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皇様が呼んでるから一緒に来てくれって言われて、城の中に入っていったけど、正直、緊張してがちがちに固まっていた。
ランバートの城ですら、本当だったら入る機会なんて一生無いような場所だけど、今いるのは、この国の一番偉い人の城。
次にいつ入れるかわからないわけだし、これ幸いにときょろきょろ見回してやるべきだったんだろうけど、そんな余裕はこれっぽっちもなかった。
なんかでっかい部屋の中で、真ん中に赤いじゅうたんが敷いてあって、その左右には臣下の人たちがずらっと並んでこちらを見ている。その奥で皇様が玉座に座って待っている。
そんでもって
「チコウ、ヨレ」
とか言ってきて、かしこまった自分がすごすごと前に出ると
「オマエ、シケイ。キモチワルイカラ」
なんて言われて、その場にいた兵士たちに引っ立てられる。
そんな場面を想像しただけで、皮膚もないのに、鳥肌がたつ思いがした。
ランバートの英雄とか言っちゃってるけど、この城に来てから若い騎士たちにはバカにされたりもして、実は歓迎されてないような気すらしている。
皇様も側近の人たちも自分の姿を見たらなんて言うのかな。
きっと、あまりいい言葉はかけてくれない気がする。
それどころかバカにされたり、化け物とか、悪口を言われそうな気さえする。
そもそもこんな体の自分がいけないのかもしれないけど、なくなっちゃったものはもう取り戻せない。
今まで出会ったみんながこんなにあっさり自分を受け入れてくれたことは、今でも疑問に思うくらいだ。
伯がカチコチになって歩いている自分を見かけて声をかけてくれた。
「大丈夫、心配などない」
うーん、そうは言うけどさぁ。
ややあって。
広い城の中で、階段を上ったり、廊下の角を何回か曲がったりして、自分がどこにいるかすらわからなくなったころ、目の前に扉が現れた。
「ここだ」
それは想像していたよりもずっと小さな扉だった。
いや、そういう言い方はおかしいか。ごくごく普通の大きさの扉だ。
ただし、ものすごく精緻な装飾が施されている。
扉からして贅沢なのだから、部屋の中はもっと贅沢なんだろうなぁと思いつつ。
伯が扉を開けて、自分を部屋の中に入るように促してくれた。
あー。
思わず声がもれる。
そこは伯の城にいた時に自分がほかの人たちと一緒に談笑していた部屋と同じくらいの広さに見えた。
安心した。
赤いじゅうたんも敷いてない。臣下の人が中にずらっとならんでいるわけでもない。
いたのは、たったの二人だ。
なんか、白髪のまじりはじめた小太りのおっさんとその隣でにこやかに笑うマルガだった。
「マルガひさしぶり!」
自分が歩み寄っていくとマルガは両手を広げて歓迎してくれるので、どさくさにまぎれてきゅっと抱きしめる。
初めて抱きついたけど、なんかいいにおいする。
いつもだったら、ここでエミリがぽこんと頭蓋骨を叩いてくるんだけど今日はいないぜ、グヘヘ。
抱き着いたままで、視線だけ動かし、
「うん、ほんで、そこのおっさんも、こんちわ」
マルガの隣にいたおっさんにも軽く挨拶をすると、部屋の中をきょろきょろ見回した。
「ところで、皇様どこ? まだ来てない?」
部屋の中を見回す。
すると小太りのおっさんがちょろちょろと動いて、自分の視界をやたらと遮ってくる。
存在をアピールしてくるような感じ。
自分はここにいますよ、なんて、いい年こいて構ってほしいのだろうか。
「え? なに? おっさん、邪魔だから、ちょっとおとなしくしててくれる?」
自分が邪険に言うと、おっさんはしょぼくれておとなしくなった。
その様子をマルガと伯がにこにこしながら見つめていた。
「ねぇ、呼んでるって言われてきたんだけどさ。皇様、どこにいるの?」
聞くと、マルガは抱き着いていた自分から体を離しながら、「ここに」と手を差し出す。
そこには小太りのおっさんしかいない。
「いやいやいやいやいや。なんか、普通のかっこうした白髪まじりの、小太りのおっさんだし」
小太りのおっさんはそこでようやく口を開いた。
「あんな疲れる格好、いつもしてるわけじゃないのじゃよ?」
うーん。
うん。
え。
「まじ?」
小太りのおっさんを指さして(たいがい失礼)マルガと伯の顔をうかがう。
二人はなにも言わずにただ穏やかに笑っている。
は、はわわわわわ。
なんか偉い人にすごく失礼な態度をとっちゃった。
目の前になんか動物がいたので、こん棒で殴ったら熊だった、みたいな。
そんなやっちゃった感。
「なんだろ。侮辱罪? ねぇ、死刑? 死刑?」
慌てて伯にすがりついたが、彼は確信に満ちた声でこう言った。
「心配ない。この程度のことで、われらの皇の威厳にはかすり傷一つつきはしない」
どうしていいかわからなくなった自分を、小太りのおっさ……、皇様が座って落ち着く様に椅子を進めてくれた。
自分は怖いの半分、恥ずかしいの半分でうつむくしかなかった。
ただ、目の前にすわってマルガにお茶を持ってくるようにお願いしている皇様は、自分の失礼な態度など全く気にしていなかった。
偉くてプライドの高い人なんか、気に障ることをちょっと言っただけで怒りそうだと勝手に思っていたのに、この皇様は細かいことは気にしないみたい。
マルガが手ずからお茶を入れて運んできた。
みんなの前に一つ一つカップを置いていく。
自分の前にもお茶の入ったカップが置かれたが
「ごめん、せっかく淹れてくれたんだけど……」
自分は飲み食いできない。
「わかってます。気分の問題です。あなたの前にだけ何もないのは寂しいので」
なるほど。
自分は少しためらったが、口をつけるフリだけして、カップを置いた。
それをみて、マルガが「まぁ」とうれしそうな声を上げる。
とりあえず、落ち着くと皇様は自分に竜を倒した時の話をせがんできた。
「ランバート伯から聞いてはいるが、実際に竜と戦ったものの話を聞きたいなぁ」
いい年してワクワクしていた。
無邪気。
だけど、子供みたいな感じとはちょっと違う。どこまで行っても無邪気な大人、そんな感じがした。
自分があの時のことを語り始めると、皇様はとっても楽しそうに聞いてくれた。
適当なところで相槌をうち、盛り上がった場面では声をあげ。
ここまでうれしそうに聞いてくれると話すほうとしても張り合いがある。
全部、話終わると満足そうに、なるほどなぁ、と感心してもくれた。
そして、言った。
君は偉いなぁ、と。
ゲンさんに「すげぇな」とほめてもらった時と同じ感じがした。
特別な人に誉められた感じは全くない。だけど、うれしくてちょっと照れくさいあの感じ。
皇様ってもっと遠いところにいるものだと思っていた。
実際、そういう皇様はいると思う。
他の国の王様なんて知らないけれど、エルザはやっぱり特殊だと思う。
他所の国だったら、なれなれしい口を聞く自分をいさめられたり、この気楽な皇様に誰かが威厳を求めたりするのかもしれない。
だけど、伯とマルガはそういうそぶりを一切見せない。
皇はありのままにふるまい、臣下はそれを許している。
あるいは、それが本物の王者なのか。
こんなになれなれしくて大丈夫なのか。侮られたり、軽んじられたりしないのだろうか。
伯の確信に満ちた言葉を思い出した。
この程度のことで、皇の威厳にはかすり傷一つつきはしない。
仮にそうだとしたら、この皇様は一周回って、ほかの王様よりももっとすごい人なのかもしれなかった。
その皇様が語りだす。
「骨君、君のことはマルガやランバートから聞いていた。
どんな人物なのかも、おおよそは知っていた。
戦いに向かない君が、必死に戦ってくれたことには本当に感謝している。
私は見ての通り、ただの小太りのおっさんだ。何ができるわけでもない。竜とだって戦えない。
戦にも二、三度出たが、いつも負けて帰ってきた。政務だって有能な部下達に頼りきりだ。
王族に生まれついて、たまたま王位を継承しただけの人間だということは自分が一番よくわかっている。
若いころは家臣たちに陰口をたたかれたものだ。
この国を奪うなら今かもしれない、逆にそうしなければ滅ぶ
変に納得したのを覚えている。
わしはたしかにダメなヤツかもしれない。
だけど、皇には違いない。この国のことが心配でたまらないのだ。
こんなこと言うと、またマルガやランバートに怒られるかもしれんが、王としてのプライドとかは自分にはよくわからん。
だから、バルバラが土下座しろというならしてもいい。
死ねば食料をわけてやるというなら、いつでも首を差し出そう。
だが、バルバラはもう止まらない。
もはや、奪うしかないのだ。
ほかの国は様子見だ。
わずかではあるが、周辺の国からは食料も入ってくる。
だが、本来このあたりで食料を輸出できる国は、エルザとバルバラだけだったのだ。
バルバラからの食料の供給がなければ、多くの民が飢えて死ぬ。
戦争をしてもやっぱり死ぬが、それなら結局戦うしかない。
こんな選択しかできない皇を情けないと思ってくれていい。
もともと、私は才能も野心もない人間だ。なんとかやってこれたのは周りにいる臣下たちのおかげなのだ。
だが、彼らをもってしても今回のことは如何ともしがたい。
もしも……」
そう、続きを話し始めた皇を伯が止めようとした。
「陛下!」
「すまぬ、ランバート。
二人だけで練ってきた計画だが、余はこの骨にかけてみたい」
伯は何も言わない。
それを肯定ととったのか、皇は自分の肩を掴んで言った。
「骨よ、この戦争はもはや止まらん。多数の死者が出るだろう。
だが、もしも……。
少しでも傷つく人間が減らせる方法があるとしたら、お前はその非力な腕で、また武器をとってくれるか?」
掴まれた肩の骨が軋みをあげる。