君を想う(8) 想いを告げる
あれよあれよと言う間に、ライスと二人っきりで小部屋に入れられた。
二人っきりなど慣れているはず――だが、ウミはドキドキとして落ち着けない。
「……ウミ、これに座れ」
と、ライスは倒れていた椅子を起こし、埃を払って座るように促した。
自身は小さな机を隅に避け、ウミの目の前に足をたたみ折り座り込んだ。
それを見て、ウミも恐る恐る腰を降ろす。
「何警戒してんだ」
「べ、別にそういうんじゃない……なんか恥ずかしくて……」
顔が、身体が熱い。
耐えきれず、服の上に着ていたローブを脱いだ。
「……お前、大胆だな」
「だって暑いんだもん」
「ってそれ、持ってたんだな」
とライスの目に止まったのは、ホルスターに差しこまれている包丁だった。
「うん。気付かなかったのかな? 取られなかったよ。これ持ってると、ちょっとだけ強くなれる気がするから……心強いんだ」
「そっか。……もうあれから、だいぶ過ぎたな」
「そうだね……」
ライスがキリング区画を目指すと言いだしたのがきっかけだった。
そのおかげで、ヤクちゃんやリンちゃんやツベちゃんに出会えた。
民宿を営む上で、様々な人外と知り合えた。大変なこともたくさんあった。けど、どれも良い思い出だ。
「ライス。私きっとね、この世界でここまで幸せなヒトっていないと思う」
怖い目には遭ったが、大きな怪我をしたわけでもない。ヤクちゃんたちが、ライスが助けてくれた。
誰かが気にかけてくれる。それはとても幸せなことだ。
だから――いつまでも手を煩わせるわけにはいかない。
――いつまでもわがままばかり言ってはいけない。
「……私、ライスに拾われて本当に良かったって思ってるよ」
もう子どもじゃない、とウミは決心した。
ライスの目を見つめニッコリと微笑む。
だが一方でライスは、その微笑みに胸がぎゅっと締まる――そんな気がした。
胸が苦しく、身体が熱くなる。
「そう、か」
先ほどのポポの言葉が頭をよぎり、余計意識させられてしまう。
『貴方はもう、ただの男』
顔が熱くなり、思わずウミから顔を背けた。
「さっきあんなこと言っちゃったけど……私、ライスに迷惑かけたくないから……やっぱり人界に行くよ」
「……え?」
思わず視線を戻すと、ウミは視線を逸らし作り笑いを浮かべていた。
「よく考えたら、ここに来た理由は良いヒトを見つけて、人界へ行くのが目的だったじゃない。……リクは良いヒトだよねっ! 人界のことも色々教えてくれそうだし。それに私と歳も近そうだし……うん、悪いヒトじゃないよね。だから、私……人界に行くよ」
笑っている。が、いつも見てきた笑顔ではない。
「さ、さっき言ったのは嘘だからっ! 気にしなくていいからっ!」
目を合わせようとせず、視線を彷徨わせ誤魔化し笑いを浮かべる。
なおもじっと見るライスに耐えかねて、ウミは立ち上がった。
「ご、ごめんねっ、わがまま言っちゃって。出ようか……」
「……嘘だ」
短く低い声が響いた。ビクッとしてウミは動きを止めた。
背を向けたままのウミに、ライスも立ち上がる。
「ウミ、話は終わっちゃいねぇよ。こっち向け」
「……な、何言ってんの? 本当だもん。もう話すことなんて……」
うわずった声。
ライスはたまらずウミの肩に手を乗せ、こちらを向くように促すが――。
「ウミ」
「本当だもん!」
手を払いのけ、振り返った顔は涙目でむくれているウミの顔だった。
ライスは呆然とウミを見つめる。
「……私、ずっとライスのこと好きだったよ。でもライスは……私を、娘としか見てくれない。迷惑かけたくないから……私、人界へ行くって決心したのに」
ライスは膨れ上がる胸の苦しさを堪えながら見つめる。
ウミもポロポロと涙を流しながらも、ライスを睨む。
「どうしていっつも自分勝手なの!? ずっと、私のこと見てくれなかったのに、どうして!? 私が邪魔なんでしょ、私が嫌いなんでしょ!?」
「邪魔でもねぇし嫌いでもねぇよ」
「嘘。私のせいで、つがいが探せないんでしょ!? だから人界へ行かせたいんでしょ!?」
「つがいは探さねぇよ」
「……っ! ほら、私がいない方が――!」
突然――ライスが無理やり抱き寄せた。
そして、頭を優しく撫でる。
「……落ち着け」
ライスの言葉とは裏腹に、ウミは突然のことに余計に顔が熱くなる。
身体を硬直させるウミに対し、ライスは優しい言葉で語りかけた。
「俺はウミのことを、邪魔だとか嫌いだとか、そんなこと一度も思ったことねぇよ。だから泣くな。……な?」
「……また子ども扱いして……!」
嬉しいような悔しいような――小さな声で唸りながら涙を堪える。
そんなウミを見下ろしながら、ライスはフッと笑みをこぼした。
「そりゃそうだろ? お前のことずっと見てきたんだ」
「……やっぱり」
――ライスにとって、私はずっと……子どもなんだ。
そう思うとまた涙が込み上げ――ライスに見えないように顔を俯かせる。
一方でライスは優しく頭を撫で続けた。
「俺はずっと……お前を娘のように思って育ててきた。最初こそ不安はあった。ヒトが短命な事を知っていたし、ヒトがここじゃ狙われるのも知ってる。けど俺は守りたかった。だから、俺は親としてお前の盾になって守ろうと誓った。いづれウミに似合うヒトと出会って人界へ返せば、ウミは幸せになれるって信じてた。……俺はウミが幸せになれば、それで良かったんだ」
優しい声色に、ウミは思わず顔を上げた。
ライスは少し照れくさそうに微笑んでいる。
「けど……知ってたよ、お前が違う意味で俺のことを好いてくれてたこと。でも、それは受け入れちゃ駄目だと自分に言い聞かせてた。ずっと親子の関係でうまくやれてた、認めちまえばそれが崩れる。……崩れてどうなるかが怖かったし、何より……お前がいつか、先に死ぬことを考えると辛い」
撫でていた手が止まり、力なく腕が降りた。
ライスは視線を落とし暗い顔に見える。
いつの間にかウミの涙は止まっていた。信じられない顔でライスを見つめる。
「だから……俺は逃げてたんだ。何度も大切なヒトを失うのは辛いから……」
「ライス……」
ライスの苦しげに笑みに――ウミは手を伸ばし、頬に手を添えた。
「……私、長生きするから。そんな顔しないで」
温かく柔らかな感触。細い指。
小さな葉のようだった手のひらは、今、ライスに優しく触れている。
見つめる目はもう、幼い少女ではない。自分を受け入れてくれる女性の目だった。
「私、ライスのこと大好きだよ。だから……これからも一緒にいたい」
優しい微笑みだった。
ずっと娘として見守ってきた少女は、いつの間にか美しい女へと成長している。
ライスは見惚れながら言葉を吐き出した。
「……さっき」
ぼーっとしているライスに対し、ウミは不思議そうに首を傾けた。
「ポポに言われたんだ。俺はもう、親の責任を負わなくていい、ただの男なんだって」
「えっ」
「それを言われて、少し、肩の荷が降りたような気がする。それに……お前のことも妙に、その……」
「……その?」
目を輝かせじっと見つめるウミ。
一方で、ライスは恥ずかしいのか頬を染め視線を泳がせ言葉を濁す。
「……意識しちまって……妙な……気分になる、というか……」
「それって……ライスも私のこと……」
より一層顔を近づけるウミに対し――ライスはわしゃわしゃとウミの頭を乱暴に撫でた。
「と、とにかく! 俺が死ぬまで面倒みてやる! だからウミも俺のそばから離れるなよ! いいな!?」
「……私、ライスのそばにいてもいいの?」
「だから、そう言ってんだろ」
恥ずかしそうにそっぽを向き、頬を赤く染めている。
ウミは髪型を整えるのも忘れ、段々と頬を緩ませていくとライスの胸に飛び込んだ。
「もう絶対、離れないから!」
「ちょ、お、おい! いきなりくっつくな!」
「嫌だ。ライスが私のこと好きって言うまで離れない」
「はぁ!? か、勘弁してくれ……いきなり言えるわけねぇだろ……」
「なんで? 前は平気な顔して言ったくせに」
抱きついたまま見上げるウミは、離れる気配を見せない。
ニヤニヤといたずらっぽく笑うばかりだった。
一方でライスは顔を真っ赤にして、ぼそっと呟いた。
「……もう平気じゃねぇんだよ」
いつもの調子とは違うライスに、ウミも釣られて頬を染めるのだった。
◇ ◇
有翼人外たちを少し扉から離し、ポポは腕組みをして後ろのドアが開くのを待っていた。
が、遠ざけていた有翼人外の一体がこちらへと歩み寄って来る。
「ポポ様、デッド様がおよびです」
「……そうですか」
――時間切れだ。
ため息を漏らし、身体を反転させた。
ちゃんと話し合えたのか――そんな不安を抱きながらも、もう扉をノックしようとした。
が、扉は自然と開かれた。
「……ポポ」
そこには肩を抱き、身を寄せ合うライスとウミの姿があった。
ウミは先ほどまで見せた暗い顔ではない。ほっこりと頬を染め、嬉しそうに微笑んでいる。
ライスも髭を掻きながら照れくさそうに笑っていた。
「その……」
「解決したようですね。……さぁ戻りましょう」
口元を緩めて微笑み、先導するように牢屋へと進んで行く。
「……呼び出されたのか?」
「えぇ。貴方がたを見送った後、すぐに向かいますから大丈夫です」
牢屋へ戻ると、陸は立ち上がって待っていた。
にこりともせず真面目な顔つきだったが、ウミの和らいだ表情を見た途端、フッと表情を和らげる。
ウミも視線に気づき、ニコッと微笑んだ。
そのままウミは元の牢屋へ入れられ、続いてライスも元の牢屋へと戻る。
「……ポポ」
いざ離れようとしたとき、ライスの呼びかけにポポは足を止めた。
「どうしました?」
「……その、すまん」
ガリガリと頭を掻きつつ、申し訳なさそうに視線を落とす。
が、なぜ謝るのかと、ポポは首を傾げた。
「……何が?」
「俺が出過ぎたこと言ったせいで……」
つまり、人界へ行かなくなったのは自分のせいだ、と言いたいのだろう。
先ほどまで見られた威勢の良い姿はどこへやら。申し訳なさそうに、ひらすら視線を落とす。
あまりの変わりように、フッと笑みをこぼした。
「……ライス、何を言ってるんですか。ウミは美羽じゃない、と言ったのは貴方でしょう? ウミは自分で決めたんです。そして貴方がその相手。私が反対するとでも思いましたか?」
「いやでも、お前もせっかく自分の娘に会ったのに……」
「私は娘のことは諦めていました。……それが、あんな元気に美しく成長した姿を見れて……私は嬉しいですよ。それに、貴方がこれからずっとそばで見守ってくれるんでしょう? 私は何も不安に思っていませんよ」
ポポはニッコリと微笑んだ。
「……私の中に美羽は生きています。貴方と話ができて、より鮮明に思い出しました。それに、貴方のおかげで娘は成長できた。……私はいいんです。あの子が幸せになれば十分ですから」
「……絶対に守る。ウミはお前と美羽の子どもでも、俺にとってはもう……大事な女なんだ」
「……娘をよろしくお願いします」
そう言うと、ポポは足早にその場を去って行った。




