さっそく狙われます 4-5
ライスが夜空へ飛び去って行くのを見届けた後、振り返った獣人はにやりと笑みを見せた。
ヤクちゃんリンちゃんツベちゃんは、ウミの部屋へ続く廊下を塞ぐように横に並んだ。
「ここから先、進むことは許されないのん。大人しくライスが帰って来るまで座っているのん」
岩人外は表情を一切変えず、じっと家畜たちを眺めた後、素直に椅子に腰掛ける。
重さのためか、椅子がミシッと軋むような音がした。
「……おいおい、本当に何もしない気か?」
狐獣人はにやけた顔を岩人外へと向けた。
だが岩人外は顔を向けることもなく、テーブルに視線を落したままだった。
「……襲わない……帰って来る……待つ」
「ケッ! 頭も岩みたいに頑固なやつだな。……だったら俺が取り分一人占めだぜ?」
先の鋭い牙を見せつけるかのように笑う。
切れ長の目で獲物を見るように、三匹の家畜たちを睨みつけた。
「お前ら……悪いことは言わない。そこをどけ。俺はヒトに用があるんだ。無駄な暴力は振りたくないのさ」
「……どかないです。僕たちはウミを守るです!」
家畜たちは脅しにも怯まず、狐獣人を睨み返した。
◇ ◇
一方で、ウミはドアを背に座り込み、聞き耳を立てていた。
声ははっきりと聞こえないが、ライスが出て行ったのは間違いなかった。足音もしないが、ヤクちゃんの声が聞こえる。
「みんな……あんなに小さいのに……」
部屋の前でのライスの会話も、もちろんウミに聞こえていた。
町には、今家にいるような人外がたくさんいるのだ。おまけにどういうわけか、ヒトという存在は他の人外から狙われる。
ウミは包丁を手に取る。両手で握り締め、刃先をじっと見つめる。
今までライスに大事に育てられてきた。あえて人外を近づけさせなかったのは、こんな風になってしまうのがわかっていたからなのだろう。
そして、ウミ一人では対処できない、と考えていたに違いない。
――けど、今は違うんだ。ライスは、今の私ならできるって、大丈夫だって、信じてるんだ。
ウミは立ち上がった。守られる立場では、町で民宿などやっていけない。
ライスの足を引っ張るだけ――だとしたらできることは一つだ。
今まさに、ライスから培った教育が活かされる時だった。
「なめんじゃないわよ。私だって……やる時はやるんだから」
呟くとギュっと包丁の柄を握り締めた。
◇ ◇
家畜たちが立ち退く意思がないと判断した狐獣人は、手の爪を目の前で見せびらかすように広げた。
「どかないなら……無理やり通るまでよ!」
そう叫ぶと一気に床を蹴り上げ、家畜たちに急接近する。
ヤクちゃんとリンちゃんが、蔦を一気に伸ばし狐獣人の首に巻きつけた。そして、蔦の収縮を利用し身体を顔に押し当てようと試みる。
ヤクちゃんリンちゃんの身体が浮き、顔目掛け急接近する――が、鋭い爪で蔦を切られてしまった。
その上、近づいてきた二体を床へはたき落とした。
「バーカ! 毒が含まれてることなんて知ってるに決まってんだろ!」
顔だけ振り返りそう叫び終えると、狐獣人はそのままの足でウミの部屋の前まで一気に移動した。
にやりと口元を歪ませ、ドアノブに手を掛ける――が、鍵がかかっている。
「ここを開けな! 俺たちと一緒についてきてほしいんだよ!」
ドアを強く叩く。
が、ウミは開けるはずもない。
「チッ! 開けないなら……壊すまでよ!」
狐獣人は鋭い爪を使い、ドアに向かって真っ直ぐ突いた。バキッという木が割れるような音が響き、ドアに穴が空いてしまった。そこから腕を伸ばし、鍵を解除して開け放つ。
――が、部屋には誰もいない。しかし、狐獣人は長い鼻でクンクンと匂いを嗅ぎ、にやりと笑う。
「……隠れても無駄だぜ? ここにいるのはわかってる。時間の問題だ」
ベッドの上には綺麗に畳まれた布団。窓も閉まっており、外に出ている様子はない。
小さな棚と、クローゼットがある。隠れるとすれば――と、狐獣人は匂いを嗅ぎながら前に立った。
「ここだ」
クローゼットの扉を開けると――ウミがいた。
が、ウミは怯える様子もなく鋭い視線で睨み上げている。そして、包丁の刃先を向けていた。
「……下がりなさい」
「へへ、ヒトっていうのはなかなか勇ましいんだな。元気そうでなにより」
「もう一度言う。……下がれ」
刃先をより近づけると、狐獣人はゆっくりと後ろへと下がって行く。
ウミはひ弱なヒトではない。見た目が気持ち悪い触手系人外にはとことん弱いが、それ以外では対等に言い合える度胸がある。
というのも、ライスと遊んでいるうちに鍛えられ、体力には相当の自信があった。ヒトが狙われる、ということを知っていたライスの教育のおかげかもしれない。
「私を狙う理由は何?」
冷めた目つきで狐獣人が見下ろす。
が、ウミも決して目を逸らさなかった。
「……知りたいかい?」
「狙う理由は何!?」
「……食糧として、繁殖用として、奴隷として。用途はそれぞれ違うさ」
思わぬ内容に、ピクッと包丁が震えた。
ウミの動揺を感じ取ったのか、狐獣人は再びにやりと口を歪める。
「……俺は換金所で売るだけさ。今ここでお前をどうこうしようっていうわけじゃあない。黙ってついてくりゃ何もしないさ」
「誰があんたなんかに……!」
その瞬間、狐獣人がウミが持っていた包丁を下から蹴り上げた。包丁は壁に当たって部屋の入口辺りに飛んで行ってしまった。
注意が逸れた一瞬――狐獣人がウミの腹目掛けパンチを繰り出す。が、間一髪で横へ転びなんとか避ける。
「……へへ。いつまで逃げられるかな?」
広くない部屋で逃げ回れるはずがない。いづれ捕まってしまう。目の前に立ち塞ぐ狐獣人がすさまじく大きく見えた。
包丁は丁度狐獣人の後ろにあり、どうにか避けて、手にしなければならない。
唇を噛み締め、睨み上げるウミ。一生懸命頭の中で思案する。
――捕まっては駄目。ヤクちゃんもリンちゃんも、きっと助けに来ない。私一人で……ライスが帰って来るまで逃げないと……!
そう考えていた時、狐獣人はいきなり鋭い爪を振り下ろしてきた。なんとか後ろに避け、再び見上げる。するとすぐさま再び爪を振り下ろしてきた。休む間もなく避け続け、気が付くと背中に壁がついていた。もう後ろへは逃げられない。チッと舌打ちをして、横へ転がり移動する。狐獣人の脇を抜けて、包丁を取りにこうと考えた。――が!
「おーっと! 逃がさねぇよ!」
すれ違う間際に、手首を掴まれてしまった。振りほどこうにも力が強い。
あっという間に両手首を掴まれ後ろに回されてしまう。
「へへ。近くで見ると、うまそうな肉ついてんな。……よだれが出そうだ」
「……離せ!」
「暴れるなよ? 暴れると傷ついてしまうかもよ?」
先の鋭い感覚が、手首に伝わる。そう、掴んでいる狐獣人の手の爪だった。脅すように、爪先でウミの皮膚を突いていたのだ。
「ほら……歩け」
手首を後ろで固定され、すぐ後ろを狐獣人が歩く。
部屋の奥からゆっくりと進み、ドア手前の床――すぐ横の床に包丁がある。屈み手を伸ばせば届く距離だった。
一か八か――ウミは覚悟を決める。
一歩踏み出そうとしたその足を、思いっきり後ろへ蹴り上げた。その蹴りは見事、狐獣人の股へヒットさせた。
急なことに狐獣人は悶絶し、手の力が緩まる。その瞬間に、ウミは手を振りほどき包丁を手に取った。そしてすぐに包丁を向けた。
「……くそっ! 大人しく……していればいいもの……!」
歯ぎしりをし荒い息を繰り返す狐獣人は、明らかに激昂している。爪は鋭さを増し、牙は何でも噛み切れそうなほど尖っていた。
だが、ウミは決して怯まなかった。目を逸らすことなく、殺気立った獣人を睨みつける。
「あんたはもう、お客じゃない。家の修理費置いて出て行きな」
「誰が金置いていくかよ。……無理やりにでもさらってやる!」
今にも飛びかかる――そんな時だった。
狐獣人の顔に突然、触手が巻きついたのだ。
「つ……ツベちゃん!?」
いつの間にか背後を取っていたツベちゃんは、一気に飛び上がり巻きついたのだった。
いきなり目を塞がれた狐獣人は、なんとか剥ぎ取ろうとするもののきつく巻きついているためはがれない。
「な、なんだこりゃ! くそ!」
爪も使って切り千切ろうとするが、それでもツベちゃんは離れなかった。
傷つけられたツベちゃんの触手から、ピンク色の液体が流れ出ている。
ウミは狐獣人に向かい、思いっきり体当たりをした。見えていないのか、簡単にバランスが崩れウミ共々廊下に投げ出される形で倒れた。
そしてウミはすぐさま起き上がり、狐獣人の上に馬乗りになる。そして、両腕を足で踏みつけ、喉元に包丁を突き付けた。
「お金を置いていかないなら、あんたの肉を削ぎ落す!」
その叫び声とともに、目元に巻きついていたツベちゃんが床へ滑り落ちる。
目の前が開けた先に見えたのは、喉元に当たる刃先と鬼気迫る表情で見下ろすウミだった。




