君を想う(9) 陸、帰る
何日過ぎたかわからないが、しばらくの間地下で過ごしていた。
ライスとウミの間に挟まれた陸は、居心地が悪そうに寝たふりをしたり隅に寄ったりと、二人に気を遣っているようだった。
が、そんな陸の心配りも虚しく、ウミは陸の檻に近付き人界のことを何度も聞いた。
ライスも特に言うことはなく、黙って邪魔をしないようにしている。
『……へぇ! 勝手に走る乗り物もあるんだ!』
『まぁ勝手に走るというか……操作するというか……。空を飛べる乗り物もあるんだ』
『空を飛ぶの!? すごい!』
車や飛行機のない世界のためか、ウミは目を見開き興味津々で話を聞いていた。
そんな他愛もない話をしている時――とうとうその日はやってきた。
◇ ◇
「……明日、人界とを繋ぐ穴、が開きます」
この前の騒動以来、ポポは久しぶりにやってきた。
特に身体の異変は見受けられず、なんとか無事にオーナーたちとやっているようだった。
「お前が案内してくれんのか?」
「はい。三人とも一緒に向かいましょう。陸さんだけが人界へ行き、ライスたちはそのままホテルデッドから逃げてください」
「……俺たちが逃げても大丈夫なのか? お前がひどい目に遭わされるんじゃ……」
「大丈夫です。オーナーたちは私がいさえすれば問題ありません」
安心させるかのように口元を緩めると、ポポはそのまま身体を翻した。
「では明日。ゆっくり休んでください」
というと、そのまま姿を消してしまった。
ウミと陸は消えていったポポの背中を見つめながら、ぼーっと耽っていた。
明日、人界とを繋ぐ穴が開く。
陸にとっては待ち望んだ日だ。それと同時に、ウミたちとの別れの日でもある。
「リク、良かったね!」
見るとウミは嬉しそうに笑顔を向けている。
「やっと元の世界に帰られるね。ちょっと寂しいけど、本当に良かった」
「……あぁ全部、ウミとライスさんのおかげだ。ありがとう」
ライスもひひひっと笑顔を浮かべていた。
「リクが頑張ったからだ。全然知らない世界でここまで生きられたのは……リク、お前の力だよ」
「そんなことありません……ライスさんが俺を助けてくれた。だから、ウミとも知り合えたし、今日まで生きてる」
「まぁ、最初に拾ったのがカグラで良かった。もし他の奴らだったら、売り飛ばされるか食われるか……まともなことになってなかったかもしれねぇからな」
笑うライスの横で、ふと陸は思い出していた。
カグラ――真っ白の肌と赤い瞳を持つ冷めた男。
確かに檻に閉じ込められたが、暴力を振るわれるとか労働させられるとか、そんな扱いは受けなかった。
ポポの話を思い出してみても、自分がいかに運が良かったかと改めて感じられる。
「……そう、ですね。俺は運が良かったのかも」
「まぁ、体調崩さねぇように気をつけろよ。俺は今日邪魔しねぇから、ウミに人界のこと話してやってくれ」
「え?」
「……俺はお前を信用してる。それに、ウミも人界のことを知りたいだろうしな。まぁあんまり夜更かしねぇようにな」
そう言うとライスは牢屋の隅の方へと座り込んでしまった。
言葉を失う陸の後ろから、ウミの声が響いた。
「どうしたの?」
「いや……ライスさんって本当に俺のことを信用してるんだな、と」
陸はウミの牢屋へ歩み寄ると、腰を下ろした。ウミも釣られて腰を降ろす。
「……リク、本当にありがとう。リクのおかげで、父さんとも話ができたし、ライスの気持ちが知ることができたから……本当に感謝してるよ」
人懐っこい笑顔で微笑むウミを、陸も頬を緩ませ微笑んだ。
「別に俺は何もしてない。でも、うまくいってよかったな」
「うん。リクも元の世界に戻って、早く大事なヒトたちと会えればいいね」
大事な人たち――そう言われて浮かぶ顔はいくつかいる。
こちらの世界に来て、もう何日過ぎてしまったのかわからない。
学校はどうなっているのか、自分のことを忘れてはいないか、心配しているのではないか――考えると不安は尽きない。
だが、そんな不安も明日で終わる。
「……そうだな。しばらく顔見せてなかったから、死んだことになってそうだな」
「え!?」
「嘘、嘘。……まぁテレビで大々的に報道されてたりしてな」
「……テレビ? テレビって何?」
結局その日は、眠くなるまで人界のことをウミに語り続けた。
◇ ◇
人界とを繋ぐ穴がいよいよ開く――。
今まで地下にいた三人だが、朝一番にポポがやってきた。
ポポは三人の鍵を開けると、さっそく地上へと案内する。移動の最中はウミと陸はローブを頭から被り、ヒトとわからなくしていた。
「……三人とも黙って私の後についてきてください」
登っていくエレベーターの中、広くない空間でポポの言葉が短く響く。
久しぶりに地上へと出るためか、妙な緊張感が漂っていた。三人とも黙ったまま頷く。
「大丈夫ですよ」
そんな空気を和らげるように、ポポはニッコリと微笑んで見せた。
エレベーターが止まって開いた先は、ホテルデッドのロビーだった。
様々な人外が行き交い、ざわざわと騒がしい。カウンターには長い列ができており、椅子はどこも埋まっている。
どこが出口かもわからなくなりそうだが、ポポは迷うことなく進む。
やはり見た目が長寿人外のせいなのだろう、密集している場所でも自然と道ができていく。
ポポに黙ってついていくと――外へと出た。
お客の数は格段に減ったが、今度は武器を持つ有翼人外の姿が多くいる。
そして見えてきたのは高い塀だった。丸く囲むように塀が立ち並ぶ。
その場所はライスにとっては思い入れのある場所だった。
「……ここは」
思わずライスが呟くと、先頭を歩くポポが顔だけ少し振り返るにこやかに言った。
「人界とを繋ぐ穴、ですね。もうすぐですよ」
するとすぐに塀の中へと入れる門が見えた。
だが、そこには数体の有翼人外が警備している。
「……ポポ様!」
ポポの姿を見つけるや否や、皆、背筋を伸ばし姿勢を整える。
が、目はちらちらと後方にいるライスたちに向けられていた。
「どうされましたか? 今日は人界とが繋がる日のため、騒がしくなっております。申し訳ございません」
「大丈夫です。……今、中へは入られますか? 少し案内したいのです」
「は、はぁ……ですが……」
視線がライスやウミたちに移る。
怪訝そうにライスたちを見つめる視線を遮るように、ポポはにこやかに言い放った。
「心配いりません。むしろ、少し貴方がたは離れていなさい。私の合図があるまで近づいてはなりません。これは命令です」
「か、かしこまりました……!」
ポポに気押されたのか、複数いた有翼人外たちは足早に去って行く。
三人とも唖然とした表情でその様子を見ていた。
「……父さん、すごいね」
「使えるものは使わないと、この世界では生きていられませんからね。……さぁ行きましょう」
そう言うとポポは門をくぐり中へと歩いていく。
三人は後ろをついていくと――丸く掘り下げられた場所へと出た。
その穴の中には、陸にとっては見覚えのあるものが落ちている。
自転車やタンス、雑誌に本などなど――ゴミに近いようなものばかりだが、人界の物に間違いなかった。
「なんでこんな物が……」
「それは今、あの空間から落ちてきているからですよ」
そう言ってポポが指差したのは、穴の中心部から少し上空にある空の歪みだった。
そこだけ、はっきりと空が映っていない。何かに歪まれたように、ぐにゃぐにゃと目に映る。
「……あれが人界とを繋ぐ穴、ですか」
「えぇ。この荷物はその穴から落ちてきた物です。そして、おそらくですが、穴の中心部に立っていれば歪みに吸い込まれ、人界へと戻れるでしょう」
「じゃあ俺はあの中心部に立っていれば戻れる、ってことですね」
「えぇ」
陸はじっと空間の歪みを見上げながら、大きく息を吐いた。
そしてフードを取ると、ライスへと向き直る。
「ライスさん、いままでありがとうございました」
「おう。……向こうでも元気でやれよ」
「……あと、カグラにもよろしく伝えてください」
「まかせとけ」
ひひひっと笑うライスに、陸も頬を緩ませながら、隣に立つウミを見る。
「ウミ、ライスさんと幸せに」
「うん。リクも元気でね」
陸は握手を求め、手を差し伸べた。
ウミはすぐさまその手をギュっと両手で包み込んだ。温かかった。
「……私、初めてヒトの友達ができて、すごく嬉しかったよ!」
「あぁ。俺もこの世界で、ウミみたいな子と知り合えて本当に良かった。元気でな」
「いつかまた……遊びに来てね」
「……いつか、な」
フッと笑みをこぼすと、陸はウミの手をすり抜けた。
陸は迷いのない歩みで穴の中心部まで進んでいき、空を見上げた。
その目に恐れはなかった。真っ直ぐ人界へ帰ることだけを見つめているように見えた。
そして、ライス、ウミ、ポポが見守る中――陸は空間の歪みの中、姿を消していった。
まるで、陸が初めからいなかったような、そんな寂しい気持ちになる。
先ほどまで立っていた場所には、もう誰もいない。だが、その上空にある歪みはあり続けている。
ぽっかりと胸に穴が開いたように、ウミは呆然と歪む空間を見つめた。
心が震えそうになったとき――ライスがウミの肩を抱いた。
「……リクは人界で待っている奴らがいる。帰られて良かったんだ。それに、人界のこともたくさん知ることができただろ? ちゃんとリクはここにいたんだよ」
「うん……うん……そうだよね。良かった、よね。笑って見送ってあげなきゃ、駄目だよね」
涙を堪え、ウミはニッコリと微笑んで見せた。
笑い合うライスとウミの横で、ポポはごほんとわざとらしく咳払いをした。
「……今度は貴方たちの番です。ここから逃げなさい」
次で本編は終了です。




