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食人家族

 殺ると決めたら、すぐに動かないと。

 でっぷりとした父親と二郎が帰ってくる前に。

 思い出すと、ゴミ袋を捨てた銀色のライダーズスーツは機敏に動きそうだし、まずはそいつを仕留められれば。

 僕は更衣室の戸にまで行き、そっと開けた。

 奥の方に厨房の入り口とホールがある。

 少しずつ移動するために、斜め前にある戸へと慎重に音を消しつつ近づいて、後ろ手にノブを掴むと中に侵入した。


「うっ」


 生臭い。

 鉄に似た血の臭いというよりもたい肥が風にのって流れてくるような、スメルだ。

 糞尿系の耐え難さが鼻を刺激する。

 手で押さえてもまったく効果がない。


『おい、ちょっとライト当ててみろ』

「ん? こうかな」


 懐中電灯の光が照らし出したものは、天井から何かで吊り下げられた大きな物体だった。

 臭いのせいで涙が滲んでいたので、最初はよくわからなかったが、すぐに正体がわかった。


『……おいおい、マジかよ』


 ゼルパァール、それは僕の台詞だ。

 とはいえ、口にすることはできなかった。

 今手を放したら、すぐにでも閂が決壊してしまうだろうことはわかっていたからだ。

 だって仕方がない。

 鉄のフックに吊り下げられた人の上半身なんてものを見てしまえばね。


「うぐっ」


 ギリギリで堪える。

 マカロフから手を放して、両方の手で押さえなければ我慢できないぐらいの嘔吐感を半ば無理矢理に留めた。

 ゾンビに殺された人の死体は少し見たけれど、そんなものは比べ物にならない残虐さだ。

 これは、意志をもった人の手によるものなのだから。

 しかも、よく見るとあと二体ほど遺骸がぶら下がっている、

 どちらも腐りかけている。

 喉のあたりに大きな傷がつけられているが、あれが致命傷とかではないだろうね。

 あれはきっと……


「血抜きのあとだ」


 僕は自分の発想が恐ろしくなった。

 遺骸の新鮮さを保持するには、なるたけ早く血を抜いて腐敗を遅らせる処置をしなければならない。

 その処置を施されているのだ。

 間違いなく食肉用だ。


『てめえの想像があたっていたようだな』

「ホント、迷惑だけどね」


 なんで、こんなところに遺骸をかけてあるのかと思ったら、奥の方に冷凍室の無骨な扉が見えた。

 近づいて引っ張ってみると、鍵がかかっているのがわかる。

 要するに、ここに仕舞おうとしていたが、鍵がなかったので放置しておいたということだろう。

 我慢して吊り下げている鉄のフックを見ると、ワイヤーといい、ファミレスにありそうな品ではないので、きっと連中が持ち込んだものだ。

 遺骸の顔を見る気はなかったのに、廊下から聞こえた音に反応してつい覗き込んでしまった。

 まだ若い女の子のものだった。

 眼窩が抉りとられている。

 もう、駄目だった。


「うげぇ」


 僕は床に吐いた。

 さっき屋根の上でケロケロしておいたおかげで、そこまで多量ではなかったが、黄色い胃液ともに大事な食料が流れ出す。

 迂闊だった。

 必死になって口元を抑えたが、それなりにゲロを吐く声をあげてしまった。

 そして、それはきっと店内にも届いている。

 ドンドンと廊下を歩く音が近づいてきた。


(パパ、帰ッテキタノカイ?)


「一郎が来る」


 僕は咄嗟に隅に隠れた。

 ここは倉庫になっているらしく、ダンボールもいくつか転がっている。

 電気がつけられない状況なら、気がつかれないはずだ。


「アレ?」


 戸が開いて、光とともに一郎が覗き込んだ。

 逆光に近いのでよくわからないが、猫背なのはわかる。

 あの銀色の方だ。


「パパ、ドコ?」


 音がしたけれど、誰もいないので首をひねっている。


「一郎、ゾンビかもしれないんだ! 不用心に動き回るんじゃないよ!」

「ハーイ、ママ」


 一郎は、後を追ってきたらしいママと会話している。

 パパとかママをどう聞いても三十代ぐらいの男が使っているのは、結構不気味なものだね。


「……まったく、ゾンビがいないのがわかっているからって勝手しすぎだよ、うちの男どもは……」


 愚痴を垂れつつ、ママが遠ざかっていく。


『ゾンビがいないのがわかっているって―――やっぱり〈レーダー〉持ちがいるな。どいつだ?』

「さあ―――ね!」


 僕は部屋から出ていこうと振り向いた一郎の銀色の背中に飛びかかり、マカロフの銃口を押し付ける。

 気配に気がついたのか、一郎が振り向こうとしたときにはもう遅い。

 パンと放たれた銃弾は背中の肉を貫通し、一郎の心臓あたりをぶち抜いた。

 心臓は内臓の左にあるというのはよく知られている常識だけど、実際のところ、左よりもずっと真ん中にあるらしい。

 だから、僕は左寄りの中心目掛けて打ち込んだ。

 接射―――俗にいうゼロ距離射撃。

 僕みたいに訓練を受けていない人間が正確に命中させるには、それしかない。

 そしてその目論見はあたり、一発で一郎は絶命した。

 僕はその身体を盾にして、厨房の前を通り抜け、店内ホールに突っ込んだ。

〈キャラクター〉としての力がその程度を容易にさせるのだ。

 僕(正確には一郎の死体だ)が勢いよく現われたのを見て、テーブルの一つで何やら作業をしていた厳つい中年女性がぎょっとした。

 逞しい顎と眉、そして場末のバーのママのようにド派手に髪を染めた大女だった。

 驚いた。

 どう見ても百八十センチはありそうな長身と、筋骨隆々としたガタイをもった、どう見ても男のようなオバサンだったからだ。

 まったく、おまえのようなオバサンがいるか!


「一郎!!」


 息子に起きた不幸について瞬時に悟ったのか、オバサンはテーブルの上にあった中華包丁を握りこむと、そのまま僕目掛けて投げた。


「ぐあ!」


 結果をいうと、オバサンはいい腕をしていた。

 中華包丁の分厚い刃は、一郎の胸にいい具合に突き刺さったのだから。

 彼を盾にしていなければ僕自身もやられていたかもしれない。

 それほど深く致命的なまでに刃は刺さっていた。


「一郎おおおおお!!」


 息子を殺してしまったかもしれないという絶望が彼女を襲ったらしい。

 もっとも、僕が盾にしている人はついさっき死んでしまっているので厳密には彼女の責任はどこにもない。

 一郎の死体を抱えたまま、僕はマカロフをオバサンに向ける。

 だが、姿勢も悪かったこともあり、トリガーを絞って放たれた銃弾はオバサンの肩の肉を抉り取るだけで終わってしまった。


「ギャアアアア!」


 あまりの痛みに耐えかねたのか、オバサンが後方に吹き飛ぶ。

 だが、そのまま転がって別のテーブルの裏に隠れたのはさすがというべきか。


「痛い痛い痛い、いたーーーーーい!!」


 大きな声で喚き散らす。

 まあ、痛いのは間違いないよね。

 ただ、僕もさっきの包丁の投擲の腕前を目撃しているので迂闊に近づくことはできそうになかった。

 さっきのあれがマグレならどうということはないが、もし万が一、そういう技量の持ち主だとしたら同じ飛び道具だと相討ちのおそれがある。

 少なくとも僕はこんなところでは死にたくないので、少し用心をしなくてはならないのだ。


「あんた、何モンだい!? よくも息子を!! なにをしやがった!!」


 かなり興奮している。

 まあ、処理能力が追い付いていなのかな。

 自分の子供が死んだとならばそうなっても当然、可哀想と言えば可哀想だ。

 とはいえ、戦端を切ってしまった以上、僕にできることはほとんどない。

 もう一郎を手に掛けてしまっているし、どこかにいる〈プレイヤー〉を倒すついでに、この食人一家を始末しておかないと。

 さっきの三人の遺骸を製造したのは、きっとこいつらなのだから自業自得だ。

 それに僕の手はとうの昔に血に塗れて汚れている。


「……答える気はない」

「あんた、あんた、あんたああああ! 殺してやる! 殺してやる!!!」


 隠れたテーブルの後ろから凄まじい形相で睨まれている。

 とはいえ、相手がいかに大柄といっても狙い打つには難しい。

 狙撃というのはスキルがいるのだ。

 仕方ないので、テーブルの上を〈ライトウェイト〉で動きつつ、始末させてもらおうかな。

 ここには他に三郎という男がいるはずなので、そいつにも用心しなくてはならないし。

 僕は胸に包丁の突き刺さった死体を捨てるために手を放した。

 だが、その手を掴まれる。

 誰に?

 死体だとばかり思っていた一郎の手に。

 ぶわんと力任せに僕は腕を引っ張られて、そのまま壁に激突した。

 背中からの激痛で呼吸が止まる。

 ただ、上げた視線が妙なものを捉えていた。

 僕が背中から射撃して心臓を貫き、胸に包丁が刺さっていたはずの一郎がフラフラとはしていたが立っているのだ。

 自分の足で。

 バランスを保ったまま。


「えっ」


 意味が分からなかった。

 そして、もっと訳がわからなくなる。

 綺麗に治っていたからだ。

 傷が。

 包丁が致命的に刺さっていたはずのところに、傷一つ残っていなかった。

 どうやって?

 その疑問を抱く前に、一郎が僕を見下ろして、それから、


「グフェェェフェフェフッへ、グゥウェぇぇぇぇ!!!!」


 と聞いたことのある人のものとは思えぬ奇声を発したのであった。

 


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