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その抜け道は、帝都から少し離れた山の中にあった。
山の中腹に人の背丈くらいの石碑のようなものが建っていて、そこが入り口になるらしい。
「あ、ダメだ。自分ひとりじゃ動かせそうにない」
石碑を動かすと下に入り口が出てくるらしい。
ヴェラに頼まれて動かそうとしたが、自分が押してもビクともしない。
仕方ないので、ロイにも一緒に手伝ってもらうとすんなり動いた。
ずずず、と重たい音がして地下に続く階段が現れる。
自分たちは、うなずきあうと中に入っていった。
中は真っ暗かと思っていたが、シルディアの地底湖と同じように発光するコケが壁面にびっしり生えていて移動する分には何の問題もない。
「このコケ、うちの国では暗い場所を照らすためによく使うんですよ」
天然にも似たようなコケはあるらしいけど、このコケはそれを魔法で品種改良したものらしい。
「でも、隠し通路っていうから石造りのダンジョンみたいなのを想像してたんだけど、ただの洞窟みたいな感じだね」
「こんなもんだろ。逃げ道まできれいに整備する必要はないと思うぜ?」
先頭を歩いているロイが振り返らずに行った。
ヴェラから話を聞いたあと、簡単な事情を説明して連れてきてしまったが、ロイは何も言わずに仕事をしてくれる。
シルディアへの侵入時にかなり活躍してくれたので、潜入するならロイが必要だ、と強く擦りこまれてしまったが、まぁ、それも間違いじゃないだろう。
さっきも、地下に入る時、松明なんかの用意をしてくれていた。
中がわりと明るいことがわかって、それを使わなかったが、やっぱり頼りになる印象はぬぐえない。
村では、偶然を装ってエミリに声をかけている不器用そうな青年というイメージしかなかったけど、彼もまた今まで生きてきた経験があるのだろう。
ワイズとも知り合いだったとかいうし、人間って本当にわからない。
それを言ったら、一番わからないのは自分自身なのかもしれないけれど。
自分は自分のことを知らない。
ただ、唯一、竜が言った言葉が頭から離れない。
『そんな姿になってまで、我々の邪魔をしたいのか。四番目の守護者』
自分の右目にはまっている赤い玉にそっと触れた。竜の体から出てきた玉だ。
この玉は、オルガやワイズの先生(名前忘れた)がいうには、別の大陸から渡ってきたものだという。
もし、自分が竜と知り合いだったとしたら、自分も別の大陸の出身なのかもしれない。
すべてが終わったら、自分を探しにその大陸に渡るのもいいかもしれない。
あ、でもやっぱダメだ。せめて、ミザリが大きくなるまでは……。
歩いているうちに少し道幅が広くなる。
やがて、馬車くらい通れるほどの道幅になると、周囲にはごつごつとした岩が散乱し始めていた。
そこをしばらくあるいたところで。
「ちょっと、止まれ」
ロイが、自分たちを手で制した。
「どうしたんです?」
ヴェラが小首をかしげながら聞くと。
「人の気配がする」
ささやくような声で告げる。
それにはヴェラがまゆをしかめる。
「あり得ません。ここは皇帝の一族しか知らない抜け道です」
「だったら、その皇帝の一族なんじゃないか?」
「一族はもう私と兄しか……。え? お兄様?」
気色ばんだヴェラをロイがやはり手で制する。
「皇帝がそこの岩の陰に隠れたりするもんなのかね」
ロイは短く息を吐くと片手でナイフを抜き、良く通る声で隠れている誰かさんに声をかける。
「誰だ。そこにいるのはわかってるぜ」
しばしの沈黙。
だが、相手は観念したのか、岩の陰から姿を現した。
「やれやれ、楽にやれると思ったんだがな」
そう言ってのっそり出てきたのは、皮鎧の軽装で武装した一人の猟兵だった。
「エリク!?」
少し前、バラバラの森林での戦闘でお互いを見逃した相手だった。
「骨、知り合いなのか?」
ロイが気を抜きかけた、その時。
エリクはざっと距離を詰めて、ショートソードだろうか、刃が短めの剣でロイに切りかかった。
「なっ!?」
慌てて、それをナイフの刃で受け止めるロイ。
ヴェラは信じられないものを見るような顔で言う。
「この抜け道は帝室の人間しか知らないはずなのに!」
そんなヴェラをあざ笑うかのようにエリクは言った。
「そう思っているのは、帝室の人間だけだろうな。この抜け道のことを知っている人間はちらほらいるぞ。
俺もその一人だったというだけだ」
「馬鹿な!」
「シルディアでは不覚を取った。ああいう作戦をつぶすのが俺のような人間の役割なのだがな。
もっとも、また同じ手で来るとは思わなかった。
俺は外でほかの兵士が戦っている間、ここで少し休むつもりだったんだが」
お前たちも芸がないな、とあきれたような顔で笑う。攻撃の手を休めずに。
自分は必死に攻撃を防いでいるロイの前に飛び出して、盾を掲げた。
攻撃を何度か盾越しに受けた。あまり効果はないと知ったのか、エリクは距離をとってショートソードを構える。
「すまん、骨。助かった」
ロイも態勢を立て直す。
「ほかの気配はないな。あいつだけだ」
気にしていたことをロイは口に出して教えてくれた。
敵が他にもいたらどうしようと思っていたが、よく考えたらエリクはいつも一人で行動している。
ここにいるのは本当に彼だけだろう。
「だったら、二対一だね」
自分の言葉に、ロイはにやりと笑ってうなづいた。
しかし、戦闘は思ったよりも膠着していた。
エリクの立ち回りがうまいのか、ロイと二人で連携して仕掛けても、あとちょっとのところでいつもするりと攻撃を交わしてしまう。
そんなことがもうずっと続いている。
焦っているのは、自分たちだけじゃない。ヴェラもだ。
「早く、兄を説得しなければ。日が昇ったら、エルザ軍が攻撃を始めてしまう!」
こと、戦闘においてはヴェラの出番はない。何もできない焦り。それは非力な自分にもよくわかる気持ちだ。
「エリクさん! 聞いてください!」
自分たちが戦っている間に、ヴェラはエリクの説得を始めた。
今のバルバラの状況や、彼女の兄バルバラ帝のこと、さらにはバルバスのことまで。
だが、エリクは冷ややかに笑うだけだ。
「どうしてわかってくれないんですか!」
ヴェラの叫びにエリクは生真面目に答えた。
「俺は兵士だ。受けた命令を実行するだけだ」
この返答にはお手上げだ。考えることを放棄しているわけでもなさそうだが、プロ意識のようなものがそれを上回ってしまっている。
職務を忠実に実行し、それを喜びとする人間の特徴のように思える。
ロイが自分とヴェラを振り返って叫んだ。
「こいつは俺が何とかする! 細かいことはよくわからんが、時間がないんだろ? 行け!」
時間がなかったから、かいつまんだ説明しかしなかったが、なんとなく見聞きしたことを組み合わせて、状況を理解しているらしい。
自分はロイを残していくことをためらった。信じていないわけじゃないけど、エリクはかなり強い。
強いと感じたのはファルクラムもそうだが、彼が腕力と鋭い感性を武器としている一方で、エリクは器用さと怜悧な思考力を武器にしている感じがする。
ひょっとしたら、罠の一つや二つ、張っているのかもしれない。
だが、ヴェラの焦り具合も相当だ。ここは任せるしかないのか。
ロイは両手にそれぞれ短剣を持って、それを手の中でくるりとまわして柄を握りなおした。
そして、顔や、首筋、関節部分など、エリクの皮鎧の隙間を狙ってすばらしい速度でナイフを繰り出した。
ピッと血が飛んだ。
エリクの肩に血がにじんでいる。ロイの右手のナイフから血が滴っていた。
ロイの顔は笑っている。大丈夫だから早く行け、と言っている。
自分は彼にうなづき返すと、ヴェラを連れて先に進んだ。
エリクはこちらを気にしつつも、わりとあっさり通してくれた。
ロイから目が離せないのか、女子供と非力な骸骨一匹を見逃したところで何もできないと思ったのか。
エリク以外には本当に待ち伏せはいなかった。
若干ペースを落として警戒しながら通路を進んだのだが、杞憂だったみたいだ。
「ここを抜ければ、王宮の庭に出ます!」
ヴェラは気が逸るのか、自分の前に立って走り出した。
やがて、上り階段が見えたのでそこを登ると、出口は葉っぱでふさがれているようだった。
飛び込むようにして出ると、そこは王宮の裏庭のような場所。
通路の出口は植え込みの葉っぱで隠されていたみたいだ。
「こっちです!」
ヴェラに手を引かれて走る。
城の中に入って少し緊張する。警備の兵士もいるのではないかと思ったからだ。
が、不思議なくらいに出会わない。
よく考えれば、ここは彼女の家だ。
兵士の配置や、どこを通れば人に会わないかも知っているのだと思う。
やがて、城のなかをぐるぐると走りまわったあと、一つの部屋の前に出る。
「ここが兄の寝室です」
こんな夜中なら確かに寝てるはずだよな。
ヴェラが扉を開けて中に入った。しかし。
「あれ、いない……。なぜ……」
バルバラ帝は、寝室にはいなかった。きちんとシーツが延ばされた使った形跡のないベッドだけがそこにある。
「どこにいるんだろう?」
自分のつぶやきにヴェラは何も答えなかった。その後、執務室なんかも行ってみたがやはりいない。
仕事でもないのか。なら、どこに……。
不安がよぎる。ヴェラもよくない想像をしているらしい。
皇帝はすでにいない、亡き者にされている、なんて少し考えすぎだろうか。
いや、国の様子がおかしいことをよく知っているヴェラはそれすらも可能性として考えているに違いない。
その後もいくつかヴェラの心当たりの場所を探してみたが、バルバラ帝の姿はなかった。
そして、最後に謁見の間くらいしか、思いつかなくなったが、まさかこんな真夜中にバルバラ帝がそこにいるとは思えない。
こんな時間に謁見を求めるものなんていないだろう。
そう思ったが。
もはや、ヴェラは隠れる気すらないのか、謁見の間の前までくると、両手で勢いよく扉を開けた。
無駄に広いスペースに入り口から玉座まで伸びる赤いじゅうたん。
玉座には、そこに腰掛ける一つの影があった。
ひじ掛けに体を傾けて頬杖をついた青年の姿だった。
目の下にはクマが色濃く浮き出て、体全体から憔悴しているような雰囲気が出ていた。
その青年はヴェラを見ると、「ヴェロニカ? ヴェロニカなのか!」と目を丸くして立ち上がった。
バルバラ帝である。
ヴェラはそんな兄帝に告げる。
「お兄様! お兄様は正気を失っておいでです! すぐにここを離れましょう」
だが、バルバラ帝は首を振った。そして、玉座にもう一度座りなおし、悲しそうな顔で言った。
「ヴェロニカ。余は正気を失ってなどいない。すべてはバルバラのためなのだ……」
自分は初めてバルバラ帝の姿を、目を見た。
その眼には確かな理性の光がある。正気を失っているようにも、狂っているようにも見えない。
でも、それならなぜ、ボロボロになるまでエルザと戦おうとするのだろうか。
わけがわからなくなった。