開業準備(4) 娘には甘いようです
ライスは目覚め、いつも通りリビングへと降りた。
が、静まりかえっており、いつもいるはずのウミの姿が見えない。
寝坊――そう思いながらもスープを温める。
たまには自分で用意するのも悪くなかった。
ウミが目覚めてくるまで待っていた。
それぞれの皿に分けたスープから、ゆらゆらと湯気が立ち上る。香しい匂いがリビングに充満していた。
「……おせぇな」
温めている間に起きてくるだろう、そう思っていた。が、その気配はない。
仕方なくウミの部屋へと迎えに行った。
「おい、ウミ。起きろ」
ドアを何度か叩く。が、声もしない。
「開けるぞ」
開けると――ベッドの上には布団もウミもいない。
部屋見回すと――隅で布団に包まり、座るように寝ているウミの姿があった。
「おい、ウミ。起きろ」
「……ん……ライス?」
ライスはウミを揺り起こした。
寝ぼけ眼で見上げてくるウミ。眩しそうに顔をしかめている。
が、段々と状況を理解していくのか、何度か瞬きをしたあとぱっちりと目を見開いた。
「……えっ! な、なんでライスが!」
「そりゃ、起きてこねぇからに決まってんだろ。というか、お前、こんなに寝相が悪かったか?」
そう言われ、ハッとした表情で自分の位置を見回すウミ。少し、視線を落とし何かを思い出している。
そしてそれを思い出したのか、急に立ち上がりライスに詰め寄った。
「ライス! あの家畜! あれ何! 土に触ったら急に触手が伸びて、私に巻きついてきたの! それで私びっくりして部屋に戻って、怖くて部屋で固まっていたんだから!」
「え、ウミお前……土の上に手でも置いたのか?」
「うん、本当にいるのか気になって……置いたというより触れた感じだったんだけど……」
そう言うや否や、ライスは慌ててウミの手首を掴み手のひらをじっと見下ろした。
――右手の真ん中辺りに、小さな青い痣ができている。
「お前……血、吸われてるぞ」
「え。……ええええ!!」
叫び声を上げウミも確認する。
手のひらに小さな丸い痣。しかし痛みはなく、今の今まで気が付かなかった。
「ど、どうなるの! 私死んじゃうの!?」
「死にはしねぇよ。……ちょっと来い」
そのまま手首を掴まれたままリビングへと連れて行かれた。
香しい匂いが充満している。
きっと準備をして待っていた――気付いたウミは申し訳なさそうに肩を落とす。
椅子に座って朝ごはん――そう思ったが違った。
ライスはテーブルを通り過ぎ、玄関横に置いてある木箱の前まで行く。
「一応、確認だ」
そう言うと、ライスは自らの髪を数本抜いた。茶色の髪が手に握り締められている。
それを木箱の土の上に放り投げた。
昨日の話だと、土の上に食べ物を乗せれば勝手に食べる――おまけに雑食で何でも食べる、そういう説明だった。
――しかし。
「……やっぱり食いつかねぇな」
土は全く動かない。
ウミは何か嫌な予感がしていた。自分の血が吸われ、雑食であるはずなのに餌に食いつかない。
――すると。
「ん……何だ?」
土の中からにょろにょろと、ピンク色の触手が一本出てきた。
思わずウミはライスの腕にしがみ付く。
その触手は土の上に乗っていた茶色の毛を、確かめるようにツンツンと触る。
食べるのか。そう思いながら見守っていると――触手は食べるどころか、髪の毛を払いのけてしまった。
そして、指差すようにウミを触手で示してきたのだ。
この行動にライスはカチンと来た。
「てめぇ……ふざけるなよ」
まるで、『毛はいらないからウミを寄こせ』とでも言っているようである。
ライスはウミのホルスターから包丁を取ると、刃先を触手に向け低い声で囁いた。
「雑食のくせに何贅沢ぬかしやがる。俺の毛をありがたく食えよ」
再びパラパラと髪の毛を土の上に振りかける。が、すぐに触手は払いのけてしまった。
そして逃げるようにして土の中へと潜って行った。
一瞬の出来事に、ライスもウミも言葉をすぐに出せなかった。
が、ライスは怒りにまかせ木箱に蓋をした。
「だったらずっと土の中に居やがれ! ウミ! 席に座れ、朝飯食うぞ!」
「……う、うん」
少し冷めたスープを啜りながら、ウミは蓋をされた木箱をじっと眺める。
ライスは飲んでいる間、眉間に皺を寄せながら黙り込んでいた。怒りをなんとか鎮めようとしているようだ。
「ライス……あの子は私を食べたがっていたの?」
「……あぁ。お前の味を知ったからだろうな」
スプーンを置いたライスは、険しい表情でウミを見つめた。
「ウミ。油断しちゃならねぇと言っただろ? お前は珍しいヒトなんだ。たぶんもうあいつは、お前以外の餌は食わねぇぞ」
「じゃあ……どうするの?」
「あのまま蓋を閉じて殺すか。それか捌いて俺たちで食うか。まぁ、どっちかだな」
そう言い終えたライスは、皿のスープを一気に飲み干した。
一方で、ウミは反省しているのか暗い表情で俯いたままだった。
「ウミ。そんな顔してねぇで、さっさと飲んで準備するぞ。今日またお客が来るんだからな」
「うん……。ねぇあの子……私の毛か何かあげれば、餌として食べてくれるんだよね?」
確かにウミの言う通り、髪でも爪でも与えれば食べるだろう。
だがそれは、家畜がウミを食糧として認識しているということだ。
余りにも危険な行為である――が、それをウミは理解していない。
もっともライスがきちんと『人外界でヒトとはどのような存在か』をウミに教えていなかったせいでもある。
「……ウミ。お前のせいじゃねぇよ。仕方がないことなんだ。俺は、お前の身に何かあった方が恐ろしいんだ。酷いことを言ったかもしれねぇけど、堪えてくれ」
「……」
それでもウミは、暗い表情で視線を落としたままだった。
仕方なくライスは近寄ると、思いっきり頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ほら! いつまでも暗い顔してねぇで掃除するぞ! ツベさんの体液で汚れたベッドを綺麗にしなきゃならねぇからな!」
「……わ、わかったから! もう、いっつも頭をぐしゃぐしゃにするんだから!」
頬を膨らませ不貞腐れる娘の顔に、ひひひっとライスは笑顔で応えた。
◇ ◇
再び、玄関を出て外で二人並んでお客を待つ。
真っ青な空と、黒い大地が綺麗に分かれていた。目の前に遮るものは何もない。ひたすら広大な大地が続く。
「……どんな方かなぁ」
「さぁな」
遠くを見つめながら、ライスは頭の中で考えを巡らせていた。
人外との交流をあえて遠ざけ、ライスとツベさん以外を知らないウミ。
ライスが教えてきたことと言えば、人外の言葉と生きるためのある程度の知識ぐらいだった。あとは、持ち帰る人界の本などを読ませていた。
ウミは拾った時から、人界の言葉を理解していた。なので、人界の本を渡せば今でも読む。
ライスにはわからなかったが、面白いのだろう、ウミは何時間でも読み続けていた。
もしかすると、それを良し、と思ったライスがいけなかったのかもしれない。
交流を持たせることをしなかったせいか、人外に対しての警戒心が薄い。
この先どんなことがあるかもわからない。
「なぁ、ウミ」
「ん、何?」
顔を向けると、ウミは先ほどの暗い表情を感じさせない、にこやかな笑みを浮かべている。
きっと、初めて会う人外が楽しみなのだろう。
「あんまり言いたくはねぇんだけど……お前は人外どもにとっては……特別なんだよ」
言葉を慎重に選ぶように、歯切れの悪い言葉で続ける。
「俺やツベさんみたいな人外が、全部じゃねぇんだ。……これから先、金儲けする上で色んな人外どもに会うはずだ」
ライスは珍しく面と向かってではなく、言いづらそうに視線を彷徨わせている。
その様子をウミは黙って聞き入った。
「今更とか思うかもしれねぇけど……お前は俺にとっても特別だ。ヒトだろうと、俺が育てた大事な娘だ。だから……無茶はしてほしくねぇ」
「うん。わかってるよ」
見ると、ウミがニッコリと微笑んでいた。
「私だって、ライスは大事な人外だもん。無茶はしてほしくないし、何でも話してほしいって思ってるよ。でも正直言うと、ライス以外の人外さんに会えるのが、ちょっぴり楽しみだったりするんだ。ツベさんみたいな、気持ち悪い人外さんは嫌だけどね」
「いや……そうじゃなくて、お前は人外どもに対してもっと警戒……」
「あっ! 見て! 何かこっちにやって来るよ」
ライスは小さくため息を吐きながら、がっくりと肩を落とした。
もっと単刀直入に言うべきだった、と後悔するが遅い。ウミの視線をすでに、遠く彼方のほうに注がれている。