紫の写真帳
会社からの帰宅中に日をまたいだ。社会人になってからは、よくあることだが、今はそれなりに幸せだと思う。
デスマーチが片付いた。これで、しばらくは20時には家に帰れるだろう。
閉店間近のスーパーマーケットで、半額の唐揚げとケーキが買えた。普段なら深夜にこんな重そうなものを食べない。仕事からの開放感がそうさせたわけではない。30歳になった祝いだ。
そう、30歳。それなりに重みのある年月なのだろう。
父が30歳の時に、私が生まれた。周りの社員は、結婚していない人が多いからか、普段は気にもしないが、親になってもいい年齢なのだろう。
そう言えば、26の誕生日を迎えた時も、「父親が結婚したのは26歳か」と思ったな。私も30までには結婚と意気込んだが、結局は女性と話すこともなく30歳を迎えた。
そんなことを思い巡らせているうちに、住んでいるアパートの前までついた。が、それを通り越して、アパートのゴミステーションに足を進める。街灯の下に、キラキラ輝く物が見えたのだ。
そこには、アルバムが1つ置いてあった。紫色の表面には金銀の糸で波が刺繍されている。立派で、高そうなアルバムだ。狭くて、安いアパートの住人には不釣り合いなその写真帳には、いったいどんな生活を切り取った写真が飾られているのだろうか。
——————覗いてみたい。
他人の生活を覗き見る小さな罪悪感を感じながら、アルバムに手をふれた時に、遠くから若い賑やかな声が聞こえてきた。私は手を引っ込め、逃げるようにアパートの玄関をくぐり、自分の部屋に入った。
一人部屋で、ケーキをつまみながらも、紫色のアルバムが頭から離れない。
誰かが近づいてこなければアルバムを開いていたのだろうか。いや、アルバムを持ち去るだけの時間はあったはずだ。そうしなかったのは、自分が良くないことだと思っていたからだ。小心者だからではないのだ。大げさだが、道を踏み外さずにすんだのだと思い布団に入ることにした。
かすかに触れた指先が、刺繍の波を覚えている気がする。
その日は、キラキラ輝く穏やかな波打ち際に、一人たたずむ夢を見た。
次の朝、出社前にゴミステーションを除くと、そこには何もなかった。
そう、何もなかったのだ。
なのに、今、会社から帰ってくると、あの紫色のアルバムがあるではないか。
心臓が高鳴り、溺れているように苦しい。昨晩、アルバムに手を伸ばしたのは好奇心からだったが、今は運命を感じている。恋人が初めて手をつなぐ時は、きっとこういう感じなのだろう。指先が自然とアルバムに吸い寄せられていく。アルバムの重さを胸の中で感じながら、部屋に持ち帰った。
お読みいただきありがとうございます。
筆者の体験をもとにした創作となります。
"不思議というか、怖い"と言われたのですが、恋愛の話だと思っているので、読み終わった後に昔好きだった人を思い出してもらえると嬉しいのです。