうか。
現在中学三年生で受験生な妹、由芽はどうしよう、俺が頑張って大学まで進学出来るように頑張らなくちゃ……。
「……と、とりあえず飯作るわ、今日は俺が当番だし……話は晩飯の時に由芽も一緒で良いだろ親父?」
「お、構わんが……どれ、侘びも兼ねてお父さんも作るの手伝って……」
「いやいいから、疲れてるんだろ? な? ゆっくり休んでてくれよ、頼むから、な?」
「そ、そうか? すまんな」
晩飯作りに参加しようとする親父をリビングのソファーへ座らせ、ついでに冷蔵庫の中から缶ビールを差し出しておく。
今日はゆっくりと、じっくりと家族でお話をしなくてはいけないだろう。泥酔するほど呑ませる訳にもいかないが、少量ならば精神安定の作用もたぶんあるだろう。
親父はアル中ではないしむしろそんなに呑んだりしないタイプだが、辛いならお酒にほんの少し逃げたって文句は言わない。幻覚と妄想に逃げられるよりはたぶん悪くない筈だろう。
……由芽、早く帰って来ないかな、晩酌の付き添いなんか嫌がるかもしれないが、なんとか説得して親父の相手をさせなければ。きっと親父は喜ぶだろう。
ちなみに床下収納は上板をきっちり嵌めて見ないようにした。いや、だってさっきまで迷宮守護者と戦ってたらしいし、少なくとも俺は目をなるべく背けたいかなって。
◇◆◇
「さて、飯も済んだしちょっと話をしようか」
微妙に気分でつつがなく済んだ晩飯の後、改めて親父はそう口にした。
「話ってなに?」
晩飯ギリギリの時間に帰宅した為に事前のやり取りを一切していない由芽が疑問を口に出した。
受験生の癖に放課後直帰しないとはふてぇ奴だとは思うのだが、そもそも由芽は普段からそこそこ成績が良い上に無理して偏差値の高い高校を受験する意思を持っていないのでわりと余裕綽々なのだ。
ちょっとくらい頑張れよと言いたいが現状でも俺より偏差値の高い所へ余裕で受かるスペックを保持する奴に文句は言えない。お兄ちゃん悔しい。
本人の座右の銘は『高望み回避で人生ハッピー』らしい、齢十五にして悟るの早すぎじゃ無かろうか。
話が逸れた。今は由芽の事よりも親父の事だ。
「……親父、とりあえず二週間も音信不通だった理由についてで良いんだよな? もう落ち着いてるか? 現実と妄想ごっちゃになってない?」
「…………お前、お父さんがボケたみたいに言うのは感心しないんだが」
「いや、だって良い歳したおっさんが床下収納に潜り込んでダンジョン攻略してきたよーは無いだろ!? ゲーマーな小学生でも昨今やらねーよ!?」
「いや、だって事実だし……最下層に居た守護者との戦い、七日七晩続いた死闘だったのよ? お父さん死ぬかと思った」
「あ、完全踏破したんだお父さん、おめでと」
「え!?」
「久しぶりにお父さん頑張っちゃった、うん」
「ちょっと待って、なにさらっと相づち打ってんの由芽!?」
「……あ、そっか、お兄ちゃんは知らなかったんだっけ?」
「うん、今まで言ってなかったなぁ」
「…………あの、どういう事?」
なんだこの会話の流れ。非現実的な妄想話がさも当たり前のように認識されているんだが。
「とりあえず出入り口だけ先に見てくればお兄ちゃん、お父さん帰って来たしじゃがいもと玉ねぎによる隠蔽はたぶん無くなってるよー、どっか消えちゃった訳じゃないから心配しないでね」
「保管してた物は迷宮入口前のフロアにそのまま置いてある、攻略も済んだしもう隠す必要ないからな」
「…………えーと」
親父と妹、二人してうんうん頷きながらなんか言ってる。別に野菜の紛失なんて気にしてないから……突然消えてたら確かにちょっと怒るかもしれないが今それあんまり関係ねーし。
「……ちょ、ちょっと見てくる」
まさかとは思うのだが、二人が共謀して俺を担いでいるのだと思うのだが、床下収納を遮る上板を開いた瞬間に『やーい引っ掛かったバカはみるぅーうそぴょーんドッキリ大成功ぉー!!』と苛つく対応を間違い無く取られるとは分かっているのだが、なんというか、ほんの僅かな勘のようなものが嘘じゃないと伝えて来ている気がしてならなかった。
そして意を決して床下収納を開く。
「…………マジかよ」
そこに現れたのは保管していた野菜や米では無くて“下へと続く階段”。
当然ながらそんな物は俺は知らない。この家は地下室なんて物は存在せず、もしあったとしてもキッチン下の床下収納から入る地下室とはなんだという話だ。秘密基地かよ。
いや、秘密基地か……もしかしたら不在だった期間にこっそり親父が掘り進め……ないわ、流石に気付くし只のサラリーマンにとっては日曜大工の範疇を越える改装だろ地下室建造って。
素人が掘って家が傾きましたとか崩壊しましたとかそんなオチが待っている筈。
つまり、よくわからない内によくわからない方法で俺という居住者にまったく気付かれずになにかが造られた。そういう事だ。
いや、どういう事なの。
「中はこれから案内するが、先にちょっと言う事あるから座ってくれ、伸」
「……あ、ああ、うん」
俺は藤村伸。割と普遍的で特に特徴も無い高校生で、妹の由芽だって顔が割と整っている以外はやっぱり普通。
そして藤村新太、俺達の父親だってごく一般的なサラリーマンで父子家庭という事を考えても特徴なんて殆ど存在しない、何処にでもある只の家族の筈なのだ。
「お父さんな、脱サラしてダンジョンマスターになったんだ」
だけど、これから先は普通とはとても呼べない家族になるらしい。