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次の日からの戦闘も。
一人で戦場をちょこちょこ歩きまわっては赤玉の力に頼り、たいていは裏切られ。
でも気まぐれに力が発動して黒い霧がちょびっとだけ出たりした。
バルバラの攻撃は以前よりも苛烈になった。
エリクが、あの猟兵が「上」に報告したのだろう。
竜の力を恐れて委縮していたバルバラの兵士たちも、それが自由に使えないと知り、戦いやすくなったのだと思う。
そんな中で、自分の中途半端な行動は役に立たないどころか、味方の邪魔さえしているようだった。
エルザが有利な戦場を後押ししようと黒い霧を発生させた時などは、敵味方関係なくおびえてしまって、その場から撤退していった。
あとちょっとで敵の部隊を打ち破れそうだったのに、仕切り直しになってしまったのだ。
もはや自分が何をしているのか、何をしたいのか、わからなくなってしまった。
その日の夜も、来客があった。
いつものように日が出ているうちは戦闘があり、沈むとそれぞれ引き上げて野営地で休む。
エルザの野営地のすぐそばで。
自分は、いつもの通り木の幹に背中をあずけて休んでいると、目の前の茂みからロイが出てくるのが見えた。
彼はバツが悪そうにしながら、でも、自分のところまで歩いてくる。
「今日は、お前に謝らなきゃいけないことがあってよ」
開口一番、こう言った。
とはいえ、自分は誰かが自分とこうして話をしてくれるのがうれしかった。
たった一人で、野営地のたき火の光を見ているとなんだか無性に人恋しくなる。
「なんか、謝られるようなことなんてあったっけ?」
ロイはうんうんとうなづくと懐から、布に包まれた小さな何かを取り出した。
それを受け取って布を開いてみると、中には小さな木切れが入っていた。
裏を返してみてると、そこには。
こち だいじぶ ほね がんばて
木切れに木炭で、字が書いてある。
なんだかふっと口元がゆるんだ(気がした。顔に筋肉がないので以下略)。
こっちはだいじょうぶ、ほねもがんばって、だろうか。
「それと、エミリからも伝言預かってる。『待ってるからね』だとよ」
「……これって」
ロイは顔を背けながら言う。
「俺も戦いに出るのに、あいつら、お前のことばかり心配してるからよ。
だから、すぐに渡すのはシャクでな。
だけど、今のお前には、これは必要なものなんじゃないかと思ってよ……」
自分は、その小さな木切れを見ながら、からっぽの胸の肋骨の隙間になにか暖かいものを感じる。
「なんか前より書くのが下手になってるような。習った文字はきちんと書けるけど、そうじゃないのはまだたどたどしいな」
もう一度、同じ布で木切れを丁寧に包むと、口を開けて自分の頭蓋骨の中にしまう。
頭蓋骨の中心で、木切れがほのかな温かみを持つ。それは気のせいだったのだろうか。
ささくれ立っていた気持ちが落ち着くのを感じた。
なんだか心が少しだけ軽くなったみたいで。
いろんなことを考える余裕がちょっとだけできたらしい。
赤玉に皮も肉もない指先で、右目の赤玉に触れる。
自分は、この力が戦争を終わらせると思っていた。
あの強大な力の発動。
その力を振るっているのが自分だから、力は自分のものだと勘違いしていたのかもしれない。
自分は、いろんなものを見失っていた。
戦う理由や、自分の本当の戦い方や、守りたいもの、曲げられない信念。
何かを思い出せそうになっていた時、再び周囲の茂みからがさがさと音が聞こえてきた。
それに複数の人の気配。
なんだ?
警戒していたが、姿を見せたのは十数人のエルザ兵たちだった。
なんだ、味方か……。
でも、見たことない人たちだな。
安心したのもつかの間、彼らはいきなり自分にとびかかり数人がかりで拘束してきた。
「え……」
捕まる理由がわからない。でも、なぜ、自分のいるところが?
わけがわからないまま、ロイを見る。まさか……!?
「違う、俺じゃない!」
同じように数人の兵士たちに拘束されていた。
自分たちはそのままエルザの野営地に連れていかれた。
思ってもない帰り方で戸惑う。
これはどういうことなのだろうか。
それを自分を拘束していた兵士たちに問いただすと。
「一緒にきていただけますか。導士がお待ちです」
導士? 誰だ、それ。
士官用の大きな幕舎に連れてこられると、今度はそこで縄を打たれて身動きできないようにされた。
そのまま幕舎の中に入ると。
そこにいたのは皇都で顔を合わせた、ワイズやマルガの『先生』だった。
「また、お会いしましたね」
五十を少し超えた、線の細い、いかにも術士だと思われる男は前に見た時と同じように全身を白いローブに包み、フードをかぶっていた。
「こんなほこりっぽいとこは早く退散したいのですが」
ぶつぶつと口の中で不満を漏らしながら兵士たちに命じて、自分を幕舎を支える柱の一つにしばりつけた。
ぐ、ぐ、と体をねじってみたが縄は外れそうにない。
両腕を拘束されたまま、柱に縛りつけられて身動きが取れなかった。
ロイは自分の隣で両手両足を縄で縛られ、床に転がされている。
『先生』はそんな自分たちを前にして、薄ら笑いを浮かべている。
背後には弟子と思われる術士が三人。さらにその後ろに兵士が数人控えている。
いやな予感しかしない。もう、ほんといやな予感しかしなかった。
「ああ、楽な姿勢でいいですよ。って縛られている人にいうセリフじゃないですね。
うふふ。でも、まぁ、不都合もないでしょ?
あ、お茶くらい出しましょうか? そうか、あなたは飲めないか」
『先生』は、とても機嫌が良さそうで、しかも少し興奮しているように見える。
その視線は、自分の右眼窩に収まっている赤玉に、ずっと注がれている。
そういえば、皇都でもこの赤玉に興味を示していたのを思い出す。
「監視魔法でね、リム平原での戦いを見ていました。わが軍の勝利の瞬間もね。
いや、あれはすばらしい! 本当にすばらしい! もう、感動しっぱなしでした。
それから三日、口からため息しか漏れないくらいにね! これは恋とよく似ている!」
なんだ、なんだ!? この人いきなり何を言い出すのだろうか。
狙いが赤玉なのはわかる。
だけど、いきなり目の前で興奮気味に語られてても、テンションが違い過ぎてまともに会話できる気がしない。
「あなたは恋をしたら、まず何をしますか? 私はまず相手のことよく調べますよ!
好きなもの、嫌いなもの、趣味、家族構成、友人関係……。
まずはそこからがスタートです。
だってね、最初は相手の一面だけを見て、好きになったのですからいろんなことを知りたいでしょう?
私もね、調べましたよ、調べちゃいました! 弟子を何十人も使って、ありとあらゆる方法でね!
そりゃもう、国中の文献をあたりました。ただ、どれだけ調べてもそれらしい記述がまったく出てこない……。
しかし、うまくいかないほど燃え上がるのが恋ってもんでしょう!
だから、今度はよその国の文献までいろいろ手を尽くしてしらべちゃいました!」
テヘペロ、なんてやり出しそうな勢いだった。おっさんがやっても可愛くないが。
「まぁ、今、うちの国攻めてる北のマトレンの書物だったんですけどね。
わずかに数行だけ、あなたの右目にはまっているものの記述があったんですよ。
知りたいですか? 知りたいですよね? 私、その気持ち、よーくわかります。
知識のいいところは、人に分け与えても減らないところですからね。
だから、気前のよい私が特別に教えてあげます」
『災厄器』
「人間の負の感情に呼応して、世界に災厄をまき散らす祭器。
別の大陸から渡ってきた、呪いの宝玉。
ただ私にはそれだけの記述で十分理解できました。
あの時、あなたの部隊は崩されて、大勢の仲間が死んだ。
中には懇意にしていた人もいたのでは?
そのとき、あなた、どんな気持ちでした? ねぇ、どんな気持ちだった?
想像に難くありませんねぇ、きっと激しい負の感情が渦巻いていたのでしょう。
怒り? 悲しみ? まぁ、なんでもいいですけど。
遠くから魔法で見てても、あなたがブチ切れたことはすぐにわかりましたし」
『先生』はゆっくりと自分の右目に手を伸ばしてきた。
「『災厄器』をどうするつもり?」
「簡単な話です。調べて、使えるようにするだけです。うちの国は、そうでなくても今ピンチですからね。
しかし、あの力を自由に使いこなせれば、向かうところ敵なしでしょう。
バルバラも、マトレンも倒せる!
いや、それどころかこの大陸の覇権だって手に入れることができる!」
「誰が? エルザ皇が? それともあんたが?」
上機嫌だった『先生』はその言葉に若干むっとした様子を見せた。
「そんなものは、お前に関係ない」
右の眼窩に収まった赤玉が、まさに『先生』によってえぐり取られようとしていた。
頭蓋骨に、眼窩に指が入る気持ちの悪い感触。
そこに。
「何をしているのですか!」
幕舎の中に声が響いた。少し甲高い声、女性の声はよく響いた。
ヴェラ! それにワイズや、オルガ、ほかにも見たことのある顔が何人もいた。
自分の部隊の兵士たちだ。
さすがに味方に武器は向けられないのか、彼らは『先生』の護衛についていた兵士たちと揉み合いになって場は一気に混乱した。
ヴェラとワイズが、自分とロイの縄を解いてくれる。
「さぁ、行きましょう!」
叫ぶヴェラに問い返す。
「どこに?」
「さぁ、そんなのわかりません!」