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さすがに三度目になると、竜も自分のことをはっきりと認識しているようだった。
あれだけしつこくつきまとったら竜だってそりゃ怒ると思う。
洞窟の奥で寝ていた竜は自分の姿を見つけると、有無を言わさず立ち上がった。
最初は猫がトカゲにじゃれるような遊び心すら感じた。
でも、もはや完全にこちらを潰す気でいるようだ。
とりあえず、剣と盾を構えてじりじりと間合いを詰めていった。
尻尾の間合いに入った時に、竜が上半身をねじったので、とっさに後ろに飛びのく。
目の前を高速で通り過ぎる尻尾の先端を視界にとらえている。
見える。
気持ちも落ち着いている。
体ごとねじって尻尾を振った竜は今、こちらに背中を向けている。
注意しながら間合いを詰める。
振り返るころには、立ち上がった竜の体の下に来ている。
上から爪が振り下ろされる。
横に飛ぶ。
さらに間合いを詰めて、股下に来る。
前回、さんざん叩いた右足首のうろこの場所がわかる。
ひっかいたようなかすり傷が無数にある。
とりあえず、そこに剣を振り下ろす。
キン!
弾かれる。
やっぱり、剣ではだめなのか。
腰のさやに剣をしまって、背負っていた斧に持ち返る。
両手で柄を持つ。
爪が上から振ってくる。
躱す。
躱せる。
慣れた。
食らえば、どうなるかわかってる。
だけど、怖がらずによけられる。
次の爪がくるまでのちょっとのスキ。
ここがチャンス。
ゲンさんの言葉を思い出す。
腕ではなく体で振れ。
斧には斧の個性がある。
腕の力を抜いて振ってやれ。
そうすれば、自分の重さと鋭さで勝手に木の幹に食い込んでいく。
自分で仕事をするな。
道具に仕事をさせろ。
筋肉のかたまりみたいなゲンさんに言われたって説得力無いよ。
ふたりで笑いあった。
不思議と口元に笑みが浮かんだ(顔の筋肉ないけど、気持ち的に)。
肉厚の斧が空気を裂いた。
ガッ。
今までと違う音。
食い込む音。
見ると、わずかではあるが斧の刃がうろこを削って食い込んでいる。
ひっかき傷とは違う。
重量があるからか。
それとも、慣れている道具だからか。
また、爪が来た。
竜がイライラしているのがわかる。
足をちくちく攻撃してくるうっとうしい虫。
振り払おうとしている。
潰そうとしている。
でも、そんな大振りの攻撃食らわないよ。
当たれば痛い。
全身の骨がばらばらになる。
でも、動きが遅いからしっかり見ていれば食らうことはない。
もう一回、斧を振る。
木を切るように。
同じ位置に刃を運ぶ。
ぺき。
音がした。
小枝が折れるような音。
薄い氷が割れるような音。
うろこが割れているのが見えた。
頭上で竜がひるんだのがわかった。
もう一回振る。
さらに、もう一回。
警戒も怠らない。
チャンスはピンチ。
ほら、爪が来た。
でも、当たらないよ。
斧の刃にわずかに血がついていた。
いつの間にか、肉に食い込んでいる。
いけるのか。
いける。
今度こそ倒す。
伯は怒っているけれど。
マルガはうつむいているけれど。
ゲンさんもエミリも顔をそらすけど。
ミザリは相変わらず泣いているけど。
街の人にもやめてくれって言われちゃったけど。
自分だって、本当は無理だって。
心のどこかで思ってたけど。
けど、今は違う。
自分だけはやれると信じてる。
できるかどうかなんて知らないよ。
できるまでやるんだ。
一人になっちゃったけど。
誰も信じてくれないけど。
自分だけは信じてる。
望んだ未来が訪れる。
その瞬間を。
竜は足首から血を流している。
自分と違って巨大で強靭な血と肉を持っている。
でも、だからこそたくさん血を流せば死ぬし、首を斬られても死ぬ。
振る。
同じ位置へ。
竜が悲鳴を上げる。
初めて聞く声。
声?
轟音?
警戒は怠らない。
そして、何度も斧を振る。
爪が来なくなった。
?
??
怖い。
逆に怖い。
離れるべき?
竜を見上げる。
今までたたんでいた翼を広げた。
え。
なんだ。
ぶわっ!
巻き上がる砂埃。
とっさに両腕で顔を覆う。
そして、ずぅうん、と。
重たい音がする。
羽ばたいて後ろに飛んだ。
洞窟の広い空間。
その壁際に竜の体があった。
距離はある。
尻尾がくる?
竜の胸が膨らむのが見えた。
え、なにする気だ。
わからない。
わからない。
離れよう。
相手を見ながら後退。
竜が自分に向けて顎を突き出した。
大きく開く。
吸った息を一度に吐くように。
ブレス!?
黒い霧のブレス。
慌てて盾を構える。
大丈夫。
そこまで衝撃はない。
踏ん張ってれば耐えられる。
まだまだ戦える。
ブレスは数秒間続いた。
耐えきる。
熱くも寒くもない。
なんの攻撃?
息を吸って吐いただけ?
なら、反撃だ。
斧を手に再び竜に接近……
しようとしたら、カランと足元で音がした。
見ると鎧の破片が足元に落ちていた。
な、なんだ。
慌てて確認。
斧の刃は腐蝕して使い物にならなくなっていた。
弩はどこかに行ってしまったが、さやにしまっていた剣はまだ使える。
盾も鎧もボロボロになっている。
はがれ落ちるように鎧が崩れ落ちていく。
自分のあばらがむき出しになっているのが見えた。
鎧のいたるところが虫に食われたように穴が開いたり、崩れたりしている。
盾ももうだめだ。
一瞬で?
あのブレス!
瘴気のせいで装備が徐々に使い物にならなくなるのは知っていた。
だけどブレスを食らうと一瞬で腐っちゃうのは反則だろう……。
ただ、まだ剣は使える。
盾と鎧はもうだめだから、防御は期待できない。
これからは飛んだり跳ねたりするだけで、骨にダメージを受ける。
けど、まだ腰の剣がある。
まだ、戦えないわけじゃない。
剣を抜いた。
また胸が膨らむのがわかる。
ブレスの射線を避けてやり過ごす。
そして、接近して攻撃だ。
思えば、竜はただ暴れるだけではなかった。
いつもこちらの行動を見て、有効な反撃を行ってきた。
そして、今度もそうだった。
息を吸ったくせに。
肺に空気をためて、胸を膨らませたくせに。
まっすぐ首を突き出してブレスを吐いてくる、そう思ったのに。
だから、横に躱した。
ブレスの射線から外れるように。
なのに、竜の首はゆるやかな曲線を描いて自分に迫ってくる。
大きく開かれたあご。
刃のような歯がならんだあごが自分めがけて襲ってきた。
フェイント?
ブレスでなく?
かみつき?
気づいた時には遅かった。
体をねじったが、自分の下半身が竜の口の中に消えたのが見えた。
そのままかみ砕かれ。
下半身の骨格を失った自分は吹き飛ばされた。
今、踏みつぶされたら自分は粉々だ。
緊張が走る。
しかし、吹き飛ばされた先が、洞窟の出口の近くだったことが幸いした。
必死に両腕を動かす。
上半身だけで這って洞窟の外に逃げる。
竜はやはり追って来ない。
洞窟の出入り口まで来ると岸壁に背中を預けた。
肺もないのに、息が切れる。
ハァハァと息をつきながら絶望した。
骨しかないないと思っていた自分は、それすらも失ってしまった。