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豹変

 センパイがいない。


 そのことだけでとてつもなく不安になる。

 倉庫にいた時のように、センパイが普通にどこかに出掛けて行った状態でなら、こんなにも不安にならない。

 今のような世界になる前とは別人のようなセンパイの行動力を知っているから。

 でも、今は違う。

 センパイは―――塁場かさねばキョウは捕らえられているのだ。

 ついさっきまで、こんな世界で生き残った数少ない仲間だと思っていた人達に。


「ナナン。センパイは大丈夫かな」


 隣であたしの服の袖をぎゅっと掴んでいるナナンに聞いてみる。

 センパイがいない以上、あたしが心を許せる唯一の人間だ。

 彼女の他に、この部屋には五人もいるけれど、どの人も今となっては信用できるわけがない。

 ただ、同じ境遇にあるという点でだけ仲間意識が生まれているけれど。


「……わかんない。でも、お兄さんだからこそ、逆に危ない気がするの」


 ナナンの言っていることの意味はわからない。

 だけど、彼女も不安なのだ。

 センパイはあたしとこの子にとって、この世界が病気になってからずっと最高の騎士ナイトだったのだから。


「伊野波くん、ここから出して! センパイのところに連れて行って!」

「ダメだ」


 部屋の外から見張っていた伊野波がにべもなく拒絶した。

 さっき、あたしたちを閉じ込めるために突き付けてきたセンパイから奪ったピストルを持ちながらだろう。

 同級生は藤山の言いなりになって、あたしたちの敵に回った。


「藤山さんたちからおまえをここから出すなと指示されている。その言いつけを守るのが俺のタスクだ」


 何がタスクだ。

 善悪の区別も他人に丸投げしただけのくせに。


「仲間を無理矢理に閉じ込めて何のタスクよ!」

「うるさいな! 黙って大人しくしていろよ! 撃つぞ!」


 伊野波が戸を蹴った。

 もうそのぐらいで怯えたりはしない。

 ただ、この鍵もかけられない部屋から出ようとすれば、盲目的に藤山に従うだけになった彼の怒りを買うことは間違いない。

 完全に監禁された訳ではなく出ようと思えば出られるけれど、伊野波の持つピストルが怖い。


「あいつへの尋問が終われば出してやるよ」

「……センパイが殺されたらどうするのさ!?」

「別にいいだろ。あんな奴」

「なっ」

「なんか薄気味悪いしさ。死んだって別に構わない」

「―――最低」


 思わず吐き捨てた。

 伊野波はあたしに気がある。

 だから、あたしが大好きなセンパイを快く思っていないのは知っていた。

 だけど、殺そうとする企てに加担するなんて……。


「薙原さん、止めなよ」

「でも、加地さん!」

「―――伊野波くんを怒らせてもどうにもならないよ。下手したらあなたも撃たれる」

「だけど、センパイが……」

「仕方ないと思う。彼はみゆきを殺したんでしょ。その報いを受けるべきだと思う」


 加地かじ冬乃子ふゆのこが言った。

 あたしの目の前が真っ暗になる。

 確かに彼女の言う通りに、センパイは松下みゆきの命を奪った。

 つい何時間か前のことだ。

 その事実はどうあっても変わらないし、あたし自身がこの目で見届けたことだ。

 でも……


「……でも、それはナナンを助けるためでした。最初に久保さんを殺して、ゾンビの仕業だと偽装してあたしたちを騙し、ナナンを人質にとったのは松下さんの方です」

「それは……」

「正当防衛ってものじゃないんですか?」

「……みゆきがそんなことをする理由はないよ。あなた、塁場くんのことが好きだから庇っているだけじゃないの?」

「好きなのは認めます。でも、それとこれとは別です。センパイは松下さんからナナンを助けるためにしただけのことです。センパイが彼女を殺す理由なんてありません」

「わかんないわよ。だって、彼―――なんというかサイコパスっぽいじゃない。突然、人を銃で撃ち殺したって不思議はないわ」

「センパイはそんなことしません!」

「どうかしらね」


 加地は松下の友達だ。

 その松下を殺したセンパイを悪しざまに言うのは理解できる。

 でも、それは誤解だ。

 この人はセンパイのことを何もわかっていない!


「……二人ともいい加減にしないか」


 あたしたちの口論を押し止めたのは、小野寺おのでら健太だった。

 姓の呼び方から、小野寺おやじさんと慕われている五十代ぐらいの壮年の男性だ。

 この中で唯一の男性である。


「でも、小野寺さん」

「冬乃子さんのいうことももっともだ。キョウくんはみゆきさんを殺したのだから」

「……それは」

「ただ、むしろ私たちは別の心配をしなくてはならないということを忘れちゃならない。藤山たちから身を守ることについてだ」


 思いもよらぬ発言に全員の視線が集中する。


「どういう意味ですか?」

「……キョウくんが殺されたら、きっと藤山あいつらは暴走する。女性陣は特に危険だ。その時のことを話し合う必要がある」

「まさか」


 今野敦子が言った。


「藤山さんはちょっとエキセンクリックなところもあるけど、普通にリーダーをやっていたじゃない。女に手をあげるなんて……」


 彼女からしたらそんなことはないだろうと言いたげだった。

 今はセンパイの事件のせいで混乱しているだけだと思っているのだ。


「いや、君たちが知っているある程度民主的なリーダーとしての藤山は、ここ最近だけの姿だ。少なくとも君らがここに来る前のあいつは、もっと酷いものだった」

「えっ」

「……証拠というか、証人もいる。そこの宮崎さんだよ」


 あたしたちは、仙台というオバサンに縋り付いている宮崎を見た。

 だいぶ前から精神を病んでいるらしいが、ここ数日は落ち着いていたというのに、さっきから怯え切って震えていた。

 仙台がいなければどうなっていたことかわからない取り乱しようだ。

 だけど、彼女がどうしたというのだろう。


「どういう意味なんですか?」


 加地が訊くと、小野寺は首を振って、


「彼女は私や仙台さんたちが来る前、HARAコーポレーションの社員だけしかいない頃に、藤山たちの慰みもの扱いされていて、そのせいでああなってしまったんだ。私たちが合流してからは堂々とやることはなかったけれど、それでも仙台さんの眼を盗んでは陰で彼女を凌辱していた。それ以外も酷いものだったよ」

「待ってください! そんなの見たことがないです!」

「ああ、君らが来てから―――というよりもキョウくんが来てから別人のように治まっただけのことだ。あいつらにとってキョウくんは抑止力になっていたのさ」


 確かにまさかという話だった。

 藤山たちがそんなことをしていたなんて、信じられない。

 ただ、言われてみると宮崎は同じ社員である彼らのことを極端に避けていたし、社員ではない人たちに対して異常に横暴な言動は見たことがある。

 この話は、必ずしも嘘ではないかもしれない。


「そんな……」

「断片的に聞いた話では、もともとこのビルには十数人いたということだ。ゾンビの脅威から逃れた人たちがね。その彼らが今はいないのはどうしてだと思う?」

「……まさか」

「そのまさかさ。あいつらにここから追い出されるか、粛清されるかしたんだよ。で、残ってるのは藤山の傘下についたものだけ。その時期のことは私もよくは知らないがね。でも、私たちがここに来た時期を考えると、最初の三日のことだ。逆に考えるとたった三日でそこまで暴走したんだ」


 さすがに背筋が寒くなった。

 こんなゾンビからの隠れ家に相応しいビルにいながら、中では権力闘争のようなことを繰り広げていたというのか。

 助け合いが必要なあの時期に。


「じゃあ……」

「キョウくんがいなくなったら、またあいつらは特権意識を振りかざすようになるだろう。第一、彼があいつらの手に落ちただけでもうこの有様だ、社員以外―――藤山の手下以外はどうなるかわかったもんじゃない。いや、女の子たちは間違いなく襲われるだろうね。地獄絵図になるかもしれない」


 気の強い加地までが蒼白になる。

 ゾンビばかりの外界で生きてきて、ようやく助けを求めてきた地で、今度は人間たちの争いに巻き込まれる。

 そんな展開は想定していなかったのだろう。


「信じられない……」

「君が信じなくてもたぶんあと数時間もすればわかるよ。その頃にはキョウくんもあいつらにとっては障害にならなくなっているだろうから」


 ……それはセンパイが殺されるということなのか。


「センパイを助けなきゃ……」

「できたら、そうしたほうがいいね。冬乃子さんの言う通りに彼はサイコパスのような恐ろしいところを持っている。正直、怖いと思うこともある。ただ、キョウくんはいつでもイスキちゃんやナナンちゃんを助けるために動いている優しい少年だ。少なくとも藤山たちが実権を握るよりははるかにマシだよ」

「でも……」


 加地は納得できないようだった。

 友人を殺されているからだろう。

 ただ、同じ立場の今野からの説得を受けて少し揺らいでいた。


「私もあの子は嫌いだけど、小野寺さんの意見に納得するわ。……あなたたちを宮崎さんみたいにさせたくないしね」


 仙台も賛同した。

 これでここにいる人間は少なくともセンパイを助けるということで意見が一致したということだろうか。

 ただそうなると急がないと。

 センパイが殺される前に動かないと。

 すると、ナナンが無言で立ち上がった。


「ナナン……?」


 女子小学生は悲壮な決意を秘めた顔をしていた。


「私がお兄さんを助けに行ってくる」

「えっ。ちょっと待って。そんなことが……。もっと作戦を練って」

「……大丈夫だよ、イスキお姉さん。私だったら、何とかできると思うから」

「ちょっと待って! 子供のあんたにそんなことさせられない! あたしがやる!」


 だが、ナナンは首を振った。

 横に。

 拒否したのだ。


「ここの中の誰よりも私の方が成功率は高いと思う。だって、私は〈キャラクター〉だから」


 そうして、ナナンはあたしの手を握り、


「絶対、お兄さんを助けるからね」


 と、誓うのであった。



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