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骨のあるヤツ  作者: 神谷錬
第二部 ランバートの英雄
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 ひと月ぶりに見たランバートの街は、まるで活気がなかった。

「え?」

 思わず声が出た。

 たしか、前回、自分がここを去った時には、店も露店もポツポツとではあるが開いていたはずだった。

 それからしばらく時間が経って、街の経済活動も徐々に活発になっていくと思っていた。

 なのに、見る限りひと月前とほとんど変わらない。

 確かに店はやっているのだが、前に感じた勢いのようなものがすっかり失せてしまっている。

 オルガとともに乗る馬車から、道端の露店の様子をうかがったが、品物がほとんどなく、商売棚もすかすかだった。

 明らかにモノが流通していない。

 でも、おかしい。

 伯は方々からお金を借りて、徐々にモノをこの街に集めていた。

 逃げた人も戻り始めて、復興の兆しを見せていた。

 なのに……。

 

 村からランバートへの道中、オルガに何回か問いかけた。

 今、国はどうなっているのか。

 ほかのところには食料はあるのか。

 だけど、オルガは答えなかった。気まずそうな顔をして、目をそらした。

 そして、

「ごめんなさい」

 もう、それ以上、聞ける雰囲気ではなかった。

 話は伯に聞くことにする。

 

 久しぶりのランバート城も、どこかひっそり静まり返っているように見える。

 なんだ、この感じ。

 馬車が城の前庭に入り、そこで自分たちは下りた。

 玄関ホールには、自分の到着を知って待ち構えていたようにランバート辺境伯がいる。

 何事もなければ、肩を叩きあって再会を喜んだのだろう。

 だけど、そんな雰囲気ではとてもなかった。

「来たか。ひさしぶり……、という感じはしないな。まだ、ひと月だからな」

 そんな冗談を言うが、表情は明らかに暗い。

「伯……」

 どうしたの?

 なにがあったの?

 そんな風に聞きたくて、でも、聞けなくて。

 だから、相手が話てくれるのを待つしかなかった。

 挨拶の後、お互い黙り込み、そして伯が口を開いた。

「すまない。本当にすまない。私の力では、どうすることもできなかった」

 下を向いて、こぶしを握り締める。


 伯から聞いた話は、次のようなものだった。

 せんだって、ランバートは復興の兆しを見せていた。

 伯も頭の中にいろんなプランを持っていて、それがいくつか功を奏し、実際、以前の一歩手前くらいまでは経済が回復したそうだ。

 食糧庫を開放して、街にモノがいきわたり、やがて店頭に並ぶ食料の値段も徐々に下がりつつあった。

 それはランバートだけでなく、この国全体に言えることだったそうだ。

 だけど、備蓄分だけで到底賄えるはずもなかったらしい。

 伯は、備蓄分、それから他国から輸入する分を足して、この食料危機を乗り切ろうとしていたらしい。

 だが、食料の輸入ができなくなってしまったというのだ。

 つい、先日まで国境を越えてこの国に流れ込んでいた食料の供給がストップしたという。

「なんで!」

 思わず、声を荒げてしまった。

 伯が悪いわけではない。

 責めたつもりもない。

 だけど、いきなりそんなことになるなんて。

 何も知らない自分に、伯が説明してくれた。

「隣国のアンナ=バルバラ……、バルバラ帝国から食料を輸入していたのだが、それが止められてしまった」

「誰に!」

「バルバラ帝だ……」


 え…。

 バルバラ帝って、その国の一番偉い人だよね?

 なんで、そんな意地悪をするんだろう。この国の状況を知らないのかな。

 だとしたら、みんな、おなかすかせてるから、食料売ってくださいって言ってあげたい。


 それを口にしたら、伯はかわいそうなものを見る目で、こっちを見た。

 ハッとする。

 多分、何も知らない自分の言動がおかしかったのだろう。

「もちろんバルバラ帝は。我が国の、エルザ=マリア皇国の状況は知っている。

 食料難のことも。腐蝕竜のこともね」

「なら、なんで……」

「骨君」

「はい」

「ここにおなかをすかせた一人の人間がいる。彼は空腹で今にも死にそうだ。

 そんな彼の隣に食料をたっぷりもった人間がいた。

 パンにチーズに干し肉に葡萄酒、……バルバラは海に面しているから魚もあるな。

 さて、空腹の彼はどうするか。

 幸い、金は持っている。当然、売ってくれと頼むだろう。食べなければ死ぬからね。

 隣の彼とは、これが初めてじゃない。今まで数えきれないくらい取引した実績がある。

 だけど、この状況で、食料は売らないと言ってきた。理不尽な話だ。

 さて、空腹の彼はどうするかな?

 それとも腹がすかない骸骨の君には、難しい質問だったか」

「それは……」

 言い淀んでいるのを見て、自分が思っていることを伯が代弁してくれた。

「まず、空腹の彼は持っている金で武器を買うだろうな。どうせ、食料は買えないから。

 次にその武器を持って、隣の彼に襲い掛かるだろう。

 いっぱいあるのに、どうして売ってくれない。なんでそんな意地の悪いことをするんだ。

 そんな怒りを覚えながら。

 そうしなければ、自分は飢えて死ぬ。

 仕方ないことなんだ、これは人間の業だ。

 どんな状況でも絶対そうなる。

 人間はね、血にまみれても生きていたいんだよ……」

 伯が頭を抱えた。

 それはかつて何度も見た姿だ。

 ようやく解放されたと思ったのに、また捕らえられた。

 これからは前向きに進んでいけると思った矢先にこれだ。

「バルバラ帝は国境を封鎖して、次のような触れを出した。

 エルザは、せんだって病を振りまく竜の被害にあい、多くのものが倒れた。

 今、国境を封鎖して通行を禁止するのは、その被害から我が国の民を守るためである。

 安全が確認されるまで、バルバラからの出国およびエルザからの入国を禁ずる。

 エルザとの国交を断絶する」

 伯の目が言っていた。

 わかるよな、と。

 わかる……。わかってしまった。

 確かに、もっともらしい理由づけだった。

 この内容なら、誰もいちゃもんをつけることはできないと思う。

 仮にエルザの人間が、もう大丈夫だ、竜害は去ったと言っても無駄だ。

 バルバラが安全確認がとれてない、と言えばそれで突っぱねられてしまう。

 

 結局のところ。

 バルバラは、我慢できなくなったエルザが自分に戦争を仕掛けてくるように誘導している。

 やる気まんまんで待ち構えているのだ。

 伯は続けた。

「国境付近では、バルバラとの小競り合いは毎年のようにある。

 バルバラは今の帝が即位してから、ずっと領土拡大のチャンスをうかがっていたからな。

 そこに竜の騒ぎだ。

 国は荒れ、食料は不足し、国力は大きく低下した。

 この時とばかりに仕掛けてきたのさ」

「でも、なんでそんなめんどくさいことするの?

 相手が弱ってるなら、一気に攻め込んでもいいはずなんじゃ」

 伯はため息をついた。

 あ、バカでごめんなさい。

「こちらから手を出させたいんだよ。

 人間の喧嘩だってそうだろう?

 先に手を出したほうが悪者にされる。

 相手が仕掛けてきたから、仕方なく応じる。

 正義は我にあり、だ」

「でも、そう仕向けているのは周りにバレバレじゃない。

 冷静に考えれば、手は出さないにしても先に仕掛けてきたのはバルバラだってみんなわかるはず。

 脳みそのない、自分にだってわかったことだよ」

「君は本当に純粋だ」

 優しい目をこちらに向けて伯は言った。

「大義って言葉を知ってるかい?」

 伯は悔しそうに言った。

 食糧庫は開かれたが、戦争に備えるために民衆に回される部分は大きく制限される。

 そのうち、また配給制に戻るということだった。


 大体の事情はわかった。

 食料の値段が下がらない理由も。

 だけど。

 一つ理解できないことがある。

「ねぇ、大体のことはわかったよ。でもさ、教えて。

 自分がここに呼ばれた理由って何?」

 話を聞きながら、ずっと疑問に思っていた。確かに困った事態だ。どうにかしてやりたい。

 だけど、自分にできることなんて全く思いつかない。

 そもそも、こんな話を聞かせて、伯たちは自分に何をさせようというのだろうか。

「話の続きを頼めるかい?」

 伯の目配せを受けて、オルガがうなづいた。

「私は、しょせん宮廷魔術師の一人だから。

 宮廷に対しての発言権はねーさんの方が圧倒的に強いんだけど、だけどやっぱりどうしようもなくて……。

 まだ公にされてないから他言無用でお願い。

 近々、エルザ=マリアはアンナ=バルバラに対して宣戦布告する」

 やっぱり……。

 なんとなく、わかってた。

 だけど、はっきり聞くとショックだ。

 戦争、始まるのか……。

「だけど、さっきの伯の話じゃないけど、やはり先にこちらから手を出す以上、それなりの理由もいるの。

 一応、不自然な輸出制限に対する抗議という名目もある。

 けど、はっきり言ってしまえば、こちらから侵略戦争を仕掛けることになるの。

 みんなやっぱりうすうすそれはわかってて。

 だけど、正しくないと思うことに頑張れるほど人間は強くないの。

 逆に自分が正しいと思えれば、どこまでも残酷になれるんだけどね。

 だから、そんな低い士気をどうにかするために、宮廷は一つの策を講じようとした。

 すべての原因である腐蝕竜、それを倒した英雄を旗頭にして士気を高める」


 英雄って……。


「ごめん、自分はそんなんじゃない。どこまで行っても、ただの骨だ。

 だから、そんなこと言われたって。

 それに……! それにマルガだって言ってたよ。

 あなたは英雄とは似ても似つかないって!」

 オルガは黙り込んだ。


 伯が話をつないだ。

「もちろん、君を間近で見ていた我々は知っている。

 君は基本的に戦いに向いてない。

 やさしい性格で、心から他者の幸せを願っている。

 竜ならともかく、人間相手に剣を振り下ろすことなんてできないかもしれない。

 だが、君は知らないだろうが、竜を倒した英雄の話は国中を広まっている。

 国内だけじゃない。他国にも伝播しているだろう。

 君は、それほどのことをしたんだ。

 してしまったんだよ……」

  

 オルガは申し訳なさそうな顔で言う。

「もちろん、ねーさんも、わたしも、あの人はそんな人ではない。戦争に担ぎださないでくださいって必死にお願いしたの。

 でも、簡単に押し切られた。

 今回は、とても大事な戦争になる。

 だから、常備軍に加えて国民からも徴兵することになったの。

 ねーさんが悔しそうにしてた。

 竜と戦えるほどのものならそもそも徴兵の対象ではないか、他の民は戦争に駆り出して、そのものだけ特別扱いする道理などない。

 そんな風に言われたら、何も言い返せないって……」


 もう、何が正しくて何が間違っているのか、わからなくなってきた。


「でもね、骨さん。あなたが本当に嫌だったら来なくていいよ。

 わたし、頼まれてあなたを連れに来たんだけどダメだったって、宮廷に報告するから」

 伯の顔色がいっぺんに変わった。

「バカな! 君の責任が問われるぞ!」

「伯、大丈夫だから。責任って言っても大したことないから。最悪、宮廷を追われるくらいの話だもの」

 ……。

 それは。

 ワイズと同じような感じになるということだろうか。

 彼は宮廷でも屈指の学者だったという。

 そんな彼でさえ、薄暗い街の片隅で生活をしている。

 術者というのは、高給取りだと聞いたことがある。

 だけど、それは自分を囲ってくれる貴族がいればこその話。

 宮廷を追われた、というレッテルを張られたら。多分、誰も雇ってくれないだろう。

 そして、どこかでみじめに細々と暮らすことになる。

「待ちなさい、オルガ。話はそれで終わらない。君の責めは最悪、姉のマルガにまで及ぶぞ!」

 それに、と伯は続けた。

「私が知らないとでも思っているのか? 君は勅書を持っていた」

 オルガはハッと息を呑む。

「勅命は、皇から受けた直々の命令。

 それをできませんでした、なんて一言で済まされるわけがない。

 放逐はおろか、最悪、死罪だぞ!」

 オルガが焦った様に言い返す。

「でも、勅命だからって全部、成し遂げられるわけじゃない!

 中には失敗しても許されるものだってある!」

「骸骨を一人宮廷に連れていく。たったそれだけのことが、できませんでしたで済むと思っているのか」

 誰もが黙り込む中、聞いたことのない声がどこからともなく響いてきた。

「それでは、すみませんねぇ……」

 ねっとりと、絡みつくような男の声。

 誰だ……?

 部屋の中を見回しても、扉や窓の外を確認しても誰もいない。

 その姿はどこにもない。

 声だけが、部屋の中にある。

 オルガが不自然なほど青くなって小さく震えだした。

 その声は言う。

「だめですよぉ、オルガ。

 英雄殿に同情的だったので、逃がすのではと考えた方たちの言う通りでしたねぇ」

 オルガは震える声で誰にともなく言った。

「先生……、見て……、いるのですか……」

「ええ、よおく見えていますよ。それに聞こえてますね。青ざめた顔。震える声。

 ちなみに私の水鏡を通して、宮廷の方々もあなたのことを見ていますよ。

 知られてしまったからには、そのまま手ぶらで帰るわけには行きませんね。

 あなたもあなたのお姉さんも、大変なことになってしまいます。

 ねぇ、オルガ。

 いつも言っているでしょう? 賢く、賢くふるまいなさい。

 もっとも、あなたが連れて来なくても、英雄殿は別の人間が迎えに行くことになるだけの話ですがね」

 そこで声は途切れた。


 なんだ、今のは……。


 オルガがぽつりと言った。

「監視魔法、と呼ばれてる。でも、主に宮廷では盗聴に使われるの。

 あそこはみんな、相手の弱みを握るのに必死だから……」


 伯が顔をしかめる。

「やられたな。普通、あれは宮廷か、広くても皇都の中でしか使われない。

 まさか、こんな辺境の地まで監視するとは。準備も相当なものだったろう。

 ともあれ、これで言い訳はできなくなった」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 オルガが何度も頭を下げてくる。いつも気楽で、軽い調子の彼女らしくない。

 それだけ、追い詰められていたのか。

 オルガは見たところエミリと同じで二十歳くらい。

 大人かもしれないけど、まだ伯ほどしっかりしてはいない。

 彼女の様子からなんとなくわかる。

 連れていかれたら、きっと自分は大変な目にあうのだろう。

 村に迎えに来た時から様子がおかしいと思っていた。

 自分への同情と、命令との板挟みで動けなくなっていたのか。

「もう、いいよ。謝らなくて。君は何にも悪くない」

 自分の言葉がどれくらい慰めになるかは疑問だ。

 けど、その場で崩れ落ちたオルガはうつむいて嗚咽をもらす。

「わたしたち知ってたから。

 やさしいあなたが。いつもボロボロになって戦っていたのを。

 戦争になんて向いてない。それに人間相手に武器を向けられるとも思ってない。

 だから、ねーさんと相談して。来たくないって言ったら、連れてくるのはやめようって。

 きっと、なんとかなるって。 

 それなのに……。

 また、黙って先生の言うとおりにするしかないの……?

 ワイズの時だって……」

 

 彼女の心を責めているのは、自分への申し訳なさに過去の罪悪感を重ねているからだろう。

 自分の心は、すでに決まっている。

 村に残してきた二人が心配だけど、オルガとマルガはそれどころじゃない。


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