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幕舎の入り口に立っていた小柄な人影。
ボロボロのマントで体を包み、顔はなぜかすすけている。
体の線が見えるような服装じゃないし、小柄には違いない。
フード、マントの隙間から見える麻のシャツとズボン、泥のついた革靴。
そのみすぼらしい格好から男の子に見えたっておかしくない。
なのに、目の前に立っているのが、女の子であることがはっきりとわかる。
そんな不思議な女の子。
「軍師か、参謀をお探しですか?」
声。
声を聞いたからかもしれない。透き通るような高い声は、鈴の音がなるようで、こんな場所には不釣り合いだ。
「確かに、探しているけど」
自分が答えると、彼女は「ならば」と顔を輝かせた。
「私は放浪の人間です。こんななりですから、もちろん自分では戦えません。
ですが、戦争が起こった地域で、その国の領主や国王にやとわれて軍を指揮して戦います。
力は出せませんが、代わりにたくさん知恵を出しましょう。
各国で見てきた、様々な戦争。その膨大な経験がこの小さな頭に入っています。
お代は歩合で構いません。
そもそも、負けた側がお金を払えるとは思っていませんし」
まくしたてられる。
えっと……。
自分は周りの様子をうかがった。ワイズも、ロイも、オルガも、みんな首を振る。
フードをかぶっていてもわかる。どう見たところで、十三、四歳にしか見えない。
顔には幼さが色濃く残っている。そもそも、そんな経験をしているような年齢に見えない。
口から出まかせを言っているのか。
「えっと、君、何歳?」
彼女は少し悩んだ後、「十八」と答えた。いくらなんでも盛りすぎだろう。少なくとも五つは盛っている。
しかも盛ってもまだ若い。
もう一度、みんなを見回す。やはり全員、首を振る。
冷やかしか何かだろうか。
あるいは食い詰めてこんな行動に出たのだろうか。この国では今、食料が不足している。
軍に優先的に食料は分配されることを知ったら、こんなこと真似をする子供がいるのかもしれない。
正直、困った。
もうじき、ここは戦場になるし、とっととお引き取り願いたい。
だけど、空腹のあまり、どこかでのたれ死にされても寝覚めが悪かった。
どうしよう?
またまた、みんなを見回した。が誰も何も言わない。
お前が決めろ、と言うことらしい。
確かに、そうなんだけど……。
仕方ない。
やっぱり食料をちょっとだけあげてお引き取りしてもらうことにした。
「一応、自分の分の配給とかもあるんだっけ?」
幕舎を出て、隊長に確認しに行くと確かに自分にも食料の配給はあるみたい。
いくら骨だからって、さすがに何もなしで働かせるわけではないみたい。頑張ったら報奨金とかもでるらしいが、今はそんなことはいいや。
取り合えず、三日分くらいの食料を。
隊長権限を行使して、予定よりも先にもらうことに成功する。麻袋に詰めると準備完了。
幕舎に戻ってくると、それを女の子に手渡してやった。
「誰にもとられないように気を付けて。じゃあ、この辺は危なくなるから、すぐに離れるんだよ?」
それでカタがつくと思っていた。
だけど。
バシン。
みんなの前で差し出した麻袋。
彼女はそれを叩き落した。
「私は物乞いではない! そんな施しを受けるいわれは一切ない!」
十三、四の女の子が。兵士たちが集まる戦場の真ん中で。そんな気炎を上げて見せた。
なんだ、なんだと幕舎の周りに兵士たちが集まってくる。
自分の部隊はおろか、他所の部隊の人間たちまで。
彼女は、なおも声を張り上げた。
幕舎の中の自分たちだけでなく、集まってきた兵士たちにまで響く声で。
「私は、あなたがランパートの英雄だと知ってここに来た。
ともに戦い、勝利し、戦争を終わらせるためにここに来た!
確かに私はこんななりだ。疑われてもしょうがない。
見た目は実際よりも若く見えるし、女の身の上で何を言うのかといぶかる気持ちもよくわかる。
しかし!
かつて、軍を率いて勇敢に戦った者の中には女性も何人かいた!
放浪のこの身が、そうだとは言わないが!
私はこの小さな頭の中に入っているものであなたを助けることができる!
信じてくれないなら、何度でも言う。
私はあなたと戦うために来た。
戦いに来たんだ!」
ざわついていた兵士たちも彼女に飲まれたのか、静まり返っていた。
騒ぎを聞きつけた隊長が、野次馬の中にいた。自分が、この状況をどうさばくのか面白そうに見ていた。
助けてよ、隊長。そんな思いもむなしく。
自分はこんな女の子の気迫に完全に呑まれて言葉を失っていた。
そんな中で絞り出すように出てきた言葉がこれだった。
「名前は?」
彼女はなぜか考えるようなそぶりをした。そして、しばらくしてからぽつりと言った。
「……ヴェロニカ」
ワイズが後ろでつぶやく。
「『勝利を運ぶ』という意味だ」
おお、とそれを聞いた兵士たちから声が上がる。
とても縁起がいい名前。
それに自分の仕事が士気を上げることなら、彼女は名前だけでもそれを後押ししてくれるような気がする。
たとえ、戦場をよく知っているという彼女の言葉が嘘だとしても。
頼れるのは隊長だけだが、彼だって、きっと自分の部隊を率いるので忙しいはずだ。
いつまでも頼っていられない。自分たちで何とかしなくてはいけないんだ。
竜と戦ったときだって、そうだった。最初は、手探りでいろいろ試してきたじゃないか。
だったら、今回もそうするだけだ。それなら、やる気のある人間がそばにほしい。彼女みたいな。
彼女の食い扶持は自分の分を与えればいい。どうせ、自分は食べられないのだし。
いてもいなくても同じなら、縁起だけでも担ごうか。
腹は決まった。
ちょうど、自分の部隊の兵士たちが周りに人が集まっているようだし、ここではっきりさせておこう。
「みんな聞いてくれるかな」
集まった兵士たちは数十人。
その間から、「うぉーい」だの「うぇーい」だのという野太い声が返ってくる。
みんな顔に傷があったり、くちゃくちゃ何かを噛んでたり。
正直、ガラの悪そうな人たちばかり。
うわぁ、と呆れた声をあげそうになるのを我慢して、叫んだ。
「紹介するよ! 彼女の名前は、ヴェロニカ。自分の補佐をしてくれることになった!」
瞳を輝かせて振り向いたヴェロニカに、自分はうなずいてみせた。
彼女はすぐさまいかつい男たちに向かって声を張り上げた。
「この隊の補佐をします。ヴェロニカです! みなさん、呼びにくかったらヴェラでいいですよ!」
ぴゅーっと。どこかで口笛がなった。
見るとロイがいつの間にか離れて、集まった人たちの中に紛れ込んでいた。
ロイが続けて、ぴゅーぴゅーと口笛を吹くと、ほかの誰かも真似して口笛を吹く。
彼はこういうところがよくわかってる。人間は集団になると、感情や行動が伝染する。
一人がやると、二人がやり、二人がやると四人が真似しだす。そして、どんどん広がっていく。
場も盛り上がる。
ロイは実にいいサクラ役だった。
ただ、いいサクラ役過ぎた。
調子に乗った誰かが、「脱げー!」だの「乳見せろー!」だの、叫びだす。
その様子にオルガは完全にドン引きだ。
だけど。
自分にはわかる。
彼らも本気で言っているわけじゃない。これは、ある種の歓迎の言葉なんだ。
悪人づらした彼らは素直に、よろしく頼むとか言えない。だから、こんな言葉になってしまう。
バカ騒ぎはなおも続いた。
どこかのバカが「今夜、お前のテントにいくぜー」と、言い出したのに、
ヴェラが「食いちぎられたい方から、順番にどうぞ」と満面の笑みで返した時は、男たちが両手で股間を押さえて下を向いた。
その様子がおかしくて、みんなで下品にゲラゲラ笑った。
あのワイズでさえ、下を向いてくっくと笑っている。
最初こそ。
寄せ集めの集団で、大丈夫なのだろうかと思った。だけど、自分はこの部隊がなんだか好きになり始めていた。
「出だしとしては、上々ですね。部隊としての一体感もできましたし」
自分の隣でそんなことをつぶやく彼女。
それを見て、ひょっとしたらこの子は本当に勝利を運んで来るかもしれないと思った。
数日が過ぎる。
その間、オルガとヴェラは自分の幕舎で寝泊まりしてもらっていた。
さすがに兵士たちと同じテントで休ませるのは無理だ。
彼女たちにとってもそうだし、兵士たちにとっても。
オルガはもう見た通り美人だし、薄汚れた服をまとっているヴェラでさえはっきり女の子とわかる容姿と雰囲気を持っている。
同じテントで寝かせて、彼女たちに手を出すなというほうが無理な話だ。
自分に皮と筋肉と内臓があったら、手を出さない自信がない。それを思うと同じ部隊に配属された兵士たちは逆に気の毒にさえ思う。
ほかの舞台には女性は全くいないらしい。たまに魔術師の女性が戦争に参加していてももっと後方の部隊の配属になる。
そういう意味ではオルガの先生は本当に意地の悪いことをすると思う。
それはともかく。
夜になると、眠らない自分は幕舎の中で不埒者が侵入しないように目(気持ち的な意味での目)を光らせているのだった。
ただ、そのうち兵士たちから文句が出始めた。
女を独り占めするな、というのが彼らの言い分で、それもどこまで本気かわからないものだった。
「あのね、自分はだからそういうの無理なの!」
「無理って何がだよ?」とは、兵士たちの声。そういえば、まだ教えてなかったっけ。
しょうがないから、部隊の兵士たちを集めた。
よし、全員いるな。
そして、鎧をぬぎはじめる。
なんか、見られながら脱ぐの恥ずかしいな。
鎧を一つ外すたびに現れる骸骨の体。彼らは、それを息をのんで見守り、最後には唖然とした。
はい、この反応。いつもどおりですわ。
「わかった? この体でさ、女の子たちに何ができるわけ?」
「お、おう……」
どうやら、兵士たちも納得してくれたようだ。
ただ、その後がいけなかった。
「骨さんに抱きつかれても、身の危険を感じないからいいよねー」
なんていつもの軽い調子で言う。両手を広げて、よし来い!という感じなので、喜んで突撃させてもらいました。
「ひゃっほー。くんくん。姉妹だからかな。なんか、マルガと同じ匂いする」
「もう、やだー」
なんて、きゃっきゃうふふしてたら、兵士たちがわなわなと震えだした。
「おい、おめぇら! とりあえず、あいつ引っぺがすぞ!」
数人の男たちに、引きはがされる骨。不思議とみんなオルガには触らないで、自分の骨に手をかけてくる。
こいつら、こんな凶悪な顔してるくせに紳士か。
引きはがされた後、なぜか殴り合いのけんかになり、非力な自分は荒くれ男たちにバラバラに分解された。
うん、鎧を着てなければこんなもんだ。
すぐにバラバラになっちゃう自分を見て、兵士たちは「おい、大丈夫か」なんて気を使いだす始末。
喧嘩がお開きになった後、オルガが骨接ぎして直してくれる。
隅のほうで、ヴェラがもじもじしながら、こっちを見ていた。
「あの、よかったら私とも抱き合いますか? なんというか……、そういう触れ合いも必要かもしれませんし」
自分は言った。
「やだ」
「なぜ!?」
若干傷ついたようだが、自分は悪くないよ。
彼女は着替えないでずっと会った時と同じ汚い服きてるんだよな。薄汚いマントもそうだし。
「うん、取り合えず、君は洗濯と水浴びしようね」
「お風呂は嫌いです」
うーん。放浪の民とか言ってたけど、お風呂にあまり入らない民族なのかな。
始まりは唐突に来た。
隊長が自分の幕舎に来て言った。
「戦いが始まる、準備を整えてくれ」
来たるべきが時が来た。
幕舎に中にいたのは自分とヴェラ、マルガ、ワイズ、ロイ。
みんなの顔に緊張が走った。