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腐蝕竜の脅威が去ってから、数日。
徐々に、街も活気を取り戻し始めた。
なんだかんだ言っても、伯はやっぱり優秀な人だったみたいだ。
いろんなところからお金を借りて、それを元手に街にヒトとモノを集め始めた。
それが呼び水になったのか、いくつかの店の札は「CLOSED」から「OPEN」に変わり、大通りには以前のように露店が立ち並び始めた。再び、経済が回りだした。
最初にこの街に来たときとは比べることはできないし、まだまだ小さなものだけど、それでもこれから復興していくことを予感させる勢いのようなものを感じる。
そうそう。
そういえば、ミザリが文字を習いだした。
物覚えがいい子供の時期にと、マルガが教師を申し出てくれたんだ。
マルガ先生はかなり厳しいみたいだけど、ミザリはどんどん文字を覚えていった。
よく考えたら、ミザリには早く文字を教えたほうがよかったね、と言ったらエミリは首を振った。
村には読み書きできる人がいないらしかった。
エミリも「パン屋」とか「服屋」とかそういう生活に必要な文字をちょこちょこ読めるだけらしい。
最近、ミザリは木の板に木炭で文字を書いてみんなに見せて回るのが日課になっていた。
なんでもいいから字を書いて見せるとみんなが褒めてくれるのがうれしいらしい。
ミザリは城の中を歩き回って、誰かを見つけては目の前に行き、木の板に字を書いて
「ん!」
と、掲げて見せる。
書かれている文字は、たいてい「にく」とか「ふく」とか「とり」とか名詞が多かった。
それを見せられた人は最初は首をひねってた。
だけど、どうやら書かれたものがほしいわけじゃなくて書いたことをほめてほしいのを察して、ミザリの頭を撫でてやるのが暗黙のルールになっていった。
ただ、そのうち書かれる文字も「おはよう」とか「ごはんたべたい」とか、そういうものに変わっていって、ミザリは小さな木の板と木炭で人と会話するようになっていた。
板に木炭で文字を書き、それを読んだ人の話を聞いて、板を雑巾でこすって文字を消して、もう一回書く。
大変そうだった。
けど、その姿を見ていると彼女の未来が少し開ける気がしてうれしかった。
また、こんなこともあった。
みんなで部屋であつまって談笑してる時に、ふとオルガが聞いてきた。
「ねぇ、ずっと気になってたんだけどさ。骨さんが右目にはめてる赤いやつ。それ、何?」
目の前では、マルガがミザリに字を教えていた。
ちょうど、テーブルにあった果物をゆびさして、「りんご」という文字を書かせている。
自分はりんごの一つを手に取っててのひらで転がして遊んでいた。
「えっとね。これは腐蝕竜が死んだとき、体の中から出てきた玉」
それを聞いた瞬間、みんなが自分からざっと離れた。
汚いものを避けるような態度に若干きずついた。
だけど、気持ちはわからなくない。
「それ、ちょっと触ってもいい?」
オルガが恐る恐る手を伸ばしてきた。
右目の眼窩から、それを取り外してオルガの手に乗せてやった。
「へぇー」
見た目はきれいな赤い玉だ。
エミリもマルガも、ミザリまでもその玉に視線を奪われた。
返してもらって、眼窩にはめ込む。
そこで変な感覚に襲われた。
その赤い玉が、自分の目であるような錯覚。
玉をとおして、まるで手の中にあったりんごを見ているかのような錯覚。
次の瞬間。
どろぉ……。
もてあそんでいたリンゴが一瞬で腐り落ちた。
みんなそれを見て唖然としていた。
自分も気持ち悪かったので、宮廷魔術師のオルガにこれを押し付け……、預けようとしたが「絶対やだ!」と断られた。
仕方ないので、今も自分の眼窩にこれがおさまっている。
やがて、街を去る日がやってきた。
伯はけっこうな量の食料を持たせてくれた。
もっとも、村人全員でわけたら数日でなくなってしまうんだろうけど、伯たちだって苦しいはずなんだ。
そんな中からわけてくれた食料なんだから、ありがたく受け取った。
城の前庭には、いつも自分をネビルまで送ってくれた御者の操る馬車がある。
村に帰るときはこの人に御者を頼みたいとずっと思っていて、今日それがかなった。
もう別れはほとんど済ませてきたし、オルガは宮廷に呼び戻され、その護衛に隊長が付き添っていた。
見送りには伯とマルガの二人だけだ。
最初に自分たちをここに呼んだ人たち。
「なにかあったら、遠慮なく言ってくれ。君には返せないほどの恩がある」
伯は、ランバート復興のために毎日ほとんど寝てないらしい。
だけど、言葉には静かな力強さがあった。
マルガも伯を手伝っているらしい。占いだけじゃなくて、それを実現する行政もできるらしい。
宮廷占星術師というのは、占いだけではできません、と語った彼女はどことなく誇らしげだった。
マルガは一歩前に進み出ると、骨だけの自分の右手を両手で包んでくれた。
「お疲れさまでした」
「うん」
「でも、これでわかっていただけました? 私の占い、ピタリとあたります」
ベールの下でにっこり笑うオルガ。
自分の占いがやっぱり正しかったことがうれしかったのか。
「ほんと、ピタリとあたるね」
自分は苦笑するしかなかった。
自分たちは来た時と同じ馬車に乗り込んだ。屋根のついてるあの立派な馬車だ。
最初はあの御者の幌もなにもない馬車で帰ろうと思ってたんだけど、急にマルガが村まで送りたいと言いだした。
さすがに宮廷占星術師様をそんな粗末な馬車に乗せるわけにはいかないので、御者はそのままに馬車だけ変えることことになった。
御者は最初、こんな立派な馬車はいままで操ったことないといって及び腰だった。
だけど、城を出て街中を少し走ったらすぐに慣れたようで今は鼻歌交じりで手綱を握っている。
馬車の座席には自分、エミリ、ミザリ、マルガの四人だった。
席の座りかたもランバートに向かったときと同じ位置。
たしか、最初、隣同士で座ったエミリとマルガは仲が悪かったんだっけ?
いや、違うか。エミリがぷりぷり怒ってて、それを感じてマルガが下を向いていただけか。
でも、今はそんなことない。
なんか今は結婚するなら誰がいいか、という話で盛り上がっていた。
「伯は、資産家で容姿にもめぐまれてますし、わりといいのでは」
「いやー、でも、わたしはもうちょっと若いほうがいい」
「では、隊長?」
「あはは! やだよ、なんか毛深そうじゃん!」
「そうなると後は誰でしょう。工房の親方さん? ワイズさんとかも?」
「あいつらも毛深そう!」
「エミリさんにかかると、男性はみんな毛深くなってしまいます……」
結局、ろくな男がいないということで二人の話は落ち着いたみたい。
そういえば、ここしばらく会ってないけど、名前すら出てこなかったロイ君に合唱。
話がおわったところで、ミザリが木の板に
『はらへった』
と、書いて見せたら、マルガが怒った。
「おなかがすいた、でしょう? 誰なの! こんな言葉覚えさせて!」
けっこうガチで怒っていたので、本当のことを言えなかった。
「おなかがすいた」は長いので「はらへった」で十分。
そう言ったのは、マルガさん、あなたの隣で冷や汗流しながら窓の外を見ている赤い髪の女性ですよ。
馬車で数日の旅。
その最後の夜。
自分たちの住む名もなき村は、もうすぐそこにある。
長旅の疲れからか、ミザリとエミリはもう眠った。
自分は馬車をそっと出て、夜空を見上げた。
そこには、廃墟で目覚めた時に最初に目にしたあの月があった。
まんまるのあの月。
それをじっと眺めていると、逆に誰かに見られている感じがして落ち着かなくなる。
いつの間にか、隣にマルガがいた。
同じように星空を見上げている。
満点の星空。
こんな無数の星の中から、自分の問いに答えてくれる星を見つけるのが彼女の仕事。
「あなたが竜を倒してから、ずっと勇者というものの定義について考えていました。
神や精霊の祝福を受け、強力な武器を持ち、生まれ持った圧倒的な力で敵を倒す。
困難にあって活躍し、誰もがあきらめた苦難を軽々と乗り越える。ゆえに人々の称賛を浴びるもの。
私は、勇者と言うものをずっとそんな風に思ってました。小さいころに読んであこがれた英雄の姿です。
強く、雄々しく、まぶしい。
でも、今になってそれが揺らいでます。
とても神に祝福を受けたとは思えない体、武器だって街の工房で作られたものです。
剣は折れ、盾は砕ける。
力なんてありあせん。そもそも筋肉もないのですから。
勇気は……、たしかにありました。でも、それはあきらめの悪さの裏返しかも。
人々の称賛を浴びるどころか、彼は額を地面にこすりつけて戸惑う群衆にいいました。一緒に戦ってくれ、と。
いっそ哀れな姿です。とても、英雄の姿ではない。
だけど、だけど……。
はかなく、けなげな人間たちの力が少しずつ、その人に集まっていきました。
一つ一つは取るに足りないくらい小さかった。
でも、それはつい竜を打ち倒すという奇跡を起こしました。
誰もがあきらめていた状況で、あなただけは折れなかった。だからこそ、こんな奇跡が起こったのです。
竜を討ち果たした。
成果だけ見るなら、あなたは物語と勇者と一緒です。
でも、すべて見ていた私にはあなたが勇者だとはとても思えない。
ねぇ、私は。
そんなあなたをなんと呼べばよいのでしょう?」
前々から思ってたけど、マルガにはどこか夢見がちなところがあるように思う。
「まず、断っておくと。
自分は勇者にも英雄にもなる気なんてこれっぽっちもなかった。
ただ、必死で戦っていただけなんだ。
最初は気持ちだけだった。
でも、そこに武器とか戦略とかが加わって、ようやくなんとか戦えるようになった。
君は、こんな骨だけの体をネクロマンシーとは違う特別なものだと言った。
けど、どこが特別なのかは自分にはよくわからないな。
もっとも、この体のおかけで何度も竜と戦うことができたのは事実だけど。
結局、特別な何かに頼るのって人間の弱さの裏返しなんだと思う。
特別な力、特別な武器。
そういうのがあればさ、安全だし、安心だもんね?
ほかの人にも負けないし、悔しい思いもしなくてすむ。
マルガも特別だと思うけど、そういうのとはちょっと違うのかな?
まぁ、、自分もそういうのに憧れる気持ちはよくわかるよ。
ひょっとしたらさ、自分の中に眠っている力があるかも、なんてね。
でもさ、自分には何もないって自覚するところからが本当のスタートだと思うんだ。
自分は、ひょっとしたらどこかで普通の人間として生きていたのかもしれない。
けど、あの日、あの廃墟で目覚めてからが本当の人生の始まりだったのかもしれないって思うときがたまにあるよ。
まぁ、なんか、そんな感じ。うまく言えなくてごめんね。
でもさ、悩んでるなら教えてあげるよ。
どこまでいってもさ、結局、自分は……」
ただの骨だ。