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しかし、将軍は首を縦に振らない。
「それは自由に使える力ではないと言ったのは君ではないか」
「そうだけど。でも、バルバスもどうやらこれと同じものを持ってるみたいなんだ。
だから、この玉は必ず反応する。
リム平原で見たあの力があれば、あの化け物とだって対等以上にやりあえる」
わかっている、自分の言っていることには何の確証もない。
「ふむ……」
考え込む将軍。
「……やはり、エルザは一旦、引く」
「将軍!」
「すまない。言いたいことはわかるが。
そして、皇女とファルクラム殿。
とりあえず、この書面に仮の約束をしてもらえれば、あなたがたの要求の一部は飲もう。
我々エルザ軍は城門から出てきたバルバラの民に一切危害を加えないことを約束する」
自分は思わず叫んだ。
「バルバラが滅びたら食料はどうするの!」
「もし、バルバラが滅びたらエルザはバルバラの領地だった地域を併合し、そこから食料を調達する」
ファルクラムが皮肉気に笑った。
「どっちに転んでもいいわけだな」
将軍は目を静かに閉じて告げた。
「さて、どうしますか。バルバラの方々」
現状は、バルバラの民を避難させることが最優先。
それは誰もがわかっていた。だから、サインせざるを得ない。
苦い顔をしているファルクラムをなだめながら、ヴェラは契約書にサインする。
「約束はお守りいたします。では、これにて」
自分たちは将軍の幕舎から出てきた。
ちょっと冷たい対応だけど、あの将軍もいろいろ考えてくれているみたい。
帝都があれではエルザに攻撃を仕掛けてくることはないだろうと、シルディアでエルザに捕らえられていた兵士たちも解放してくれた。
それをファルクラムが声を張り上げて、まとめ始めている。
エルザ軍は撤収の準備を始めていた。本当に、このままバルバラを放って自分の国に戻るつもりらしい。
ヴェラはそれを落胆した表情で見ていた。そして、振り返って自分を見つめる。
その瞳が不安げに揺れていた。
ひょっとして、エルザ軍と一緒に骨さんも帰ってしまうのでは。
そんなことを考えていたのかも。
確かに、これはバルバラ国内の問題で、自分はエルザ側の存在だ。
本当はこのまま命令に従って帰るべきなんだろう。
だけど……。
「自分は行くよ」
ヴェラは黙って自分に抱き着いてきた。
「エルザも協力してくれると思ったんだけど、なかなかうまくいかないね」
彼女の頭をなでながら慰めてやると、いつの間にかぐずりだした。
目の前に大きな脅威があっても、人は一つにはなれない。
彼女はまだ子供だから、人間の肝心な部分を信じてしまったんだろうか。
あんな化け物が暴れているのだから、みんな心を一つにして戦ってくれるはずだ、と。
きっと、エルザ軍も協力してバルバスと戦ってくれると心の中で信じていたはずだ。
でも、裏切られた。
いや、そういう風に言うのは意地悪なんだろうな。
みんなそれぞれ、自分の事情がある。協力してくれるほうが珍しいのだ。
彼女はそんな現実を今さらながらに思い知った。
「もう、いつからそんな泣き虫になっちゃったの」
そんな中で、さきほど将軍の幕舎に居なかったラルゴ隊長が自分のところにやってくる。
もしかして、と思った。
「すまん、骨」
けど、やっぱり違った。
頭を下げた隊長に自分は軽く手を振った。
「あやまることじゃないよ、そっちもがんばって」
もしかしたら、隊長は一緒にバルバスと戦ってくれるかも、なんて自分だって期待してしまった。
自分もヴェラのことは言えないな。
向こうでファルクラムが手を振っているのが見えた。
どうやら準備が整ったらしい。
「行こうか、ヴェラ」
彼女を促して、バルバラ軍と合流しようとした自分の肩に手がかかる。
振り向くとロイがいた。ワイズとオルガも。自分の部隊の兵士たちもほとんどいる。
その雰囲気から、彼らが何をしようとしているか伝わってくる。
自分は慌てて言った。
「命令違反はまずいよ。軍と一緒に帰らないと」
ワイズが答える。
「筋は通してきた。
偉い奴に俺たちは骨についていくと言ったら、何も言わずに追い払うような仕草をされた」
偉い奴って誰だろう。でも、エルザの人だってできるならバルバラを助けてあげたい気持ちがあるのがわかる。ただ、余裕がないだけなんだ。だから、多少の事には目をつぶってくれる。
「あ、そういえば自分は何も筋を通してない!」
誰にも何も言わずに勝手にバルバラに協力しちゃってる。
慌てた自分にみんなが笑った。
「骨さんて、もう本当に自由だよね。その性格がうらやましい」
ちょっと失礼なオルガの言い草に、みんなが同意する。
ロイが確認を取るように聞いてきた。
「とりあえず、城壁の中にいるバルバラのやつらを逃がせばいいんだよな?」
「うん。バルバラの人たちの避難はファルクラムさんに任せよう。エルザの兵士がバルバラ軍に入っても感情的なものもあるだろうし、連携は取りづらいと思う。自分たちは単独でバルバスの注意を引きつける、避難の時間を稼ぐんだ」
「マジかよ」
ロイは冷や汗を垂らしながら口元をゆがめている。
みんな燃える帝都のほうを見つめながら、喉を鳴らした。
今から、自分たちが何をしようとしているかよくわかっているのだ。
自分に抱き着いていたヴェラは涙をぐいっと袖でぬぐう。
彼女も覚悟を決めたようだ。
自分はファルクラムの指示にしたがって動き出したバルバラの兵たちを見た。
彼らはヴェラというより、ファルクラムに従っている。
そういう意味では、ヴェラの出発点はここだった。
自分が彼女に協力して、たった数十人だけど部隊のみんなも来てくれた。
協力者の数は少ない。だけど、ゼロじゃない。
それが始まりになることを自分は知っているよ。
自分もそうやって戦ったことがある。
最初は一人きりで。
ちょっとずつみんなが協力してくれるようになって。
さっきから手を振って合図していたファルクラムは、急かすわけでもなく、黙って見ていてくれた。
自分は彼に手を振り返すと叫んだ
「ファルクラムさんは、城門を開けてみんなを逃がしてあげて。
自分たちはバルバスを引き付けておくから」
彼は開いて振っていた手をぐっと握りしめた。わかったという合図だ。
「さて、それじゃ行こうか」
自分はいつもの装備を身に着ける。
すでに着ている全身鎧。左腕に連弩と盾、腰に剣。背中に斧。
そして、肋骨は死んだゲンさんの骨が接いであり、頭蓋骨の中にはミザリからもらったメッセージの書いてある木切れが入っている。
これだけあれば、何が相手でも戦える。