開業準備(1) お金を稼ぎたいそうです
瞼に当たる陽の光に、眉をしかめさせながらライスは目を開けた。
長い、夢を見ていたような――そんなことを思いつつ立ち上がる。一階からはバタバタと忙しく動く足音が聞こえた。眠い目を擦りながら、一階へと飛び降りた。
パカッという木床を叩く音に、台所で作業をしていた少女――ウミは手を止め振り返る。
「あ、おはよう。今日もパスタだよ」
黒い髪を腰まで伸ばし、大きな目を細める。半袖のシャツと膝下まであるズボンを着て、その上からは前掛けの長いエプロンを身に着けていた。
台所から湯気がゆらゆらと立ち昇っている。フライパンの上に、短く刻まれたピンク色のパスタ。
ライスは大あくびをしながら、テーブルへと近づく。
「……いつもわりぃな。ウミが作るもんは何でもうまいからな」
「ふふ。ライス、ありがと」
ウミは嬉しそうに笑いながら、フライパンで炒めたパスタを小皿へと移し、テーブルへと運ぶ。
炒められテカテカとピンク色に光るパスタ。細く刻まれており、たらこパスタそっくりである。
フォークを並べ、ウミは木でできた椅子に座る。
ライスは椅子は必要なかった。というのも、ライスは人外だった。
下半身は馬、へそから上は裸のヒトの身体。茶色の短い髪と茶色の短い髭が繋がっていて、ライオンのたてがみに似ている。また背中には、白い羽根の翼が生えていた。
「ウミ、お前何度も言ってるだろ? 俺はお前の育ての親なんだ、父さんって言え」
「嫌よ。あたしだって何度も言ってるでしょ? もう子どもじゃないの。ライスのこと父さんなんて、呼べるはずないもん」
ツンとした表情でパスタを啜る姿に、ライスは深いため息を吐いた。
ウミはこの世界では貴重な、正真正銘のヒトだった。幼子だったウミをライスが拾い、育ててきた。
ヒトの成長は早く、背もライスと変わらないほどになっている。しかしライスから見れば、たかが十六年生きた子どもだった。
「俺から言わせたら、まだまだ子どもなんだよ。俺は二百年生きてんだぞ」
「だから何? 背も伸びたし、ほらっ胸だって大きくなってるもん!」
ライスはがっくりと項垂れた。
確かにシャツの上からエプロンをしているが、胸の辺りはふっくらと膨れている。拾った時よりも、女らしくなっている。
が、そんなことを言うこと自体が子どもっぽい――ライスは深いため息を吐いた。
――ま、確かに自分で判断できる時期になったんだろ。いい頃なのかもしれねぇな。
顔を上げ口の端を持ち上げ、にやりと笑みを見せる。
「じゃあ大人になりかけのウミに、俺の夢を叶えるために手伝ってもらおうか」
「ライスの、夢……? どんな夢!? 教えて!」
目を輝かせ身を乗り出す。
やっぱり子どもだなぁ、と笑いを堪えつつライスは言った。
「……実はな、金を貯めてキリング区画に行きたいと思ってるんだ」
「キリング区画……ってどこ?」
大きな目をぱちくりさせて、小首を傾げる。さっきの勢いはどこへやら。
またまたライスはがっくりと肩を落とす。
「……お前……身体は大きくなっても、頭が子どもじゃねぇか」
「だ、だって、教えてもらってないもん! あたし、この辺りのことしか知らないんだから、しょうがないじゃない!」
「あー悪かった悪かった。……要は、金持ちばっかり住んでいる区画だ。そこに行くためには金がいるんだよ」
「……お金? いくらいるの?」
ライスはフォークでパスタを掬い、口へと運ぶ。
弾力のあるパスタを口の中で噛み、ごくりと飲み込んだ。
「……百万グル」
「ひ、ひゃくまんぐる!?」
勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れる。
「そ、そ、そんな大金どこにあるの!?」
「あるわけねぇだろ」
「じゃあどうするの!?」
興奮するウミを尻目に、ライスは皿を持って残りのパスタをかき込む。
綺麗に平らげた皿を置き、満足そうに口元を緩めた。
「……今から稼ぐんだよ。だから手伝え、ウミ」
人外界――文字通り、ヒトではない者たちが住んでいる世界。
人界と似た環境の中、奇妙な住人たちが多く暮らしている。
人間が住む人界とは、昔、創造主の気まぐれで世界が通じることがあった。
が、今はその道が年に一度しか開かない。
そのためか、人外界において『ヒト』の存在自体が稀なことになっている。
人界と似た環境でありながら、人外界の生活ははっきりと区分けされていた。
区画――と呼ばれる、種族による生活圏の区別。その区画ごとで住んでいる人外が違う。
貧困層と言われている、『アナザー区画』。
金持ちが住んでいる『キリング区画』。
アナザー区画からキリング区画へ行くためには、関所で大金を支払わなければいけない。
ライスとウミが住んでいる場所は、アナザー区画でも田舎だと言われるところであった。
「……もちろん手伝うけど、こんな田舎でどうやって?」
椅子に座りなおしたウミが、テーブルを挟み鋭い視線を送る。
人外界というのは、基本的に何か仕事がある、というわけではない。
それぞれの人外が特性を生かし、物々交換をする、というのが基本だった。
「引っ越すんだよ。ここじゃ金なんて儲けられねぇからな。関所のある町へ行きゃ、金を持っている奴が集まってるさ」
「でも、どうやってお金なんて稼ぐの? 売れる物なんてほとんどないよ? それに引っ越しだって大変だよ?」
ウミはライスが深く考えているようには見えなかった。
いつもそう。ふらりと外に出たかと思えば、手に入るはずのない人界の道具や本を手土産に持って帰る。
どうしたと、聞いても、気にするな、と言うだけ。
いつも笑って誤魔化す豪快な性格。だが――ライスのそんな所が、ウミはとても好きだった。
だが今回は違う。簡単に認めるわけにはいかない。
生活そのものが変わってしまうかもしれない。
そんなウミの心配を知ってか知らずか、ライスは白い歯を見せつつ口を開く。
「家を解体してまた向こうで組み立て直す。で、家の寝床を貸して金をもらうんだ。な? 物々交換じゃねぇけど、いい考えだろ?」
ひひひ、とニヤニヤと笑っている。
自信たっぷりな言い方に、ウミは思わず頷いてしまう。
「……悪くはないかも?」
「だろ? けど、うまくいくかわかんねぇんだよなぁ。いきなり解体して行くのもちょっと無謀だし……試しにツベさんを呼ぶか」
「つ、ツベさん呼ぶの?」
ウミの顔色が一気に悪くなり、顔が引きつっている。
ツベさん、とは――この辺りの土の中を根城としている人外だった。
「なんでそんなに怖がるんだよ。嫌がることねぇだろ」
「だ、だって……ツベさんて確か……」
ツベさんの姿を思い出し、ウミは鳥肌を立たせブルッと身体を震える。
「とにかく! ツベさんは呼ぶからな。俺の夢を手伝ってくれるんだろ? 期待してるぜ、ウミちゃん?」
ライスはウミに近づき、頭をグシャグシャと撫でると外へ出て行った。
去って行く背中を見送りながら、髪を元に戻す。
「……また子ども扱いされた」
ムスッとした表情で呟くと、テーブルの上の皿を片づけるのだった。
『グル』がお金の単位になっております。
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