開業準備(3) 一匹目の家畜(?)いただきました
結局、その夜にライスは帰って来ず、ウミはずっと本を読んでいた。
隣の部屋に、ツベさんがいる――そう思うと何か不安がよぎり、眠気など吹き飛んだ。
一方ツベさんは、よほど布団が気持ちよかったのか一度も目覚めることはなかった。
そして朝。ライスが玄関を開けて、目に飛び込んできたのは――。
「……おかえり」
「……なんだその顔」
目の下にクマを作るウミの顔だった。
一目見て、寝ていないことがわかる。
ふわふわと立ち上がり、覚束ない足取りでライスへと歩み寄って来た。
「か、帰って来るのを待ってたの。大丈夫、ちゃんとツベさんは寝てたから」
「ウミも寝りゃよかったんだよ。昨日、ツベさんを迎えるのに疲れてただろ」
「うん……でも、なんだか眠くなくて」
そう言って作り笑顔を向けるウミに、ライスは大きくため息を漏らした。
眠くない、などありえない。持っていた大きな袋を乱暴に床に落とした。
大きな袋に何が入っているのか――でこぼこと膨れ上がっている。
ウミはそんな中身が気になり、中を覗き見ようとすると――急に身体が浮いた。
「わっ!」
「ったく! 無理すんな! お前は寝てろ!」
片手でウミを持ち上げ、肩に担ぎあげるように運んでいく。
一方ウミはパニックだった。ライスの手のひらがお尻に当たっている。
耳まで赤くさせながら、足をばたつかせ抵抗する。
「どっ、どこ触ってるのよ! エッチ!!」
「はぁ? 何をわけのわかんねぇこと言ってんだ! いいから暴れんじゃねぇ」
じたばたと暴れるウミを何ら問題なく部屋まで運ぶと、ベッドの上に寝かせる。
と、ここでようやくウミの顔を見たライスは、顔を真っ赤にして睨み上げる娘にふっと鼻で笑った。
「……ったく、恥ずかしがるんじゃねぇよ。小さい頃は全裸で走り回っていたくせに」
「い、今は子どもじゃないもん!」
「はいはい。……おやすみ」
布団をかけて、頭をぽんぽんと撫でてやる。
すると、まもなく――安心したように目を閉じて行き、寝息をたてた。
「……やれやれ」
「おや、ウミさんは今おやすみですか」
振り返ると、部屋の前にツベさんが立っていた。
ライスはツベさんを誘い、朝食を用意した。
が、朝食と言っても、皿の上に盛り付けてあるのは毛である。
「これは、ウミさんのものですか?」
「んなわけねぇだろ。俺のだよ。俺のでも十分だろ」
「……まぁいいでしょう。いただきます」
そういうと、ツベさんは手のひらを皿の上にのせ、触手を皿に這わせる。
ツベさんの口、というより摂取するための入口は、手にある触手らしい。
その様子を別段気にする様子もなく、ライスは腕組みをして口を開いた。
「……で、どうだ。やれると思うか?」
「……そもそも疑問に思っていたんですが」
少し沈黙した後、ツベさんは抑揚のない声でしゃべり始めた。
「なぜお金儲けという面倒なことまでして、キリング区画へ行こうとしているのですか?」
皿に盛りつけてある茶色の毛が、徐々に少なくなっていく。
「今、ウミさんと幸せに生活していらっしゃる。それにライスさんは元々キリング区画からいらっしゃったじゃないですか。それをなぜ戻るのか……不思議ですねぇ」
「あー……」
がりがりと短い髪を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「キリング区画で会いたい奴とやりたいことがあるんだよ」
「なるほど。……で、その会いたい奴、というのは? 愛人ですか?」
「って……ツベさん意見言う気ねぇだろ」
「あ、ばれました?」
「……ったく! 答える気がねぇなら、さっさと物を寄こせ」
そう言うとライスはツベさんの片腕をがっちりと掴んだ。
そして力任せに、腕を引っ張った。ぷちぷちと触手が引きちぎられていく。
「ライスさん……結構痛いということ知っていますか?」
引きちぎられた腕から、ぼとぼととピンク色の液体が流れ出る。
ツベさんはそこに顔を向けている。が、顔はぐるぐると巻かれた触手なので表情はない。声色も痛そうではなかった。
「知らねぇよ。でも、すぐに生えるんだろ」
「まぁそうなんですが」
というと、すぐに別の触手が何本か伸びてきてぐるぐると元の腕へと戻った。あっという間である。
一方で、ライスの手に握られている触手はうねうねと蠢いていた。
「で、これはどうやって育てりゃいいんだ」
「適当な入れ物に、土を入れて埋めてください。そうすればそこが寝床になりますよ」
ふーん、と頷きながら握っている触手を眺める。
千切られても生きているのだろう、ピンク色にテカテカと動く。
「餌は土の上に置いておけば勝手に食べます。餌は栄養の良いもの。……ウミさんの爪でも髪でも肉でも血でも――」
「……殴るぞ」
「冗談ですよ。雑食ですから何でも食べます。そのうち土から出てきます」
そう言うとツベさんは立ち上がった。
「では私はこれにて。ライスさん、色々ごちそうさまでした」
差し出されたピンク色の触手の手。ライスは躊躇することなく、それに応え握り締めた。
「ツベさんには色々世話になった。この土地も、ずっと借りっぱなしで悪かったな」
「いえいえ。おかげで食事にありつけていたわけですから。……あ、そうだ。助言がないのも申し訳ないので、私の知り合いに来るように言っておきましょう」
「お、そりゃ助かるぜ」
「植物系人外ですから、きっと食糧の足しにもなると思いますよ」
「ひひひっ、さすが。わかってるな、ツベさん」
ツベさんは外へと出ると、足元の触手が土へと潜り込んで行く。
徐々に土の中に身体が入って行く。
「では。ウミさんと頑張ってください。私の分身も、あまりいじめないでくださいね」
「おう。……じゃあな」
ツベさんはそう言い残し、土の中へと消えて行った。
◇ ◇
ウミが目覚めたのは夕方だった。すっかり陽は傾き、大地が茜色に染まっている。
リビングへ行くと、両手に収まるほどの木箱を玄関の横に置くライスの姿がある。
「……何してるの?」
「ん、起きたか」
覗きこむと、木箱の中には黒土がぎっしりと入っている。
「何これ?」
「これは家畜だ、家畜」
「家畜? ……これが?」
土にしか見えないものが家畜、と言われ、ウミは首を傾げる。
だが、ライスは手を払うと満足そうに笑い、テーブルの位置へと戻って行く。
「とりあえず、飯食いながら話してやるよ」
寝ていたので特に食事の用意もできていなかった。そのため、薬草のスープが夕食となった。
半透明な緑色の温かなスープの上には、ふんわりと香る薬草が浮かんでいる。
「とりあえず、明日またお客が来るぞ」
「え! 明日!?」
「あぁ。ツベさんが帰り際に、知り合いを紹介してやるって言ってくれてな。……心配すんな、触手系じゃねぇよ」
ふっと鼻で笑った後、ライスはスプーンで器用にスープを啜った。
身体が中からじんわりと温もり、口から鼻にかけて薬草の香りが抜けていく。
「な、ならいいけど。で、あの家畜? あれって何?」
「土の中で育ててるんだよ。土の上に餌を置けば食うらしい。雑食だから、いらねぇもんあったら置いておけ」
「そんなのでいいの?」
「あぁ。……ごちそうさん」
綺麗に飲みほした皿にスプーンを置くと、ライスは大あくびをしながらテーブルから離れて行った。
そして、部屋がある二階の屋根裏の下まで行くと、一気に飛び上がった。
「わりぃ、ウミ。俺、全然寝てねぇから寝るわ。おやすみ」
「うん。おやすみ」
屋根裏を見上げながら声をかけると、すぐにライスは屋根裏の奥へと姿を消した。
屋根裏に行くためには、階段がないので飛び上がるしかない。が、当然ウミよりも高い位置にあるので行けない。
ほとんどライスのための部屋になっている。
「……あれが家畜、ねぇ……」
視線を戻し、土が入った木箱を見つめる。
とても生き物が入っているとは思えず、疑念が拭えない。
近寄ってしゃがんで間近でじっと見てみる。
「……本当にここにいるのかな」
確かめたくなった。
ウミは土の上に手のひらを置き、土の感触を確かめる。
何の変哲もない土――とその時。
「……えっ!」
手のひらのすぐ横の土が盛り上がると、そこから小さなピンク色の触手が出て来たのだ。
その触手はウミの指に巻きつくように、触手を伸ばしていく。
「な、な、な、何これ!!」
ぬるりとした感触に、咄嗟に腕を引いて箱から離れるウミ。
指の甲がねちょりとした粘膜がついている。
ウミはすぐに布で拭い、自分の部屋へと戻って行った。