お客たちと家畜たち(2) ツベちゃんとグルン
ツベちゃんは普段木箱の中で息を潜めている。
ウミから声がかかると地上へ出て、自らの触手を切り離しウミに渡していた。
渡している触手は、自我を失った状態で渡しているので暴れることはない。
それと引き換えに、ウミの髪の毛をいただいている。
ほんのちょっとの髪の毛。黒い髪でつやつやとしているウミの髪の毛。
ツベちゃんはウミが大好きだった――物理的に。
◇ ◇
民宿の朝は忙しい。
朝日が上がる前から、皆忙しく動き回っている。ツベちゃんもちょっとだけ地上に出る。
「リンちゃん、水瓶の飲み込み忘れないな?」
「大丈夫なのん!」
「よし。……ヤクちゃん、金は持ってるな?」
「持っているです!」
「よし。……ウミ、毎回言うが危ない時は逃げるか、カグラの名前を出すんだぞ」
「大丈夫。触手系人外は、事前にヤクちゃんが教えてくれるしね」
お客がいない朝の風景である。
リンちゃんとライスは、山へ水を大量に汲みに行く。
露店風呂ができたせいで、毎朝行かなくてはいけない。料理にも使うので半端ない量がいるのだ。
ヤクちゃんとウミは、人外の行き交いが少ない朝早い時間に買い出しに行っている。
そしてツベちゃんは――。
「よし。……ツベちゃん、てめぇはしっかり掃除しろよ!」
きつい言い方にも、ツベちゃんは敬礼のポーズを取って答えた。
何て言ったって、もうすぐ、この民宿にはツベちゃん以外誰もいなくなるのだから。
そして――誰もいなくなった。
ツベちゃんは勢いよく木箱から飛び出た。まずは、掃除である。
ライスの指示に従わないと、ミンチにされてしまう。前科を作ってしまっているので、きっと躊躇いなくミンチにするだろう。
露店風呂、客室、リビング、台所――大まかなゴミは吸い取り、汚れは布で拭いていく。
適当にして済ませるとライスにバレるので、真面目に且つ手早く行動する。
そして――瞬く間に綺麗になる。
ツベちゃんはピカピカになった部屋を満足そうに眺めて、いよいよ本番の作業へと胸を踊らす。
そう――手早く掃除を終わらせる理由はただ一つ。
ツベちゃん本人の自由時間を作るため。その自由時間こそ、ツベちゃんのお楽しみなのだ。
いざ――というとき、突然玄関のドアが叩かれる。
『……』
陽を昇っていない朝だ。こんな時間に一体誰が――気分を台無しにされたが、無視するわけにもいかない。
ツベちゃんは小さい身体でジャンプをして、ドアノブに捕まる。そして、捻って玄関の扉を開けた。
「お……おはようございます……! ってあれ……?」
開けた先に立っていたのは、白い触手をうじゃうじゃとさせる、カグラの僕、グルンだった。
気分が余計に台無しとなった。
一方でグルンは、気配のない部屋に不思議そうに眺めている。
「だ、誰もいない……? じゃあ一体誰が玄関開けたんだ……?」
『私ですが』
と、小さな声が聞こえた。
グルンは床に視線を落とした――そこにピンク色の小さなタコを模った触手がいた。
「あんたは……! 俺を馬鹿にした触手じゃないか!」
『……こんな朝早くに何のご用でしょうか?』
そう問うと、グルンは恥ずかしそうに顔を俯かせた。
「……あ、朝なら反応鈍いから……ウミさん、俺を見てくれるかな……って」
『ウミさんの近くにいても良い触手は私だけですから、諦めてください』
やれやれと言う風に頭を振られ、グルンはムッとした。
同じ触手系人外として嫌われるならまだしも、逆に近くに置かれているとは癪に障る。
「……お前、やっぱり腹が立つなぁ……! どうしてウミさんは俺じゃなくてこんな奴を近くに……!」
気持ち悪いから、と誰でもわかる答えだが本人が知る由もない。
悔しそうに震えるグルンに背を向け、ツベちゃんがその場から離れようとする。
「ちょ、ちょっと待てよ……! どこ行くんだよ……!」
報われない恋にしがみついているグルンが、大層気の毒に思えてきた。
本当のことを知ったら寝込むかもしれない。
歩みを止めたツベちゃんは、身体を反転させた。
『……仕方ありません。グルンさんも手伝われますか?』
「手伝う……? 何を?」
『掃除ですよ。ウミさんの部屋のね』
◇ ◇
ライスの部屋は屋根裏にあるため、ツベちゃんは掃除ができない。むしろ、するな、と指示されている。
が、ウミは別だった。鍵を開け、ツベちゃんに「お願いね」と頼むのだ。
もちろん、タンスやクローゼットは開けないよう注意されているし、ライスも開けた痕跡がないかチェックする。
するな、と言われたことはしない。せっかくウミとようやく交流が取れそうであるのに、それを崩したくはない。
掃除をすれば良いのだ。綺麗になるし、褒められる。
「……こ、こ、ここが……! ウミさんの部屋……!」
ぞわっと、グルンの白い触手が広がる。興奮しているらしい。
ツベちゃんは慣れた様子で部屋の中へ進み、持ってきた布をグルンへと投げた。
『グルンさんは私がゴミを取るまで待っていてください。その後、布で拭いていってください』
「わ……わかった!」
『決してウミさんのタンスなんかを開けないでください。ライスさんにミンチにされてしまいますから』
凶悪な顔でにやりと笑うライスが容易に想像できた。
グルンは恐ろしさのあまりビクッと背筋を伸ばし姿勢を整える。
これで余計な行動はしないでしょう――ツベちゃんはそれを見届け、ようやく至福の時を迎えた。
名目は『掃除』である。
ゴミ、と呼ばれるものを集める作業。けれど、ツベちゃんにとってはそれはゴミではない。
――『宝』の山なのだ!
ウミの物理的なものであれば何でも良い。この部屋には、ウミの物しか落ちていない。
ツベちゃんにしか分からない、ウミの匂いが充満していた。
この匂いだけでも興奮する。
ツベちゃんは、自分の身体を棒のように伸ばし粘液を出す。
一つ残らず『宝』を取るためだ。
『掃除を始めます!!』
そう言うとローラーのように隅から、ゴロゴロと転がっていく。
粘液が多いためか、床が少々テカテカと光っている。
「……な、なんか……気合い入ってるな……」
グルンでさえも、ちょっと引いてしまうぐらいだった。ツベちゃんが通り過ぎた床は、ベタベタとして気持ちが悪い。
ただ、ここはウミの部屋だ。拭かないわけにはいかない。
ゴシゴシと床を拭く。
拭きながら――少し考えを巡らす。
今、グルンが拭いている床の上を、ウミが歩くのだ。生活するのだ。
つまり、ウミの生活の一部となる――と考えても大げさではない。
白い触手がぼわっと広がる。
「……お、俺も気合い入れる……!」
こうして、二体の奇妙な触手たちによって掃除は開始された。
◇ ◇
「あー……疲れた」
大きな水瓶を抱えたライスと、その背中に乗ったリンちゃんが家に入って来た。
外はすっかり明るくなっている。
「リンちゃんありがとな。お前が小さい水瓶を飲み込んでくれるだけでも助かるぜ」
「わかっているなら、別に気にしなくて良いわん!」
ライスは大きな水瓶を床に置き、リンちゃんは口から水瓶を出している時だった。
廊下の奥――ウミの部屋のドアが開いたのだ。
先に帰っていたのか――そんな風に見入っていると――。
「……あっ」
驚いたのか、白い触手がぼわっと広がる。
慌てふためき、オロオロとしているグルンだった。
「おい……なんでてめぇがいるんだよ」
「え……あ……いや……その」
殺される、と本気で思った。
禍々しい雰囲気を漂わせながら、ライスが一歩一歩踏みしめながら近づいてくる。
「そこで何してたんだ?」
「そ、その……そ、掃除を……」
「いつ、誰が、てめぇに掃除なんか頼んだんだよ」
ライスはグルンの目の前にやって来ると、殺気立った目で冷たく見下ろす。
殺される、とグルンは悟った。
「不法侵入なのん。殴られても仕方ないわん」
「……うっ」
固まるグルンを通り越し、リンちゃんはウミの部屋を覗きこんだ。
そこで見たものは――。
「……ピカピカなのん」
床一面、光りを反射してピカピカと輝いている。
その部屋中央で、満足そうに胸を張って立っているツベちゃんの姿だった。
「……ライス、ツベちゃんが『見てください、素晴らしいでしょう?』って言っているわん」
「あ?」
機嫌の悪そうな顔を向けられ、思わずリンちゃんも身震いした。
ライスはグルンを押し退け、部屋を見た。
ピカピカである。埃一つ、床に落ちていない。気味が悪いぐらい綺麗な部屋だった。
「これ、お前が全部やったのか?」
胸を張って立っているツベちゃんに問いかけると、うねうねと近寄って来る。
そして、ライスの足元までやってくると、手振り身振りで何かを訴えた。
「ツベちゃんは『綺麗でしょう? 私とグルンさんで、ウミさんの部屋を掃除したんですよ。何も悪いことないでしょう?』って言っているわん」
「……へぇ」
「『グルンさんがたまたま来られたので、手伝っていただいただけですよ。家具には一切触れていません。掃除をしたんですから』って言っているわん」
じっと見下ろす。悪びれていないのか、委縮することなくどこか堂々として見える。
が、何か腑に落ちない。
掃除をしたことは間違いないようであるし、家具も触れられたような痕跡はない。
それでも、ライスの中で何か釈然としなかった。
「……確かに家具は開けてねぇみてぇだしな。掃除したことは認めてやる。けどな、今度勝手に家に上がらせたら、絶対にミンチにするからな!」
「『すいません』って言っているわん」
本当にそう思っているのか、こつん、と頭に触手を当てている。
ライスは小さく舌打ちして、部屋の前に立っていたグルンに向かって叫んだ。
「おい! てめぇもだ! 今度勝手に家に上がったらただじゃおかねぇぞ! カグラにバラすからな!」
「ひっ! そ、それだけは……!」
「……もういい! ウミが帰る前にさっさと失せろ!」
震えあがったグルンは、走って玄関を飛び出して行った。
その背中を見届け、ライスは深いため息を吐いた。
「ったく……諦めが悪りぃ奴だ。ウミには黙っておけよ」
「当たり前なのん。知ったらきっとこの部屋を使わないわん」
「……だろうな」
◇ ◇
換金所へ戻る帰り道。顔を俯かせ、トボトボとグルンは歩いていた。
結局、ウミには会えずじまいだった。けれど、実は――お土産を手に入れていた。
それは、ライスたちが帰って来る少し前――。
『グルンさん、お手伝いありがとうございました。……どうぞ』
「……え? 何だこれ?」
手渡しされたのは、黒い糸のようなもの。
どう使うのか意味がわからず、首を傾げながらそれを眺めていた。
『……わかりませんか? いらないのであれば、私がいただきますよ』
「え……ちょ、ちょっと。……これ何なのか教えてよ」
『わからないなんて、まだまだですねグルンさん。それは……ウミさんの髪の毛ですよ」
思わぬ言葉にぼわっと触手が広がる。
そうしてもう一度手のひらに載る糸を眺める。
――黒いのに、日光に反射して光っているように見えた。
「そ、そう言われてみれば……綺麗だな……」
『でしょう? とても美しく、そして美味しいんですよ……! 本当は差し上げたくないんですが……口止め料です』
「え……口止め……?」
『はい。もうすぐライスさんたちが帰って来るかと思います。ですが、今日私が行ったことは秘密でお願いします。……触手同士、楽しみましょう』
出される一本のピンク色の触手。握手を求めているようだ。
それをじっと見た後、迷わずグルンも手を出した。
「……わかった。……俺たちの、ひ、秘密だ……!」
『えぇ、秘密です』
――そうして手に入れたウミの髪の毛。
大事にツナギのポケットに仕舞い込む。大事な大事な、宝物。
――う、ウミさんの……髪の毛……! やったぁ、やったぁ……!
ウミに会えなかったことも忘れ、気分良くグルンは換金所へ帰って行った。
ちなみに、その後帰って来たウミは自分の部屋を見て「綺麗! ツベちゃんありがとう」と、満面の笑みでお礼を述べたそうだ。世の中、知らない方が良いこともある。
最近、まとめて上げておらず申し訳ないです。。
ちょくちょく更新していくつもりですので、どうぞお付き合いください<(_ _*)>




