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翌日、自分はまたネビルに向かう準備を行っていた。
もはや一刻の猶予もならないことがよくわかっていたので、焦らずにはいられなかった。
いったいこれで何度目だろうか。
六回目?
全身鎧、盾、斧、剣、弩。
部屋に用意された装備の数々。
それを身につけながら、同じ部屋の中にいた伯に目でお礼を言った。
よく考えたら、これがいままでどんな価値があるものかわかっていなかった。
鎧だけでも一財産なのに。
自分の態度を不審に思った伯に、工房の親方がばつが悪そうに耳打ちした。
「すいません。鎧がどんな高価なものか、口をすべらせちまって」
伯はそれを聞いてなるほど、とうなづいた。
「構わない。それで事態が収拾するなら安いものだ。骨君も余計な心配はしなくていい」
済んだ瞳で静かに笑った。
エミリは相変わらず、自分の支度を整えてくれていた。
血を吐くくらい体調が悪いはずなのに、そんなそぶりを一切見せなかった。
たまに咳き込むことがあっても、風邪だと言って一笑に付した。
マルガに目配せをしたが首を左右に振られた。
普段だって配給の手伝いをしながらミザリの面倒もみているはずだ。
昨日、城に帰ってきてから廊下の隅でうずくまってるところを見て、あわてて肩を抱いたが、なんでもない、とそっと体を離された。
何が彼女をそこまでさせるのか、自分には分からなかった。
本当にまずくなったら力づくで止めるとオルガが約束してくれたので、自分は黙ってみていることにした。
いよいよ、出発の時が迫った。
昨日城壁から見下ろした光景。
迫ってくる黒い霧。
血を吐いたエミリ。
街の人たちももう限界なのかもしれない。
胸がざわざわした。
なんとかしなくちゃ、と気持ちばかりが先に進む。
得体のしれない何かに追い詰められているような。
「行ってくる!」
馬車に乗り込むとき、いつもと違った挨拶をしてしまった。
気負っているのが自分でもわかる。
荷台に乗り込もうとしたとき、誰かが自分の肩を掴んだ。
振り返ると、そこに隊長の顔がある。
色黒で角刈り、唇も分厚い。
顔のパーツから強そうなこの人のほうが竜と戦うには向いているに違いない。
だけど、ここに来てなんの真似だろうか。
「隊長、ごめん。行きたいから」
そういって、肩に置かれた手を振り払おうとして。
できなかった。それをさせてもらえなかった。
逆に馬車から遠ざけられる。
「だめだな」
伯、マルガ、オルガ、エミリ、ミザリ、工房の親方、それに御者まで。
みんなが、隊長の行動に驚いていた。
彼は静かにまぶたをふせた。
「骨よ。お前はどうやって竜に勝つつもりだ?」
「どうやって?」
それは……。
「とにかく、敵の攻撃をかわして、それから、それから……」
さらに追い打ちがかかる。
「お前は、自分の長所を見つけることができたのか?」
「……」
黙り込んでしまった自分を見て、隊長がため息をついた。
そして、自分をあっという間に肩に担ぎあげると、どこかに向かって歩き出した。
いきなりこんな暴挙に出た隊長。
だが、言っていることはまともだし、誰も反論できなかった。
「出発はなしだ。今、戦ったところで勝てる見込みなどないのだろう」
「そうだけど! 知ってるでしょ? それでもやらなきゃ!」
黒い霧が迫っているのは、この街の警備をしている隊長だってわかっているはず。
なのに、なぜ。
「だから、こそだ。無駄なことに費やす時間はもうないのだ」
「お前の戦い方には戦略がない」
隊長はそういって、自分を城の中庭にある芝生の上に投げ捨てた。
自分は竜と戦う装備をしたままで隊長と向き合う形になった。
なぜか、場の空気が張りつめている。
何が起こるのか、なんとなくわかるような。
おもむろに隊長は持っていた木剣を放り投げてきた。
自分はそれを拾って構える。
「俺は竜と戦ったことがない。戦うことすらできない」
何を……
「骨、教えてくれ。俺と竜どっちが強い?」
……。
「ふむ」
決して気遣っていわなかったわけではない。言う必要などないと思ったからだ。
だが、次の瞬間、隊長は自分も手にした木剣で攻撃してきた。
「それなら、俺とお前はどっちが強い?」
それは間違いなく隊長だ。
「こんなことして、なんの意味が!」
振り下ろされた一撃を受け止める。
「竜が俺より強いなら、俺すら倒せなければ竜は倒せない。
そうだな?」
薙ぎ払い。
後ろに飛んで躱す。
「理屈ではそうだけど! でも、隊長と竜は違う!」
なんだ、なんなんだこれは。
「同じだ。俺は竜と同じで、お前より強い。
お前は、自分より強いものを倒す方法を身をもって知らなければならない。
どうやって竜を倒す?
どうやって俺を倒す?
イメージできるか?
イメージしてみろ!
人間の男一人すら倒せないくせに、竜を倒すなど笑止!」
すばやい連撃が来る。
それをなんとか躱したり、いなしたりしてやり過ごす。
「ふむ。少しづつではあるが、戦い慣れしてきてるな。
少なくとも俺を倒せるまでは、竜のところには行かせない」
その瞬間、木剣が自分の首を刎ねた。
隊長の言っていることはよくわかっているつもりだった。
いや、わかっていたふりをしていただけ?
自分の長所を見つけることもできず、周りの状況にあせって、自分は何をしているのだろう。
ただ、やみくもにぶつかっただけでは勝てないのはわかっている。
だけど、だけど……。
その後も訓練は続いた。
隊長は容赦なく、何度も自分の首を刎ねた。
そのたびに体の骨に頭蓋骨をくっつけて無理やり立ち上がらされた。
皆、黙ってそれを見ていた。
自分は三日たっても隊長には勝てなかった。
その間に、伯のほうには変化が起きた。
伯はあれからも街で演説を続けていたのだが、ついに今日街の人が城を訪ねてきたらしい。
街の商業組合の人が数人、伯と話がしたいと言ってきた。
組合の会長さんが言った。
「自分もどうにかしなければとは思っていたのです。
自分は商売しか能がないので、竜のことはわかりません。
ただ、配給や今後の生活について、すこしでもよくなる方法があるかもしれません。
つまらない意見かもしれませんか、聞いていただけますか」
その時の伯の顔といったらなかった。
「よく来てくれた! ぜひ聞かせてほしい!」
まるで待ち焦がれた恋人を出迎えるような熱烈ぶりだった。
すぐに広間に案内し、伯と組合の人たちの話あいがはじまった。
戦いとは関係がなかったので、自分はよばれなかった。
少しだけ空いたドアの隙間から、その光景を盗み見る。
みな、真剣で必死だが、顔に暗さがなかった。
それは未来を信じている人たちの顔に見えた。