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皇都エルザ=マリアは二重の城壁に囲まれている。
内壁の中が貴族やそれに準じる人の内郭エリア。
外壁の中が平民の外郭エリア。
自分は、しばらく第一エリアにあるランバート伯のお屋敷で世話になることになった。
伯からは、その時が来るまでここでのんびりしてほしいと告げられたので、あてがわれた部屋でのんびりする。
が、やることがない……。
村にいれば、木を切ったり、山で狩りをしたりといろいろ動くんだけど。
せっかく、皇都に来たのだから何か楽しいこととかあるに違いない。
だけど、それがどこにあるのかわからない。
皇様にあったその日は、そのまま屋敷の中でおとなしくしていた。
が、次の日の朝になるともう部屋の中にいるのが我慢できなくなって、外に出ることにした。
さすがにこんな骸骨に朝から遭遇するのは、みんな驚くと思うので、帽子とマントだけ身にまとって内壁の中をぶらぶらすることにした。
屋敷の外に出る。
屋敷の使用人にお願いして、帽子とマントを調達するのに時間がかかったためか、太陽がかなり高くまで登っていた。
内郭エリアは、貴族の屋敷が立ち並ぶ閑静な場所だった。
石畳がきれいに舗装された道は、ランバートを思い出す。
いや、ランバートのほうが皇都のミニチュア版なのかもしれない。
それにしても静かだった。
大きな通りにそって、そのわきにある歩道を歩く。
貴族のものと思われる馬車とたまにすれ違ったり、屋敷の庭を剪定する職人さんに会うくらいで、ほかに人の気配がない。
これで八万人の大都市のはずなんだけど、ここは貴族のエリアだから人口密度が低いのかな?
何も収穫がなく、とぼとぼと歩いていると、屋敷とはちょっと違う大きな建物が見えた。
あまり窓らしきものがなく、周囲には木が人工的に植えられている。
何かの施設に見えた。
その周辺を長めの白いローブを着た人たちが行き来している。
人だ、人がいる……。
と言ってもまばらなんだけど。
ちょっとためらいつつも、近づいていくと木陰の下に見知った顔がある。
「オルガ?」
彼女は下を向いて何か思いつめたような表情をしていたが、自分に気づくと顔を上げた。
「骨さん!」
笑った顔にはどことなく影がある。
「こんなとこでなにしてんの?」
問いかけると、すぐそばの建物を指す。
「ここ、わたしの働いてる研究施設なの」
「ほほー。中とか入ってもいいの?」
「ちょっと、ダメだって」
入り口に向かおうとすると、マントの裾を引っ張られたので、ちぇー、と舌打ちして、自分も木陰の中にはいる。
不意にオルガが自分の頭蓋骨に触れてくる。
その手が、右目の眼窩にはまっている赤い玉をなでた。
「昨日、姉さんに聞いた。また、戦いに出るんだよね?」
「うん」
「そうか……」
「なに?」
「いや、もし、戦いになるのならあなたの右目にはまってるそれが、ひょっとしたら力になるかもしれないと思って」
「それは……」
「多分、気づいてるよね? 腐蝕竜の体から出てきた玉が、ただの石ころなわけがない。それに、あの日、伯の屋敷で。
手に持ったリンゴを一瞬で腐らせたのも、きっと、その玉の力なんだよね?
だけど、うん……」
「どうしたの?」
「あの時は、確かに玉の中に何かがあった。
でも、今は何も感じないなーって」
「そうなの?」
「うん、今は何か空っぽな感じ。正確には、リンゴが腐らせた後、すぐにその何かは消えちゃったんだけどね」
「玉の中に、腐蝕竜の力の残りカスみたいなのがあったのかも」
「その可能性はある。ねぇ……」
オルガは花壇にある白い花を指さした。
「あの時と同じこと、できる?」
正直、言えば、あれから試したことなどない。
もし、その一瞬で物を腐らせるような力があって、そして自分がそれを自覚していたら、とっさに使ってしまうかもしれない。
それは……、なんだか怖い。
誰かを傷つけるくらいなら、自分は非力なままでいい。
ずっとそんなことを思っていた。
そして、多分それは今も変わらないんだけど。
でも、心のどこかで強くならなきゃいけないこともわかっている。
世界はきれいごとだけでできているわけじゃない。
何かを殺して、何かを助ける。
戦争に参加したら、そんな選択肢が腐るほど突きつけられることになる。
マルガの言う通り、右目の赤い玉に意識を集中した。
赤い玉をとおして、彼女が指し示した白い花を見る。
視線。
白い花に焦点があう。
その瞬間を待つ。
だけど、いつまでたっても花は枯れなかった。
あの時と、同じことをしたのだけど。
でも、何も起きない。
「やっぱり、ダメか」
オルガは嘆息する。
「それはこの玉の中身が空っぽになっているからだよね?」
なら、その中身を再び注入すれば、この玉は力を取り戻すのかもしれなかったが、それが何かはわからない。
自分は眼窩にはまっている玉を取り出して、オルガに渡そうとした。
この玉にどんな力があるかもわからない。ひょっとしたら、もう力なんてなくなっているのかもしれない。
だが、なにかしら力があるなら、それを振るうのは自分じゃなくてもいい気がした。
だから、調べてもらおう。
そう思ったが、オルガは首を振った。
「ダメ、これは骨さんが持ってたほうがいい。
わたしに渡すと、先生にとられちゃうかもしれない。
そして、二度と返ってこないかも」
先生……、また出てきた。
ワイズの研究をだまし取った先生、そして、伯の屋敷でまでオルガを監視していた先生。
オルガはその先生に対して、なにか恐れを抱いているようだった。
「オルガ」
と、白いローブを来た初老の男が、いつの間にか近づいてきていた。
彼はオルガの肩を叩いたのだが、当の彼女はその瞬間、体をびくりを震わせた。
「せ、先生」
噂をすれば、なんとやら。
その先生がうしろにずらずらと弟子を連れて、そこに立っている。
他の弟子たちも白いローブを着ているが、よく見ると先生のローブだけ他との違いが分かるように数か所に金の糸で緻密な刺繍が施されている、
「昨日、皇都に帰ってきたはずなのに顔も見せないと思ったら、こんな場所にいたのですか。
それにしてもやってくれましたね。
監視魔法でランバートの状況を一緒にみていた貴族の方々から、弟子の不始末をどうつけるつもりだと責められてしまいましたよ。
あなたには、それ相応の罰を受けてもらいますので、覚悟しておいてくださいね」
オルガの顔面は蒼白だった。
何も言い返せないで、小さく震えている。
この先生とオルガの間に何があるのかは知らないが、黙ってみているほど自分はおとなしい性格でもなかったらしい。
オルガの肩に置かれた手を掴見上げる。
「なんです?」
先生とやらが、初めてこちらを向いた。
そして、目をむく。
「スケルトン? いや、それにしては魔力を感じない」
よくわからないことをつぶやく先生に自己紹介をする。
「はじめまして、先生。自分は骨です」
自分の言葉を聞いているのか、先生は全く挨拶を返さず、かわりに自分の右目にはまっている赤い玉に指を伸ばしてきた。
「あ、それにさわると、手が腐っておちますよ」
嘘だったけど。
それでも、先生は慌てて手をひっこめた。
そこで思い当たったようだ。
「なるほど、あなたがランバートの英雄ですか」
「英雄ではないけどね」
先生は、それだけ言うとローブの裾を翻して去っていく。
彼がいなくなると、オルガが胸を押さえてその場にしゃがみこんだ。
「オルガ、大丈夫?」
骨だけの右手を差し出すと、それをそっと握ってきた。
その手が小刻みに震えている。
その後、さすがにほっておけなくて事情を聞いた。
なんであの先生にあんなに怯えているのか。知っておかなくてはいけない気がした。
そうでなくては、これから何度もオルガのこんな姿を見る羽目になる。
何か、できることはある?
そう聞いたけど、オルガは首を振った。
彼女は言った。
ワイズと違って別に何をされたわけでもない。脅されているわけでもない。
ただ、あの先生はオルガやワイズが幼少のころから彼女たちの先生だったらしい。
なぜ、そんなことが許されていたのかはわからない。
だが、彼女たちがいた「教室」は学問ができなければ、体罰や拷問が当たり前だったらしく、しかも先生自らがそれを行っていたらしい。
幼少期、少年期、そんな多感な時期に受ける拷問が彼女たちの心に爪痕を残さないわけがない。
先生は、弟子たちにとってオルガにとって先生は師であると同時に恐怖の象徴でもあるようだった。
真っ向から歯向かったのはワイズくらいらしい。だが、それもあっさり潰された。
「ありがとう、骨さん。でも、これは自分で乗り越えなきゃいけない問題だから……」
そんなことを言って、彼女はその場から去っていった。
屋敷に帰ると、伯が待っていた。
「骨君、国の態勢が整った。すぐに出発の準備をしてほしい」