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エルザ軍の野営地もまた大混乱だった。
ヴェラとロイの二人を連れて戻ってきたのだが、小高い丘にあるここからは帝都がよく見える。
ここまで届く爆音や火災の炎。
真夜中であるにも関わらずエルザの兵士たちは休むことを忘れてそれに見とれていた。
「一刻の猶予もないね」
自分のつぶやきに、ヴェラがうなづいた。
エルザの将軍の幕舎に入ると、そこもまた騒がしかった。
「予定を早めて、今、攻めるべきだ!」
「待て、何があったか確認してから動いたほうがいいのではないか?」
エルザ軍の偉い人たちが集まって、激論を交わしている。
当の将軍はそれを聞きながらも迷っているようでどうしたらいいのか決めかねていた。
だとしたら、迷っている今がチャンスだ。
ヴェラに目配せして、確認する。
「いい?」
「覚悟はできています」
自分は肺もないのに大きく息を吸うと、今まで出したことがないくらい大きな声で叫んだ。
「将軍!」
幕舎の中を飛び交っていた意見がぴたりと止まり、みんなが自分のほうを向いた。
「バルバラの皇帝を連れてきたよ」
ヴェラが驚いたようにこちらを振り返る。
だって、そういうことだよね?
だけど、みんなはやっぱり納得できなかったみたい。
「バルバラ帝は若い青年だ。そんな小娘ではない」
偉い人の一人に一蹴されてしまった。けど、まだだ。
「今から、バルバラで何が起きたか説明するね」
その言葉にみんなが再び押し黙った。今のバルバラの情報はみんなが欲しがっていたものだもの。
自分は説明した。
ヴェラの素性、帝都へ潜入した話、そしてバルバスのこと、皇帝が死んだこと。
みんな、にわかには信じがたいといった顔だ。
そんな中で将軍が口を開いた。
「もし、その話が本当ならそこのお嬢さんがアリーシャ様なのだな?」
「そうだよ」
「そして、講和を受け入れてくださるということでいいのかな?」
降伏という言葉を使わないあたり、将軍はちょっとヴェラに気を使っているように見える。
それはともかく。
「そうです。帝室の人間は私だけ! ですから、私が国を代表してエルザと講和を結びます」
「そうは言ってもな……」
将軍は頭を抱えた。
「こちらとしてもそうしていただけると非常にありがたい。だが、君とは講和は結べない」
「なぜです!」
「君は本当にアリーシャ皇女なのかな? 証拠はあるのかね?」
「そ、それは……」
こういう場合、どうやって本人の証明をすればいいんだろう。
ヴェラは悔しそうに俯いた。
「私は、どこまで無力なのか……」
先ほどの事を思い出しているのだろうか。兄を失った時のことを思い出しているのだろうか。
みな、この小さな少女を見つめている。
この子が本当に皇女であることを期待していた。
もしそうならこの苦しい戦争を終わらせる手掛かりになる。だけど、証拠がない。
自分はたしかに皇帝がこの子の名前を呼んだのを知っていた。けど、それを言った所で誰もその真偽を確かめることはできない。
今も、帝都から爆音が響いてくる。バルバスが暴れているのだ。
広い帝都とはいえ、このままだと本当に全部灰にされてしまいかねない。
急がないと……。
いっそ、講和とかそういうものを抜きにして、城門から避難してくる帝都の人間を保護するように働きかけたほうが早いのだろうか。
そんなことを考えたとき。
「それは、本物のアリーシャ=ヴェロニカ=デ=アンナ=バルバラだぜ」
将軍の幕舎に大きな男の影が入ってきた。
それはこの野営地に捕らえられていたファルクラムだった。
全員が彼に向けて戦える姿勢をとった。
だけど、彼は顔に苦笑いを張り付けてため息をつく。
「おいおい、やめてくれ。戦う意志なんてないぜ」
「ファルクラム。なんでこんなところに?」
自分の問いかけに彼はこともなげに答えた。
「捕虜として捕まってたとこを抜けて来たに決まってんだろ。
そんでできるだけ多くの部下をつれて脱出しようとしてたところにこの騒ぎだ。
帝都もちらっと見に行ったが、あれはやべぇ。わけわからん化け物が暴れてやがる。
帰るとこがなくなっちまったら山賊くらいにしかなれねぇじゃねぇか」
彼はこんな時でも余裕のある表情だ。
ヴェラはファルクラムの顔を見上げる。
「ファルクラム」
「久しぶりだな。チビ姫、まさかこんなとこで会うとは思わなかったが。それより急いだほうがいい」
ヴェラはその言葉にうなづいた。
「そういうことです。私は身の証は、ここにいるバルバラの公爵ファルクラムの証言で十分でしょう」
「ファルなんとかさん、貴族だったの?」
「うるせぇ、骨」
やっぱり、傭兵か山賊にしか見えない。
皇女を知らない人はいっぱいいるが、ファルクラムはすごく有名な人で顔も知られているらしい。
信憑性は十分だとして、エルザの偉い人たちはすぐに動き始めた。
講和条約は後日、きちんと結ぶとして、事前に別の契約書みたいなのにサインを求めてくる。
ヴェラはそれにさっと目を通して、サインしようとした。
だけど、それをファルクラムが止める。
「待て、条件追加だ。
このあと、俺たちはすぐにバルバラにとって返してあの化け物とやりあう。
だが、バルバラはエルザとの戦いでボロボロだ。
帝都にも兵士はいるが、どれだけ残っているかはわからん。
だから、バルバラはエルザに対して援軍を要請したい」
しかし、エルザの将軍は首を振る。
「それはできない。我が国は現在、マトレンに攻撃されている。すぐに取って返してそちらとも戦わねばならない」
「そんな!」
ヴェラは非難めいた声を上げる。きっと、わかっているんだ。将軍の判断はとても妥当なものだと。
だけど、それはバルバスを直に見ていない人間の判断だ。
「将軍、バルバラに加勢しようよ」
だから、ここからは自分の出番だ。
「あの化け物は本当にまずい。実際に間近で見てきた自分だからわかるんだけど、あいつが仮にバルバラを滅ぼしたら次は別の国を襲うと思う。
今回は国民を人質にとって皇帝に言うことを聞かせてたけど、今度は何をするかわからない。
それに最後はああやって本性を現して、あらかたぶち壊すような衝動的なやつだ。
あいつは今ここで叩かないと近いうちにエルザがやられる」
「骨君の言いたいことはわかった。
だが、勝算はあるのかね?
そんなやばい化け物と今戦って勝てるのかな。
一旦、引いて態勢を立て直してから挑んだほうがいいのではないかな」
そう来たか。
「勝算は、ある」
自分は右の眼窩にはまっている赤い玉に触れた。




