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骨のあるヤツ  作者: 神谷錬
恐怖騎士(テラーナイト)は戦場をさまよう
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「それって」

「ほぼ間違いない。付近に偵察に放っていた斥候からの情報だ。アリーシャ王女と思しき人物が馬車に乗せられ、帝都に送られていったそうだ」

「……」

「まさか、いきなり頓挫するとは……」

 本当にそうだ。

「でも、それじゃどうするの? 自分たちだけで帝都を目指す?」

「いや、魔法で皇都にいる伯と相談済みだ。計画は中止になった」

「なぜ!」

「この計画はもともと王女の手引きがあっての算段だったからだ」

 

 そうだった。王女が手引きしてくれるからこそ、ある程度の見通しが立っていた計画だった。

 その王女と合流できなくなってしまった今、もしバルバラに侵入できたとしても、険しい道のりになる。

 帝国の地理に不案内な人間だけでどれだけ動けるかも怪しいものだ。

 関所もあるだろう。戦時中なので領内には帝国の兵士がうじゃうじゃいるはずだ。

 そんな中で、見慣れない者や、怪しい動きをする人間は目立つ。

 

「一応、合流場所には部下を向かわせるつもりだ。そこで会えれば、すぐにお前に知らせる。

 何人か引き連れて王女に会いに行ってくれ。そうでなければ、計画は白紙に戻すしかない。

 あまりに無念だが……」


 自分は。

 悔しさよりも、不安に駆られていた。

 確かに帝都への侵入は危険な任務だと思う。

 だが、それでも今日経験した戦場のように不特定多数を相手に殺し合いをしなくて済むと心のどこかで思っていた。

 今日はまだ大した被害はなかったし、自分もはっきりと誰かに刃を突き立てるようなことはなかった。

 けれど、明日はどうなるかわからない。明後日も。

 逃げることは許さない。運命がそんな風に自分をあざ笑っているのかもしれない。

 伯が言っていた。人間は血にまみれても生きていたいのだと。

 ならば、自分も本当に血にまみれる覚悟をしなければならない。


 やはり、アリーシャ王女は合流場所に姿を見せなかったそうだ。

 翌朝、隊長の部下が自分の幕舎に来てそう告げた。

 なら、エルザという国を救う方法はもう一つだけしかない。

 この戦争に勝って、バルバラから食料を得るしかない。

 でも、こんな自分に何ができるのか。戦場では、自分はただの一兵卒に過ぎない。

 竜と戦っていた時よりも無力感を覚える。

 力……。

 力がほしかった。

 右の眼窩に嵌めた赤い玉が、わずかに光を放った気がした。


 いたずらに日数だけが過ぎていった。

 その間、両軍は何度もぶつかった。自分たちもよくしのいでいたと思う。

 逆に言えば、攻めることができなかったわけだが。

 部隊の中で、初めて死人が出た時は言葉を失った。

 だけど、それが戦争だと心のどこかで割り切って、また戦いに出る。

 小さな傷を負ううちに痛みに慣れていく、そんな勘違いをしたままで。


 誰かがいなくなれば、代わりの誰かがやってくる。自分の部隊も何人か入れ替わっている。

 前線に送られてくるのはやはり身分の低いものからだ。

 自分の部隊の補充要員に、もっと後方にいたはずのゲンさんの姿があった。


 五日目の戦闘。

 その日もいつものように両軍がぶつかった。

 ただ、いつもと違うのは、敵の魔術師が放った「爆火」が自分の部隊に直撃したことだった。

 一発で三人が死に、五人が大やけどを負って重傷。

 めったに当たらない魔法も、撃っていればそのうち当たるものらしい。

 怪我人はすぐに後ろの引きずられていき、彼らのいた場所は別の兵士が埋めて、陣形を整えようとする。

 ただ、タイミングが悪かった。

 部隊の混乱に乗じて突撃してきた騎兵が、陣形の一角をくずしてしまった。

 後は、もう目も当てられない状況だった。

 がっちりと陣形を組んで突撃してくる兵士の槍で、次々と仲間たちが犠牲になっていった。

 そばにいたゲンさんさえも。

 胸を槍で貫かれて、地面に倒れるゲンさんを見た。

 

 それが引き金になったと思う。

 自分は心にふたをしていたのかもしれない。多分、人が死ぬのがつらいから。

 自分の部隊にはごろつきやちょっとした犯罪者も多かった。

 どちらかというといい人間ではないかもしれない。だけど、殺されるような人間でもない。

 それがバタバタと死んでいく。

 だからか。

 いつもいつも。

 無感動を装って、冷静に周りを見ているふりをした。

 ヴェラが隣で何かを叫んでいた。

 敵の攻撃から逃れようとした自分の部隊の兵士たちが背中に槍を突き立てられている。

 ワイズが、はやく下がれ、と何度も自分に言っている。

 だけど、もう限界だった。

 誰が好き好んで人など、殺したいものか。殺すのも殺されるのももう嫌だ。


 なぜ、こんなことになっている。

 あんなにも醜く顔をゆがめて何かに縋り付く様に武器を振る敵の兵士たち。

 彼らだってわかっていないのだ。多分、敵が憎くて殺したいと思っているわけでもない。

 ただ、状況がそうさせている。

 だったら、誰を恨めばいい? 自分の敵は何なのか。

 頭がおかしくなりそうだった。 

 爆音と血の匂い、鉄の感触。


 これは何かの物語なのだろうか。

 だとしたら最悪だった。

 よくある最悪な物語。

 敵を鮮やかに斬り伏せていく英雄たちには、いつも疑問を持っていた。

 彼らには人の痛みがわからないのだろうか。それとも前をふさがれて、なんとなく邪魔だからで切り捨ててしまえるのか。

 斬られる覚悟があるから、斬ってもいいなんて詭弁に過ぎない。

 戦争だからしょうがない? 守りたいものがあるから? だったら人を殺していいのか?

 英雄たちは本当に無感動に人を殺していく。そして、そのことをわずかに誇っているようでさえある。

 百人斬り? 千人斬り? 自分にはただの人殺しにしか思えない。

 彼らが英雄だとするならば。

 マルガの言う通り、自分はとても英雄みたいに振るまえそうにない。

 ランバートの英雄?

 そんなものは最初からいなかった。

 今まで、自分が英雄などと呼ばれて居心地が悪い思いをしている原因がわかった気がする。

 自分は、そうするしかなかったとはいえ、あの竜を殺したことさえ、心のどこかで悔やんでいた。

 英雄などとは呼ばれたくない。もう、絶対に呼ばせない。

 そうでなければ、自分が殺したあの竜に申し訳ない。

 そして、これから殺す人々にも。

 人殺しはどこまで行っても人殺しだ。

 決して、讃えられてはいけない。


 だけど。


 もう。

 どうしようもない。

 どのみち、殺すしかないのなら。


 自分は。

 きっと。

 最悪なものに。

 なりたい。


 突然、右の眼窩に収まった赤い玉がまぶしい光を放った。自分の激しい感情に呼応するように。

「ヴェラ、離れてくれ……」

「え?」

「頼む。これから起こることが、なぜだかわかるんだ……」

 腐蝕竜の赤玉が、まるで本当に自分の右目であるかのような錯覚。

 視界の半分が赤く染まる。赤玉を通して世界を見ている。

 自分の全身から、黒い霧が立ちのぼった。ランバートを覆ったあの霧だ。それはまるで禍々しいオーラのように見えた。

 黒い霧は徐々に戦場に広がっていく。

 多くの兵士たちは何かを感じとって逃げた。

 逃げ遅れた兵士たちは、敵も味方も黒い霧を吸い込むとせき込み、やがて血を吐いて倒れた。

 その有様に、両軍の兵士たちはぎょっとして言葉を失った。

 勇敢な騎士が何人か、槍を構えて突撃してくる。

 彼らは霧に包まれると数秒もしないうちに落馬した。地面に落ちて、咳き込んだ。兜の隙間から吐いた血が流れる。

 主人を失った馬も同様だった。何回かいなないて、地面に倒れるとやがて動かなくなった。


 もう、ぐちゃぐちゃだった。

 陣形もなにも関係ない。

 味方はさっさと後ろに下がった。自分の様子を遠くから見ている。

 取り残されたのは、自分とすでに死んだ仲間たちの死骸。

 周りに味方がいなくなって、格段に狙い易くなった自分。

 敵の部隊長が叫ぶ。

「撃て!」

 自分に何百という矢が降り注いだ。さすがにこれは無効化できない。

 持っていた盾をかざして、頭だけは守る。

 着ていた鎧に何十本という矢が突き刺さった。ほとんどの矢は肋骨の間をすり抜け、いくつかの矢は肋骨を砕いた。

「第二射、構え!」

 勇敢な敵の部隊長の声。

 その方角に自分は視線を向ける。馬に乗ってこちらをにらんでいる勇者。

 さっきまで、ぼやけていた目の焦点が彼にぴたりと合った。

『滅せよ』

 誰かの声が頭の中で響いた。ひょっとしたら自分の声だったのかもしれない。


 いつまでたっても「撃て!」の命令が来ない。

 弓を構えた兵士たちが自分たちの隊長を仰ぎ見ると、すでに惨めな骸をさらしている。

 鎧の隙間から、腐り落ちた肉が糸を引くような音を立てて地面に落ちた。

 あの日のリンゴのように。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」


 敵兵士の一人が、惨めな骸を見て悲鳴を上げた。

 自分たちの指揮官がいきなり腐り落ちるなど、異常としか言いようがない。

 そして、それを誰がやったのかも彼らは本能的に理解した。

 恐怖は一瞬で伝播した。敵の一部隊から、軍全体へ。

 武器を放り捨てて逃げ出すものや、腰を抜かしてその場に崩れ落ちるもの、中には向かってくるものもいた。

 皆、一様に必死だ。顔に恐怖を張り付けて。

 チャンスなのに、味方は敵を攻撃しない。

 不思議に思って振り返ったら、敵兵と同じ怯えた目をして、固唾をのんでこちらを見ていた。

 

 自分はかまわず敵軍に向けてまっすぐに歩いていった。

 向かってくるものには、容赦なく視線を向けた。彼らは一瞬で腐り落ちた。

 腰を抜かしているものは、霧に包まれてせき込んだ。手の届く位置に近づいても、生きていた場合は慈悲だとばかりに剣を振るった。

 気づくと周りには、勇敢な敵の死体が散乱している。

 自分でもわからないが、大きな笑い声をあげた。あげつづけた。


 あとは同じことの繰り返し。


 それからのことは曖昧だが、なんとなく覚えている。

 自分はただまっすぐ進んだ。その間、たくさんの敵兵が自分に向かって来た。そして、彼らに何をしたのかも。 

 すべてが終わったとき、目の前には誰もいなくなっていた。

 だたっぴろい平原に、自分と、それからたくさんの死体だけ。

 

 誰もいなくなると赤玉の輝きは消えた。ただの赤い玉に成り下がる。

 全身からあふれ出していた黒い霧も消えた。

 霧が晴れると、真っ赤な夕日が顔をのぞかせる。

 なにもかも赤く染まった世界で。


 ヴェラのつぶやきが聞こえた。

恐怖の騎士(テラーナイト)


 そんなところにいたのか。

 そういえば、ほかのみんなはどうしたんだっけ?


 

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