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見渡す限りの人だった。
自分は平原の小高い丘の上にいた。
そこから見下ろす兵士たち。みな、黙ってこちらを見ていた。
自分は鎧に身を包み。ただし、兜を外して、素顔をさらしている。
だけど事情を知っている人以外は、自分が骸骨の被り物をした人間だと勘違いしている。
今、目の前にいる三万の兵士たちだってそうだ。
だけど、わざわざ言う必要もない。彼らに必要なのは非力な骸骨ではない。
ランバートの英雄なのだから。
周りには隊長と、ほかにも階級の高い武官、つまり将軍や将校と思われる人たちが数十人。
彼らは戦闘用の鎧でさえ、意匠を凝らしたものを着ている。鎧に施された装飾や、華美なマント。
それは人の上に立つものとして必要な威厳を保つためのものかもしれないが。
彼らの目は言っていた。
お前の使命を果たせ。
自分の、使命……。
ランバートの英雄として、兵を鼓舞し、士気を高めること。
ようやく仕事が一つできる。
自分はマントを翻して群衆に向き合う。
どんな風に士気を上げるかは、すでに話し合っていた。
語りかけることはしない。あおるような演説もしない。
ただ、剣を抜いて空高く掲げるだけでいいと言われた。
自分は一歩前に進み出ると、固唾をのんで見守っている兵士たちに見下ろした。
ここに来てから、紹介されているわけではなかった。
だが、兵士たちは何となく自分が誰なのかを知っているようだった。
おもむろに。
腰の剣を抜いて空に掲げる。剣が太陽の光を跳ね返して輝いた。
しばらくののち、誰かが拳を振り上げて叫んだ。
あれはロイだ。ここでも、サクラ役をやってくれるのか。それにしても律儀だな。こみ上げてきた、笑いをこらえる。
さらに別の場所から一人。あれは……。
ゲンさん!?
こっちに向かって「うぉぉぉ!」と叫んでくれている。
ほかにも自分の村にいた男たちが、何人か声を上げてくれるのを見た。
ありがたかった。後押ししてくれるのか。
すると、そのうち声が徐々に広がっていく。複数の個所から鬨の声が上がる。
うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!
呼応して全軍の兵士たちが拳や武器を振り上げて叫び声をあげた。
それは一つのかたまりになった力のようで。
自分の鎧を噴き上げるように襲い掛かってくる。
しばらくして、剣を下ろすと後ろに下がった。将軍の一人が前に進み出る。
声を張り上げて告げる。
「出陣!」
リム平原は エルザの東にあるバルバラとの国境沿いにある大平原だ。
パイクと呼ばれる人間の身長の二倍も三倍もある長い槍をもって、部隊はひとつの生き物のように布陣した。
兵士たちは自分でどこかから調達してきた兜や鎧を身にまとって、槍と大きな盾を持たされて待機させられている。
ここには自分の部隊だけじゃない。ほかにいくつかの部隊が一緒になって全部で三百人位の塊になっていた。
自分も馬にも乗らず、槍と盾を持って戦列に加わる。
一列目に行こうとしていたら、
「なにしているのですか!」
と、ヴェラに止められて五、六列目まで下がった。
「一緒に戦うのは、かまいません!
ですが、一番前なんてやめてください!」
「どうして?」
「本気で言ってますか! あなた、私たちの隊長なんですよ!?」
そう言われたら何も言い返せない。
だけど。
「それを言うなら、君だってそうだ。せめて、ワイズやオルガのところまで下がりなよ」
ヴェラは首を振る。
「ダメです。私はあなたを補佐しなければならない。そばにいなくては!」
『そろそろ始まるみたいだぞ』
ワイズの声がどこからともなく聞こえてきた。彼の監視魔法だ。
初めてこの魔法を見たのは、オルガの「先生」がランバートの屋敷で発動したのが最初だった。
皇都からランバートほど遠距離は準備も時間もかなりかかるらしいが、相手が見える位置、声が届く位置にいるならわりと自由に使えるらしい。
もっともそれなら、大声を出せばいいだろう、と思うのだが、人が密集していてうるさい場所では、直接声を届けられるからそれはそれで便利らしい。
その声を聞いたヴェラが隣にいた自分を見上げた。
「あなたは軍を率いた経験はないんですよね?」
「うん」
「なら、差し出がましいかもしれませんが、私が指示を出してもいいでしょうか?」
フードの下にあるその顔。すすけた頬の上に、明るい光を放つくるりとした瞳がある。まるで、いたずら好きの子供のような。
その瞳にすいこまれそうになり、思わず「いいよ」と答えた。
少女は目を輝かせながら、「では!」と元気よく返事する。
『矢と炎が来る』
ワイズの声聞いた瞬間、ヴェラが叫んだ。
「矢と『爆火』が来ます! みなさん、盾を掲げて!」
数瞬後。
自分はその光景に一瞬目を奪われた。
空を覆うような矢の大群。それが、空を飛来して弧を描き、自分達に降り注ぐのを見た。
それは自分たちに襲いかかる黒い大津波のような。
慌てて盾をかざすとカツカツカツッ、と盾に矢が刺さる。矢じりが盾の薄い部分を貫通していた。薄い鉄板程度なら貫いてしまうのだ。
そして、散発的に降り注ぐ「爆火」。
人の背丈ほどの直径の火の玉が、部隊から少し離れたところに着弾し、爆音をまき散らす。
戦場に初めて出た兵士たちは、この爆音で緊張の糸が切れ、放心状態になってしまうものも少なくないそうだ。
「オルガ、ワイズ、応戦してください!」
ヴェラが叫ぶ。
部隊のやや後方で待機していた二人の魔術師。彼らの頭上に現れた人間くらいある火の玉がごぉぉと音を上げて敵の軍に向かっていった。
同時に味方の弓兵部隊からも敵の陣に矢がいかけられる。
何百、何千? 数えきれない矢が一度に放たれる様は、何度見ても目を奪われる。
その中に、魔術師たちが放った「爆火」が、赤い色どりを添えていた。
だが、やはり。
こちらから放った炎も、敵の部隊には着弾しない。
「爆火」の炎は上空の風に押し戻されたり流されてして、手前で落ちたり、大きく方向がずれたりする。
魔法、ダメじゃんと思ったが。
まぁ、こんなもんらしい。
逆に当たれば一発で十人位、吹き飛ばすことができるらしいが。
だが、音だけでもすさまじい効果がある。人間も馬も、炸裂する大音響に震えあがってしまう。
「爆音は確かにすごいです!
でも、恐れないで!
爆火にあたれば、大けが大やけどは確かにします!
だけど、そうそう死にやしません!」
すごい理屈だ、なんて感心しながら隣のヴェラを見る。少女は大きな盾を傘のように自分の頭上で掲げて防御している。
前方から地響き。
『騎兵、数は三十位か』
再びワイズからの連絡。ヴェラは一瞬自分をちらっと見た後、すぐに声を張り上げる。
「前方から敵が来ます!
騎兵!
最前列は、槍を地面と平行に構えて突き出して、二列目以降は敵に向かって斜めに構えてください。
槍の穂先で、壁を作るのです!
そう! 練習した通りに!
そのまま、陣形は崩さないで!」
突撃してくる騎馬の迫力は相当なものだった。それは対面するとよくわかる。
馬の巨体。砂埃とひづめの音がすごい勢いで自分たちに迫ってくる。
騎馬がこのまま突っ込んで来たら、何もかも吹き飛ばされそうな。そんな想像すら頭をよぎる。
「大丈夫! 槍の穂先にそのまま突っ込んでくるバカはいません! その恐怖に打ち勝って!」
ヴェラの叱咤。
みな怯えて、ひるんでいたようだが、その声で覚悟を決めたらしい。
どんどん迫ってくる騎馬の群れ。
間近に迫ると、なお恐ろしい、まるで覆いかぶさってくるような圧迫感。
だが、ヴェラの言った通り。
さすがにこれだけの槍が並んでいるところに騎馬は素直に突っ込んでこない。
途中までかけてきて手前で急停止。
恐怖に負けて逃げ出していれば、逆に隊列が乱れて、そこから崩されていただろう。
逃げ惑う兵士たちは悲惨な目にあっていたに違いない。
馬の上から槍で兵士たちを串刺しにしようとする騎士達。
いつのまにか敵の歩兵も合流して、押し合いへし合いになった。槍は突くというより柄の部分で殴打する使い方が多かった。
敵の長槍が上から、振り下ろされる。
目の前にいたやつが、頭にその一撃を食らって失神していた。
「まだです。陣形を保って!
崩されたら、部隊全員死ぬと思ってください!」
戦えなくなった兵士や、怪我した兵士はすぐに後ろに引きずられて、後方へ去っていく。
「爆火」をうったオルガは、後方に引いてけが人の治療にあたっている。
命にかかわる大きなけがをしても、どれだけ早く手当てするかで助かる確率は大きく上がるらしい。
これもヴェラが教えてくれた。
普通、致命傷を受けたら五人のうち一人しか助からないのだそうだ。
だけど、すぐ手当すれば五人のうち三人までは助かるらしい。
生きるか死ぬかは時間との勝負なのだそうだ。
自分たちのいる三百人程度の固まりは必死だった。騎兵にも歩兵にも槍を掲げて対抗した。
ワイズが時折、戦況を伝えてくる。
怒号や喧噪の中、切り裂くようなヴェラの声が響く。
こんな戦場では低い声よりも甲高い声のほうが通りがいいのか。
少女の声に従ってみんなよく戦った。
自分はといえば。
周りを見る余裕なんてまるでなかった。
そのうち頭が真っ白になった。自分がなぜこんな場所にいるのか、どうしてこんなことをしているのか。そんな疑問が頭をよぎった。
体を必死に動かして。
そうして、いくらか時間が過ぎた頃。
日が暮れはじめて、ようやく敵が引き始めた。
その時は本当に安堵した。思わず、膝から崩れ落ちてその場にぺたんと座り込んだ。
隣にいたヴェラも同様に。なんだか、おかしくなって二人で笑った。
つられてまわりのみんなも笑った。
一回目の戦闘は引き分けに終わったらしい。
自分たちも退却して野営地に戻る。
オルガがいたので
「死傷者は?」
聞くと
「死者なし、けが四人」
ということらしい。
ほかの部隊では結構な死傷者が出てるみたいだったが。
うちは指揮官が優秀だったのか、あんな最前線にいたのに被害がほとんどなかった。
なんだか精神的に疲れてしまって、自分の幕舎に戻る。
オルガはまだ帰ってなかったので一人で休んでいると、ヴェラがやってきて問うた。
「いかが、でしたでしょうか? 不足はありましたか?」
顔に自信をみなぎらせて、そんなことを言う。
自分は何も言わずに、手をパタパタ振った。
さて、ここからが本番になるはずだ。
自分は部隊を離れてバルバラに潜入し、アリーシャ王女と一緒に帝都を目指す。
正直に言えば、まだ、連れていく人間の人選に悩んでいた。
隊長のラルゴは連れていけない。彼はここに残らなければいけない。
あとは親しいものと言えばワイズやオルガ、それにロイ。
だが、連れて行くには抵抗がある。ただでさえ危険な任務だ、敵国で拘束なんてされたら命の保証はない。
まぁ、それはここにいても同じかもしれないが。
悩んでいる自分をヴェラがじっと見つめていた。
「何を考えてますか?」
「いや、うん」
例えば、この子を連れていく? 放浪民族の出身というこの子なら、旅には慣れているかもしれない。
だけど……。
みんなに相談しようかと思っていたとき、突然、隊長が自分の幕舎に飛び込んできた。
「骨! いたか!」
「どうしたの? 隊長?」
隊長はちらっとヴェラを見る。彼女は事情をさっして、すっと幕舎から出て行った。
隊長は周囲に人の気配がないのをもう一度確認すると、声を殺していった。
「近くまで来ていたアリーシャ王女が、バルバラに拘束されたそうだ」