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幕舎に入ったら、中から声がかかってきた。
「よう、変なところで会うな。なんて、お前が来るのはわかっていたが」
「ワイズ!? なんでこんなところに」
ランバートの貧民街で、薬屋を営むワイズ。
彼が作ってくれた酸が竜のうろこを溶かしてくれたおかげで、戦いに勝てたと言っても過言ではない。
長髪で眼鏡をかけた青年の顔は、これが自分だと言わんばかりにいつも皮肉気に歪んでいる。
「私はこれでも元宮廷魔術師、錬金術師だからな。
戦闘開始直後に矢とともに敵軍に放つ『爆火』くらいは当然、撃てる。
一度、放逐した人間でも戦争になれば、欲しいらしい。わざわざ招集がかかった」
「招集って……」
「知らないのか? 今、国中で徴兵されてるぞ。私もそれにひっかかったわけだが」
そういえば、伯か隊長がそんなこと言っていたような。
「それにしたってすごい偶然だ。全部で皇国軍が三万人くらいだっけ? それで同じ部隊になるなんて」
「あのな、骨。お前はどこまで人がいいんだ」
もともと皮肉気に歪んでいたワイズの顔が、さらに皮肉気に歪む。
「他のヤツはしらないが、私に至っては最初からここに配備されることになっていたようだ」
「ほんと? 伯あたりが気を聞かせて、一緒の部隊にしてくれたのかな?」
そうだとしたら、ありがたい。誰も知らないところで一人で戦うのは正直心細かった。
「残念ながら違う。前も言っただろう。伯爵は私のことなんか気にはかけない。
これは間違いなく、私の師だった奴の嫌がらせだ」
「嫌がらせ?」
「そうさ。自分のところを出奔した弟子が、戦争に出るのを知って、一番、戦闘が激しいところに権力使って放りこんできやがった。
それを証拠に、最初は別のもっと後方の配属だったのさ。だが、急に配置転換だ。
言いに来た奴に話を聞いても理由は知らないとぬかしやがった。
こんな何年たった後でも、嫌がらせしてくるなんて国中さがしてもあの男くらいだろうよ。
それがわかった時、適当なところに一発『爆火』をぶちこんで、逃亡してやろうと思ったが、やめた」
「な、なんで?」
「あの男がこの戦いに出ているわけがない。宮廷でのんびり監視魔法でもつかって戦況を見ているだろう。
撃ち込むなら、内郭にある研究施設だな」
オルガがいたあそこか。
「それに……」
「それに?」
「配属先の部隊長が、お前だと知ったからな」
「……」
「いや、なんでもない。お前の間抜けな顔を思い出したら、怒る気が失せただけだ」
そう言って座っていたワイズは、ごろんと横になるとあっちを向いた。
それからしばらく時間が経って。
ワイズは相変わらず、この幕舎で寝ころんでいる。ワイズにだって自分のテントがあるはずなんだけど。
なんで、いつまでもここにいるんだろう。思い切って言ってみた。
「えっと、ワイズ。割り当てのテントに帰ってくれない? ここ、自分の幕舎なんだけど」
するとワイズはごろりと寝返りをうってこっちを向く。
「うるさいな、あそこにはもういられん」
「なんで?」
「おなじテントの奴らと口論になった。
まぁ、その、なんだ。あまりにバカだったんでいくつか教えてやっただけなんだが。
そんな私の親切を勘違いしたのはあいつらの方だ。
戦場で背後から私を狙うとか言いやがった。
だから、無知なあいつらに魔術師は基本後方支援だから、お前たちが背中を狙うチャンスなどないぞ、軽くののしってやったら、テントから蹴りだされた」
会ったばかりの人をののしっちゃうのかい。
「蹴りだされちゃったのかよ! 叩きのめして、逆に他の人たちを追い出すとかはしないんだ?」
「しないというか、できないな。何度も言うが私は魔術師だ。腕っぷしはものすごく弱い」
「威張って言われても……」
「邪魔するぜ」
今度は誰だ。
自分とワイズが話をしている中、もう一人の人物が幕舎の中に入ってきた。
それもまた見知った顔で。
こんな場所で会うことはないと思っていた人だったから、余計に驚いた。
「ロイ君?」
「よう、元気そうだな。骨」
やんちゃな感じの青年。やはり歳はワイズと同じで二十歳くらい。
しなやかな体を革製の鎧で包んでいる。腰や体に巻いたベルトには小さな投擲用のナイフが何本も収納されている。
「なんでこんなところへ……」
なんて、さっきもワイズに同じ質問をした。
きっとあんな山奥の村でさえ、徴兵の対象になったのだろう。
ということは、ほかにも?
「ゲンさんやほかの村人も別の部隊にいる」
「ゲンさんも! そんで、ロイ君はここに配属されたんだ?」
「いや、俺もゲンさんと同じとこだった。
だけど問題起こしたヤツが、ここに飛ばされたのを見て、俺もちょっとだけ暴れた。
エミリとミザリは心配ない。なんとか二人やってるよ」
「ちょ!? それを言うためだけにわざわざここに飛ばされてきたの?
でも、なんなの、ここは問題起こした人が送られる部隊なの!?」
寝ころんでいたワイズが座りなおしてこちらを向く。
「さっきも言ったろう。ここは戦闘が一番激しい部隊だ。
ランバートの英雄様には軍の先頭に立って兵士を鼓舞してほしい、なんてな。
それも理由にはあるだろうが、宮廷の奴らの一部はあわよくばお前に死んでほしいと思っているだろう」
「自分は恨まれるようなことした覚えはないんだけど」
「お前はランバート伯とのつながりが強い。その活躍は伯爵の勢いを後押しする。
皇に信頼厚い伯爵がこれ以上出世するのを面白く思わないやつらもいるだろう」
そうか。
伯やマルガは自分を戦場には出したがらなかった。
でも、逆に言えば自分を利用すれば出世できたのかもしれないということ。
それをせずに自分の身を案じてくれた彼らに、いまさらながらに親近感を覚えた。
ワイズが話し終えると、ずっと黙っていたロイ君の気配がふっと剣呑なものになる。
「お前、ワイズか?」
急に険しい顔になるロイ君を唖然と見守っていると、ワイズが答える。
「私は、お前が入ってきたときからわかっていたぞ。相変わらず、どんくさいやつだ。
だから、ランバートを追われるんだ。ちんけなコソ泥め」
幕舎の入り口にいたロイ君が、さっとワイズに駆け寄って両手で襟を締めあげた。
「俺をそんな風に言うんじゃねぇ」
ワイズは締め上げられながら、ロイ君見下すようにニヤニヤと笑っている。
さすがにこれはちょっと止めたほうがいい。
雰囲気がちょっとガチですね。
あわてて割って入ると、ロイ君はぺっと唾を吐く。
幕舎の中でつば吐くのやめて。なんて、言える雰囲気ではない。
ワイズはワイズで、自分の襟やマントをさっさと直している。
「いきなりやめてよね。なんなの? 二人は知り合い?」
聞くと、どうやらランバートの貧民街で犬猿の仲だったらしい。
「ロイ君は、もともとあの村の人じゃなかったんだ?」
「ああ、ちょっとせこい盗みをやらかしてな。逃げた先があの村だった。
着の身着のままで流れついた俺によくしてくれたのはエミリだった」
「彼女らしいと言えば、そうだよね」
ワイズがため息をつく。
「世界は狭いな」
確かに、自分の知り合いのロイ君とワイズが知り合いだったなんて。
「あと、骨。俺のことはロイでいいよ。君付けとか背中がかゆくなる」
ずっと言いたかったんだ、と若干すっきりした顔になる。
そこにまた入り口から声がかかった。
「世界は、もっと狭いかもしれない」
女性の声だ。
中にいた全員がハッとした。
その人物を見て、ワイズがやりきれない顔をする。
「お前もか、オルガ」
普段は上下とも丈の短いローブを着ているのだが、今日はその上から全身を隠すようにマントとフードをかぶっていた。
幕舎にはいってから、フードをとる。
その顔は青ざめていた。
「割り当てのテントに行ったんだけど、男の人しかいなくて……」
それは……、つらい。
オルガは妙齢の女性だ。何が起こるかなんて火を見るより明らかだった。
「骨さんが、ここの隊長だって知ってたから、わたしもここで休ませてもらえないかな、と思って」
皇都から、旅をしてきたばかりなのだろうどこかくたくたな感じのオルガ。
自分はそれを快諾した。
「あの後、わたしにもすぐ召集がかかって。
宮廷魔術師で医術師だから、この部隊の衛生をまかされて……」
だとしても、宮廷魔術師がこんなところに……。
思い出していた。
あの時、オルガの肩に手を置いて「罰を覚悟しろ」と脅してきた「先生」。
ワイズがあきれたように聞いた。
「お前、何をやった? あのブタの機嫌を損なうようなことをしたのか?」
オルガにかわって自分が説明する。
オルガが自分を呼びに来た事、でも、逃がそうとしていたこと。
それが「先生」にバレたこと。
研究施設での一件。
「お前もたいがいバカだな。私のことをとやかく言える立場じゃない」
ワイズの追い打ちに、黙り込むマルガ。
だけど、ロイがそんな空気を明るく変えてくれた。
「でもよ、怪我したら俺たちはこんな美人に手当してもらえるんだろ?
なら、わざと怪我するやつも出てくるかもな」
仲良くやっていこうや。
そんな彼の言葉に。
「ありがと」
マルガは小さい声でお礼を言う。
今は、この幕舎の中で四人が車座になって座っている。
「ところでさ、この部隊の指揮って誰がとるの?」
ふと、オルガが疑問を口にする。
確かに今まで気にしたことがなかった。
「そりゃ、骨だろうよ」
「骨だな」
ロイとワイズが口を揃えて言う。
「でも、自分も戦争、全く知らないんだけど」
部隊の指揮って何やれば?
「突撃ー!、とか言えばいいの?」
オルガが慌てて言う。
「いやいや、それじゃダメでしょ。ところでこの中に戦争を経験したことのいる人いる?」
しーん。
あ、戦争を知らない世代の集まりでした。
エルザ=マリアはここ数年平和だったらしく、戦争らしい戦争はなかったそうだ。
どこかで戦いがあっても、まだみんな戦場に行くような歳ではなかったみたい。
いきなり詰んだ?
この部隊は寄せ集めの上に、頭脳がない。
指揮できる人がいなかったら、集団に意味なんてあるのだろうか。
皆が不安を抱えて黙り込む中、また幕舎の入り口から声がかかる。
「ひょっとして、軍師か参謀をお求めですか?」
入り口に立っていたのは、ボロボロのマントで全身をつつんだ、みすぼらしい格好をした少女だった。