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戦争続行の意志を伝えてきたバルバラ。
シルディアを陥落させたエルザは、そのまま帝都に侵攻した。
城塞を守っていたバルバラの将軍やファルクラムは、多数の兵士とともに捕虜となって連行されていた。
もともと、シルディアには必要最低限の兵士しかいなかったらしく、城門さえ開いてまともにぶつかってしまえば勝てる戦だったようだ。
それはリムの戦いで災厄器の力を目の当たりにしたバルバラの兵士が逃げ出したことなども理由だったらしい。
だけど、そんな中でバルバラは帝都での最終決戦を想定し、シルディアの守りを最低限の人数に抑え、残りを帝都に戻して戦いの準備をしていたそうだ。
ただ、自分の幕舎に来たラルゴ隊長が言っていた。
和平のための条件はバルバラにとってはそれほど厳しいものではなく、意地を張ってまで戦うようなものではなかったそうだ。
なのに、この強硬な態度。エルザの上官たちはそろって首をひねっているらしい。
潮風が頬骨をなぜた。
少し小高い丘からは、帝都バルバラが一望できる場所があった。
バルバラは海沿いの高い岩壁の上にあり、その後ろには海が広がっている。
海の青の中に浮かぶように、周りを城壁で囲まれ、きれいに区画整理されたバルバラの町並みは一見の価値があった。
思わず、ため息が出るほどきれいだ。
帝都を見下ろしながら、自分は戦争が始まる前にエルザの皇様から頼まれたことを思い出していた。
バルバラ帝に会って、ことの真偽を確かめてほしい。
ある時から、急におかしくなったバルバラ帝。
自分はようやく彼のそばまで来ることができた。
できれば、直接、問いただしたい。だけど、直接会う手段がない。
本当だったら、アリーシャ王女の手引きで皇帝に会うことができたはず。
王女は同じバルバラの兵士につかまってこの帝都に送り戻されてしまったと連絡があって、そのまま戦争に参加していた。
だから、あきらめていたんだけど……。
今、こんなことを思い出しているのは、ヴェラのせいだった。
エルザ軍が帝都バルバラへの攻撃を始める直前の夜、ヴェラが自分に話があると言い出したのだ。
幸い、幕舎には自分たち以外だれもいなかった。
今までのことを振り返る。
突然、自分たちの前に現れたヴェラ。戦争の仕方を知っていたり、強面の兵士たちの中でも委縮しない度胸もあった。
また、シルディアに侵入したときにはどちらに行けばよいか悩んでいた自分たちを導くように駆け出した。
まるでシルディアの内部を知っているかのように。
そして、エルザ軍に蹂躙されるシルディアの兵士たちを見て、涙さえ流していた。
それはきっと……。
放浪の民族とか言っているけど、それも嘘だというのはいくら何でもわかる。
そして、たぶんなんだけど……。
「もう、あなたにはバレてしまっているようなので」
彼女はそんなことを言いながらいつもかぶっていたフードをとった。
フードの陰に隠れていた彼女の顔。かわいらしいとは思っていたけど、実際に見てみるとやはり幼さが目立つ。
歳はどう見積もっては十五は越えていない。
ただし、その表情には利発さと気品が同居している。少なくとも、放浪の民族の娘ができるような表情ではない。
「ずっと、黙っていてすみませんでした」
素顔をさらして、自分に頭を下げる彼女は申訳なさそうだった。そして、顔をあげて自分を見つめる瞳には強い光がある。
「はじめまして、というのもおかしいでしょうか。
でも、きちんとご挨拶させていただくのはこれが初めてですね。
私の名前は、アリーシャ=ヴェロニカ=デ=アンナ=バルバラ。
ご存じだと思いますが、バルバラの王女です。
順を追って説明させていただいても?」
戦場のすすで薄汚れた顔で小首をかしげるヴェラ。
だけど、どんなに汚れていても彼女の雰囲気があり、それが説得力になっていた。
自分はただうなづくとヴェラの話を促した。
「さて、どこから話したらいいものやら。
最初のお話はこうだったと思います。私があなたをバルバラへ手引きする。
ですが、それはご存知のように頓挫しました。
理由は簡単です。その日の直前、私がエルザに通じていることがばれてしまったのです。
すぐに追っ手が差し向けられたようで、馬車でこちらに向かっていた私たちのそばまで迫っていました。
罪名は反逆罪でしょう。いくら王女といえど、正直、捕まったら何をされるかわかりません」
「そんな状況でよく逃げきれたね」
「それは……。
たった一人、供をしていた年の近い侍女が影武者になって私を逃がしてくれたのです。
王女の証である帝国の紋章のついた品を持って侍女はその場に残ってくれました。
私は王女とわからないように用意していた旅装に着替えて馬車を降りて逃げ伸びたのです。
だけど、その後、途方にくれました。どうしたらいいかわかりませんでした」
戦場の近くに取り残され、王女の証も一切持たないヴェラはただの子供にすぎない。
きっと、必死に考えたろう、そして、行動に出たはずだ。
「放浪の民を装って、エルザ軍に入り、伯の仲間を頼ろうと思いました。
ただ、助けを求めるのは、今回の件を知っている人でなければなりません。
私が馬車を降りたのは戦場からほど近い場所だったので、二、三日歩くだけでなんとかエルザの野営地にたどり着くこともできました。
開戦前でしたし、商人なんかの出入りもそこそこあって、それほど警戒していなかったのかもしれません。
エルザ軍の野営地にはわりと簡単に入れました。
旅装が二、三日歩いている間に勝手に汚れてくれたおかげかもしれません。
だれも薄汚れた子供一人に目くじらを立てるようなこともありませんでした。
私はエルザ軍の野営地をさまよいました。
たしか、ラルゴという人に話を通せば大丈夫なはず。
エルザの皇様には話が通っているし、これで一安心だ。一時はそう思いました。
ですが、そう思う反面、このまま自分は何もせずにただ身の安全だけを考えていていいのか、と考えたのです。
バルバラはおかしな方向に進んでいて、私はそれを止めたかった。
なのに、指をくわえてみているだけなんて……。
そこでふと思い出したのです。ランバートの英雄。
私はその人に会ってみたいと思いました。そのときは何も考えてなかったのですが、とりあえず一目だけでも、と。
その辺を歩いていた兵士を捕まえて話を聞くと、あなたの居所はすぐにわかりました。
そして、実際あってみると、その……、なんとも予想外だったというか。
とても戦う人には見えませんでした。確かに鎧を身に着けてはいたのですが、なぜか、周囲の空気が緩むようなそんな感じを受けたのです。
なんだか、優しい感じがして、あなたの周囲の空間は不思議となごんでいました。
ピリピリした指揮官も、粗暴な兵士も、神経質な魔術師も、あなたのそばに居るとなぜかくつろいでいるように見えてしまうから不思議でした。
もうすぐ戦争が始まるのに。
そこでなぜかこう思ってしまいました。
私はやはりたた指をくわえてみているのは嫌だ。自分のできる限りのことをしよう。
エルザ軍にくっついて、再び帝都に戻り、もう一度兄に会いたい……。
そこで一計を案じて、私は骨さんの側に居座ることにしました。
ほかの人と話しているのを隠れながら聞いていて、人の良さは分かっていました。
理屈をこねれば、骨さんは割と簡単に折れて、自分をそばにおいてくれるだろうという自信もありました。
ただ、理由がほしかった。
そこで、戦争を知らない骨さんに参謀という形で取り入ったのです。
私は生前の父と一緒に軍事演習を見るのが好きだったので、軍隊がどんな風に戦うかは知識として知ってはいました。
そして、リム平原の戦いを経験して、なんとかやっていけそうだな、と思って安心したりもしました。
特に奇策をもちいるわけでもなく、淡々と当たり前のことをする。
それがどんなに難しいかわかっているつもりでしたが、やはり死傷者が出ると心が痛みました。
そして、そのリム平原の戦場で骨さんが……。
私も正直、あれをみて恐怖しました。しかし、同時に歓喜もしたのです。
この力があれば、バルバラを止められる。兄も考えを改めるだろう、と。
だけど、力に頼った結果はさんざんだったようですね。
そもそも、自由に使える力ではなかった。それに使ったところで誰も幸せにすることなでできなかったでしょう。
でも、だけど、今、これはお返しします」
ヴェラは自分の懐から、赤い玉を取り出して自分の手に握らせた。
「でも、これは……」
正直、自分はこんなものいらない。それに。
「これは人間の負の感情に呼応して、力を発揮する。つまり、怒りとか憎しみとか……」
自分は受け取った玉を再び、ヴェラに返そうとしたが、彼女は首を振った。
「いえ、持っていてください。あなたが持つべきです。
確かに、災厄器は人間の怒りや憎しみに反応します。それが大きいほど、力を発揮するのでしょう。
だけど!
正しい怒りだってあるはずです! 悪を憎む心も憎しみには違いないはず!
私はずっとそばであなたを見てきた。
もはや、これを手にしたからといって力に振り回されることなんてないはずです。
この力が必要になる時が必ず来ます!
だから……」
自分は手のひらの上にある小さな赤い玉を見つめた。
竜の体から出てきた災厄の種。
自分はそれをもう一度右目の眼窩にはめ込んだ。
ヴェラはそれを確認すると、満足そうに微笑んだ。
そして、続ける。
「最後は身勝手なお願いになります。
あなたをずっとだましていた私がこんなお願いをするのは、筋違いなのもわかっています。
ですが、どうか。私自身のためではなく、バルバラの民のために、どうか聞き届けてもらえないでしょうか。
明日にはエルザが帝都へ攻撃を開始します。
帝都は、バルバラの最後の砦、城壁の中には一般人もたくさんいます。攻撃が始まれば、そんな人たちにも被害がでるかもしれません、
だから、その前に、お願いしたいのです。
今から、私は緊急時に王宮の人間が脱出する経路を使って潜入し、バルバラ帝を助けてほしいのです。
「助けてくれって……」
どういうことなのか。
「バルバラ帝が、兄がおかしくなっているのは、すでに聞いていらっしゃいますよね?
私と話していてもうつろな表情で、いつも心ここにあらずといった感じでした。
兄はたぶん、操られています」
「誰に?」
「バルバスという男です。数年前に、ふらりとこの国にやってきていつの間にかバルバラの相談役になりました。
今も、兄のそばに居るはずです。
彼が来てから国はおかしくなりました。
私の家族も次々に死んでしまって……。
バルバスが兄を操っている可能性は高いです。
今回、私の捕縛命令を出したのもバルバスらしい。
それにみんなの進言はおざなりにしても、兄はバルバスのいうことは聞くのです。
ひょっとしたら、魔術か何かで操られているのかも。
とにかく、兄をバルバスのもとから引き離してほしい。
そうすれば、兄は賢明な人なので、エルザと和平を結ぶでしょう。
こんな戦争、本当はしなくてもよかったんです。
ただ、食料をエルザに売るだけでもバルバラは十分に富んだのですから」
話おわると、ヴェラは肩で息をしていた。
いままでため込んでいたものを、ようやく吐き出せた、といった感じだ。
自分の心は決まっていた。
その辺を散歩していたロイを捕まえると、ヴェラと三人で王宮への隠し通路へと入っていった。




