開業準備(6) いよいよお引っ越しです
ヤクさんリンさんが去って行ってすぐに、ライスたちは引っ越しの準備を始めた。
準備、と言っても主に家を解体することと、荷物整理である。
ライス、ウミの二人では何日もかかる作業かと思われたが、新しく仲間入りした人外たちが役に立っている。
「よし。木の板は荷台に積み終わったし、道具類は袋に詰めた。あと……細々したもんはどうした?」
「大丈夫だよ。みーんな、ヤクちゃんとリンちゃんに持ってもらってるから」
「……持つというより、食ってるようにしか見えねぇけどな」
大きな荷台の上には、何枚もの木の板が乗っている。家の木材のようだ。他にも様々な材料が荷台に積み込まれ、どこに何があるのか積んだライスにしかわからないだろう。大きな袋はライスが肩に担ぎ、何が入っているのか歪な形になっている。
その荷台の上に、ウミはちょこんと座っている。その隣には、新しい家畜――葉っぱまみれの『ヤクちゃん』と花まみれの『リンちゃん』が身を寄せていた。
名前はウミがつけ直した。
「まだまだ持てるです。遠慮なく言うです」
「あちきたちの収納力はすごいのん」
キッチン道具やら本やら食器やら、家の中に収められていた道具全てをヤクちゃんとリンちゃんが飲み込んだ。その割には、姿かたちが一切変化していない。
中身がどうなっているのか不思議ではある。
「てめぇら……そう言いつつ実は食ってるんじゃねぇだろうな」
じっと睨み合う両者に苦笑いを浮かべつつ、ウミはふと元々家があった場所を見た。
そこはもうすでに何もない。
真っ平らな黒土と、何かあったような形跡が残っているだけだった。
改めて本当に引っ越しをするのだということを考えさせられる。
「んじゃ、行くか。もう忘れ物はねぇな?」
「うん」
が、何かが頭の中で引っ掛かる。ウミはそれが何なのか思い出せず、土地を見ながら首をひねった。
「……まぁいいか」
ライスが荷台の前に立つと取っ手を持ち歩き始める。
広大に広がる黒土の上、大きな荷台を運ぶ影が進んで行く。
◇ ◇
高かった陽もいつの間にか傾き、やがて真っ暗な夜へとなった。
進む道の傍には家はない。灯りもない。あるのは唯一、荷台の取っ手につけてあるランプだけである。
「くそ、暗くて前が見えねぇな。今日は野宿だ」
「わかった」
ライスは荷台を止め、持っていた袋を降ろすと中から一枚大きな布を取り出した。
それを手に、荷台に乗るウミへと近づく。
「これ掛けて寝ろ」
「ありがとう、ライス」
ニッコリと微笑むウミの顔に釣られるように、ライスも頬を緩める。
横になり布を掛けていざ就寝――と言う時だった。
「……何か動くのん」
「……は?」
リンちゃんがそう言うや否や、荷台から飛び降り、大きく口を開いた。
そして――木箱を吐き出した。
見覚えのある木箱。そう――触手がいる木箱である。
「なっ……なんでそれを持ってきたんだよ!」
「荷物だから当たり前なのん」
ウミも起き上がり、ライスとともに木箱の近くに行く。
ヤクちゃんもぴょんぴょんと移動し、みんな囲む形で木箱を見つめる。
「ライス。箱から気配を感じるのん」
「出してあげるです。干からびて死んじゃうです」
ライスはピクッと眉をひそめ、チッと舌打ちをする。
「いいんだよ。てめぇらは知らねぇかもしれねぇが、ウミを食糧として見てんだよ。んなもん、出せるか」
「でも気の毒です。僕らのこと食糧と使う気なら、少しぐらい餌付けしても良いと思うです」
「そうなのん。お互い様なのん。命まで奪うことはないと思うのん」
ライスの眉間の皺が深くなっている。今にも怒鳴りそうな雰囲気に、ウミは慌てて口を開く。
「ら、ライス! 私もお願い。やっぱりあのまま殺しちゃうのはかわいそうだもん。私は大丈夫だから」
皆にじっと見つめられ、今にも出そうだった叫び声も引っ込んでしまった。
ライスはムスッとした表情でウミを見つめる。
「……本気か、ウミ」
「うん」
少し睨み合いをするが、ウミは一向に引く気配を見せなかった。力強い眼差しでライスを見続ける。
つくづく娘に甘い自分に、ライスは頭を抱え大きくため息を漏らし、負けを認めた。
「ったく……わかったよ」
そう言うとライスは木箱の前に行き、蓋に手を添えた。
開けられた木箱。そこには、以前と変わらない黒土があるだけだった。
「……ど、どうなったのかな」
「土の中にいるだろ。簡単には死にはしねぇよ」
「餌をあげるのん。きっと土から出てくるのん」
「大丈夫です。僕たちがウミを守るです」
ライスを見上げる小さな人外たち。思わずライスはふっと鼻で笑う。
踏んでしまいそうな小さな人外に、ウミを守れるわけがない。
が、そう言われた本人は嬉しそうにニッコリと微笑む。
「わぁ本当に!? ありがとう」
「まかせろねん。毒の花粉、撒き散らすのん」
「僕も毒の葉っぱを食わせるです」
殺す気満々じゃねぇか、とライスは心の中でツッコミを入れた。
一方ウミは苦笑いを浮かべつつ、ホルスターに差してある包丁を手に取る。そして、長い黒髪の先を少し持ち、刃先を当てた。
「ひとまず……少し切ってみるね」
親指ぐらいの長さに切った髪を、パラパラと土の上にまいた。
二人でじっと眺める。すると、すぐに土がもぞもぞ動き始めたかと思うと――ピンク色の触手がにゅるっと一本出てきた。
思わずライスの腕にしがみ付くウミ。触手はまかれた髪を食べるためか、触手を真っ直ぐ木箱の側面まで伸ばすとゆっくりと移動し始める。
触手が通ったあとの土の上に髪の毛はない。
「お、お腹すいてたの……かな」
「それは間違いねぇだろうな」
土の上の髪の毛を全て食べ終わった触手は、土から垂直に立てるとヌルヌルと出てくる。
そして――一本の触手が姿を現した。
ピンク色の触手は、テカテカとしながら姿を縮こませる。すると――一本の触手だったものが、あっという間にピンクの球体へと変わった。
そしてそこから――小さな触手が生えた。まるでタコのようだ。
「なんのつもりだ?」
ウネウネと触手を動かす。
何かを伝えたいらしいが、言葉を発しないのでわからない。
「そいつは『これなら怖くないですか?』と言っているです」
「ん、こいつしゃべってるのか? 俺は聞こえねぇぞ」
「たぶん、餌を与えられなかったせいで不完全になっているのん。でも、あちきたちは聞こえるわん。代わりに言ってあげるのん」
ウミはごくんと唾を飲み込み、ライスから離れると少し屈んだ。
ウネウネと動くピンクのタコが目の前にいる。
「え、餌としてなら……髪の毛をあげるから、もういきなり……巻きついたりしない?」
タコは恥ずかしそうに触手で身体を摩っている。
「そいつは『はい、巻きつきません』と言っているわん」
ライスは腕を組みタコを睨みつける。
「本当だろうなぁ? 巻きつくだけじゃねぇぞ……吸いつくのも、弄ぶのも、とにかく俺の許可なくウミに触ろうもんなら許さねぇからな!」
そんな言葉に、タコは明らかに落胆したようにヘナヘナとしぼんでいる。
どうやら巻きつく以外をしようと考えていたようだった。
「そいつは『わかっています。そんな卑猥なことなんて考えていませんよ』と言っているです」
「嘘つけ! 見るからに落胆してんじゃねぇか!」
大きくため息を吐いたライスは、ボリボリと頭を掻いた後木箱を持ち上げた。
そして、改めてタコを睨みつける。
「きっちり家畜として役立ってもらうからな、覚悟しとけ!」
そう言うとタコは触手を使い、まるで力こぶのような仕草をして見せた。
ふざけてやがる――そんな気持ちを込め、チッと舌打ちをする。
「名前を決めるです。僕たちの仲間です」
「ライス、ウミ。名前を決めるのん」
ライスは荷台の、ウミが横たわる場所とは木の板を挟んで反対側に置いた。
ウミとヤクちゃんリンちゃんは元の荷台の場所へと座る。
「ウミ、お前が決めろよ。俺はどうでもいい」
「……じゃあツベさんからもらったから……ツベちゃんで!」
◇ ◇
少しの間、ライスたちとしゃべっていたウミだったがいつの間にか寝てしまっていた。
が、野宿は初めてなので眠りは浅い。びくっとして目が覚めてしまった。
ランプの火が消えているのか、辺りは真っ暗だった。寝ぼけ眼で辺りを見回していると――。
「どうした? 眠れねぇのか?」
聞き慣れた声。その方へ顔を向けると、荷台のすぐ横で座り込んでいるライスの姿が薄らと見えた。
「……ううん。ちょっと目が覚めちゃって」
「そうか」
寝ようと再び目を閉じようとしたが――思い出した。ライスの本当の目的を知らないことを。
それを考えると、寝られなくなってしまった。
「……ライス」
「……」
返事はない。
「……ライス。……と、父さん」
普段絶対言わないと決めている言葉。もしかしたら起きるかもしれない、そんなことを思った。
すると――。
「……ん……呼んだかウミ」
「……わざと?」
「何が? ……用がねぇなら俺は寝るぞ」
「待って待って。聞きたいことがあるの」
ライスがキリング区画出身だとか、何から生まれたとか、ウミはどうでも良かった。
一番聞きたいのは、キリング区画へ行って何をするか、だ。
「キリング区画へ行けたとして……ライスはそこで、何をするの?」
「……あぁ。そんなことか。……そういや行った後のこと、言ってなかったな。わりぃわりぃ」
暗闇で見えないが、ライスのひひひっと笑う顔が見えた気がした。
「色々したいことはあるんだが……一番は、お前の相手を見つけることだな」
「……どういう意味?」
相手とは――ウミは嫌な予感がした。
ライスは言葉を続ける。
「ヒトはアナザー区画じゃ滅多に見ねぇからな。お前と同じ時を歩む、良いヒトをキリング区画で見つけるんだよ」
「それって……まさか」
「お前好みのヒトがいればいいがなぁ」
ひひひっと言うライスの笑い声が聞こえる。
つまり、ライスはウミの結婚相手を見つけようと目論んでいるのだ。
「な、なんでそんな! それだけのためにお金儲けしようとしていたの!?」
「大きい声出すなよ。もちろん……それだけじゃねぇよ。キリング区画には、人界と人外界を結ぶ穴がいくつかあるんだ。そこへ行ってお前を人界へ戻せそうなら、お前が選んだヒトと一緒に人界へ戻すんだよ。それが俺の計画だ」
良い計画だろ? と声が聞こえた後、すぐにひひひっという笑い声が耳に届く。
が、それを聞いたウミはたまったものではない。勝手な計画過ぎる。
「か、勝手に決めないでよ! そんな理由で行く気なら、私行きたくない!」
「そう言うなよ。まぁ……こればっかりは気持ちの問題だから無理強いはしねぇけど、俺も個人的な理由でキリング区画へ行きてぇんだよ」
「ライスの、個人的な理由? ……何それ」
「友人に……会いたくってよ。ガキの時の奴だから、もう、死んでるだろうけどな……」
声色が弱くなった。
顔が見えたなら、きっと今まで見たことないような、弱気なライスの表情になっている。
「そいつ、お前と一緒でヒトだったんだよ。俺、ガキの時はキリング区画で働いててさ。そいつもそこにいたんだ。けど、昔は今以上にヒトの扱いがひどくってな……そいつも見てて気の毒だったよ。言葉は通じなかったけど、何とか励まそうとしてたなぁ。けど……いきなり俺の目の前からいなくなっちまってさ。探しに行きたかったけど、行けなくて……。やっと自由になったときには、百年以上の時間が過ぎちまってた。……期待はしてねぇんだけど、そいつに会いたいんだよ」
それを聞いたウミは、なぜか心が痛んだ。思わずギュっと胸に拳を当てる。
何と言えば良いのかわからない。だが、ライスが本当に行きたいという気持ちが伝わった。
「だから……な? ウミも手伝ってくれよ。俺一人じゃ無理なんだよ」
ライスが立ち上がり、ウミの頭にポンと優しく手を置いた。
大きな温かい手のひらだった。
「俺と一緒に……頑張ろう」
「……わかった」
ウミの小さな声を聞いて、ほっと胸を撫で下ろしライスは再び座る。
よくよく考えれば、ウミに自分のことを話すことは今までなかったかもしれない。
ふと――自分の手のひらを見返す。
いつか見た遠い過去――。淡く儚い気持ちを初めて抱いた思い出の一部。
自嘲気味に笑みを浮かべ、ギュっと拳を握る。
――また見れればいいなぁ。そんなことを思いながら、ライスは再び目を閉じた。