二人の試練(7) ギリギリの取引
ウミと陸は結局逃げ出すことはできず、再びロープで縛られる結果となっていた。
その後すぐに檻から出されると荷台の上へと運ばれ、上から布をかぶせられる。
今度は足首にもロープを巻かれているため、逃げ出すこともできない。また口にもロープを噛まされてしまい、言葉を発することもできなかった。
ただしそれはウミだけで、陸は上体だけを縛られているだけだった。
だが、陸は逃げることなくウミと一緒に横たわった。
放っておくわけにはいかない。
いざとなれば、仮面を取りはずし隙を作ろうと考えた。しかし、数で圧倒的に不利な状況は変わりない。
どうしようかと考えを巡らせていると、狐獣人の声が響いた。
「よし! 関所だ! 関所へ急げ」
荷台の前で待機していた触手系人外に声をかける。指示を受けた触手系人外たちは、荷台を引き始めた。
狐獣人はそれを後ろで見つつ、頭からすっぽりとマントを被り身を隠した。
「……気をつけろ。……キリング区画の住人……危険」
アジトの入口から見送るのは岩人外だった。じっと狐獣人を見下ろす。
「……取引危険。油断大敵」
「うるせぇなぁ。張り紙一枚で釣れる相手だぜぇ? きっとここは良くねぇぜ」
頭を指差し、狐獣人はへへっと笑って見せた。
「やばかったらさっさと逃げるぜ。その間アジト頼むぞ」
「……あぁ。……まかせろ」
◇ ◇
荷台はかなりのスピードで走り始めていた。その後ろから狐獣人が追う。
中では陸とウミが頭を合わせて倒れており、小声で陸が話しかけていた。
『……このままだと危ない。いっそ、俺がヒトだとバラすか』
しかし、ウミは首を横に振った。
『でもどうするんだ。キリング区画へ向かっているんだろ? 戻れなくなるんじゃないのか』
不安そうに視線を落とすウミ。それでも、小さく首を横に振った。
『ライスさんが来るのを待っているのか?』
頷くウミ。そして、強い眼差しでじっと陸を見つめた。
絶対に来る――そう訴えているかのように。
『……わかった。でも、危なくなったらバラすからな。俺もあんたを助けたい』
頷きはしなかったものの、ウミは目を細めていた。
◇ ◇
両区画を分けている壁を貫くように建物がある。それが関所と呼ばれるものだ。
荷台は誰にも不審がられることもなく関所へと到着してしまった。
着くと狐獣人は被せていた布でそのままウミ達を包み、荷台を引いていた触手二体に担がせた。
中ではウミと陸が暴れているが、人外たちは驚く様子もない。
荷物が暴れる、というのは珍しいものではないのかもしれない。
「……まだいないようだなぁ」
建物の中は、見渡しの良いフロアが広がっていた。
中央部分には、支払いをするためのカウンターとその前に椅子が置かれている。
両区画は柵で切られており、その柵を監視するようにキリング区画に立つ有翼人外たちが睨みを利かせている。
槍や剣などを持っているので、誰も乗り越えようなど思わないだろう。
「ぼ、ボス……その、取引する相手って……どんな奴なんですか?」
担いでいる触手たちだが、ウミと陸が暴れているので顔や腕を殴られている。
重いのか身体もプルプルと震え、今にも落としそうな雰囲気があった。
「全身白いローブを羽織って、どんな奴かわからねぇんだよなぁ。今日も同じ格好で来るって約束したし、見ればすぐにわかるだろうよ。……というか、お前ら落としそうだな」
「お、重いです……荷物を置きたいです……」
「ったく、それぐらい持てよなぁ! ……しょうがねぇ、俺がここで来るまで待ってるから、お前らは荷台へ戻ってろ。絶対に逃がすんじゃねぇぞ」
「は、はい!」
その場に狐獣人だけが残り、触手たちは腕を震わせながらも荷台へと戻って行った。
◆ ◆
取引相手との出会いは、狐獣人が関所に張った一枚の張り紙がきっかけだった。
より多くの報酬を求め、キリング区画からも見えるところに張り紙を一枚張ろうと考えた。
『ご希望の商品を売ります』
たった一言。
これを見て、キリング区画の住人が釣れればラッキー、その程度の考えだった。
柱へ張り終え、その場を去ろうとした時――その者は現れた。
「それはヒトも含んでいるのですか?」
甲高い声。驚き振り返ると、白いローブを全身に羽織る者が立っていた。
いつの前に立っていたのだろう――驚きのあまりすぐに返答ができなかった。
頭もフードを被っており顔は見えなかったが、かろうじて見える口元の肌は白く、ヒトのように見えた。
「……含んでいないのですね」
「あ、いや……ご希望があれば何でも用意するつもりですがねぇ……それなりの報酬はいただきますぜ?」
「一週間後にヒトを用意しなさい。報酬は確かめてから渡します」
「確かめてって……ヒトですぜ? こっちはヒトは珍しいんですよ、そんな堂々と見せていたんじゃ野次馬だらけになっちまう」
すると、小さくため息が聞こえた。
「……では、私がそちらへ行き確認します。必ず用意しなさい」
「へへっ。その様子じゃどうしてもヒトを手に入れたいみたいだねぇ」
「ヒトが確認できなかった場合どうなるのか……それも考えておきなさい」
◆ ◆
狐獣人は椅子に腰かけ待っている内に、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
今回の取引相手の去り際の言葉――確認できなかった場合はどうなるか――が、妙にひっかかり目が覚める。
目の前には鋭い目つきで警戒する有翼人外が微動だにせず立っていた。寝ていたのはほんの一瞬だったらしい。
肝心の取引相手も、まだ来ていないようだった。
「……へへっ。奴らに仕返しができる上に、報酬までもらえる……これ以上ない儲け話だぜぇ」
ほくそ笑むんだ時だった――突然、地面から突き上げるような振動が関所を襲った。
目の前に立っていた有翼人外たちも、驚いたように辺りを見回している。が、関所内に異常は見られない。
「……まさか」
嫌な予感がした。狐獣人は慌てて立ち上がると、急いで関所の入口へと走る。
入口に付近には人外どもが集まっており、皆、外を見て驚きの表情を浮かべていた。
その中をかき分けながら狐獣人は進み――外へ出て見えたのは、巨大な龍だった。
龍はその大きな口を広げ、足元にいる触手たちを脅している。
「まさかあの龍……! くそっ!」
震えながらも荷台から離れようとしなかった触手たちだが、龍の咆哮についに恐れをなし逃げ出した。
狐獣人は急いで荷台へと向かう。が、着く前にドンと龍の足が目の前に降ってきた。
「お前だな!?」
大音量の低い声が頭にガンガンと響く。
見上げれば、大きな身体には白く輝く鱗がびっしりと生え、大きな口からは尖った牙が並んでいる。
鋭く光る赤い瞳は真っ直ぐ狐獣人へと向けられていた。
「私に対する非礼……どうなることかわかっての行動か!?」
「なっ何のことか……お、俺がカグラ様に何をしたって言うんですか!」
「黙れ!」
龍――カグラの叫びは空気までもが振動し、その場にいた者全員が頭を抑えた。
カグラが激怒している、誰の目にも明らかだった。
もう手がつけられない――誰もがそう思ったその時、カグラの足元へ無謀にも駆け寄る人外がいた。
ライスである。
顔から滝のように汗を拭い、息を整えながら荷台へと近づく。そして、包まれていた荷物を一気に解いた。
「……ウミ!」
足首と胴体をロープで縛られ、口にもロープを噛まされていた。
だが、しっかりとライスを見つめている。
そしてすぐに、その目から涙が溢れ始める。
「もう大丈夫だぞ! 今ロープを解いてやるからな」
疲れなど忘れ、ライスはひひひっと笑みを見せた。
陸もライスの姿にほっと胸を撫で下ろしたが、すぐさまビクッと身体を震わせた。
すぐ目の前に巨大な龍が見えたからだ。
『な、なんだあれ……』
思わず人界語で言葉を漏らすと、龍の視線が陸へと向けられた。
じっと見下ろし眺めている。
あまりの大きさに驚き、ぴくりとも動けなくなってしまった。
「リク、大丈夫だ。あれはカグラだ。お前を心配して、助けるのを手伝ってくれたんだ。後でちゃんと礼を言えよ」
「……カグラ?」
陸がライスに顔を向けた直後、丁度ウミを縛る全てのロープが解けた。
すると、ウミが勢いよくライスに抱きついた。力いっぱい抱きしめ、すすり泣く声が聞こえる。
「……ライス、心配かけてごめんなさい」
「もう大丈夫だ」
ライスは微笑みかけ、ウミの頭を優しく撫でた。
その様子を微笑ましく見ていると――頭上から声が轟く。
「身を持って知れ……!」
見上げると、カグラが大きく口を開き何かを吐き出そうとしている。
振り返ると狐獣人は身体を震わせ、その場に立ち尽くしていた。その後方では野次馬たちが見守っている。
誰も止められない――その時だった。
「カグラ、お前は何を苛立っているのです?」
嫌に響く甲高い声だった。その者は人外どもの集まる中を堂々と歩き近づいている。
白いローブを身にまとい、フードを目深に被っているため口元しか見えない。
だが遠く離れていても、その白さ故か目立って見えた。
一気に全員の視線が集まり、ライス、ウミも視線を向ける。
カグラに至っては、声を聞くや目を見開いた。
「これは……!」
するとカグラは己の身体から水蒸気を発生させ、再びヒトへと変態する。
水蒸気が晴れると、カグラはウミたちを包んでいた布で己の身体を隠し、その者へ向け跪き頭を垂れていた。
「ヴァル様、お久しぶりでございます」
「顔を上げ、この状況の説明をしなさい」
ヴァル、と呼ばれた者はカグラの目の前に立ち、じっと見下ろしていた。
カグラは指示通り顔を上げる。どこか緊張した面持ちに見えた。
カグラがひれ伏している――そんな状況に周りの野次馬たちもざわざわとし始めた。
ウミも初めてだった。人外たちは皆カグラの力を恐れ、またカグラも他の人外に頭など下げるはずもない。
なぜ、と浮き上がる疑問に己を抱きしめているライスを見上げた。
「ライス――」
疑問を投げかける前に、よりきつく抱きしめられる。
ライスは、目を見開きヴァルと名乗る者を凝視していた。
「ど、どうしたの?」
「なんで……あいつがここにいんだよ……」
額から汗が流れている。
疲れのせいか、緊張のせいか――伝わるライスの振動も早く、抱きしめる力も強い。
ウミはこんなに動揺しているライスを見るのは初めてだった。




