子供の遺体消失事件と食に関わる心理
ところで、知っているかい、鈴谷君?
すき焼きは、そもそもは牛肉の臭みや硬さを誤魔化す為に考案された料理なのだそうだよ。牛肉が食べられ始めた当初、明治時代辺りは、牛肉の質が悪かったからだね。それに、まだ日本人が牛肉に馴染んでいなかったという事もあったのかもしれない。
「それがどうかしたの?」
そこまでをボクが語ったところで、鈴谷君は多少、苛立った声でそう言った。芯の強そうな瞳でボクを睨んでいる。因みに、鈴谷君は女性だ。眼鏡をかけていて、地味だが整った顔立ちをしている。
これはボクがある子供の遺体消失事件についての参考意見を聞きたいと彼女のいる民俗文化研究会のサークル室を訪ね、その事件の事は少しも語らずに心理学についてを滔々と語った後で、ようやく事件について語ると見せかけておいて、結局は語らず、そんな料理の話をしたという場面だから、恐らくは“いい加減にしろ”と、そういう意味での発言なのだろうと思う。
ボクも彼女も大学生で、ボクの専攻は生物学なのだけどサークルは心理学研究会に所属していて、彼女は先にも述べた民俗文化研究会に所属している。二つとも弱小サークルだ。だがうちの大学の弱小サークルには良い点があって、互いに協力関係を結んで、補い合うというルールに近いものがあるのだ。
人間科学は人文科学、社会科学、自然科学に跨っており、だからこそ、学際的に当たらねば捉え切れないとボクは考えている。この弱小サークル連盟は、そのボクの考えを実現するのに実に具合が良さそうに思えたのだ。それで、ボクはその弱小サークル連盟で特殊な知識を持っている人間に出会える事を期待して、心理学研究会に所属するに至ったのだが、これが中々に期待外れで、今のところ、充分な知識があるとボクが認めた相手はこの鈴谷君と後は新聞サークルの火田という男生徒くらいだった。もちろん、まだ他にも知識のある連中はいるのだろうが、少なくとも弱小サークル連盟を通して簡単にコミュニケーションが取れる人間の中には、いそうにもなかった。先輩達までは、知らないけれど。
……そう怒らないでくれたまえ、ボクとしては鈴谷君という魅力的な女性との会話を楽しみたくてこうして長話をしているのだから。
「それにしたって、関係のない話ばかりを聞かされたら、腹も立つわ。どうして、心理学の話なんかしたのよ? 料理の話もそうだけど。あなたはその遺体消失事件について私に意見を求めにここに来たのでしょう?」
いやいや、鈴谷君。確かに持って回った話し方をしている点は認めるが、ボクの話を“関係がない”と簡単に決めつけるのはどうかと思うよ。君ほどの才女であれば、その裏にあるボクの意図を予想できるはずだ。
そのボクの言葉に、鈴谷君は大きくため息を漏らした。
「無茶を言わないで、私は少しもその遺体消失事件について聞かされていないのよ。しかも、あなたの話した心理学の話は、事件にはまったく関係がないじゃない。そうとしか思えないわ」
そうかな?
「そうよ」
ボクはそれを聞くと少し考え込んだ。それほど逸脱した話をしたつもりはなかったからだ。
因みに、ボクが彼女に話して聞かせた心理学の話はこんなものだった。
鈴谷君。
少し前にね、臨床心理においてもプラシーボ効果があるのかどうかをボクは少し疑問に思ったのだよ。プラシーボ効果というのは、偽薬効果などとも呼ばれるもので、つまりは思い込みによって実際に薬効があったり病気が治るような現象をいう。ま、君は知っているだろうけど。
それで調べてみたところ、どうもあるらしいのだな。
臨床心理の技法や薬などを用いなくても、カウンセラーや精神科医の権威効果などで実際に心理的な病が改善されるというような事があるらしい。
これはカウンセラーなどの社会的機能を考えるのなら喜ばしい事実だ。実践されている理論が仮に間違っていたとしても、治療者が親身になって相談者や患者の為に尽くせば、それで良い効果が期待できるのだからね。ところが、心理学の発展を考慮すると困った事実だ。仮にその理論が出鱈目であったとしても、効果がある事になってしまう。これではその理論の正しさを検証できない。
そう言えば、カウンセラーが用いている技法は折衷的なものが多いと聞く。これは、本当に全て正しい理論が心理学には、未だに存在していないからなのかもしれない。部分的には正しくてもね。
ボクはね、鈴谷君。心理学を自然科学的に扱う場合の最大の問題点は、その検証のし難さだと考えているのだよ。本質的にブラックボックスである心を、一体、どうやってボクらは観察すれば良いのだろう?
行動主義心理学なんてものもあるが、ボクは社会科学の領域が、それを手伝ってくれるのではないかと考えている。社会制度、風習、文化。そういったものに、人間の心が多大な影響を与えている点は間違いなく事実なんだ。ならば、それが人間心理の証拠になりはしないだろうか。
以上だ。
なるほど、確かにこうしてみてみると、事件と関係があるようには少しも思えないね。ただね、鈴谷君。もしも君がこの“前振り”の意味を本気で考えてくれたなら、ボクの本当の意図を予感することくらいはできたのじゃないかい? 社会制度、風習、文化といったら、君の領域じゃないか。多分、君には本気でボクの話を聞く気がないだけだと思うのだけど。
「それは無理もないわ、菊池さん。私にはあなたの相談を受けなくちゃならない理由なんてほとんどないのだもの」
それを聞いて、ボクは頭を掻いた。
これは、これは。我ら弱小サークル連盟の協力関係を忘れてしまったのかい?
「協力関係があるといっても、必ず協力しないといけないって訳じゃないわ。それに、あなたのそれはサークル活動なの? 私には個人的な活動に思えるのだけど」
そんなつれない事を言わないでくれよ、鈴谷君。今回のこれは、一応、ギリギリでサークル活動の範疇になると思うし、それに、この話は新聞部に所属している君の彼氏の佐野君の記事のネタにもなるのじゃないかと思う。君にとって、まったくメリットがない訳でもないだろう。
「何を言っているのよ?」
だから、ネタとしてこの話を提供してあげれば、きっと彼氏は喜ぶと思うと言っているのだよ。もちろん、個人を特定できるような情報は教える訳にはいかないが、大学サークルの新聞ネタくらいならそれで充分だろう。
「そうじゃないわ。私と佐野君は別に、そんな関係じゃないって言っているの」
ボクはその発言に、大袈裟に驚いてみせた。
違うのかい? だって、しょっちゅう、君は佐野君に協力しているみたいじゃないか。聞いた話じゃ、それで彼が持って来る事件をいくつも解決しているって。まるで、探偵小説に登場する探偵のようだと噂になっていたけどな。
「はぁ…… なんか、とんでもないデマが飛び交っているみたいね……」
……一応、断っておくが、ボクは別に鈴谷君に推理小説に出てくる探偵の役割を期待して彼女のサークル室を訪ねた訳じゃない。
一口に推理小説といっても色々あるが、探偵役が超人的な能力を持ち、華麗に謎解きをするようなタイプの場合、その探偵役を主体とした描き方をしないものの方が多い。別の語り手を用意し、探偵役は神秘のヴェールに包むのだな。シャーロック・ホームズはこの典型例だろうし、京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」に登場する京極堂もそうだし、三毛猫ホームズなんてそもそも猫だ。読者は、探偵役が謎を解くに至る過程をあまり知る事なく、未知の境界線の外からもたらされる謎の解決にカタルシスを覚える訳だ。
漫画なんかだとまた違って来るが、文字で伝えるしかない物語の場合、神秘的な探偵の思考を敢えて描かないというこの傾向はより顕著になるのだろうと思う。
それに対して、探偵役の苦悩する心理や思考を丹念に描き、探偵役と共に事件の謎解きに至る過程を楽しむという推理小説もある。これは探偵役を境界線の内として描く事に意味がある場合だ。
今回のこの話は、どちらかといえば後者に当たる。つまり、探偵役はボク自身だ。もっとも、前者の要素もあると言えなくもない。何故なら、ボクは既に事件の謎解きをしてしまっているからだ。謎解きに至る過程を、読者は楽しむ事ができない。それに、ボクの一人称で語っていても、相変わらず一部の読者にとってボクの存在は境界線の外なのじゃないだろうか。理解できない存在。
断っておくが、これはミスリードではない。いや、少なくとも、今この時点では、ボク自身はミスリードだとは思っていない。ボクが致命的な間違いを犯していて、鈴谷君がそれを指摘して、謎が解かれるに至るというのであればそれもまた違って来るが、その可能性は恐らくは低いだろうと思う。
――やっぱり、彼氏からの頼みじゃないと、快く引き受けてはもらえないのかな?
ボクがそう尋ねると、ややうんざりした様子で、鈴谷君は面倒臭そうに返した。
「だから違うってば。そもそも、私は佐野君からの依頼を毎回受けている訳じゃないし、快く引き受けている訳でもない。佐野君と私は付き合ってはいないわ」
そうなのかい? でも、そんな事を聞くと、ボクとしても期待してしまうじゃないか。二人きりで、鈴谷君のような魅力的な女性といると思うと興奮するよ。
「何を言っているの?」
いや、そのままの意味だよ、鈴谷君。君はとても魅力的な女性だ。その自覚は持った方が良いと思うな。いいかい? 君のような女性が佐野君以外の男性からは放っておかれているなんて、稀有な事例なんだよ。
「そういう話じゃないわよ。そもそも、菊池さんは女性でしょう? 佐野君と付き合っていようがいまいが、関係ないじゃない」
ボクはそれを聞いて頭を抱えた。
おぅ、なんて事だ、鈴谷君! 折角、ミスリードじゃないって念を押しておいて、一人称“ボク”の語り手が実は女だったというミスリードはするのかい! ってネタを仕込んでおいたのに、あっさりとそれをばらしてしまうだなんて。苦労が台無しじゃないか!
それに、鈴谷君ともあろう人が、世間の常識に囚われるのかい? 性別なんて大して重要ではないよ。ジェンダーフリーでいこうじゃないか。
ボクと君が付き合うのだって、アリだよ、アリアリだよ。
そこまでをボクが語ると、鈴谷君は呆れた表情でこう言った。
「あのね、あなたには既に付き合っている男性がいるでしょう?」
ボクは少しおどけた言い方で、それにこう返した。
何を言うんだい? 鈴谷君と付き合えるというのなら、ボクは余裕で、あの彼氏とは別れるよ。それだけの価値はある。
「はぁ…… あなたの彼氏に同情したくなってきたわ」
うむ。それについては、概ね同意見だ。
「それで、流石にそろそろ遺体消失事件の件について教えて欲しいのだけど」
お? やっとやる気になってくれたのかい。
「あなた、どうせ諦めないでしょう? 無駄な時間は過ごしたくないの」
ボクはそれを聞くと、唇に軽く手を当ててから、こう応えた。
ボクとしては、君との会話をまだまだ楽しみたいと思っているのだが、これ以上は怒らせたくもないな。仕方ない。遺体消失事件について話そうじゃないか。
それからボクは説明をし始めた。
大変に痛ましい事ではあるが、交通事故で小さな子共が亡くなってしまった。そしてこれについては純粋な事故で、殺人事件を疑う要素は微塵もない。トラックが運転を誤って、その子共を潰してしまったのだな。その所為で、その子供の遺体は、ほとんど人間である態を成していない状態にまで破損してしまったらしいよ。
その子の母親は大変に子煩悩な人で、子供の事故死を受けての取り乱しようは凄まじく、周囲の人が病院に連絡した方が良いのではと心配をする程だったらしい。
やがて母親が落ち着きを取り戻すと、その子の遺体は、母親の自宅に安置された。遺体の破損が激しかったから、母親の心情を慮って他の場所に安置する事も提案されたのだが、母親の強い希望で自宅に決まったのだそうだ。ところがそれから事件が起こったのさ。そう。その子の遺体が消えてしまったのだな。
遺体が消えている事を発見したのはその母親自身だったらしいが、それほど狼狽えている様子はなかったそうだ。時刻は早朝で、朝に遺体を確認しようと覗いてみて、それで我が子の遺体が跡形もなく消えているのを見つけたらしい。その前の晩には、父親も遺体を見ているそうだから、夜の間に何かが起こったのだろうな。その報告を受けて、警察が調べに入ったのだが、遺体以外で盗まれている物は一切く、また侵入者があった痕跡もなかった。ただ、子供の遺体だけが消えている。
警察も困ったそうだよ。
遺体を盗む泥棒なんて聞いた事がないからだろう。
ボクはその話を聞いて、実際にその母親の自宅にまで行ってみたんだ。すると、意外に広い土地を持っていてね。その広い土地で家庭菜園をやっていた。とても綺麗な畑で、よく手入れがされてあったよ。花なんかも植えてあったりしてね。マリーゴールドだったから、線虫対策かもしれない。あ、マリーゴールドには線虫害の予防効果があるんだ。なんでも、子供に健康的で安全な食事を食べさせてやりたい一心で、その母親は自ら農作物を育て始めたらしい。確かにかなりの子煩悩だね。そして、その子が死んでしまった後も、その畑の手入れを怠っていない。
その畑の肥料は主に有機肥料。自宅や近隣の人達から、生ゴミなんかをもらってきて、それで肥料を作っているのだな。畑の傍にプレハブ小屋が建っていたのだけど、そこで肥料作りだとかをやっているのじゃないかとボクは想像した。
広い土地に家が建っている所為で、開放感のある感じだった。侵入者の痕跡はなかったそうだが、あれなら泥棒は入り易いのじゃないかという印象をボクは持ったよ。
ま、もっとも、泥棒が入ったとは、ボクは思っていないがね。
「それだけ?」
ボクの話を聞き終えると、鈴谷君はそう尋ねて来た。
まぁ、それだけだね。別にボクは誰から依頼された訳でもないし、だからその母親と話ができるようなコネもない。それに、ま、実は正直に言うのなら事件の解決自体には、ほとんど興味がなくってさ。ボクが興味あるのは飽くまで人間科学だからさ。
そのボクの言葉に鈴谷君は顔をしかめた。少しずれた眼鏡の位置を直し、腕組みをすると口を開く。
「それだけじゃ、いくらなんでも情報不足過ぎやしないかしら? 一体、私に何を言えっていうの?」
いやいや、鈴谷君。確かにボクは遺体消失事件についての参考意見が聞きたいとは言ったけど、事件自体に関してどうこう聞きたい訳じゃないよ。だから、ボクは心理学の話をしたり料理の話…… いや、食文化についての話をしたりしていたのじゃないか。
そのボクの言葉に、鈴谷君は戸惑った表情を浮かべた。凛としたタイプの彼女に、こんな風な反応をされるとつい可愛いと思ってしまう。
「私には、あなたの話と子供の遺体が消えた事件との関わりがまったく見えないのだけど、まぁ、いいわ。関係があるって言うのなら、さっきの続きを話してみてよ」
それを受けて、ボクはこう言った。
これは有難い。ようやくお許しが出たか。では、話そうか。
……さっきのすき焼きの話は、要は牛肉を食べるという文化のなかった日本が、文明開化の辺りで質の悪い牛肉を無理に食べ始めたって事が言いたかったんだ。だがしかし、これとは逆に日本が捨てた食の文化もある。仏教の影響で、日本では獣食を忌む傾向があったとはいえ、獣を食べる文化を日本は持っていただろう? その一部の獣食文化は失われてしまったんだ。
その言葉に鈴谷君は頷いた。
「そうね。日本でも獣食文化は色濃くあった。例えば、イノシシを山鯨と呼んで食べていたし、ウサギも食べていた。飽くまで一説に過ぎないけれど、ウサギを一羽二羽と数えるのは鳥の一種と見做して、食べていたからというものがあるわ。
日本から失われた食の文化で獣食とくれば、文明開化の時期とは限らないけど、犬食文化や猫食文化かしらね?」
流石、鈴谷君だね。ボクが注目をしている失われた日本の食文化というのは当に犬食文化や猫食文化なんだよ。そういう食文化が日本にあったのは事実なのだろう?
「ええ、そうね。“犬も歩けば棒に当たる”なんてことわざがあるけど、犬や猫は江戸時代の頃までは食べられていたようよ。もっとも中期以降は既に衰退しつつあったみたい。だから文明開化に伴って消えていったかどうかは分からないわ」
ようやく鈴谷君の領分になった所為か、彼女は随分と活き活きとしているように見える。まぁ、ボクに普段のペースを乱されていたからって事もあるのかもしれない。
ボクはそれからこう訊いた。
しかし、どうして犬食文化や猫食文化は衰退していったのだろう?
「それは、やっぱり愛玩動物を食べる事に抵抗があるからじゃないかしら。だから、食糧生産技術の向上と共に、人間のパートナーになるような動物は食べられなくなっていたという解釈が、最も妥当なのじゃない? 馬肉食をタブー視する国も多いけど、そういう国では馬をパートナーとして扱う傾向が強いという話を聞いた事があるわ。日本でも、競馬やなんかに従事する人の中には、馬肉食を忌避する人達がいる」
ボクはその言葉に大きく頷いた。
納得のいく意見だと思う。しかしだ、鈴谷君。日本から失われた食文化は、そういった人間のパートナーになるような動物に対するものだけじゃないだろう?
「何かしら?」
昆虫食。または、それに類する陸の無脊椎動物だよ。イナゴやざざ虫、ハチの幼虫なんかは未だに食べられているようだが、かつてあったその食文化のほとんどは失われてしまっているようじゃないか。
そのボクの言葉に、鈴谷君は“ああ、なるほど”といったような顔を見せた。
「そうね。かつては、タガメ、ゲンゴロウ、カミキリムシの幼虫、カイコの幼虫、セミ、ハチの幼虫、カタツムリなど実に様々な種類の無脊椎動物が食べられていたわ」
では、それら動物に対しても同じ問いをしてみよう。どうして、それら動物に関する食文化は失われてしまったのだろう? 味そのものは美味しいという話もよく聞くし、大量にいるから捕まえるのは容易で、種にもよるのだろうが、養殖だって比較的楽に済むと考えるべきだ。食糧難の時代に備えて、昆虫食を復活させようと主張している人達がいるくらいだからね。
「それは、心理的に嫌悪するからじゃないの? だから、飢える心配がなくなった時代では食べられなくなっていった……」
そう応えながら、鈴谷君は少し考えるような仕草をする。そして、こう言った。
「なんとなく、あなたの言いたい事が分かって来たわ。つまり、菊池さんは、食文化を観察する事で、人間の食の心理が分かるのじゃないかとそう言いたいのね? だから先に心理学のあの話をしたのだわ」
ボクはその言葉に大いに満足して直ぐに頷いた。
流石、鈴谷君だ。それでこそだね。まず、人間は近過ぎる種は食べようとしない。食べる事へ、嫌悪を感じるようになる。これはもちろん、生物学的な意味での“近い”ではなく、心理的な意味だね。犬をペットとして家族同然に扱っていれば、人間はもう食べる対象として犬を見られなくなってしまう。しかし、その反対に遠い種に対しても嫌悪を感じる。
ボクのその言葉を聞くと「なるほど」と呟いてから、鈴谷君はこう言った。
「つまり、人間は近過ぎず遠過ぎない種を“食べ物”として選ぶ傾向にあると言いたいのね。いや、それだけじゃないわね。植物は遠過ぎるけど普通に食べている。水を忌避するなんて話ももちろん聞かない。つまり、遠くなり過ぎれば逆に食への抵抗を感じなくなっていくという事になるかしら?」
ボクはそれにも頷いた。
恐らくは、離れ過ぎると、無機物に近い認識に変わるのじゃないかな? それだけとは限らないが。
鈴谷君が直ぐにそれに続けた。どうも少し面白いと感じ始めてくれたようだ。
「“木石”なんて言って感情のないものを表現する言葉がある。つまり、有機物である植物と無機物である石とを同一のカテゴリとして扱っているのね。これも菊池さんの説の証拠になるかもしれない」
ボクもそれに直ぐに続けた。
同じ無脊椎動物でも、海や川に棲む動物だと抵抗なく日本人は食べている。水中にいるものは、つまりはそれだけ離れているという事だろう。考えてみれば、海老も蟹も海胆も海鼠も貝もかなり気持ち悪いよ。カタツムリは陸に適応進化した貝で、気持ち悪さでいえば同じくらいなのに、日本での食文化は失われてしまっている。ま、ヨーロッパでは大いに残っているようだから、強くは主張し切れないが。
そうボクが言い終えると、鈴谷君は軽く息を吐いてからこう言った。
「例外はあるわね。ざざ虫は、水性昆虫の幼虫だけど、広くは食べられていないわ。極狭い範囲だけで食される郷土料理だもの。
だけど、なるほど、確かに面白い話だとは思うわ、菊池さん。そして、分かって来たわよ。どうして、この話が子供の遺体消失事件と関係してくるのか。
……でも、やっぱり証拠不足じゃないかしら? 決めつける事はできない」
ボクはその鈴谷君の言葉に多少、驚いてしまった。
これはこれは……、一足飛びで見抜いてしまったようだね、鈴谷君。やっぱり、真剣になって考え始めれば、簡単に見抜けるじゃないか。
「そういうのは、今は良くない?」
だね。まぁ、認めよう。君の言う通りだ。証拠不十分だ。決めつける事はできない。ただ、その線で疑って捜査をしてみる価値は少なくともあると思う…… もっとも、ボクにはそのつもりはないがね。ボクの予想通りだとしたって、あの事件の母親に罪はないだろうし、なら、これ以上は知る意味も価値もない。
「でも、死体損壊の罪はあるわよ?」
法律上の罪が全てとは限らないさ、鈴谷君。ルールというのは、社会を良くする為に存在するのであって、守る為にあるのじゃない。完璧な法律が存在しない以上、少しは融通を利かせるべきだろう。
「同意するわ。でも、ならどうして、菊池さんは私に意見を求めに来たの?」
ボクの目的はより深い人間理解なんだよ、鈴谷君。そして、この“子共の遺体消失事件”はそれに役立つ題材だと思ったのさ。それで文化社会方面の知識を持った君の意見を聞きたかったんだ。
そう言ってから、ボクは自分の仮説について説明し始めた。
近い存在を人間は食の対象と見做す。しかし、同時に人間はそれを拒絶しもする。表面化していないだけで、これには実は深い葛藤がある可能性がある。そして、その葛藤の極限に当たる動物はほぼ間違いなく“ヒト”であるはずだ。
カニバリズム。
食人文化は、その痕跡も含めれば、色濃く世界各国に残っている。あの精神分析学の創始者、フロイトは食人主義を乗り越える事で、人間は文明を持ったなどと言ったそうだが、これは間違いだろう。共食いを忌避する性質は、ある程度、進化した動物なら持っている。人間がそんなに下等な動物だとは思えない。
しかし、人間の行動に、それが観察できる事もまた事実なのだろう。性的な興奮からカニバリズムを行ってしまう殺人者もいるし、風習として残っている場合もある。そう言えば、ずっと前に海外で、白人女性を食べてしまった日本人がいたよね、鈴谷君?
「ええ、いたわ。佐川一政ね。彼の手紙を元にした小説が芥川賞を受賞しているから、有名な事件よ。因みに、日本でのカニバリズムの風習では、“骨噛み”というものがあるわね。死んでしまった親族の骨を噛むの。これは親族の魂を取り込む為だとか説明される。これと関係があるかどうかは分からないけど、俳優の勝新太郎はその愛情故に自分の父親の骨を食べたと証言しているのだとか」
その鈴谷君の説明にボクは頷いた。
それは面白い話だ。つまり、飢えの極限状態のような特殊なケースは別にして、カニバリズムは食用としての目的から行われるとは限らないという訳だね。
「その通りよ。カニバリズムは、親族に対して行われる場合も多い。これは、その親族との同一化を目的としていると解釈される。戦争などで、敵を食べる場合もあるのだけど、それだってそこにあるのが憎しみだけとは限らない。相手を尊敬し、その力を取り込む儀式だという解釈もある。つまり、“食べる”という行為には、対象との同一化という意味が込められている…… とも、思えるのね」
ボクはその鈴谷君の説明に気を良くした。
君のその説明は、ボクの仮説を裏付けるものでもあるね、鈴谷君。同一化したいと思える対象だからこそ、人間は近しい存在である哺乳類や鳥類を好んで食用にするのだ。そして、近過ぎれば、“共食いへの嫌悪”の心理が働き、それを忌避する。
ただ、同一化への願望が勝ってしまう場合もある。
恐らくは遺体消失事件の母親も同じだったのだろうさ。だからこそ、自分の愛する子共との同一化を行う為に、子供の遺体を畑の肥料とした。農作物の養分となった自分の子供を、農作物を食べる事でその体内に取り入れるつもりなのだろう。
「子供を直接“食べた”とは考えないのね」
量が多過ぎるからね。もしかしたら、部分的には食べたかもしれないが、畑を大事に扱っているのなら、肥料として使ったと考えるべきだろうと思う。
……それに、あの畑は、とても綺麗に手入れされてあった。それは、母親にとってあの畑が子供のお墓だからなのかもしれない。
それを聞くと、鈴谷君は軽く頷き、それからこう言った。
「私としては、その話から、昔の日本の、子共に対する埋葬の方法を思い浮かべるけどな」
と、言うと?
「その昔は、子供を墓に埋めたりせず、家の近くに埋めてしまっていたのよ。例えば、土間だとかね。これは、子供を人間扱いしていなかったという事でもあるけど、早く生まれ変わって戻って来い、という意味を込めているとも聞くわ。七つまでは神のうちってね。童子信仰との関係もあるのかもしれない。簡単な事で、直ぐに子共が死んでしまっていたからという時代背景もあると思うけど」
なるほど。それは参考にするべき意見かもしれない。ただ、仮に昔の日本の子共の埋葬方法を事件の母親が執っていたのだとしても、心理的には、カニバリズムと同根があるという考えは捨て切れないとボクは思うね。その話は、自分の手の届く範疇に子共の存在を置いているじゃないか。
「あら、そう? でも、それを確かめる為には、もっと深くこの事件を追わないと駄目だと思うわよ。その母親に話を聞いてみるとかね。さっきも言ったけど、情報が不足し過ぎているから」
ボクはそれを聞くと肩を竦めた。
いや、止めておくよ。これ以上進むと、ただの解釈の遊びになってしまいそうだ。ボクが求めているのは、そういうものじゃない。曖昧な結論に甘んじるしかない場合だって、受け入れるべきなんだ。
ところで、鈴谷君。少し、まだ質問があるのだけど。
「何かしら?」
話し始めは、君はボクの事を大いに拒絶していたようだったが、今はどうだろう? 例えば、食べても良いと思えるくらいに、受け入れてくれているだろうか?
そのボクの言葉に鈴谷君は呆れた表情を見せて、笑いながらこう応えた。
「菊池さん。流石にあなたを食べられるとは思えないわ。勘弁して」
それを聞いて、ま、それはそうかとわたしは思った。
時々、こんな感じの遊びをしたくなるんです。
一応、推理にしました。