君を想う(7) 父の思い、娘の想い
毎日食事は有翼人外たちが持って来ていた。
固い肉のような塊と、コップ一杯の水。とても満足できるような食事ではなかったが、我慢するしかない。
ウミも陸も文句は言わず、黙々と平らげる。ライスは相変わらず牢屋の隅っこで、二人に背を向けたままの状態だった。
牢屋の中から出されることもない。とくにやることもないので、二人は暇つぶしによく話をした。
『へぇ。学校、ていうところにリクは通っているんだ』
『あぁ。俺と近い年齢の奴らが勉強に励んだり、クラブに打ち込んだり、あと学校行事とか色々あって面白い』
『へぇ。どんなことするの?』
『クラブは野球とかサッカーとか、テニスとか……色々ある。行事も学園祭があったり球技大会があったり……』
『へぇ~。よくわからないけど、楽しそうだね』
初めて聞く人界の様子に、興味津々で目を輝かせ話を聞くウミ。
一方で、陸は不思議な感じがした。どう見てもあまり年齢差のないウミが、学校も知らずに育っている。
『……この世界はどうなんだ?』
『えっとね! 私はリクの言う、学校、って言うのには通ってなかったんだけど、ライスが言葉を教えてくれたり本を読んでくれたり、後は人界の本とかも持ってきてくれて、自分で勉強してたんだ。最近まで周りにあんまり建物がない田舎の方に住んでたんだけど、それでも楽しかったな。ライスが山とか色々……連れてって、くれたから……』
笑顔が段々と曇っていく。そして視線がライスへと向けられた。
だが、ライスは背中を向けたままだった。
会話が聞こえていないのかもしれない。もしくは聞こえていない振りをしているのか。
『……ライスさん、いつまであそこにいるんだろうな』
『……』
ウミは悲しげに視線を落としていた。
こんな姿を励ますことができるのは、一人しかいない。陸がいくら話をしたり聞いたりしたところで、それだけだ。
ウミが本当に、心から笑える相手はライスしかいない。
陸がライスに声を掛けようとした時、前の廊下からヒタヒタと近づいてくる足音が聞こえた。
「……二人とも大丈夫ですか?」
「ポポさん」「父さん!」
暗闇から姿を現したのは、包帯を目元に巻いたポポだった。丁度ウミと陸の牢屋の境に立つように歩み寄る。
ウミと陸を交互に見た後、とくに変わった様子もなく安心したのか深いため息を漏らした。
「……元気そうで良かった。すいません、もっと早く来たかったのですがオーナーたちがなかなか私を自由にさせず……」
「大丈夫!? 変なことされなかった?」
慌てた様子でウミが心配そうにポポの顔や足元を眺めている。だが、とくに異常はない。
ほっと息を吐くウミに対し、ポポは頬を緩め微笑んだ。
「……大丈夫ですよ。それにしても、ライスはどうしたんですか? あんな隅っこにいて、体調でも悪いのでは……」
「あ、待って父さん」
近寄ろうとしたポポだが、ウミの呼びかけに足を止める。
振り返るとウミは視線を落とし、何か言いづらそうに顔をしかめていた。
「……何かあったんですか?」
問いかけにもウミはなかなか言葉を出さない。
もじもじと視線を泳がせ後、ようやくじっとポポを見つめた。
「あの……人界へ行くことなんだけど……」
「……どうしました?」
ライスがあんな風になっているのは、人界へ行くことを頑なに譲らないからだ。
それをポポにも止めてもらいたい――。
「私……人界に行きたくない」
「……え?」
言葉を失い立ち尽くすポポに、慌てて陸が口を開く。
『あの、俺、ポポさんの考えを知りたいんです。それに、ウミの意見も聞いてあげてほしいんです』
『それは……どういう意味ですか?』
『俺、おかしいと思います。だって、ウミはこの世界で生まれて、ポポさんもここにいる。友達だってこの世界にいる。なのに人界へ行かせるなんて……おかしいと思いませんか?』
だが、ポポはすぐに口を開かなかった。黙り込み何か考えている。
少しすると、ポポはウミの牢屋の前まで行き、じっとウミを見下ろす。
「……ウミ。なぜ、人界へ行きたくないのですか?」
「えっ……。わ、私……この世界が好きだし……」
ギュっと鉄格子を握りしめた。
この世界は危険なのかもしれない。また再び狙われるのかもしれない。
けれど、ここの人外たちを嫌いにはなれない。彼らはこの世界にいて当たり前、その中に自分がいるのも当たり前、そんな感覚だった。
「父さんともせっかく会えたのに……」
父さんと呼ぶことに抵抗を感じない。どこか安心感がある――間違いなく本当の父さんなのだろう。
久しぶりに会えたのに、簡単に離れてはいけないと思った。それに辛い過去を知った今、支えられるのはウミしかいない――。
だが、ポポはニッコリと微笑んで見せた。
「私のことは、気にしなくていいんです。オーナーの元から離れられないのは、そういう運命だった。そして、私にとっての罰なんです」
「……罰?」
「えぇ。……これ、何だかわかりますか?」
そう言ってポポがポケットから取り出したのは小さな小瓶だった。中には白い粉のような物が入っている。
首を傾げて見つめるが、ウミはそれが何かわからない。
「これは、美羽――貴方の母さんです」
「えっ……」
「これは遺骨です。私にとっては……宝物です」
そう言って大事そうに両手で小瓶を包み込む。
「宝物であると同時に、私への戒めなんです。……もう二度と、大事な人をなくさない。美羽を忘れない、と……」
「父さん……」
「……ウミ。私は美羽と約束してたんです。いつか家族三人で幸せに暮らそう、と。そう、約束したのに……美羽はいなくなってしまった。……そして思うんです。美羽を逃がそうとした時、無理やりにでも人界へ帰していれば美羽は死ぬことはなかったのではないかと」
ポケットに小瓶を仕舞うと、ウミの手にそっと触れた。
触れられたポポの手は冷たかった。
「美羽が帰られなかった人界へ、貴方が代わりに行って欲しいんです。そして美羽が生きられなかった分、貴方が人界で幸せに暮らしてほしい」
ウミは呆然とポポを見つめ、なんと返せば良いのかわからなかった。
「貴方は美羽の代わりに、人界で幸せになるべきなんです。……美羽にできなかったことを貴方が代わりに……」
手を握り締め見つめるポポ。目元は隠れ見えないが、とてもウミを見つめているように見えない。
――見つめているのは、ウミの中に残る美羽の残像。
ポポが幸せを願っているのは、ウミではなくその残像――。
「父さん……私って……母さんの代わり……なの?」
思わず吐き出した言葉は震えていた。
今、目の前に立つ父さんは、まるで自分のことを見ていない――見ているのは母さんの面影。
「そうかもしれません。美羽は貴方をかばって――」
――その時だった。
「ウミは美羽じゃねぇんだよ!」
ハッとして声のする方へ顔を向ければ、ライスが立ち上がりこちらに向かって叫んでいた。
「さっきから黙って聞いてりゃ、まるでウミが美羽のような言い方しやがって……! ふざけんな! ウミはウミなんだよ! 他の誰でもねぇんだよ!」
遠くて少し見づらいが、眉間に皺を寄せ怒っている。
「ウミはてめぇの娘だろ!? 美羽の娘だろ!? てめぇの罪滅ぼしの道具でも何でもねぇんだよ! それ以上ふざけたこと言いやがったらぶん殴るぞ!!」
久しぶりに見たライスの顔。聞き慣れた声。
ウミが聞きたくて、見たい姿だった。
「ライス……」
握り締められていたポポの手から、ウミの手が抜け落ちる。
ポポは唖然とした表情でライスを見つめていた。――まるで正気に戻ったようだった。
が、すぐ隣から聞こえるすすり泣きに、ポポは再び視線を動かした。
「……ウミ?」
見ると――ウミが涙を拭っている。
しゃっくりを堪えながら、弱々しい声色で言葉を紡ぐ。
「……父さん。……私、行きたくない一番の理由……まだ言ってないの」
「それは?」
「私……ライスのそばにいたい」
その瞬間、陸は小さく微笑んだが、ポポとライスは固まった。
が、すぐにライスが鉄格子を掴み口を開く。
「ウミお前何言って――!」
「シッ!」
だが、ポポが阻むように手のひらを向けた。
そして膝を折り、下から覗きこむように微笑んだ。
「……ウミは、どうしたいんですか?」
「私、ずっと……ライスと一緒にいたの。ライスが隣にいることが当たり前だったの。なのに、いまさら離れるなんて……嫌だ」
「そうですか」
涙声のウミを見上げながら、ポポは微笑む。
立ち上がると、鉄格子の隙間から手を伸ばし頭を撫でた。
「……じゃあ、そうしなさい」
「え……」
「はっ!?」
ライスの叫びなど無視して、ポポはガチャガチャと音を立てながらウミの牢屋の鍵を解いた。
「私は、ウミの考えを尊重したいと思います。きっと……美羽もそれを望むと思いますから」
「父さん……」
「さぁ出てきて。私が呼び出しされるまでの間、別室でゆっくりライスと話し合いなさい」
きょとんとするウミを見つめ、微笑むポポ。
そして今度はライスの牢屋へと足を運ぶ。だが、ライスが叫んだ。
「て、てめぇ何言ってんだ! 親だろうが! 子どもの身の安全を考えるのが一番じゃねぇのかよ! ……くそっ、おいリク! 隙間からポポの腕を掴んで止めろ!」
どうにかして止めようと興奮した様子で陸に向かって叫ぶが、陸はにやりと頬を緩めていた。
「止めないです。俺も、ウミとライスさんは話すべきだと思う」
「何言ってんだ! 人界でウミは幸せに暮らすべきなんだ……! そのためにお前に頼んで――」
「ウミの幸せはウミが決めることで、ライスさんが決めることじゃない」
ライスは思わず言葉を飲み込み、陸は真っ直ぐライスを見た。
「……ちゃんとウミの気持ちを聞いてあげてください」
ポポはライスの牢屋の鍵を解き、扉を開け放った。
ライスは視線を床に落とし、その場に立ち尽くしていた。出ようとしないライスに対し、ポポは牢屋の中に入り小声で囁いた。
「ライス、ありがとうございました。貴方のおかげで、目が覚めたようです」
「……嘘言え。てめぇはまだ覚めちゃいねぇ。俺は……」
グッと拳を握り締める。
――ウミを守らなければ。
育ての親として、きちんと見届けなければ――。
「……貴方はもう、ただの男です」
「……は?」
「もう、親、という責任は負わなくていいんです。その責任は私が背負います。今まで本当にありがとうございました」
「何言って……」
「ですから、娘をお願いします」
目をぱちくりとさせるライスを、ポポを頬を緩め笑っていた。
そしてライスを牢屋の外へと出すと、ウミとライスを引き連れ、前に使った小部屋に二人を入れ、自らその門番に立つ。
――これでいいんですよね、美羽。
そんなことを思いながら小瓶をそっと握り締めた。




