第七話『胞子』
隔離された実験室の中で太った男がうろついている。
檻の中の熊みたいに。
瞳には知性の光は感じられず、スリットから転がり落ちるブロック食を見付けては貪っていた。
「なぁ、コイツに食わせなけりゃならないのか?」
パンデミックの際、研究室に居合わせた記者…菅原が私に訊ねた。
確かに私達の食糧を減らす行為ではあるけれど、経過観察には必要なのだ。
「外部モニターはどう?美奈」
「変わらないね…助けは来そうに無い」
「まぁ、来ても…」
私は言葉を濁した。
美奈も沈んだ表情で応える。
「『来ても』なんだよ?」
記者が不安そうに訊いてきた。
「私達はね、『門』をくぐった。そういう事よ」
煉獄の門に書かれた通り。
一切の望みを捨てるべきだ。
────────
建物の外に備え付けられた防犯カメラ。
そこから映し出される光景をモニターで眺める。
駐車場、まばらに停まった車の合間を人々が蠢いていた。
実験室に隔離した黒田の様に。
「ゾンビども、共食いはしないってか」
「肉体的には死んでないからゾンビとはまた違うでしょうけどね」
「…人間に戻れるってのか?」
彼等の神経系は菌糸に侵されボロボロになっている。それは解剖で明らかだ。
脳にまではびこる菌糸を取り除いたところで、回復は不可能だろう。
「じゃあ、ゾンビだろう?」
神経系を侵されているとはいえ、精神が消滅していると証明は出来無い。
麻酔をかけられているのと同じなのかもしれない。
彼等の脳は夢を観ているのかもしれない。
実はあの状態で思考が出来ているのかもしれない。
神経を食い荒らし、神経の代わりに身体を動かしている菌糸。
菌糸を取り除くと彼等の肉体は滅びる。生命活動が止まる。
『人間の尊厳』を護る為、無理に菌糸を取り除き、死なせるのを是とするならば…
…今までの『延命治療』というものを否定する事にならないだろうか?
────────
パンデミックが起きてこの一帯は封鎖された。
当時、何が原因か解らなかったが、発症した人間は知性を失い手当たり次第にものを食べる様になった。
しまいには人間を襲い、食い付く様になる。
ゾンビと呼ばれる所以だ。
研究で明らかになったのはウィルス、細菌ではなく、真菌。
真菌が神経を侵し肉体を乗っ取ってうろつき、食糧をあさる。
この真菌が成長するには乗っ取った肉体だけでは栄養源として不足らしい。
「…あ!倒れた!」
モニターを見ていた菅原氏が声を出した。
腹の出た男が倒れているのがモニターに映っている。
その腹が裂け、数本の突起物がゆっくりと空へ向かって伸びていく。
「……成長し切った訳ね」
あれがじきに傘を開く。
「まるっきりキノコだな」
真菌…つまりキノコ。
人間の肉体を宿主にして育つ。
封鎖地域の外ではどこまで調査研究が進んだだろう?
感染者に噛まれた者は傷口から罹患する。
こんなところもゾンビっぽい。
────────
「いやああぁぁ!」
美奈の悲鳴!?
駆け付けると美奈は腕から血を流しながら研究室の戸口に座り込んでいた。
「まさか…!?」
「噛まれた……黒田ちゃんに」
「アレはもう黒田じゃ無いわ…応急手当は出来るけど……」
「いい………自分でする。それより……第五研究室なら…鍵が掛かるはず」
美奈は自分から…檻に入る事を決心した。
怖いだろうに…
「美奈……糖分を一切含まない食糧を出すわ」
鍵を掛ける時、私はそう声をかけた。
「…お腹一杯で『餓死』する訳ね。皮肉?」
「実験よ……慈悲だなんて思わないで」
糖分は脳専用の栄養と謂っていい。
極低血糖状態になると脳は省エネモードになり気を失う。糖分を摂取する方法が無いと……そのまま死に至る。
これは実験。
脳が死んだ状態でもゾンビ化が進行するかどうかの…
…決して、美奈を…双子の姉を人間のまま、死なせる為では無い。
それでは美奈も私も閉鎖区域に残った意味が無い。
……これは実験なのよ。この病を根絶する為の。
────────
研究者はとうとう私独りになった。
私の、私達のレポートがこの真菌の根絶に少しでも役に立つ事を願う。
『ゥググブブォォ……!』
隔離した黒田がこもったうなり声を上げて倒れた。
腹が裂け、大きなキノコが生えてくる。やがてキノコの傘が開き、部屋いっぱいに胞子が充満した。
「気色悪いな……なぁ?この胞子って」
菅原は黒田の様子をメモに取りながら訊いた。
「やっぱり有害なんだろうな?」
「…感染経路は噛み付かれるだけじゃなく、胞子からも発症するわ」
そう、つまり。
「……俺達も吸い込んだり…してないよな?」
「残念だけど」
「…………クソッ」
ペンを取り落とした菅原氏が、頭を抱える。
生き残る可能性は最初から無いのだ。菅原氏も……私も。
私は動かなくなった美奈をガラス越しに覗きみる。
『噛み付き』による発症は胞子からよりも段違いに早い。しかしながら美奈は発症時期を越えてもゾンビ化せず、倒れたままだった。
────────
目が覚めると、菅原氏は居なかった。
建物を出たのだろう、彼の手記を綴った手帳が残されている。
襲われる危険があるにもかかわらず外に出たのは、発症の徴候があらわれたからかもしれない。
私の手も足も、いう事を利かなくなった。
勝手に…歩き出し、勝手に食糧庫を漁り始める。
そこに私の意思は介在しない。
もどかしい。
発症の初期段階だというのに、私はそれをレポートする事が出来無いのだ…
…このまま、私の意識は薄れていき、そして消える。
………本当に?
本当に消えるのか?
私という個人が?
私の意思が?
私の意識が?
私の思考が?
怖い……だけど…
(美奈が起き上がらないのは…脳が死んだせいなら?)
…私はこのまま残るかもしれない。
私という存在は残ったまま、こうやって餌を漁り続けるのを感じ続けなければいけないのか?
誰にもそれを伝えられずに?
まさか、他の罹患者達も………?
怖い。
絶望しかないじゃない!?
私は本当に煉獄の門をくぐったのか?
全ての望みを捨て、さ迷い食い続ける。キノコの苗床になるその日まで?
い
いやだ
いやだいやだ
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ
…
……誰か
─────第七話 終。
楽屋裏
武士「最初から死ぬパターン!」
美奈「っても、ゾンビだから動いてるし」
正人「理奈初めての語り手どうだった?」
理奈「台詞減るわね…元々少ないけど、減ったなって感じるわ」
正人「僕はちょっと粗野な感じ。ブン屋だからかな?」
美奈「ゾンビ物ってバッドエンドだよね~」
武士「ホラーでグッドエンド…は、少ないんじゃ」