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時間の感覚があいまいになってきた。
とても長く戦っているような。
実際は短いような。
こうして距離を大きくとると、竜の攻撃は単調そのものだった。
かみつき、ブレス、羽ばたき。
かみつきは連続で来ることもあるし、ブレスは横凪ぎにしてくることもあるので、多少のバリエーションもある。
だが、一度見てしまえば、防御するのは難しくない。
回避するにしろ、受け止めるにしろ、次に攻撃を考えるから、ぎりぎりで躱したり、無理をしたりする。
だけど、攻撃を捨てて完全防御に回ってしまえば一気に難易度は下がる。
じっと、竜を観察する。
たまに距離を詰めようとこちらに向かって歩いてきたりするが、自分は常に移動しながら円を描くように距離を保つ。
こうしてみるとよくわかる。
おそらくスピードの面でも自分は竜に勝っている。
自分はスタミナもほぼ無尽蔵にあるから、逃げるだけならいつまででもできるはずだ。
あとはポカをやらかさないようにすればいい。
ふとしたことから一撃を食らえば、それだけで一気に形勢が変わる。
それだけはしないように。
慎重に。
丁寧に攻撃をさばいていく。
同じことを、ただ単調に繰り返す時間。
感覚も思考もマヒしてくる。
そこで、竜が不可解な行動をとった。
明らかに範囲外なのに、ぐ、と体をねじった。
しっぽ?
こんなタイミングで?
竜が、目測を誤っている?
それとも自分が?
何度も食らって覚えた距離だ。
絶対尻尾は届かない。
なのに。
とりあえず、とん、とん、とん、とバックステップ。
いつもよりさらに距離をとる。
次の瞬間。
ずざざ。
尻尾を引きずる音。
地面にこすりつける音。
尻尾全体を地面にこすりつけることで、砂利や砂埃が舞い上がる。
濃い砂埃が、竜の姿を完全に覆い隠した。
ぞくりと。
背骨に緊張が走る。
何か来る。
この砂埃の向こうで竜が何かを企んでいる。
それが何かがわからない。
こういう風に、戦うたびに新しい攻撃をしてくる。
だから、怖い。
ずん、ずん、と。
地響き。
だからわかった。
歩いて距離をつめてきやがる。
慌てて後ろに下がる。
とん、背中に洞窟の岩壁の感触。
とっさに横跳びする。
ゴガンッ。
何かが岩壁とぶつかる音
今までいた場所に重量のある何かが突っ込んできた。
徐々に砂埃がおさまる。
見ると、竜の巨大な顔が自分の目の前にあった。
ハッとする。
チャンス?
後ろ足で立っているときはあんなに遠くにある竜の顔が今、目の前にある。
目や、眉間や。
人体だったら急所と言える場所が手の届く位置にある。
慌てて体をまさぐる。
剣は、弩は。
だけど、こらえる。
まだ。
まだ、その時ではないような気がした。
竜のスタミナは本当に尽きたのか。
まだ元気なんじゃないのか。
今、チャンスだからと攻めてもいいのか。
いや、その時じゃない。
竜が岩壁から顔を上げようとしている。
慌てて、再び距離をとった。
負けない戦い方。
それを自分から捨ててどうする。
冷静に。
もっと相手の状態を見極めてからだ。
その後もブレスやかみつきが何度も自分を襲った。
やり過ごすたびに、徐々に竜の動きに精彩がなくなっていくのを感じる。
スピードも迫力もなくなって。
それでも食らえばタタでは済まないのはわかっているので気は抜けなかった。
張りつめた気持ちのまま。
全体を見るともなしに見る。
離れているので、竜の体全体の動きが視界におさまる。
当然、周囲の状況も。
長い時間が経った。
洞窟の天井は、吹き抜けになっている。
そこから差し込む太陽の光は、いつの間にか星明りになり、また新しい太陽の光に変わる。
戦闘中の体感時間はあてにならない。
すごく長い時間が短く感じたり、その逆もあるからだ。
だから、自然が教えてくれる時の流れはいつも同じだ。
自分と竜はもう丸一日、同じことを繰り返していた。
隊長は半日で音をあげた。
なら、竜はあとどれくらい自分につきあってくれるのか。
確かめたい。
確かめよう。
生き物である限り、命の限界がある。
体力の限界も。
でも、自分は死者だ(たぶん)。
筋肉がないから疲れないし、激しく動いても息が苦しくならない。
いくらでも戦っていられる。
戦い始めた当初からは、竜の動きは明らかに鈍っている。
そのうち、動かなくなってただにらみ合うだけの状態になる。
何を考えているのか。
こちらもうかつには手を出せない。
ひょっとして休んでいる?
させるか。
連弩のハンドルを回して、矢を射かけてやる。
びす、びす、びす。
胸、肩、首、有効射程じゃないので、狙いもつけにくくなるがこういう使い方もできる。
連弩、便利だな。
竜は怒ったのか、こちらに向かって咆哮する。
骨に響く轟音。
だけど、こっちに向かってこない。
吠えたまま、動かない。
そのままにらみ合う。
そのうち。
竜が一瞬目を閉じた。
瞬き?
違う。
寝ようとしてる?
こんな状況で?
それくらい疲れてる?
いや、演技か?
油断させて引き込んだあと、しとめるつもりなのか。
どちらかはわからない。
だけど、スタミナは十分奪えたように思える。
仕掛ける?
どこかで攻撃に転じなければ。
その判断が難しい。
いや、さすがに徐々に攻撃が鈍くなっているのはわかっていた。
さっきの対峙は、竜にとって小休止になったのかも。
緊張が解けて、疲労が一気に押し寄せてきたとしても、不思議じゃない。
それに丸一日動きっぱなしなのだ。
これで、疲れてないなら本当に竜の体力は底なしと思ってもいいような気がする。
やってみるか。
背負っていた斧に持ち帰る。
距離をじりじり詰めていく。
今回自分からの初めての接近。
竜は体をぐっとひねった。
尻尾での薙ぎ払い。
だけど、遅い。
速度も勢いもない。
余裕をもって股下に入る。
右足首のうろこ。
そこはすでに再生している。
まじか。
あんなに苦労して砕いたのに。
それでもめげずに同じところに一撃。
肉厚の斧の刃がわずかに食い込む。
一撃、二撃。
爪が上から振り下ろされる。
いつものパターンだ。
でも、やはり攻撃に精彩がない。
かつての迫力がない。
こんなとこまでわざわざ疲れた演技をする?
するわけない。
本当に疲れている。
ふらふらなのだ。
一日中、つきまとわれて、休むことも寝ることもできずに今に至る。
生き物だ。そのことをもう一度確認する。
繰り返す。
繰り返す。
単調に。
いつものように。
おなじことを。
だけど、結果は少しずつ異なる。
これで何度目だろう。
ぱき。
音がする。
割れた。
うろこ。
角度を変える。
削ぐように。
一枚。
割れたうろこの破片が地面に落ちる。
それを拾って鎧の中にしまう。
わかっていた。
そもそも、今回倒せるなんて思っていなかった。
壁はもう一つある。
それをみんなで乗り越えるために、このうろこが必要だった。
股下から出て距離をとる。
離れて、離れて。
もうブレス以外は届かない距離まで。
そして、そこで竜を待つ。
ずぅん、ずぅんと。
平気な顔して歩いてきやがる。
うろこも割った。
斧にはわずかに血もついている。
だけど、それだけだ。
蚊に刺されたのとどう違う?
確実に勝利するためには。
まだ足りないものがある。
それを埋めなければ。
これを持ち帰ってみんなと考える。
このうろこを貫く武器を。
剣はダメだった。斧でも、まだ弱い。
それなら何がある?
何か、何かがほしい。
うろこを割り、肉を断ち、骨まで食い込む何か。
それがあれば、きっと竜を横倒しにできる。
かつ算段が整うはずだ。
だから、ここまでだ。
十分な成果を上げた。
目的は達成した。
これ以上戦えば、隊長にまた怒られる。
お前には戦略がない、と。
いつもこれ以上戦えないと思ったら逃げていた。ボロボロで心も空っぽだった。
だけど、今回は違う。
目的を果たした充足感がある。
初めて五体満足で、ランバートへと帰った。